愛は北の彼方に

#創作大賞2026 #ファンタジー小説部門

あらすじ 
明治24年ロシア帝国のニコライ2世は、ロシア帝国艦隊7隻を引き連れて、シベリア鉄道の起工式出席の途中で日本を訪れた。
国家的歓待を受けて見学に訪れた大津で日本の津田三蔵巡査の襲撃を受ける。
日本はロシア帝国からの報復を恐れ、恐露病というパニックに陥ったが、ロシア艦隊の内部偵察に成功する。以降日本はロシア諜報作戦を明石元次郎大佐を中心に繰り広げ、ロシア革命の出現に多大な影響を与えた。
樺太と千島列島の交換条約で千島列島を手に入れた日本は、ロシアの南下を防ぐために色丹島に地下要塞を建設する。時は経ち、ニコライ2世の息子が現代によみがえる。
かれは、今も絶え間なく続く戦争に絶望するが、ロシア皇帝から受け継いだ豊富な資金と王位継承権により、ロマノフ公爵となり世界中から戦争孤児を救い戦争を止めるために千島列島の色丹島を中心とした、色丹島公国の独立を宣言する。
タイトル・愛は北の彼方に
1,           ロシアの白熊来襲
「我は、必ずこの日本を植民地とし、全ての金銀財宝を奪いつくす
偉大なロシア帝国の皇帝になるのだ!」
 明治24年西暦1891年 シベリア鉄道の極東地区起工式典に出席のため、のちの皇帝ニコライ2世となるロシア帝国の皇太子ニコライ・アレクサンドロビッチ・ロマノフは、ロシア帝国艦隊の旗艦パーミャチ・アゾーバの艦橋からウラジオストックに向かう途中で、燃料と食料の補給という名目で立ち寄る、美しい緑の日本を見つめながら心に誓った。
このロマノフ皇太子のお召艦はクリミア戦争(1853年〜1856年)と呼ばれる、オスマン帝国の衰退に伴う「ヨーロッパの東方問題」を背景に、南下政策を進めるロシア帝国と、それを阻止しようとするイギリス・フランス・サルデーニャ王国・オスマン帝国の連合軍との間で行われた戦争で、敗北したロシア帝国は自国の本格的強化の中で、外洋進出を目指すロシア帝国海軍が大洋における良好な航海能力と破壊力を得るために建造した新式鉄鋼軍艦である。また軍艦の防御の特色として当時珍しかった装甲システムを装備した最新の装甲巡洋艦でのちには、大洋巡洋艦と呼ばれた。
また当時の海軍予算のほとんどを費やして建造された12隻が交代で極東に配備され、バルト海と太平洋方面の間を往復するために要する膨大な軍費が生じた結果、著しくロシア帝国の国力を低下させた原因の一つとなった。
 とはいえニコライの胸中には複雑な思いが満ちていた。はるか1000年にわたるロシアの歴史の中でも、16世紀1500年代にはモスクワ大公国の滅亡により、諸外国の干渉を受けた結果、首都モスクワは1時期ポーランド軍に占領されるという危機的状況に追い込まれた。
しかしその危機に一致団結したロシア貴族の奮闘によりモスクワを奪還すると、全貴族の要請により、ポーランドの捕虜となっていた16歳のミハイル・ロマノフが初代皇帝に担がれて選ばれたのだ。これによりモスクワを首都として誕生したロシア帝国のロマノフ王朝は、その成立からして、他国の侵略を撃退し国家の存続と膨張発展を宿命づけられたのだった。
その膨張政策の一環としてロマノフ王朝は、1648年ウクライナの中央に位置する草原地帯で、リトアニア・ポーランド王国の支配下にあった地域の反乱勢力から支援の要請を受けて、これ幸いとばかりにその地域を支配することに成功し、西方にさらに領土の拡大を図った末にウクライナの東半分とキエフ市を奪還することに成功した。また江戸時代中期の1712年にはスエーデン海軍との間でたたかわれたハンゲの海戦でスウエーデン海軍を完膚なきまでに撃破しバルト海の覇権を得ていた。
これを機にロシア帝国は海軍の整備をさらに強力に進めると同時に、さらなる領土の拡大を図り、19世紀初頭には10隻に迫る戦艦を保有し、世界の中でイギリス海軍、フランス海軍に次ぐ世界3位の海軍力と世界第1位の陸軍力を誇る大帝国へと成長していった。
しかし西欧列強と対等に交渉ができるようになってはいたものの、江戸時代末期の1842年 の南京条約では、上海に置かれた外国人居留地である上海租界には参加する権利をイギリス・フランス・アメリカに次いで獲得することが出来なかった。
 そこで19世紀になるとニコライは、ロシア帝国大使プチャーチンに江戸時代の末期嘉永6年1853年日本の開国を求めて長崎を訪問し交渉を開始させたが、ロシア帝国の行動に焦りを感じた欧州列強のイギリス・フランス連合艦隊が翌年の嘉永7年1854年クリミア戦争の前哨戦となる東部方面軍事作戦としてカムチャッカ半島の攻略を企て起こした軍事行動には、ロシア帝国は一時撤退という陸軍の軍事行動で時間を稼ぐことに成功し、イギリス・フランスの侵略行動に対抗するための防衛ライン構築の一環とし、同年急遽、歯舞・色丹・国後・択捉の北方4島に関して日露和親条約を締結し戦火の拡大をふせいだ。
 しかし翌年さらなる領土拡大のための南下政策によって黒海周辺に起った紛争はロシア帝国対オスマン帝国・イギリス・フランスの間にクリミア戦争を引き起こしたが、思わぬ敗戦によりロシア帝国は経済的困窮に陥ってしまった。
それらの経済的苦境を脱するために、江戸時代中期の安永5年1776年独立を果たしたばかりであったアメリカに、領土拡大のための南下政策の東部作戦の一環として、千島列島を南下し当地に居住していたアイヌ民族を迫害した上に占領しロシア領として千島列島を支配下に置いた。そして占領し領土としていた中から、当時としては毛皮の売買ぐらいしか価値がないと思われたアラスカを、戦費ねん出のために江戸時代末期の慶応2年1867年非常な安価でアメリカに売却した。
 このような緊迫した領土問題がロシア帝国の西方と南部および東方に生じている中で、欧州列強からの侵略の脅威に備えるためにもロシア帝国は、明治維新が終了したばかりで近代国家への道を歩み始めたといえる大日本帝国の実力を甘く見ていた。
日本ごとき小国で後進の日本などは軍事力により占領し支配下に置けるものと考え、一時的に極東での政情安定のため明治8年1875日本とロシアの間で、樺太千島交換条約という国境画定条約を締結し日本の正式な千島列島全体の領有を認めたのだった。
注 ロシア帝国海軍バルト海艦隊 パーミャチ・アゾーバ
バルチック造船所 排水量 6734トン 全長 115.6m 全幅15.6m

2,タタールのくびき
 国際情勢の中で厳しい状況に置かれていたロシア帝国は、何とか現状を打開する方法を模索していたが、今度はクリミア戦争の終結でヨーロッパとアジアの境界に位置する内海である黒海(こっかい)が持つ古来よりの地政学・経済学上の重要性に目をつけ黒海周辺への侵略戦争を起こそうとしていた。
黒海周辺の地理的な特徴として、北にウクライナ、東にロシアとジョージア、南にトルコ、西にブルガリアとルーマニアが位置しており、この内海の唯一の出口であるボスポラス海峡とダーダーネルス海峡を抑え出口を管理することが出来れば、不凍港を持たないロシア帝国にとって外海につながるルートを確保することが出来る非常に重要な意味を持つ要衝であった。
 そのため17世紀以降はロシア帝国が積極的に南下政策をとり、黒海を抑えることでボスポラス海峡とダーダーネルス海峡を通り地中海あるいは大西洋諸国・あるいはアフリカ諸国への進出を可能にするためであった。
 このようなロシアの南下政策は直接的にまず黒海の南岸に位置するかつての大帝国であったオスマン帝国との衝突を招き、江戸時代の中期1768年、クリミア半島の領有をねらって、第1次ロシアVSトルコ戦争を引き起こした。
その第1次ロシア帝国VSトルコ帝国の戦いは、必然的に黒海の両国海軍による海戦を引き起こしたが、ロシア帝国はそれまで比較的海軍力が弱いとされていたおおかたの予想を覆しオスマン帝国海軍を撃破したため、その勢いに恐れをなしたオスマン帝国は、黒海の自由航行権と海峡の商船の通行を認めてしまった。
これはオスマン帝国が黒海の制海権を事実上放棄したことを意味していたので、ロシア帝国は勢いに乗ってそれまでオスマン帝国と良好な関係を保っていた近隣諸国を軍事力にものを言わせて強制的に侵略占領してしまった。
 それらの強権的ロシア帝国の横暴に対し、この地方の領袖を自任していたオスマン帝国がクリミア半島と黒海北岸からのロシアの撤退を求めると、あろうことか再び戦端が開かれてしまった。
しかし江戸時代中期1787年の第2次ロシア帝国VSトルコ帝国の戦争では、ロシア帝国軍は陸軍を主体に戦い、陸上での戦いでも完膚なきまでにトルコ帝国軍を打ち破ったためオスマン帝国は苦渋の決断として正式にロシアのクリミア併合を認めたのだった。
そして黒海沿岸に一応の領土の確保を果たした上に、黒海から地中海への航行の自由をもぎ取ったロシア帝国がさらなる覇権を極東地方に向け植民地の拡大を画策したのが全長9300kmの距離を持つシベリア大陸横断鉄道(シベリア鉄道)の完成で、ロシアの首都モスクワから極東のウラジオストクまでを結ぶ、当時世界最長の距離を誇る鉄道路線だったのである。
しかしシベリア鉄道の建設は距離といい資金といい膨大な時間と費用を要したが、極東地域に是が非でもロシア帝国の領土を拡充するためには完成させたい大工事であった。
この世紀の難工事といわれるシベリア鉄道の建設は、世界に向けたロシア帝国の存在感を示すうえでも最重要であると、ロマノフ2世は考えていた。
しかし、極東には明治維新という内戦を乗り越え欧州列強からの植民地政策を逃れようと、必死に近代化を図る日本という国が誕生していた。
そのため、シベリア鉄道の起工式参加という名目をつけての日本訪問は、東南アジアでの植民地獲得競争に後れを取っていたロシア帝国が本気で、東南アジア・並びに中国・日本へ標準を合わせたうえでの侵略戦争の準備を始めていると考えられるのだった。
ロシア帝国皇太子ニコライ2世にとって初めての極東地域の独立国である日本訪問である。
ニコライは、ロシア帝国の1000年の歴史の中でも、13世紀前半に始まったチンギスハーンのモンゴル帝国から受けた屈辱の敗北占領を「タタールのくびき」と呼び、東方民族を恐れる傾向があるロシア帝国民族の劣等感を払拭することが、偉大なるロシア帝国のさらなる発展を実現するものであると確信していた。
そして何よりこの極東と呼ばれる地域には距離的にみてイギリスやフランスなどの欧州列強の影響力が及びにくいという利点があることから、彼は極東地域で明治維新が終わったばかりの大日本帝国の侵略を画策していた。
 さらにその自信のもととなったのは、江戸時代に嵐で日本から漂流してきた大黒屋光太夫など数十人をロシア国内に留め置き、日本語学校を開かせるなどして通訳の育成や情報の収集を図ってきたという事実があった。
さらに、明治維新で使われた武器の多くは、アメリカの南北戦争で使われた後の旧式なものがほとんどであるらしいという情報にも接していて、クリミヤ戦争で使われたような、欧州をはじめとする近代的武器には程遠いぐらい旧式だろうということも大きな自信の一つとなっていた。
さらにロシア帝国が長年経験してきた列強及び隣国との苛烈を極めた近代戦争に比べれば、内戦しか経験したことがない日本など、鎧袖一触の勢いでまるで恐れるに足りない小国だという認識であった。
ニコライは艦橋から引き連れてきた旗艦: パーミャチ・アゾーヴァ(装甲巡洋艦)
随行艦: アドミラル・コルニーロフ(1等防護巡洋艦)など を含めた7隻の大艦隊を振り返り自信満々であった。
「どうだ。この最新式鋼鉄軍艦の威容は」
彼はこの堂々たるロシア艦隊の威容を眺めつつ、大いに悦に入っていた。
この大艦隊をもってすれば、日本など数日のうちに叩き潰せるに違いない。
