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お母さん、自信を持っお②



母は、私の味方だず思っおいた。

ある時期たでは。

でも、違ったのだ。

ある事件をきっかけに、私はそのこずを思い知らされる。



そう気づいた日から、私は長いあいだ矛盟の䞭で苊しむこずになる。

それでも、私にずっお家族ずしおの拠り所は、母しかいなかった。



母の離婚をかけた本気の家出


䞭孊生のずき、母が長期にわたり家を出た。

母は以前から、䜕床も実家ぞ垰っおいた。

けれど、このずきだけは違った。
離婚の危機を感じた、本気の家出だった。


父ず祖母たちずの生掻に耐えかねお、私たちが寝おいるあいだに母は実家ぞ垰っおしたった。

私は十䞉歳だった。

その頃の私は、母の味方でいる぀もりだった。
母を応揎しおいた。
この長期戊の家出で、離婚が成立すればいいず
本気で思っおいた。

「母よ、粘れ」ず心の䞭で思っおいた。

父に殎られたり、髪を匕っ匵られたり、
眵倒されたりするこずには、もううんざりしおいた。
痛かったし、蟛かった。

元々、毒の原点は父方の芪戚たちの䟡倀芳にもあったず思う。
嫁を远い出すこずを歊勇䌝のように語るような、叀い男尊女卑の空気が残っおいた。


䜕か問題が起こるず、
父は祖母をかばい、祖母は父をかばった。

そしお、母や私たち子どものせいにされた。

それならもう、私たちは芁らないではないか。
「どうぞ芪子でやっおください」
私はそんなふうに、心の䞭で突っ匵っおいた。

母が出おいったこずを、私は父ぞの最埌通告だず思っおいた。
母が意地を匵るなら、私も意地を匵ろう。
私も頑匵るから、お母さんも簡単に垰っおこないで。
離婚に向けお、私たちは団結しお戊うのだ。

これは、我慢ではなく忍耐だ。
そう思うこずで、私は自分を奮い立たせおいた。

この頃の私は、ただ自分の感芚を信じおいた。



祖母の䜜る匁圓のグレヌドが䞋がっおいく


母がいなくなった家では、最初のうち、祖母が私のお匁圓を䜜っおくれおいた。

けれど、そのお匁圓はだんだんずグレヌドが䞋がっおいった。

おかずは枛り、圩りはなくなり、限りなく日の䞞匁圓に近いものになっおいった。

私が「おいしい」ず蚀わなかったからだず思う。

でも、蚀えるはずがなかった。
思春期で玠盎になれなかったこずもある。
けれどそれ以䞊に、私は母の味方でいる぀もりだった。

母を远い詰めた偎の家の人に、笑顔で「おばあちゃん、ありがずう」などず蚀えるはずがなかった。

父には蚀われた。
「おばあちゃんにありがずうず蚀え」ず。

けれど、どんなに怒られおも、私は蚀わなかった。
蚀いたくなかった。


あの頃の私は、倧人たちが自分の感情ばかりを優先しおいるように感じおいた。


だから私は、自分でお匁圓を䜜るこずにした。

父から最䜎限のお金をもらい、買い物に行っお、家にある材料で、なんずか䜜った。
今思えば、十䞉歳の子どもが䞀人で抱えるこずではなかった。
けれど圓時の私は、それが母ぞの応揎になるず思っおいた。
きっず願いは叶う、そう思っおいた。

そんな生掻が二ヶ月ほど続いた頃、
父に蚀われた。

「お母さんに垰っおきおもらわないず困る」ず。

父は蚀った。
「家が回らないから、お前、お母さんに垰っおきおくれず蚀えるかただし、俺に蚀われたずは蚀うなよ」
ずんでもなく身勝手なミッションだった。
子どもだった私に、倧人同士の問題を解決する
圹割を背負わせたのだ。

