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「もし子どものころに気づいていたら」と、身内を見ながら思う

長男にADHDの診断がついたとき、私はあまり驚きませんでした。

ショックだったかというと、正直そうでもなかった。
「やっぱりな」に近い気持ちでした。

理由があります。

私には、よく似た人の顔が浮かんでいたからです。

身内に、ひとりいる

私の身内に、診断を受けないまま大人になった人がいます。

人づきあいが得意ではなくて、仕事がなかなか長く続かない。悪い人ではまったくないのに、その場の空気が読めなくて、まわりとずれてしまうことがある。

長男を見ていると、その人と重なる瞬間が何度もあります。

話しかけても一言で終わる感じ。
興味のあることだけは、驚くほど詳しい。
悪気なく、相手の話をさえぎってしまうところ。

似ているというより、同じだと思うことがあります。

だから長男の診断を聞いたとき、私は驚くより先に、こう思いました。

——ああ、この特性には、名前があったんだ。

母は、今も気づいていない

そしてもうひとつ、私の中でずっと引っかかっていることがあります。

母は、その人に発達の特性があるとは、まったく思っていません。

「昔から不器用な子だった」
「人づきあいが下手なだけ」
「そのうち落ち着く」

何十年も、ずっとその調子です。

疑ったことすら、たぶん一度もない。

母を責める気持ちは、ありません

ただ、母を責める気にはなれないんです。

母が子育てをしていた時代に、発達障害という言葉はほとんど知られていませんでした。

保健センターで教えてもらえるわけでもない。
検索すれば出てくる時代でもない。
まわりに「うちの子もそうです」と言う人もいない。

気づかなかったのではなくて、気づける材料が世の中になかったんだと思います。

もし私が同じ時代に母親をしていたら、同じように「そういう子」で終わらせていたはずです。

私が長男の特性に気づけたのは、私が優れているからではありません。時代が変わって、情報が手に入るようになっただけです。

それでも、思ってしまう

それでも、ときどき思ってしまいます。

もし子どものころに、その人の特性に誰かが気づいていたら。

苦手なことに合わせた手立てがあったら。
「なまけている」ではなく「困っている」と見てもらえていたら。

学校での過ごし方も、そのあとの働き方も、何かひとつくらいは違っていたんじゃないかと。

もちろん、分かりません。
気づいていても、同じだったかもしれない。

でも、うちの長男には支援があって、通級があって、進路の相談ができる先生がいた。同じ特性を持っていても、受けられたものがまるで違う。

その差を見てしまうと、どうしても考えてしまうんです。

だから私は、話さないと決めた

こんな事情があるので、私は自分の子どもたちの診断のことを、母には話していません。

隠しているというより、話さないと決めました。

理由は単純です。

何十年も一緒に暮らしていて気づかなかった人に、孫のことを説明しても、たぶん伝わらないから。

伝わらないまま、「気にしすぎ」「男の子はそんなもん」と言われて、こちらが消耗するだけになる。そして母には、意味の分からない心配だけが残る。

それは、誰のためにもならない。

話さないことは、あきらめではなくて、私が選んだ距離の取り方です。

親に分かってもらうことより、目の前の子どもに手当てをすることを選ぶ。そう決めてから、実家に帰るのがずいぶん楽になりました。

名前がつくことは、救いでもある

診断がつくのは、こわいことだと思っていました。

レッテルを貼られるようで、決めつけられるようで。

でも、身内のことを思うと、名前がつかないまま大人になるほうが、ずっとしんどいのかもしれないと思うようになりました。

名前がつけば、調べられる。
調べられれば、手立てが見つかる。
手立てがあれば、まわりに頼める。

うちの子たちが受け取れたのは、その一連の流れでした。

同じ特性を持って生まれても、生まれた時代と、気づいてくれる人がいるかどうかで、こんなに変わる。

だから私は、書いています。
気づける材料が、少しでも手に入る場所が増えるように。

親族に発達のことをどこまで話すか、わが家がどう線を引いてきたかは、ブログのほうにまとめています。

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