しかし若干きがかりなのは、かのモンゴル帝国の侵略を2度にわたって日本が撃退したという事実であったが、なにせその事件は今から700年ぐらい前の過去の話であるから特に気にも留めていなかった。
ニコライはそれを、海の戦いを知らない騎馬民族が朝鮮王朝に銘じて国土の山林が丸裸になるほどの森林伐採により作成した木製の船が、なおかつ嵐に巻き込まれたからの敗戦であって、特別日本という国が軍事的に優れていたからではないと思っていたからであった。
3,           長崎の日本人妻
また何よりもニコライ2世が楽しみにしていたのは、愛読していた日本人を扱った小説(お菊さん)の内容にみる日本人女性の魅力であった。
彼の読んだ小説お菊さんは、フランスの作家ピエール・ロティ(Pierre Loti)が1887年に発表した小説で、(原題:Madame Chrysanthème)といい、明治時代の日本を舞台にしたこの作品は、当時の西洋における「日本ブーム」を決定づけるとともに、後の有名なオペラ『蝶々夫人』の原型の一つになったことでも知られていた。
そのあらすじは、 フランス海軍士官であった著者自身をモデルにして、ある主人公が、寄港地の長崎で「お菊さん」という日本人女性と1ヶ月間の契約結婚を送った経験から、異国長崎での甘い生活を描いた日記形式の小説である。
モデルとなった「お菊さん」には実在のモデル(お兼さん)がいたとされており、フランス人の彼及び 西洋人の目から見た当時の日本の風俗や街並みが情緒豊かに描かれているが、同時に日本を「人形の国」のような架空の様子を描いたことで非現実的で蔑視的な視点も含まれており、今から約150年以上も前の西洋人が抱いていたオリエンタリズムを象徴する作品に仕上がっていた。
とはいっても当時の日本についての情報は極めて少なく、そこに描かれていた日本の国土の美しさは、領土征服の触手を動かすには十分な動機であったといえるだろう。
なにしろ、当時の日本は金銀を豊富に産出する宝の国として知られていたからだった。またこれから立ち寄る長崎には、上海で列強各国に交じって租界という権利をものにすることが出来なかったという苦い経験を活かして、無事に出島にある外国人居留地内にロシア帝国の領事館なども設けることに成功しており、それらに居住するロシア人武官や関係者から十分に日本の国情は得られていたからである。
なかでも彼らは契約金を支払って現地妻として多くの日本人女性と暮らしており、多くのものが子供まで生ませていることには非常に関心があった。
しかし当時の世界各国間で行われていた戦争による犠牲としては日本も例外ではなく、経済的困窮から多くの日本人男女が奴隷として海外に売られていたのが現実であった。
また侵略戦争に負けた国々の多くは欧州列強の支配下に置かれ、人間として扱われないなど多大なる搾取と圧政に苦しめられたのだった。
一方で江戸幕府以前の日本においては、宣教師たちから聞いたローマ帝国の物語に自分の野望を重ねて国内統一を目指したものもあらわれた。
軍事における稀代の天才、織田信長はキリスト教布教の自由を許し西洋文明との接触を図り、積極的に海外の優れた情報を得ていた。
なかでも弥助と呼ばれた黒人男性はアフリカ出身の成人で、日本史上において非常に珍しい経歴を持つ人物として知られている 。
織田信長と弥助の出会いは 1581年(天正9年)、イエズス会宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの奴隷ではない従者として京都に現れたため、その特異な姿を一目見ようと京都中で騒動が起き、話を聞いた信長が彼を呼び寄せたことがはじまりだった。
当初信長は、彼の肌が墨で塗られたものだと疑い体を洗わせたが、本物の肌の色だと分かると非常に気に入り、宣教師から譲り受けて自らの家臣に従者として加えた。
さらに彼の待遇は 信長が彼に与えた「弥助」という名をみても、屋敷を与えた上に、刀の帯刀を許した上に、給料まで与えて、西洋の情報を得ようとしていたという優遇ぶりがうかがえる。
これは当時の社会において、彼が単なる奴隷ではなく「侍」に近い身分として扱われていた証拠とされていたが、突如として起こった本能寺の変により、信長絶命にもかかわらず彼は最後まで戦い、本能寺脱出後は二条城で信長の長男である織田信忠の軍に加わって戦かったが、明智光秀の軍に捕らえられた後は日本人ではないとして許しを得て京都の南蛮時に送られたと伝えられているが、その後の消息は不明である。
一方非業の死を遂げた織田信長のそば近くに仕え最も影響を強く受けたと考えられる豊臣秀吉もまた、外国人宣教師から学んだ大ローマ帝国のような帝国の建設を密かに計画していたと考えられる。
やがて日本の歴史上はじめて国内を統一する寸前までに迫った豊臣秀吉は、織田信長の密かな野望であった大日本帝国の建設のために最後の仕上げとして遠征した九州平定作戦で、衝撃的な光景を目にしたのだった。
その九州平定作戦成功の帰途、朝鮮半島への侵略軍事行動の出発点とするべき長崎を視察した折、外国人による日本人を奴隷として外国に売り払う人身売買の現状を見て、日本の国力の低下と、いずれ行う侵略戦争のための兵力の減少、さらには自国民の売買を許してしまうという屈辱感から、天正15年1587年キリスト教イエズス会準管区長ポルトガル出身のガスパール・コエリョに対して4か条の問い詰めをおこなった。
豊臣秀吉は貿易による利益のために当初は南蛮貿易を保護し、利益を重視してキリスト教を容認していたが、コエリョから武装船としてのフリゲート艦を見せつけられたりするうちに生じた疑問を解くために九州全域に調査を命じると、九州地域の大名が領地や金銀をキリスト教会に寄付しているという許すべからざる現状を知った。
ここに豊臣秀吉の心の中に、キリスト教は日本を征服しようとしている国の先駆けとして内部からの破壊工作を行っているのではないかとの疑心が生じ以下のような詰問を行ったのだった。

  1. 強制改宗の禁止・なぜ宣教師たちは、日本人が望まないにもかかわらず、理不尽にキリスト教への改宗を強いるのか。

  2. 寺社の破壊・なぜ神社仏閣を破壊し、坊主を迫害するのか。

  3. 牛馬の殺生・食用・日本では農耕に不可欠な益獣である牛や馬を、なぜ殺して食べるのか。

  4. 日本人の奴隷貿易・なぜ日本人を捕らえ、黒船に乗せてポルトガル領などへ奴隷として売り飛ばすのか。 

これらの質問に対するコエリョの回答が不十分であったため、豊臣秀吉は即座にバテレン追放令を下したのだった 。
しかし豊臣政権が崩壊した後の徳川幕府もこれら日本人奴隷売買を禁じるなどはしていたが、出島を中心とした地域からの交易は行い、その利益は幕府が占領していたため、300有余年続いた徳川幕府末期に起った外国列強からの開国の圧力に対する幕府の弱腰に反発して起こったのが、日本を外国列強の占領政策絡から守ろうとする明治維新である。
4,           恐露病(きょうろびょう)
ニコライは九州の長崎の丸山遊郭で盛大に行われた歓迎会の様子を思い出して、ひそかにほくそえんでいた。日本人芸妓の美しさや、提供された豪華な山海の料理の数々は、海の幸にあまり触れたことのない大陸育ちのニコライにとって、鯛が生きたまま食卓に上がる様子の踊り食いなど長い軍艦での食事に飽き飽きしていたニコライ達ロシア人には新鮮な驚きの連続であった。
世の中にこんなにも豊かな料理が存在することには驚きを覚えたし、ますます日本という国をわがものにしたいという欲望が黒雲のように湧き上がってくるのだった。
一方で日本国内では、幕末の文久2年1862年幕府発行のバタヒヤ新聞によって、国外の情報や事件を広く国内に公報していたので、ロシア帝国のニコライ2世と巨大鉄鋼軍艦7隻の訪日が伝わると一気にロシアに対する恐怖が全国を襲った。
なにしろアメリカ合衆国のマシュー・ぺリー提督の黒船艦隊来襲時には、日本中がその黒船の巨大さと異様さに恐れおののき、長きにわたって泰平の世を謳歌していた日本人は初めて世界の軍国主義の脅威に接したからであり、次のような狂歌で幕府の弱腰をあざけるしかなかった。
(泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず)
この巨大蒸気船と日本国産のお茶の銘柄である上喜撰をかけた狂歌はあまねく国内に流布されたが、明治維新が成ったとはいえいまだに世界の中ではすべてにおいて後発国である日本は、やがて北方から来るであろうと恐怖していたロシア帝国の陸軍が世界一の威容を誇っていたばかりではなく、なんと海軍力でも世界第3位の実力を備えていることに改めて気づかされた瞬間だったからである。
なにしろアメリカは太平洋を挟んで海軍力のみが当面の脅威であったが、ロシア帝国との間には陸海同時侵略戦争の危機が突如現実として目の前に立ちふさがったからである。
この恐るべきロシア帝国の行動は、当時の日本国内にヒステリー状態に似た一種、パニックのような症状をおこすに至った。
なんといっても大国ロシア帝国が、満州や朝鮮半島に進出し日本の領土を奪うために侵略戦争を仕掛けてこようとしていると国民が等しく感じたからだった。
 このロシア帝国が起こそうとしている軍事行動の背景には、明治27年1894年に起こった日本と中国の清国の間で勃発し日本が勝利した日清戦争が大きく影響していた。
なにしろ明治維新により国内の近代化に少しづつ成功している日本が隣の朝鮮半島への影響力をめぐって大国清国との対外戦争の初戦における華々しい勝利である。
開戦は明治27年8月に日本が宣戦布告して始められたが、きっかけは明治27年1894年に朝鮮半島で起こった、甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)と呼ばれる大規模な農民蜂起に、自国の利権の獲得を目的に大日本帝国と清国が欧米列強の手口をまねて軍事介入した事が日清戦争の直接的な引き金となった 。
この農民蜂起は別名: 東学党の乱(とうがくとうのらん)とも呼ばれるのは、主導者が朝鮮独自の宗教団体、東学党の幹部であった全琫準(ぜんほうじゅん / チョン・ポンジュン)達が、役人による不当な重税や不正、および日本を加えた欧米列強の侵略行為に対する怒りを煽りることで国民の怒りが爆発したことがきっかけだった。
そして農民蜂起の鎮圧という名目で、清国と日本が軍事介した結果、着々と近代化を進めていた日本軍が、陸・海戦ともに圧倒的な勝利を得たのだった。
その結果、下関条約が明治27年1895年に山口県下関市で締結されたことは、日本に多大な利益をもたらしたのだった。

  1. 朝鮮の独立・清は朝鮮が独立国であることを認め、宗主権を放棄。

  2. 領土割譲・遼東(リャオトン)半島、台湾、澎湖(ほうこ)諸島を日本に割譲。

  3. 賠償金・日本は清から2億両(テール)当時の金額で約3億6千万円の巨額な賠償金を獲得した。

しかし、この下関条約締結後、日本が力をつけることを快く思わないロシア・ドイツ・フランスが自国の利権を優先させようと三国で協力し三国干渉という形で、
日本に対し遼東半島の返還を要求するという無理難題を突きつけてきたが、当時の日本はさらなる大戦勃発に巻き込まれることを避けるために、これをうけいれるしかなかったが、この三国干渉が国内に不満の種をまき後の戦争への一因になった。
さらにこの日本の勝利は 「眠れる獅子」と呼ばれた大国・清の弱体化を露呈し、列強による中国分割が加速した。
この戦いで獲得した巨額の賠償金によって、八幡製鉄所の建設やさらなる軍備拡張を行うことが出来た日本はその恩恵に十分気づいていた。