芁するに、母を連れ戻しおこい、ずいうこずだった。

断ればどうなるかを、私は知っおいた。
だから行くしかなかった。

自分の意思ずは裏腹に、私は母の実家ぞ向かった。

母は、そこに䞀人でいた。
母方の祖父母は、以前から予定しおいた旅行に出おいた。
母はその留守番をしおいたのだ。



母なら、私の気持ちを分かっおくれるず思っおいた。

私は母の味方でいたのだから。



お母さんは、私を耒めおくれる。



十䞉歳の私は、母を迎えに行くのではなく、母に抱きしめおもらいに行くような気持ちだった。


けれど、珟実は違った。

母は私を責めた。

「なぜ来たの」
「お父さんに蚀われお来たんでしょう」

そう蚀われた。

そしお私は、祖父母の家の玄関に立たされた。
癜状するたで家には䞊げない、ず蚀われた。




私はわけもわからず、謝った。

そしお、玄関で土䞋座をした。



このずきほど、泣いたこずはない



そのずき、涙がこがれ萜ちた。
これでもか、ず泣きじゃくった。

なぜ、私がこんなこずをしなければならないのか。
私は母を信頌しおいた。
母を慕っおいた。
母の味方でいようずしおいた。

それなのに、どうしお母は私にこんな仕打ちをするのだろう。





そこで私は、薄々気づいおしたった。

母が来おほしかったのは、私ではなかった。
母は、父に来おほしかったのだ。

父に謝っおほしかった。
父に远いかけおほしかった。
父に、自分を遞び盎しおほしかった。


私は母の嚘だった。
けれど、その堎で母が芋おいたのは、嚘ずしおの私ではなかった。





離婚したかったのではないのか


母は結局、なんだかんだ蚀いながら家に垰っおきた。

そしお母は、実家の祖父母にも䞍満をぶ぀けた。
自分が困っお垰っおきたのに、予定しおいた旅行をキャンセルしおくれなかった、ず。

でも、祖父母には祖父母の人生がある。
子どもだった私にも、それは分かった。

その時、私は気づいた。
母が䞀番心配しおいたのは、私たち子どものこずではなかった。

「働きたくない」
「自分の入る墓がない」
「モテないから、新しい男の人なんおできない」

母の口から出おくる蚀葉は、い぀も自分自身の䞍安ばかりだった。

私たちを守りたい、ずいう蚀葉は出おこなかった。

そのずき私は、はっきりずは蚀葉にできなかったけれど、䜕かが壊れたのだず思う。


私は母を守ろうずしおいた。
でも母は、私を守る人ではなかった。

ただ、母自身も誰かに守られるこずを求めおいたのかもしれない。

母は、䞀人の女性ずしお、ただ自分の人生を生きる準備ができおいなかったのかもしれない。

そのこずに気づいた時、私は深く傷぀いた。

なぜなのか。
離婚したかったのではなかったのか。

その矛盟が、十䞉歳の私の心に、ぐるぐるずたずわり぀いた。


母は父を愛しおいたのかもしれない。
それずも、父に必芁ずされる自分を手攟せなかったのかもしれない。

私には、そのどちらなのか分からなかった。
ただ、信じおいた母に届かなかったこずだけが、苊しかった。

このずきから、私は人間䞍信に陥っおいったず思う。

でも、長い幎月を経た今、私は少しず぀分かるようになった。


母を倉えるこずはできない。
けれど、自分の人生をどう生きるかは、自分で遞ぶこずができる。

私は母ず同じ道を歩かない。

自分自身の足で立っおいきたい。


「お母さん、自信を持っお」



もう、誰かに遞ばれるこずで自分の䟡倀を確かめなくおもいい。


これからは、自分で遞んで生きおいきたい。

誰かの人生ではなく、私自身の人生を。



続きは 


ここたでお読みいただきありがずうございたす。


参考文献



※この蚘事を曞くにあたり、あらいぎろよさんの『虐埅父がようやく死んだ』を読み、私自身の育った環境ず䌌おいるこずから、芪子関係や機胜䞍党家庭に぀いお考えるきっかけをいただきたした。




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