そして日本は東アジアの強国としての地位をますます固めていったが、この時の三国干渉で受けた日本の巨大な屈辱感がロシアに対する恐怖と変化し恐露病の原因となったのである。
そういう初めての対外戦争勝利という経験を積んだ明治政府としては、今回の訪問の目的が将来の日本侵略に備えての偵察行為であると認識しており、早急に手を打たなくては開拓に着手したばかりの北海道からの国民的撤退や避難、並びに国内すべてで婦女子を山奥にかくまったりするような異常な狂乱を引き起こす恐れがあったからであり、それは一歩間違えれば明治維新のような内乱が再び起こるような危機的状況が生じることを意味していた。
そして維新後の対外政策の弱腰に憤り立ったのが、明治10年1877年に西郷隆盛を中心として起こった西南戦争の敗残兵や、新政府に就職できなかった旧幕臣たちの不満士族たちであった。
そして彼らは夜な夜な集まっては、秘密結社を作り政府の外国に対する不平等条約や弱腰に、今こそ攘夷をもう一度決行するべきだと気勢を上げていたが、その中に滋賀県大津市の巡査津田三蔵もいた。
5,大津・湖南暗殺未遂事件
長崎を経て、神戸に到着したニコライ2世とロシア艦隊はサルと密かに呼んで侮蔑していた未開の日本の神戸を訪れるにあたって、全く心配をしていなかった。というのも明治政府からの丁重な歓迎の言葉と国賓を迎えるにふさわしい歓迎行事にいたく満足していたからである。
明治7年1874年から神戸ではガス灯が夜の外国人居留地を中心にともっていたので、ニコライはいささか驚いていた。ほとんど未開発の後進国だと思っていた日本の近代化のスピ―ドには驚くばかりであったし、神戸外国人居留地に暮らす者たちから得る情報はさらにニコライを驚かすようなものばかりであった。
「これは、いささか見くびりすぎていたかもしれないが、そう大きな問題もないだろう」
京都では季節外れの東山に大の字が浮かび上がる五山送り火などで歓待を受け、まさに国を挙げての接待ぶりであったのは政府としてはなんとしても機嫌よくニコライにウラジオストックに行っていただかなくてはならないからである。
もし戦争となってしまってはまだ日本には何の準備もできていないので、
その思惑を隠してひたすら恭順の姿勢を示すためにも公式な接待係には日本帝国海軍・巡洋艦高尾の艦長で皇族の有栖川親王海軍大佐を任命していた。
さらにニコライの気分をよくしたのが、日本の最新式といわれる軍艦を見たからだった。日本の横須賀造船所で初めて作られた最新式巡洋艦高尾はロシア艦隊の旗艦パーミャチ・アゾーバに比べてほぼ半分の大きさしかなかったからである。
一行はそんな小舟のような巡洋艦高尾を見て、多少の危惧も忘れるほどに気分が上気した状態で、明治24年1891年5月11日の昼過ぎに京都から琵琶湖への日帰り観光にでかけた。
ニコライは同行していた従弟で、彼の父方の叔父デンマーク海軍提督バァツデマー王子のもとで育ち、海軍のことに精通しているギリシャ王国 王子ゲオルギウスと琵琶湖の名勝・天橋立を見学した時のことである。
天橋立から逆さに見る景色はまさに竜が天に登るような美しさだった。
ニコライは思わず、本心を言葉に出した。
「ふふふ。この美しい景色ももうすぐ私のものだ」
その言葉を聞いた、ギリシャのゲオルギウス王子は慌てて口をはさんだ。
「殿下、迂闊なことを申してはいけません。ここは日本ですぞ
日本人は他国と違い思いのほか、教養が深い国民です。ロシア語を理解するものが関係者にいることと思われます」
そんなやり取りは、やはり雷のように素早く恐露病に罹患している関係者の間に伝わっていった。秘密結社のメンバーは早速合議を開いたが、資金面などで紛糾するばかりで一向に具体的な行動に移れなかった。
そこで津田は一人合議を抜け出すとひそかに決心した。
俺一人でも、ニコライを暗殺する。
なに準備はこの刀一本あれば済むことだ。
5月11日昼過ぎに滋賀県庁で昼食を済ませた一行は、先行する30人の軍楽隊が奏でる音楽の中、完全武装のロシアの海軍軍人50人とそれにつづく人力車にニコライ、ゲオルギオス・有栖川海軍大尉の順に分乗し、後衛として従者20人とこれまた50人の完全武装の海軍兵が付き従っていた。
それらの異国の兵隊と軍楽隊を見ようと沿道の、延々と続く日の丸とロシア国旗の小旗が打ち振られる万余の観衆の中を進んでいた。
すると群衆の中、警備にあたっていた、滋賀県警察の津田三蔵巡査がサーベルを抜いて攘夷と叫びながら両手で一気にニコライに切りかかった。
さすがのニコライも驚愕の態で、人力車から飛び降りるとわきの路地に逃げ込んで難を逃れようとしたが、津田はなおもサーベルを両手で大上段に振りかざして切りかかった。さすが当時の王族たちは戦争というものを経験しているので、一人一人の武勇は優れたものを持ちあわえており、急を察したゲオルギウス王子は日本でお土産に購入した竹の杖で津田巡査の背中を激しく打った。
ニコライの人力車夫の向畑治三郎も津田にとびかかると両足を抑え込むことに成功したが、さらにゲオギウス王子の人力車夫、北賀市市太郎が、津田の落としたサーベルを拾いあげ首を切りつけた。そして津田は急を察した警備中の巡査達に取り押さえられた。
ニコライの負傷はおびただしい流血を見たものの、右側頭部に9cm近くの裂傷で済み幸いにも命の危険はなかった。
騒然とした現場にあってニコライは気丈にもその場に立ち続け、関係者の目に留まるようにふるまった。
また急を知った何千人という沿道の市民が道路に跪きニコライの無事を合掌して祈る姿も目にしていた。人力車の長い列に乗車していたため、多くの群衆に阻まれて有栖川海軍大尉はニコライに近づくことはできなかったが、海外留学や、多くの戦争を軍事視察してきた経験からことの重要性に恐怖した。
最悪な場合はロシアの軍事報復、あるいは領土割譲、賠償金の請求もあり得るし、なにより港には軍備を万全に整えた最新式の鋼鉄軍艦7隻が武装準備を整えた海兵を満載して待機しているからであった。
そこで急ぎ有栖川大尉はこの重要な外交問題の解決を図るべく、東京の明治天皇のもとに至急電報を発すとともに、京都への明治天皇の緊急行幸を要請した。
東京の政府は大混乱に陥ったが、明治天皇は直ちに了解すると北白川陸軍少将を見舞いの名代として派遣し、翌日には新橋駅からお召列車に乗車し、京都に向かった。
一方ニコライは、有栖川海軍大尉の計らいで京都御所の中に密かに運び込まれたが、ニコライが運び込まれた京都御所は別名、京都皇宮ともよばれ、建武4年1337年から明治2年1869年までの約530年間にわたり歴代天皇が居住し公務を行って来た場所であり、明治2年1869年の明治天皇の東京行幸時まで存続した皇室施設であるから、明治政府としては最高の対応であった。
つまり、日本の政治の中心が京都から東に移ったので、その都を東の京都という意味で東京とし、いつかは政治の中心が京都に帰ってくるだろうという淡い予測も立てていたのであった。
注 巡洋艦 高雄 横須賀造船所 1767トン 長さ70m 幅10.5m
6,夜伽話
30畳もあろうかと思われる京都御所の広間の中央でニコライは目を覚ました。長崎で入れ墨した竜は静かに右腕から胸にかけておとなしくしているようだ。
流血のせいか頭がぼうっとして冷え冷えとした体の自分がいた。
しばらくすると、何かが体にまとわりついているのがわかった。
頭を巡らすと、虹色のボンボリというべき小型の行灯が部屋の隅に置かれており、怪しく天井を虹色の光が動いていた。
「これは幻か」
すると少女が、驚くべきことにロシヤ語でささやいた。
「動かないでください。まだ冷えたお体を温めておりません」
それからのひと時は、まさにニコライにとって桃源郷のような夢のひとときであった。
一方ニコライに危害を加えた津田三蔵は収監された監獄で、西南戦争で戦死した西郷隆盛がニコライとともに帰ってくるというデマを信じ、西南戦争で受けた勲章をはく奪されるのではないかと恐れたので、殺意はなく一太刀献上したまでである。
と述べているが、裁判の結果は当時の日本政府が、三権分立の確立を図っている最中であったため、政府からの速やかに死刑にするべきだという干渉を退け、近代日本の司法の確立を図っていた政府は三権分立(さんけんぶんりつ)を確立することによって、国家権力の肥大化や濫用を防ぎ、国民の権利と自由を守るために、国家権力を「立法」「行政」「司法」の3つに分ける仕組みを目指していたので、この事件は法学史上極めて重要な事件となった。
当時アジアの小国に過ぎなかった日本で、大帝国ロシアのニコライ皇太子を傷つけてしまう事件を起こしたことは、いつその報復にロシアが日本に攻め込んできてもおかしくないと日本中の国民と政府は等しく震え上がった。
国内の学校すべては謹慎の意味で休校となり、国内の約10万に及ぶ神社仏閣および教会では、ニコライ皇太子平癒のための祈禱が行われた。さらにお見舞いの電報は一万通以上がニコライのもとに届けられた。
そして政府では湖南事件の責任を取って、外務大臣の青木修三と内務大臣の西郷従動が引責辞任し、司法大臣の山田顕義も辞任する騒ぎとなった。
今回勃発したロシア帝国との政治的問題は一応司法の独立という形を守って、三権分立の意識の重要性を重んじた判断により、津田は事件から16日後の5月27日謀殺未遂罪で死刑を免れ無期懲役となった。
大津・湖南事件で津田を取り押さえ、暗殺を未然に防ぐことに貢献した2名の車夫はその後ロシア軍艦に招待され、盛大なパーティーの中、感謝の気持ちとしてロシア政府から年金の受給が告げられ両名は非常な面目を施したのであり、長く郷里においても英雄の扱いを受けたが、実は日本政府からはロシア軍艦の内部に侵入して性能等の情報の収集という重大任務を与えられていた。
有栖川大尉に呼び出された二人は、車夫の格好のまま恐縮して言葉もない。
当時の日本において、軍人さんは最高の名誉ある職業で、政府の役人よりも国民の認知度は高いものがあった。
「ロシア政府からは当時の格好でという招待ですが、本当にこの格好でいいのでしょうか」
今回のことでロシア政府から招待を受けた二人の車夫のうち向畑治三郎は顔も上げられないまま聞いた。
有栖川大尉の声は低くよく聞き取れない。
「今回の任務は超極秘の特別任務である、ロシア側にばれると報復攻撃を受ける恐れや領土の割譲および賠償金を求められることも心配される。 
しかし明日の日本国のためには、必ず遂行しなければならない任務であり、もし日本とロシアが直接戦火を交えなければならない場合が来た時のために、是が非でも成功させなければならない」
「なにしろ、ロシアは大きく構えていて二人にスパイの任務が与えらえているなどと、思いもしていないだろう」
「つまり、その戦のための千載一遇のチャンスである ロシアの軍艦に仮想敵国の日本人が乗り込む機会など今後はあり得ないのだからな」
二人は与えられた任務の大きさに体が震えるのを禁じえなかった。
有栖川大尉のもとを辞した二人は事の顛末について話し合った。
「いや驚いた。何をするのかと思ったら、大いに鯨飲して楽しく過ごせというのが特別任務だというんだから、驚いた」
ふたりは、笑いあって深いため息をついていたが、当日のために引き合わされた引率してくれる日本海軍の軍人さんたちのほうが真っ青な顔で立ち尽くしていたことを思い出していた。
「つまり引率する海軍さんは、メモも取れず写真も撮れないが、全て情報を頭のなかに記憶してこなければならないという大変な任務だよ」
「脳漿が煮えたぎって血を吹き出すような、血圧の上昇を見るんじゃないか
全く俺たちは人力車の車夫でよかった」
二人はうなずきあったが、いくら異国の酒を飲んでも酔っぱらいすぎないようにと、事前訓練のために下げ渡されたウオッカの瓶を大事に抱えるのだった。
やがてニコライが常盤ホテルで体調の回復を待っている間のある夜半、日本中の恐露病の罹患者たちはニコライの容体が回復に向かっているという発表に大きく胸をなでおろして大きな恐怖の去ったことを喜び合っていた。
そんな状況のある夜の漆黒の闇にまぎれて、津田三蔵の収監された監獄にひたひたと迫りくる3人の男たちの姿があった。
彼らは非公式のニコライ皇太子の護衛団であった。彼らの目的はニコライ皇太子を傷つけた津田三蔵の命を日本国内の最高警備が敷かれている監獄内で奪うことであり、ロシア帝国の報復侵略戦争の口火を切るためのものであった。
しかし監獄に迫っていく彼らの目には驚くべき光景が写っていた。
なんと煌々と明かりが灯る監獄には人の気配が全くしなかった。彼らは中国の古代史の一つ三国志も軍事的教養の一つとして知っていた。
「これはもしかして三国史の中で最高の軍師とうたわれる諸葛孔明の用いた空城の計なのではないか」
秘密護衛団のメンバーは頭を寄せて協議したが、結局は任務遂行のため監獄に侵入することにした。
あけ放たれた正門を過ぎ長い廊下のその先の地下室に津田の牢獄があった。
周りに注意しながら近づいていく三人。
すると驚くべきことに、壁際の闇のなかに何かがいた。今まで多くの死線をくぐり抜けてきた3人の猛者も、その怪しの気配にさすがに全身に鳥肌が立った状態で立ち尽くすしかなかった。
目には見えないが、そのなにかは、しばらく動かずにいるロシア警護団の三人をみていたが、まるで闇が動いたかのように、ぬるっと出てきた。
人の形はしていない。闇がそのまま廊下を支配した。警護団の2人がサーベルを抜いて切りかかろうとしたとするのを、あわててリーダーがとめた
「よせ、動けば取り殺されるぞ」
「何を言っているのですか、なにもいませんよ」
臆病風に吹かれたのですかというと、背負ったサーベルを抜いた瞬間、二人の体は縦に割れて血しぶきと共に床に転がり、流れる血潮は体と共に音もなく床に吸い込まれていく。
全く恐怖で動けなくなった。
これが1000年にわたって宮城を守ってきた日本の影の一族、怪しの者というものか。
彼は人なのか怪しのものなのかもわからない影におびえて立ち尽くした。
我に返ると、恐怖の気配が消えていた。
やがて目前の扉が音もなく開いた。
そこには、白装束で切腹を終えた津田の姿があり、その首は皮一枚つながった状態で切り落とすという高度な技術で行われる介錯という技法で行われており、その首の皮のおかげで首は胸元に落ち、前方に飛び出す血しぶきが部屋全体に飛び散るのを防ぎ、前に倒れた上半身が自らの首を抱くように血の海の中に倒れていた。
その体から首を切り離した隊長は、首を塩につけて桶に入れると周りを見渡し、何ら気配がないことを確認し、何者にも邪魔されづに宮城を後にするとニコライのもとに戻った。
護衛団の報告を聞いたニコライは静かに思った。
津田の責任は近代国家として歩みだそうとする日本が三権分立の制度を確立し、対外的に死刑を免れ無期懲役としたものの、ロシア帝国の皇太子に傷を負わせた責任を取らせるために、自らの死を希望する津田に、切腹することを許すことで日本国そのものに迷惑をかけず津田個人の単独犯行であることを証明することが目的だったのではないか。そのために津田の首は持ち帰って構わないという姿勢を示しているのだと考えられた。
彼は長崎で聞いた日本人の特徴の一つを思い出していた。幕末の長崎では武士の切腹が大流行し、些細なことでも武士たちは切腹を希望しあるいは届けるまでもなく素早く切腹して果てた。何より自らが切腹することで一族と自らの名誉を守ったという。
それらの事件の顛末を聞いて、日本人の心理的一面を理解していたニコライと近習たちは、日本人の名誉を重んじる気質にこれまで戦ってきた国のどの兵士にも感じなかった恐怖を覚えた。
「日本人は名誉のために死ねるのか」
これが日本人の精神的根幹をなす思想なのか。
それから数日後に明治政府からは津田が病気により獄中死したことが発表された。
ニコライは常盤ホテルの貴賓室で明治天皇のお見舞いを受けたのち、東京訪問を中止し、ロシア艦隊を率いてウラジオストックへ向かう旗艦の貴賓室にいた。
今回のことで、大きな国際紛争にせずに引き上げたことは、世界中で海外要人の暗殺が続いている中、ロシアの暗殺対策が不十分であったと非難されることを防ぎ、大国の矜持を示すことが出来たと一人満足を覚えていたが、その胸には二つの感情が交錯していた。
一つはいつの日か必ず極東における橋頭保として日本を征服し領土にするということ。
もう一つは、あの夜の少女への不思議な感情である。
あれは幻だったのだろうか。右側頭部の刀傷に触りながら彼女をロシアに連れて帰らなかったことを大いに悔やんでいる自分がいた。
あの少女の名前はなんといったのだろう。
爾来頭部の頭痛に悩まされるたびに名前も知らない彼女の甘美な肌のにおいを思って深く後悔するのだった。
7、対ロシア諜報作戦
元治元年1864年に福岡藩の大身の旗本の息子に生まれた彼の名前は、明石元二郎(あかし・もとじろう)といった。近くに長崎の外国人居留地がある関係で早くから語学に興味を持っていた彼は薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前(佐賀)藩、通称薩長土肥という、いわゆる明治維新の立役者であり倒幕側の出身者ではないものの常として、立身出世のために入学した陸軍士官学校を明治16年1883年卒業し明治22年に陸軍大学校を卒業と同時に参謀本部に採用され、あわせて海軍大学の教官を務めると大日本帝国の名参謀の誉れ高い児玉源太郎など陸海軍に多くの知己を得た。
 しかし語学と数学に秀で、英語・フランス語・ロシア語・ドイツ語を完璧に理解していた彼の異才は、在学中の製図の授業中に鼻水を垂らしたまま図面をいじるので図面とともに顔まで真っ黒になったり、下宿で飼っていた猫の毛を、きちんと着用しない軍服につけたまま、ズボンのすそをズルズルと引きずって歩く様子や、大日本帝国の軍人の服務違反ともいえるそのだらしなさに加えて、何度注意を受けても一向に改善しなかった点が、大きく彼の評価を下げており、いわゆる出世の妨げとなっていたのだった。
 そんな彼を持て余していた軍部は、彼を海外勤務につかせて多くの批判の矢面から守るためにもドイツ留学やフランス領インドシナ留学、アメリカとスペイン帝国の間に起った米西・アメリカ対スペイン戦争の軍事観戦武官をへて、明治34年1901年フランス公使館付陸軍武官に送り込んだ。
この明治31年1898年に起ったアメリカ・スペイン戦争(米西戦争)の背景としては、当時スペイン領だったキューバの独立運動へのアメリカの軍事介入と、ハバナ港でのアメリカ軍艦「メイン号」の爆沈事件がきっかけとなった。
さらにキューバの独立運動にアメリカ国民が巻き込まれその財産を失う恐れがあるためにアメリカ国民を保護するという名目で派遣されていたメイン号が、停泊中に突如爆発して沈没した上に、 乗組員約260名以上が死亡する大惨事が起こった。
するとアメリカ国内の大手新聞のジャーナル紙やワールド新聞などは、事実が不明な段階からスペインの卑怯な攻撃だと大げさに騒ぎ立てた。
これらの報道姿勢は イエロー・ジャーナリズムと呼ばれ、当時のアメリカの合言葉: 「メイン号を忘れるな! スペインをやっつけろ!(Remember the Maine, to Hell with Spain!)」というスローガンが米国内で大流行し、世論は一気に開戦へと傾いっていったのだった。
これは江戸時代後半の1783年に南北戦争後で独立を果たしたアメリカ合衆国が、当時の欧州列強がとっていた植民地政策に後から参加し、自国の利益のために植民地を獲得しようとしていたという意図がうかがえ、アメリカの方針が世界的な帝国主義国家へと転換したことを示しているのだった。
それはスペインの植民地支配の時代が終わり、アメリカ合衆国が太平洋とカリブ海に勢力を広げる「世界強国」として台頭していくきっかけとなり、世界の中の軍事バランスが大きく変化していくことになる戦争であった。 
その結果アメリカ合衆国はキューバ独立後には保護国となり、フィリピン、グアム、プエルトリコをスペインから強奪し支配したのだった。
それら世界の生の情勢をつぶさに観察した明石元二郎は明治35年1901年ロシア帝国の首都ペテルブルグの日本公使館付陸軍武官として着任し、以降はアバズレーエフと名乗り仮想敵国であったロシアの情報収集とロシアの反政府組織育を育成するために接触を図る諜報活動に従事するのだった。
日本はニコライ来訪により引き起こされた恐露病により早くからロシア帝国を仮想敵国と認定し、長崎と神戸におけるロシア艦隊の性能調査を秘密裏に実施し、その性能の高さに驚愕畏怖していたので、日本海軍の軍艦の建造を依頼していたイギリスと対ロシア帝国という互いの利害の一致から明治35年に結ばれた日英同盟により、イギリス情報部M16との連携を図りロシア帝国の転覆工作のため地下組織とも関係を深めていた。
そんなある日のパーティーで、ドイツ士官が明石にフランス語で話しかけてきた。
「大佐はドイツ語ができますか」
「フランス語がやっとです」
と、ワザとつたないフランス語で答えると、風采が上がらず武術にも長じていなさそうな明石を鼻で笑ったドイツ士官はすぐ隣のロシア人士官とドイツ語で国家機密を話し始めた。
「このサルは自分から、無能をさらしている。救いがたい馬鹿だ」
明石はとぼけた顔でそれらの内容を逐一聞き漏らさず、緊急連絡として参謀本部の児玉源太郎に通報した。
その内容は明治36年1903年シベリア鉄道の完成をまって、ロシア帝国極東地区の飢餓救済の名目で、大量の兵器軍隊を移送し対日本侵略戦争を開始するにあたって、ドイツ帝国はオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者暗殺を行うセルビア人レジスタンスを支援することによって、ヨーロッパ西部の対ロシア帝国との緊張状態を一時的に緩和させ大日本帝国への侵略戦争を行うロシア帝国の後方支援を行うという謀議であった。
すると児玉源太郎からは緊急かつ秘密裏に、至急帰国されたしと返電が来たので、副官の帯刀陽介少尉(たてわき・ようすけ)を伴い帰国の途に就いたのだった。
8,対ロシア戦秘密計画
児玉源太郎に面会した明石大佐と帯刀少尉には、ポーランドの反ロシア民族主義者でありポーランド独立の父と呼ばれるヨゼフ・ピウスツキ(Józef Piłsudski) との間に行われた対ロシア帝国へのレジスタンス運動に対する支援の情報が正確であったことへの礼があった。
明治時代(19世紀後半〜20世紀初頭)、ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアの3国によって分割・占領されており、この時期、ロシア支配からの独立を目指した主要な組織「反ロシア民族主義者」が活動していた。 
彼はポーランド独立の父と呼ばれた人物で、日本との関わりは日露戦争中の明治37年1904年、ロシアの弱体化をねらって、日本政府に協力を求めて来日した時に、参謀本部の明石元二郎らと接触し、ポーランド軍の組織化や情報提供、ロシア軍内での破壊工作サボタージュを提案した。
明治時代の日本にとって、ポーランドの反ロシア主義者は「敵の敵は味方」という観点から、重要な戦略的パートナーとして注目されていた。
具体的には日露戦争中に、ポーランドの民族主義者が日本側に提案し、一部実行されたサボタージュ(破壊工作)は想像以上の効果をあげたのだったが、これらを主導した明石の活躍は活動が隠密性を帯びていたため、多くの日本人にも知られることは少なかった。
1. シベリア鉄道の破壊
ロシア軍の唯一の補給路であったシベリア鉄道を寸断することが最大の目標で、極東へ送られるロシア軍の物資と兵員の多くを占めるポーランド人兵士の輸送を阻止するために、日本と協力して 駐スウェーデン大使館付武官の明石元二郎大佐が中心となり、ポーランド人活動家に工作資金と爆破技術の訓練を提供した。
2. ロシア軍内での組織的離脱
ロシア軍に徴兵されていたポーランド人兵士を戦線から離脱させ、軍内部から瓦解させる計画で、ピウスツキは、ポーランド兵に対し「ロシアのために戦うな」と呼びかけ、ロシア兵の戦意喪失を煽るため、脱走や集団降伏を促すサボタージュをよびかけたのだった。
3. 国内での暴動とストライキ
ロシア支配下のポーランド領内で混乱を引き起こし、ロシアを背後から脅かす後方攪乱作戦として、 明石大佐からの資金提供を受け、ロシア国内の革命勢力とも連携しながら、デモやストライキを組織したことによって、ロシアは、前線(満州)へ送るべき兵力を後方の治安維持に割かざるを得なくなり大きな効果を上げたのだった。 
またそれら破壊活動の結果は、後の明治38年1905年のロシア革命の火種となり、ロシア帝国の国力を著しく疲弊させた結果、日本側はこれらの「目に見えない戦果」を高く評価し、戦後もポーランドとの間で深い暗号解読やソ連への対抗工作という情報協力関係を築くことが出来たのだった。 
そして明石と帯刀を驚かせたのは、日本帝国が明治8年1875年にロシア帝国と樺太千島交換条約を締結したことで、すでに千島列島の中でも北海道をはじめとした北方の守りを担う軍事施設の建設が国後島・択捉島に開始されているという点である。
この計画はロシア帝国からの軍事行動を予測の上で立てられており、色丹島を不沈空母化しロシア帝国の侵略に備えるための工事が、すでに始められているとう奇想天外な大計画であった。
そしてその費用の約百億円は、明石が担当するロシア帝国への防諜予算約400億円から出される旨を了解しておいてほしいというこことであった。
またさらに二人を驚かせたのは、色丹島の海底火山を利用し地熱型発電所とし、兵器や暖房その他生活に必要なエネルギー全てをその電気エネルギーで賄うというものであった。そして必要な兵器の開発のために欧州列強の軍事情報を集積することも付け加えられた。
情報収集と完成目標としては
1,           ロケット戦闘機 ドイツ軍で研究中のメッサーシュミット型を改良 
和名 秋水 三菱 J8M(キ200) 秋水 局地戦闘機 三菱航空機 
2,           中型戦車 イギリス製マーク型・フランス製ルノー型を狭い国土に合わせた日本独独自のものにすること
3,潜水艦  開発中のイ号潜水艦を改良しロケット戦闘機秋水を最低3機搭載し発射収容することが出来ること
伊十五型潜水艦 2198トン 長さ108,7m 幅9,3mと同型の伊四百型潜水艦の飛行機格納筒と伊四百型潜水艦が搭載した攻撃機「晴嵐」
晴嵐の航続距離 474km 最高速度474km フロート投下時560km
装備13mm旋回機銃1
そして最後に児玉からは、なぜアバズレーエフと名乗っているのかと質問を受けた。同じく疑問に思っていた帯刀も明石の顔に注目して答えを待った。
「参謀長、なに、ロシア語で電灯の傘のことを、アバジューアというらしいのですが、その語感が日本語の阿婆擦れに聞こえたもので、しゃれで名乗ったのです」
互いに笑いあったのち児玉源太郎との面談を終えた二人は、さすがに任務の重要性に茫然自失としたまま上海を経由してイギリス空軍が手配した機上の人となった。
二人は胸に去来する不安と希望で長く寡黙な時間を過ごすのだった。
9,ロシア革命
日清戦争に勝利し、かねてからの懸案であったバルチック艦隊を撃破することによって日露戦争にも勝利した日本は、世界中から驚きの目で見られた。
誰もが想像だにしない奇跡のような勝利であったので、以降ロシア帝国をはじめとした列強に支配されていた後進国の多くが日本を東方の奇跡の国として認知し、世界中にジャポニズムという日本的趣味の一大ブームをもたらし、フィンランドでは宿敵バルチック艦隊を撃破したことを祝して、連合艦隊司令長官の名前を取り作られた東郷ビールが製造され人気を博した。
しかし日露戦争においてバルチック艦隊の戦力をそぐべく秘密裏に行われた、艦隊に供給する石炭の質を落とすことで艦艇の速力を落とさせたことや、必要な食糧や水に露悪なものを提供させ、水兵たちの体調を崩させ病人を続出させたというような作戦は多くの日本国民には知らされる事はなかった。
またこれらの隠密作戦がバルチック艦隊の水兵たちの士気を十二分に落とさせ、北国出身の兵士が多く乗船していたロシア艦隊は赤道近くの熱署を航行してきたこともあり、とにかくバルチック艦隊の戦意を異常に低下させることも知られることはなかった。
さらに食料や他の必需品を積み込む時間を稼ぐために、港内の者達には現金などをばらまき作業員のサボタージュにより時間を稼いだことで、暑さに弱いロシア人水兵たちの士気をさらに落とさせた功もあまり知られていない。
さらにこの低品質の石炭を使用させたことが、バルチック艦隊を撃滅した大日本帝国海軍の東郷ターンというT字戦法を成功に導いた最大の要因のひとつであり、最大の功績はバルチック艦隊の最大速力を出させなかった点である。
そして日露戦争の最中には後方では明石の支援したレジスタンス活動が功を奏し、明治38年1905年1月にロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで発生した血の日曜日事件は、ポーランド反ロシア民族主義者にとって、独立への動きを加速させる決定的な転換点となった。
当初はロシアの労働者が平和的な請願デモを行っていただけだったが、突如軍が市民に発砲し、多数の死傷者を出したこの事件は、ロシア革命の引き金となり、この知らせを受けた、ロシア領ポーランドのワルシャワやウッチでも即座に大規模なストライキや抗議デモを発生させることになった。後に血の日曜日事件と呼ばれるようになったこの事件は、市民軍人あわせて4000人以上の犠牲者をだした。
さらに同年6月に発生した黒海艦隊の戦艦ポチョムキンでおこった、反帝国主義の乗組員による艦の乗っ取りという反乱事件は、明治時代のポーランド反ロシア民族主義者にとって、ロシア帝国の軍事体制が内側から崩壊しつつあることを示す象徴的な事件となった。
そして相次ぐ日露戦争での陸軍・海軍の連敗によりロシア帝国の権威が失墜していく中で、このロシア帝国の誇る最強戦艦での反乱は、ロシアの軍事支配が限界に達していることを世界に知らしめ、武力闘争による独立を目指していたレジスタンス側にとって、強力な追い風となったのだった。
したがって明治政府は、これらの情報を各国大使館などの秘密情報網から得て、ロシア艦隊が実質的に麻痺しているとして、明石元二郎を通じてさらに、ポーランド人を含む反体制勢力への支援を継続拡大していった。
次第に各地で勃発するようになった内部からの反乱は、当時のポーランド人にとっては抑圧者であるロシア帝国のツァーリズム(絶対君主制・専制政治)の終焉を予感させる、民族独立への希望となったのである。
その後戦艦ポチョムキンはウクライナの南西部の港オデッサに入港したが、これを歓迎したレジスタンスや市民大衆は、ロシア兵に銃撃を受け虐殺されるという事件も起こった。
これらの事件以外にも明石の指導したレジスタンス活動は、圧政に苦しむロシア国民のロシア帝国に対する不満がやがて暴発の危機を呼ぶことになるのだった。
大正3年1914年第一次世界大戦が勃発すると、それまで続いていた日露戦争での戦費の問題や重税がロマノフ王朝への不満をさらに爆発させ、中でも戦場の兵士に送らなければならない食糧まで不足するようになったことに対する市民の怒りが爆発し、ついにロシア革命は起こった。
このロシア革命の結果、皇帝ニコライは退位を余儀なくされ元皇帝一族はサンクトペテルブルクにあるロシア皇帝の離宮で監禁された後、大正4年1918年7月17日ウラル地方のエカテリンブルクの接収された商人館の地下で、ロマノフ一家7人、使用人4人は処刑隊の指揮官により死刑執行を告げられた。
ニコライは最後に
「なんといったのだ?」
と聞き返し、女性たちは壁際に集められた子供たちの前に立ちふさがり
「子供たちは撃つな」
と叫んだが、彼女たちと子供たちは拳銃の乱射により銃殺され、ここにロマノフ王朝の血筋は完全に断絶した。
そののち11人の遺体は、顔に硫酸をかけられたうえで森に埋められたのだった。
そして大正7年1918年7月に第7代の台湾総督に陸軍大将として就任した明石元次郎と副官の帯刀陽介大佐は、台湾の社会基盤の確立に腐心し、台湾電力の設立と水力発電所となる烏山頭ダムの建設費用として台湾総督府の年間総予算の三分の一を工面した。あるいは港湾事業の整備、あるいは台湾最大の銀行華南銀行の設立、あるいは台湾の人間が日本の帝国大学に進学できる制度なども確立し台湾のその後の発展に大きくこうけんしたのだった。
10、コルチャークの黄金
台湾総督に就任以来1年4か月をかけて台湾全土の視察を終えた明石総督と帯刀大佐は、大正8年1919年10月公務のため一時帰国のため長崎に向かう船上にあった。
ある夜のこと明石総督に急に呼ばれた帯刀大佐は貴賓室で思わぬ言葉を聞いた。
「俺はどうもいかんようだ」
「俺が死んだら、お前が責任をもって完成させてくれ」
「この紙に書いてある知床自然環境保護研究所の所長に会えばすべてがわかるそうだ」
明石総督はそのまま船上で病が重篤化し、故郷の福岡にたどり着いて静かに没した。
残された帯刀大佐はそのまま明石総督の伝言を胸に抱いて熊本の第6師団長に隊付少年兵の海江田二等兵を連れて転じた。
あまりにも劇的な生涯でありお国のために私利私欲なく尽くし切った人生であったと思う。
「しかし明石総督はいったい何が言いたかったのだろう」
「俺に何をしろと言っているのだろう」
一人涙にくれている様子を扉の陰からうかがっていた秘書官の海江田二等兵が、戸惑いながら声をかけてきた。
「師団長、どこの誰かもわからない国籍不明の男が面会を求めてきているのですが、いかがいたしましょう」
「なに、お前はそれでよく隊付き秘書官が務まるものだ
犬の子じゃあるまいし、名前ぐらい聞いてこい」
すると驚くことに背中に銃を突き付けられた海江田二等兵が男を伴って入ってきた。
男は言った。
「帯刀さん、お久しぶりです 
私のことを覚えていないのも無理はありませんね」
「なにしろ明治35年1901年ロシア帝国の首都ペテルブルグの日本公使館付陸軍武官だったアバズレーエフの秘書官としてお目にかかってからもう20年の歳月がすぐ去りました」
「もう少し早ければアバズレーエフにも聞いていただきたい要件だったのですが
残念です」
 「しかしいい秘書官をお持ちですね 危うく命を落とすところでしたよ」
そういって、懐から短剣を取り出すと海江田二等兵に手渡した。
「なんと、懐かしい名前を聞いた」
「今思い出して一杯飲んでいたところだ」
「どうだね、付き合わんか」
「ちょうど明石総督も、ここにおられるようだから」
そういうと、ジョニーウオーカーの黒をカチンと氷を鳴らして注ぎながら、男と海江田に着席を促した。
しかし男はちょっと微笑んでから着席せず、グラスを掲げていった。
「ここにニコライ皇帝よりの伝言を持参いたしました」
2人の顔は驚愕を通り越している。
特に海江田は瞬きすら忘れている。
「謹んでお渡しいたします」
男は2人の様子を、少し安どした様子で見渡してから話し出した。
「私は長くニコライ皇帝のおそばに仕えておりましたが、ロシア革命の起こった後、ウラル地方のエカテリンブルクの商人館で皇帝が、ご家族と菜園作りに精を出されていたころ、たまたま用事を言いつかり難を逃れたのです」
「この伝言は直接アバズレーエフに渡してくれとのニコライ皇帝直々のご希望でしたが、ロシア革命後の大正11年1992年に建国されたソビエト連邦の刺客から身を守りながらの旅でしたので、こんなに時間がかかってしまいました
お渡しした以上これからも刺客がこの伝言を狙ってくると考えます」
ここまで話すと、男はグラスを一気に干した。
二人はグラスのことも忘れて、男の話を待った。
「皇帝が明治24年1891年滋賀の大津で湖南事件に遭遇されましたことはご存じでしょう」
「その夜、京都御所で、ある少女から手厚い看護を受けたことがいつまでも忘れられないと、いつも頭の傷をなでながら話されていました」
「ただし名前も知らないその少女が、後にニコライ殿下のお子をご懐妊されたと聞かれ、いつかは対面したと思っていたがこうなってはかなうはずもない」
「ここに皇帝の資産であるコルチャークの黄金約6億ルーブル(現在の数兆円)と秘宝であるロマノフの卵、インペリアル・イースター・エッグ及び地球儀とダイヤモンドを贈るので、その子には戦争のない平和な時代を生きてほしいとおっしゃられておりました」
「私も随分手を尽くして探しましたが、その子供はいまだに見つけられません
これらをソビエトの刺客から守っていただき、このロマノフの秘宝と呼ばれる地球儀と大粒ダイヤモンドの入った袋をお渡しするので、ご子息の将来に役立ててほしいとのことでした」
「何しろこの地球儀は帝位の継承権を示すものであり200カラットの赤いサフャイア付きです。国家予算が不足しているソビエトの刺客は何度でも、何度でも襲ってきますから十分な警護をお願いします」
「もっとも、ご懐妊されたお子は、だからこそ秘匿されたのでしょうが、ぜひご子息にお渡しください。しかも漏れない秘密はないと言いますから、さらに十分な注意をお願いします」
ところで、なぜロマノフの最大の敵であるアバズレーエフに渡すのかとお聞きしたところ、皇帝は寂しそうに
「敵の敵は味方だからだよ」
「と遠くを見ながらおっしゃっておりました」
「皇帝には、ロシア帝国を壊滅に追い込んだ男しか頼れる人がいなかったのです」
二人が、深いため息をつき椅子に崩れるように座り、男に質問の目を向けたとき
そこにはすでに男の姿はなかった。
残された二人の間には、深い闇が延々と続くのみだった
11、知床自然環境保護研究所
 あれから数年がたち、師団長の帯刀大佐は病没していた。海江田は異例の速さで少尉に昇進し佐世保海軍航空基地に赴任し、軍務に忙殺される中で突然の電報に驚かされた。
極秘任務のため知床自然環境保護研究所に至急来るようにという内容で、詳細は書かれていなかった。ただし出発は本日夜半長崎軍港としか書かれていなかったので、間に合うように駐屯地の営門をでた。
営門を出てしばらくすると、何者かがつけてくるようだった。海江田は熊本駐屯地での話を思い出していた。これはもしかして近年創設されたという、ロシアの秘密警察ヴェチェカー通称VChkの連中がつけてきているかもしれないと思い立ち、心がざわついた。
暗闇の路地裏に靴音が響く。海江田は様子を探るべく、左側の陰のある方の壁によりかかって両切りの紙巻きたばこのゴールデンバットに、魔法マッチと呼ばれていたオイルライターで火をつけた。
このライターのオイルにはロジェ・ガレの「ヘリオトロープ ブラン」という香水を混ぜていたので、そのほんのり甘くパウダリーな香りを嗅ぐとざわついた気持ちが少し落ち着いた。
タバコの紫煙を深く吸い込むと、向こうも立ち止まったようで音がやむ。
「しょうがない、走るか」
足には自信がある。訓練で何度も受けた障害物競走、いわゆるフランス軍式のパルクールでは常に一番の成績だったからだ。
長崎は狭い坂道が多い。一気にスピードを上げ急なターンを繰り返して、さらに走る。両手をついて塀を超える。屋根を走る。靴音がついてくる。
自転車が見えたのでカギを南部式自動拳銃通称、四一式自動拳銃で壊し、自転車に跨ると漕ぎだした。前方に石段が見えてくる、前方に着地してなおも漕ぐ。さらに漕ぐ。急には曲がれないので左前方の壁に後輪をぶつけて曲がる。ブレーキをかける暇はない。後方からバイクの音が近づいてくる。これはやばいかもしれない。タイヤがきゅきゅとなる。
さらに石段があり、前方に飛び出し着地と同時に、ブレーキをかけて後輪を滑らせながら右折する。するとバイクの音が近づいてくる、銃声が響いた。
1発2発
着弾音が、チュイーン チュイーンと間延びしているのでまだ遠い。
着弾音がチュンと短く鋭くなってきたら、体に近いのでやばいのだ。
「しかしあのエンジン音は、陸軍が開発中の陸王じゃないのか」
「陸王まで、勝手に乗りやがって」
日本ハーレーは(昭和10年)に製品名を公募し、陸王という日本名が付けられたが、これは製作者に慶應大学OBがおり、慶應応援歌『若き血』の一節から陸王の名を選んで命名されたと言う。
しょうがないから、壁際の影から飛び出して前方の屋根に飛び乗り、またジャンプして屋根に飛び移る。着地するとバイクの音が遠ざかったようだ。少し息を継ぐと、先の路地にくろがね四起とよばれる軍用四輪駆動車がエンジンをかけて止まっており、こちらに乗れと手招く。
急いで飛び乗ると、四駆はエンジン音も高く急発進する。右の壁に側面をぐりぐり擦りながらの突進だ。
世界で初めて量産された小型4輪駆動乗用車の九五式小型乗用車・くろがね四起は偵察などに使用する目的で昭和9年1934年国内数社のメーカーに依頼して完成した。
 競合の結果、現在は日産自動車となった日産工機の試作車が選定され、昭和11年より量産されたが、これは4輪駆動車の代名詞的存在であるアメリカ製の「ジープ」より4年も早い実用化だった。
ギアを変えてる暇はない、とにかくローでアクセル全開だ。
グオーン ドガドガ ガガガ グオーン バキッ ドガ―ン ドンドン
またバイクの音が近づき、小銃の乱射を受ける。
ダラッ ダラッ ダララララッ
「おっ、ロシアの新式7,62mm自動小銃じゃないか」
「こんな日本の街中で自動小銃をぶっ放すなんて、なんて連中だ」
運転しているのは、熊本駐屯地にロマノフの秘宝を届けに来た男じゃないか。
ドンッ ドンッ ドドンッ
とにかく階段と坂道が多いので、車体が跳ね上がることおびただしが、四駆の性能を十分発揮して力強く疾走する。
「おい、撃ち返すから尻を反対側に向けてくれ」
「ダー アバズレーエフ!」
「今度はあんたと共に戦えるなんてなんて幸せだ」
「明石との冒険を思い出す」
海江田が腰のホルスターから、南部式自動拳銃を引き抜くと、くろがね四起は後ろ向きのまま階段をはね飛んでいく。
しかし暴れる軍用馬の上からの射撃訓練で優秀な成績を収めている海江田にとっては、なんということもない。
タンタンッ タンタンッ
連射で放った銃弾は見事にバイクに命中し炎を挙げながら爆発し、下方に吹き飛んでいった。
車を波止場のボラード・係船杭のすぐにドリフトして止めると、軍用高速艇がエンジンをうならせながら待っていた。
車を波止場に乗り捨てて高速艇に乗り移ると、急激にエンジン音が高まりフロントを高く持ち上げながら高速艇は急加速して出発して、すぐに右にハンドルを切る。
高速艇は滑るように尻を左にスライドしながら沖を目指した。
波に乗り上げて、船底が激しい音を立てて吠える。 
ドンドンドンッ
海江田が男の名前を聞くと、セルゲイと答えた。
ソ連の秘密警察相手に逃げ切ってきただけあってかなりの手練れだ。
沖に向かってフルスロットルで進む。
空に月が出ていた。 
港には超秘密の造船所があり大きな建造中の軍艦が巨体をうずくまらせて静かに横たわっていた。
なんでも世界に類を見ない超巨大軍艦を建造中らしい。
ダラッ ダラッ ダララララッ
突然巨船の間から、再び自動小銃の銃撃を受けた。
高速艇同士の追跡劇は、艇が安定していないので着弾する可能性は低い、弾を無作為にばらまいて撃ってきた。
右に左に、巨船の間も縫うように執拗に迫ってくる。
すると男は、エンジンをニュウトラルに入れた。
敵の高速艇は急激に止まることが出来ずこちらの前に出たところを、こちらの操舵によって左に飛ばされ防波堤に衝突し爆発炎上した。
巨大な火柱が上がった。港では緊急サイレンが鳴り響き、探照灯が敵を探し出す。
やがて静かな海面と月明かりの中、突如前方に巨大な黒い物体が浮上した。
「お迎えに間に合ったようでよ アバズレーエフ」
海江田には何が何だかわからないが、黒い巨大な物体は潜水艦のようだ。
目を凝らして見つめると、見たこともない船型だった。
特に艦橋の前に、大きなドーム状の格納庫のようなものが取り付けられている。
やがて縄梯子が投げおろされたので、二人は飛び移って登っていった。
下士官からの敬礼に答礼するたびに海江田は右ひじをガツンといたるところにぶつける。
兵隊からの敬礼には答礼しなければならないがそのたび、肘をぶつけてうめいた。
案内を受けて艦長室に通されたが、途中で見かけた艦内の近代的様子には驚くしかない。
こんな巨大なドームがついたすごい潜水艦を大日本帝国が完成させているなんて。
これから向かう知床自然環境保護研究所という施設とか何か関係があるのだろうか。
艦長室に入ると敬礼を受け、艦長から握手を求められた。
「海江田少尉ご苦労様です」
「詳細は不明ですが、上層部からお二人を知床自然環境保護研究所までお連れするようにという指令です」
「数日かかると思われますので、ゆっくりくつろいでください」
艦長は名乗らなかったが、海江田は気にせず聞きたいことを質問した。
「艦長すごい船ですね、これは大日本帝国海軍の潜水艦ですか」
艦長は微笑みながら、
「海江田少尉には包み隠さずお話しろと言われているので、何でも聞いてください」
「しかし、質問するにも基礎的なことはこちらからお話したいと思いますがよろしいでしょうか」
「なにしろ時間はたっぷりありますから」
3人は良く冷えたグラスにコロンコロンと氷を落とすと、スコッチウイスキーを注いでから椅子に腰を落として軽く乾杯した後、少し口に含んで味わいながら勧められるままに葉巻に火をつけた。
「これはイギリスのシーバスリーガルのミズナラ12年物ではないですか」
「しかも葉巻はキューバのモンテクリスト・エドゥムンドですね」
海江田は大きく胸いっぱいにエドゥムンドを吸い込んだ。
青い煙を静かに吐き出すと、セルゲイも目を欲しめて紫煙を堪能している。
艦長は海江田の心配を察知して最新式の空気清浄機を撫でながら静かに言った。
「匂いは水の中から漏れませんよ」
やがて艦の話になった。
「この船は伊四百型潜水艦といい通称・潜水空母と呼ばれる超極秘開発潜水艦です
将来的に6隻の完成を目指していますが、現在完成しているのはこの艦を含め3隻だけです」
「全長122m 最大幅12m 総排水量3,530トン これは普通の巡洋艦よりも大型で、最新式ディーゼンルエンジン4機を装備しており、航続距離は地球を1周半航行可能ですからどの敵国を攻撃してからも帰国が可能です」
「モデルとしたのはドイツで開発中のU511号潜水艦です 日本海軍にインド洋で破壊工作をしてほしいとドイツから贈られた潜水艦です」
「装備は40口径機銃1丁 53cm魚雷発射管8門魚雷20発 電気式レーダー2基
なお一号電池360個を搭載しているので、連続航行時間は約4か月を誇っています
つまり世界最大の潜水空母というわけですが、急速潜水までに要する時間は訓練で30秒ほどの成果を上げていますが、これらはもちろん超極秘事項です」
「さらにフロート付き小型特殊攻撃機、晴嵐を3機搭載しています
この晴嵐は水上攻撃型で通称M6A1です。特に小型軽量で急降下爆撃が可能な潜水艦搭載可能の特殊攻撃機で、その性能はゼロ戦をはるかに上回ります」
「また晴嵐は浮上した本艦のカタパルトから射出され、最大速度時速474kmを誇ります。航続距離1200km兵装は13mm旋回機銃1と250㎏爆弾最大4搭載可能で、折り畳みができる主翼はピン1本で外すことが出来、翼を後方に90度折りたためるようになっています
さらに位置の特定のためのジャイロスコープを装備したため、晴嵐一機でゼロ戦が50機作れるといわれるほど高価な飛行機です」
コロン グラスの氷が鳴った。
艦長の説明を聞く二人は、葉巻の灰が落ちるのにも気づかず聞き入っている。
紫煙が低く溜まっている 海江田はちらりとセルゲイの表情をうかがったが、目を閉じた彼の表情からは何もうかがい知れなかった。
海江田は深いため息をついてから、一番聞きたかったことを口にした。
「イ号潜水空母の威容は理解できましたが、それと私の関係はどうなっているのでしょう、私はただの陸軍少尉ですよ」
セルゲイを振り返って聞いた。
この男は極端に口数が少ないが、私の知らないことを含めて理解しているようだ。
世界は今でも争いに満ちている。祖国を失い国を追われた人々と飢えに苦しむ子供たちがいる。
しかし私に何ができるのだろうか。
セルゲイはおかしそうに、なぜそんなに肘をぶつけるのかと聞いた。
「この陸軍式敬礼は当初軍事訓練を受けたフランス軍の様式だ
なんでも甲冑の騎士が王に兜の目隠し部分を持ち上げるときの動作がもとになっているそうだ」
「まあ、広い空間の中での敬礼なので肘はぶつからないのだが、一方海軍式の敬礼はイギリス式で、狭い艦内で肘がぶつからないようにと肘を体側に近づけて行うようになったらしい」
「なるほど、大日本帝国の深い病巣はそこに原因があったのですね」
海江田には聞こえなかったようだった。
軽くため息をついてセルゲイは南部式大型拳銃に興味を示し見せてくれといった。
「なるほど、先ほどの見事な射撃はこの6条右転のライフリングが施してあるところに秘密があったのですね」
「ロシアのトカレフTT―33と比べると大型ですが、命中率ははるかに高い
トカレフは、頑丈ですが遠的に対する命中率が低いのです」
「ハラショー!」
「そんなに気に入ったのなら一丁進呈するよ」
「ほんとですか、ありがたい」
「大事にします」
そういうと、早速セルゲイは分解整備に熱中しだした。
その動作の早いこと 分解掃除が終わると10秒かからずに組み立て終わると銃に頬刷りをしている。
これが軍人というものだ 銃を大事にしないものに未来はない。
海江田は早速艦長に自分用に小型の南部式小型拳銃を一丁譲ってくれるように頼むのだった。
トカレフ TT-33は、ソビエト連邦1933年に制式採用した自動拳銃
口径7,62mm ライフリング4条右転 装弾数 8発 有効射程50mの性能を誇っていたが、この南部式拳銃ははるかにその性能を凌駕していた。
やがて、時がたち艦内は自由に見学してよいとの許可が下りたので、晴嵐が格納されていた眼鏡型格納庫や20発の魚雷が収められている格納庫と、艦首に設けられた8門の魚雷発射管などを見学していた。
新しい知識の吸収に沸騰した脳を冷やす目的もあり、海江田は魚雷に頬ずりをして、当たってくれよと願っていると、艦内にブザーが鳴り響いた
ブーッ ブーッ ブーッ
メインタンクブロー
号令がかかり、潜水空母は浮上を開始した。艦橋のハッチが開かれ海江田とセルゲイは艦長に伴われて、久しぶりに新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
ここはどこだ?
巨大な人口室内ドックのようだった。 
前方と後方には黒々と巨大な闇が覆っているが、わずかな明かりで回りを観察できた
全体は半円形のドーム状でこの巨大な潜水空母が収容できている。
 そばには通路が設けられ兵士がいそがしく立ち働いていた。
タラップを降りて、案内の兵士に誘導されて長い通路を歩いた。
「俺は陸軍だから、いまいちわからんがセルゲイ ここはどこだ」
「知床自然環境保護研究所ですよ さあエレベーターに乗りましょう」
「研究所だって これはまるで軍事基地ではないか」
2人の乗ったエレベーターは静かに上昇した。
エレベーターの数字は潜水艦が停泊した地下1階から、地上3階まであったが最上階で止まると扉が開いた。
そこは楕円形に張り出した大きな窓から、青い海が見える部屋だった。
室内は天井までの書架が設けられており、世界中の軍事関係の著作が収められている。
大きなテーブルの窓際に二人の男が立っており、二人の間には黒い布が掛けられた大きな小山があった。
背後から光を受けることによって生じるハロー効果の中で二人の表情はうかがい知れなかったが、スーツを着てサングラスをかけた金髪の大柄の男はこちらに顔を見せなかった。
小柄な男のほうが振り返って声をかけた。
「やあ、海江田君 はじめてお目にかかる 」
あまり着衣に頓着しないようで制服の胸がはだけたままの男がいった。
「明石総督ですよ」
 セルゲイが言った。
「えっ?何かの冗談ですか」 
「私の知っている明石総督はとうにお亡くなりになっていますが」
「君が知らないということは、この隠密作戦はほぼ成功だな」
「私が明石だ」
「敵を欺くには味方からというからね」
海江田は何が何だか理解ができないで立ち尽くしている。
「まあ疲れたろうから、ゆっくりしてくれ」
「あとはセルゲイ頼んだよ」
「私は、ジャックとアリューシャン列島および千島列島のことで話があるのでこれで失礼する」
明石総督は窓のほうを振り向いて、葉巻に火をつけた。
いい匂いがする。
セルゲイに導かれ総督室を出た二人は、長い廊下を通って特別室に入った
なんだかキツネにつままれたようで、ひどく気分が悪い。
「あのサングラスの男はだれだ?」
CIAですよ。そういうとセルゲイは珍しく楽しそうに話し出した
「ここは明治8年1875年大日本帝国とロシア帝国の間で取り交わされた、樺太千島交換条約によってサハリンと呼ばれていた樺太と千島群島が交換され日本の領土となりましたが、この島は特に色丹島といわれています」
「いま自由主義諸国ではこの群島が非常に重要な地域となっているのです
とくに自由主義の旗手を任ずるアメリカ合衆国にとっても、ソビエト共産主義の南下政策を防止する防共の鎖としての、アリューシャン列島と千島列島の存在価値が高まってきたため、総督との非公式な日米会談が開かれているのです」
「つまりアメリカはアリュウシャン列島を。日本は千島列島をというわけです」
海江田は黙って聞き入るしかなかった
世界情勢はうすうす知っているつもりであったが、北方における緊迫性を感じて日本の未来を心配するのだった。
「一方ロシア革命後の新生ソビエトは、ヨーロッパ地域での侵略戦争が手詰まりを生じているため、新たにこの極東地域にその牙を向けているのです 例のウラジオストックから起工したシベリア鉄道だけで物足りず、シベリア鉄道を補完する役目もあって、バイカル・アムール鉄道をも完成させました」
「シベリア鉄道の分岐点であるイルクーツクからバイカル湖の北側を通り、日本沿岸のソビエツカヤ・ガバニまでの4,300kmにわたるもので、通称第二シベリア鉄道と呼ばれています」
「ところで、海江田少尉 この通称バム鉄道の極東地域の終点には何があるかご存じですか」
「いや恥ずかしいことだが、全く知らない」
「そこは1800年代初頭、間宮林蔵がサハリンが大陸とは海を隔てた島であることを発見したことから間宮海峡別名・タタール海峡と呼ばれる狭い海があります
そこにはロシア帝国海軍が発見した天然の水深の深い良港があり、皇帝の港と呼ばれるようになったのです」
「だったらどうなんだ 日本とは関係ないだろう」
若干初めて聞くことばかりで、機嫌が悪い海江田は言った。
いささか顔を引き締めたセルゲイは、少し悲しそうな表情で言った。
「そこでは造船所が作られ密かに軍艦も作られており、将来的にはサハリンに恒久的な橋を架けて日本侵略の前線基地にする計画なのです
悲しいことに日本人は、ロシアのことをあまりに知らなさすぎます
北方に関心がなさすぎるのです」
海江田はここに至って初めて全身に鳥肌が立つのを覚えた。恐怖に全身が震えた。
ロシアの白熊はすでにそこまで来ているのか。
「つまり、ロシアが、憎い大日本帝国の軍備が充実した日本海を避けて、新たに創設した新式極東艦隊でサハリンの北方経由で太平洋に出ることが可能になります
そしてカムチャッカ半島の内側にあるオホーツク海はロシアの軍港になるのです」
海江田は言葉が見つからなかった。
明石総督が台湾に自身の記念碑を立ててまで、死を装ったこと。児玉源太郎大将が日本の将来を憂えてすでに準備を始めてることに理解がおよんだからであった。
そういえば。以前から陸軍内には、台湾には有事に備えて地下基地が設けられているという噂があった。何をばかなことを言った空気が大半を占めていたが、明石提督を目の当たりにして海江田は、台湾のダム建設が完成していることなどから地下基地建設は本当なのではないかと思うのだった。
そして、色丹島で現実を見た。
だから不沈空母をつくるのか。地熱発電所の必要性も新たなエネルギー革命として潜水空母を電化するのか。基地のオール電化も可能となるわけだ。
「そしてこのまま勝手に戦争を続けていくと、地球の気温が上がり北極やすべての氷が溶けだし、海水面の上昇という天変地異が起こり南太平洋の中には水没してしまう国家が生まれてしまうのです」
「将来を見越して、太平洋と欧州を結ぶ北極航路が誕生した時に、そこから生じる利権のすべてを日米で独占しようという計画なのです」
佐世保で航空機の操縦訓練を意味が分からないままさせられていたのは、やがて完成する新型EV攻撃機晴嵐のためであり対ソビエト秘密作戦のためだったのだ。
さらに次のセルゲイの言葉は、もっと海江田を打ちのめした。
「これは大日本帝国海軍の作戦ですが、大日本帝国陸軍の仕事としては、朝鮮半島北方に満州国という新しい国家を建設し、防共の楔とする計画なのです
ソビエトの嫌いな、満州の楔(くびき)とも呼びましょうか」
「さらに明石提督はCIAのジャックとは、防共の鎖の一つとしてアメリカが有事の際はアリューシャン列島を千島列島のように2重の防共の鎖としてソビエトの海洋進出を防ぐ計画も進めているのです」
海江田が、取りこぼしたグラスが床に砕けた
長い夜が続く。
12,鉄の鎖作戦
セルゲイは、まず座りましょうといって奥からストリチナヤ プレミアム というウオッカを持ってくると栓を開けた。このウオッカを飲みながら二人は、ロシアの兵士が極寒の軍事行動中に支給されたウオッカによって命を救われたことが多かったということから彼らの苦労を思い英霊を偲んだ。
古い時代に命の水と呼ばれたウオッカはやがて欧州にも伝わり、やがてウイスキーの源流になったといわれているが、ふたりはウオッカを飲み干すことで対ロシア戦の勝利を誓うのだった。
しばらくすると、自由行動の許可が下りたので、一番の関心事である地熱発電所の見学に出かけた。
セルゲイに連れられて地下の火山活用型地熱発電所につくと、広い空間に巨大な発電部のタービンがうなりをあげて回転していた。
「これが発電施設か!」
「すごいものです 私も初めて見たときには度肝を抜かれて放心しました」
「なんでも明石総督の台湾時代の発電所建設経験が大きくものを言ったそうで、
発電量としては200MWメガワットを誇り規模としては世界最大だそうです」
「なお発電方式は、当初島の位置を考慮して地熱流体が低い場合に発電が有効なバイナリ発電方式を採用しようとしたそうですが、蒸気を再加熱する必要があったため、実際には高い地熱温度が得られ十分な水蒸気でタービンを十分に回転させることができるフラッシュ方式による発電へと変更されたんだそうですが、海中ケーブルで電気を国後島、択捉島にも供給できるため両島の開発事業は画期的に進んだと聞いています」
 数日後、多くの予備知識を得た海江田はセルゲイと色丹島の地下にある潜水空母基地からイ号潜水艦に乗って、国後島の南側に静かに浮上した。
「今日は波も少なく絶好の飛行日和ですね」
セルゲイと海江田はカタパルト発射台の上に移動されてすでにエンジンがかかっている晴嵐のタラップに手をかけている。
「特別に改良されたこの晴嵐は二人乗りで後部座席の私は、爆弾投下の時に目標を定める、爆撃手として投下地点の特定や爆弾投下の操作をするわけです」
乗り込んだ海江田は、キャノピーと呼ばれる風防を前方にスライドさせた。
そして、スロットルを前方に倒して晴嵐のエンジン回転数を最大まで高めていく。
イ号潜水空母の電磁式カタパルトは国後島の方向に向けられている。
やがて海江田の合図で射出された晴嵐は、高いエンジン音を残して空中に飛び出すといったん低く海面近くまで沈んでから上昇していった。
海江田は操縦桿を前方に倒し出力を最大にし、最大上昇限度9640mに達すると、スロットルを手前に若干引いて水平飛行に移った。
青嵐の機内には白いスカーフを首に巻いて、ゴーグルと飛行帽を着用した海江田とセルゲイの姿があった。
よく晴れた日で、遠くには千島列島ばかりではなくサハリンの姿も望むことが出来た
眼下に知床半島が見える。
小粒な歯舞6島の隣には今飛び立ってきた色丹島、サハリンに対して国後島、択捉島が横に長く防波堤のように横たわっている。
「そうか、国後、択捉に飛行場を作れば大きな不沈空母が2隻ということだ
色丹島は潜水空母の基地と作戦司令部を兼ねるというわけだな」
「こんなにも本土に近かったのかと驚くばかりだ
この晴嵐は操縦しやすいが、いまいち機体の強度が不足しているんじゃないか
なんでも機能性重視で開発するから、軽くするために鉄板が薄いんだろう
これじゃ一発当たれば炎上墜落だな」
そういうと海江田は、機体をたたいてみた。
コンコンと軽い音が響いた。
「まあ、機体性能の優秀さで敵機の弾に当たらないようにすればいいんだが、イ号と晴嵐だけではもしソ連機が出撃してきた場合、攻撃力が不足するんじゃないだろうか」
「そうか、それでドイツが開発しているというロケット戦闘機を改良して配備すれば将来大型爆撃機がロシア本土やカムチャッカ半島から飛来しても防げるだけでなく、ロケット戦闘機がはるか上空からつるべ落としに急降下攻撃を加えれば攻撃力は格段に上昇する」
「すごいじゃないか」
深海には魚雷装備の潜水空母の伊四百型潜水艦が控えているし、ロシア艦隊を太平洋に逃がさずに完璧にオホーツク海に閉じ込めることが出来る。
まさに防共の鉄の鎖だ。
「ところで、アバズレーエフなぜ戦闘機は2色に塗り分けられているのですか」
「ああ、それは魚と一緒さ」
「えっ!どういうことですか」
「つまり、下から戦闘機を見たときは空の色と同化して見分けがつかないように戦闘機の下部と翼の裏は空の色に。上空から見たときは陸の緑や海の深い色と同じに見えるような色や迷彩が施されているんだよ」
「そうだったんですか、まさか魚に学んでいるなんて。そんな秘密があるなんて知りませんでした、やはり飛行機は乗って見ないとわからないことだらけですね」
やがて、セルゲイは島について語った。
「歯舞群島は小さな6つの島からなり、どれも軍事基地を建設するのには向いていないので、したがって歯舞群島の近くにある色丹島に秘密基地建設が行われたのです
色丹島は島根県隠岐の島よりも大きく周囲144kmの海岸線を持ち、東西24km南北10kmの大きさで潜水空母が停泊していた松ケ浜は太平洋側に向かって開港しておりなんと水深が20Mのまさに潜水艦にとって最高の軍港で、色丹島でこれ以上の水深を得られるところはありません」
「また島には413mの斜古丹山がありますので、天然の監視台が出来ています。また湖沼も多いので飲料水にも事欠きませんが、ソビエトの飛行機に発見されないように道路はわざと未舗装な状態にしてあるので、中型の改良戦車が必要なのです。現在は少数の島民と牛馬と羊を放牧しています」
「実は居住する島民は、日本国籍のものだけではなく、千島アイヌと呼ばれる人々がアイヌ文化を守っています」
「また色丹島の北方にある国後島は沖縄本島よりも大きく背後に根室半島と野付岬を控え長さ122km幅30kmの大きさで羅臼の山々は標高1700mを超え、千島火山脈があることで知られていますが、島の周りには深い港がなく潜水艦の基地には向いていません」
「そして色丹島と同じように舗装された道路もなく湿地帯が多いのですが、比較的平坦な土地も森林を伐採すれば飛行場建設は容易であると思われます」
「さらに択捉島は北方にある日本最大の島でおよそ島根県とほぼ同程度の大きさを誇り長さ200km最大幅27kmを誇りますが、島は随所に湖や沼もあり河川の流域は広大な泥炭地となっており、およそ飛行場建設は難しいと考えられます。さらに1500M級の山がそびえていますが道路も整備されていないため産業は漁業と林業が主なもので、周囲に大きな港もないため冬は完全に孤立してしまいます」
海江田は、北海道の北にこれほどの大きな国土が活用されずに打ち捨てられていることに驚きを覚えた。合計すれば本土の県二つ分は優に広がる北の島々である。
領海域を含めた海の国土を守るための努力をせずに、日本は大陸しか関心を示していないのではないか。
晴嵐は大きく翼を振って千島列島方面に向かった。
セルゲイは千島列島について語った。
「千島列島の存在を日本人が知ったのは今から約300年前の江戸時代のことです」
「なんだって、学校ではそんなことは少しも教えてくれなかったぞ」
「だから今、空から現実を見ながらお話ししているのです」
「千島列島には昔からアイヌの人々が暮らしており、その記録は松前藩によるとアイヌの人々がラッコの毛皮などを松前藩に収めており、松前藩は下級武士の村松広義に命じて、正保御国絵図(しょうほうおくにえず)という地図を作らせましたが、現在ではこの地図が世界で一番古いものとされています」
「一方ロシアは1600年後半にカムチャッカ半島でクリル人から千島のことを聞き、江戸時代の初期1795年ウルップ島にロシア人40人が移り住むようになりましたが、それを聞いた当時の江戸幕府は大御所時代と呼ばれる文化文政年間の華やかな文化と天下泰平を楽しんでいましたが、さすがに時の江戸幕府第11代将軍徳川家斉(いえなり)は急遽幕府の近藤重蔵という役人を派遣し調査にあたらせました」
「しかしロシア人の姿は見られなかったため、択捉島に大日本恵登呂府と書かれた柱を立て日本の領土であることを宣言しました」
一方ヨーロッパでは、日本にとって幸運なことにフランス革命がおこり、やがてナポレオン皇帝によるイタリヤとエジプトに侵略戦争のための遠征が行われたが、その矛先はやがてロシアに向かうようになると、極東の領土拡大にばかり力を注いでいるわけにはいかなくなっていく。
「しかし日本もまた本格的に樺太の開発に力を入れる余裕がなく、先に北海道の開発に力を注ぐためもあり、樺太をロシアの領土とするかわりに、千島のウルップ島からシュムシュ島までを日本の領土とする条約を結んだのが、1875年の「樺太千島交換条約(からふとちしまこうかんじょうやく)」ですが、その時同条約にソ連(現ロシア)が調印しなかったため、国際法上では南樺太は「帰属未定地」であるという立場がとられています」
「驚いたな、今だにどこの国でもない土地があるなんて」
「さらに言うと千島列島は、北海道東端の根室海峡からカムチャッカ半島南端の千島海峡(占守海峡)までの間に連なる列島で、日本列島ともいいますが、ロシアではクリル列島と呼ばれています 」
「列島の最も北東にあるのが占守島で、そこから南西方向に幌筵島温禰古丹島得撫島などの20以上の島々が点在しています」
「島々には火山が多く、の寒さは厳しいものがありますが、周辺の海には魚類が豊富で豊穣の海として知られ、北西側の海がオホーツク海、南東側の海が太平洋と呼ばれています」
「さらに島々の面積は、10,355.61km2になり、岐阜県と同等の面積で、東京都大阪府愛知県を合わせた面積よりも大きいのですが、この先ロシアが相手ではどうなるかわかりませんね」
 
ここまで話すと、海江田が無言でいることに気づいた。
「どうしました」
ロシア人に日本の歴史を教わるとは思わなかった。
ぽつりとつぶやいたのを聞いたセルゲイは静かに言った。
「私はタタール人ですロシア人ではありません」
その言葉を遮るように、海江田は目の隅にきらりと光るものを見つけた。
「セルゲイあれを見ろ ロシアはすでに戦闘機を極東に配備しているのか」
「さすがに日本人パイロットは目がいいですね 私も驚いているところです」
「たぶんあれは、ソ連空軍の飛行機でI-15の後継機のI-15bisだと思われますから極東地域におけるソビエトの侵略の意思がはっきりしてきましたね
最高速度は368kmと、晴嵐の474kmに比べればずいぶん遅いですね
兵器は7,62mm機銃2機ですが、改良して4機備えられるようです
晴嵐の13mm旋回機銃に比べると見劣りしますが、旋回性能に優れているといわれていますが、実際どうなのでしょう」
「しかし、主翼を後方に下げたガル翼で小さめの下につけられた翼が面白いですね」
「おおっ そうこうするうちに、こちらに向かってきましたよ」
「黒い煙を吐いていますから、燃料の質はあまりよくありませんね
アバ!どうしますか」
「なんだよ、緊急時はアバか まあいいや」
「なに、初見のお手並み拝見と行こうか、向こうもこっちも、国旗をつけてないから、何かあっても、正体不明機でかたずけられるさ」
そういうと海江田は、フロートを廃棄してからさらに上昇に移った。
「アバ!フロートを廃棄したら帰りはどうするんですか?」
「ごちゃごちゃうるさい!ここは俺にまかせて黙ってつかまってろ!
佐世保仕込みのドッグファイトを見せてやる
剣術の初太刀必殺の業だ!」
このまま急上昇からの失速寸前で機体の旋回半径を最小のまま右反転させ、素早く敵機の背後に回り込むという、捻りこみの業だ。
晴嵐はするすると背面飛行のまま急降下していく。
ベルトを十分に占めていない後部座席のセルゲイは、風防に空中に浮かんだ上体を張り付かせて叫ぶ。
「アバーッ!」
「この、どんぐり野郎!どうだ!」
「おー!日本人は頭がくるってる!」
「お前ベルトを締めとけ!」
晴嵐は上昇してくる敵機に向かって、逆さのまま操縦席を敵機の操縦席の上に合わせてすれ違った。
ポリカルポフの操縦士は目を白黒させて晴嵐を一瞬目で追った。
「うおおおっ!1mも離れていませんよ」
すれ違ってすぐ晴嵐は、逆さひねりこみに入り素早く機体を反転させて敵機の背後に回り込む操縦を見せると、さらにスピードを上げ敵機の背後に付いて撃墜の姿勢を見せたあと、撃墜のために手をかけた発射レバーから静かに手を放しながらポリカルポフ機の真横に並んで敵機の操縦席を見た。
敵機の操縦士は茫然とこちらを向いて何か怒鳴っている。
海江田はにこやかに手を振って、挨拶すると圧倒的なスピードで急上昇に移り雲の間に身を隠した。
雲の間から見た敵機は戦意をなくしてふらふらと帰っていく。
雲間から少し下降し水平飛行に移った晴嵐の操縦席では、微妙な空気が流れた。
「セルゲイ、お前、脱糞したな」
「すみません なにしろ飛行機に搭乗したのは初めてだったんです
シートベルトをきちんと締める間もありませんでした」
海江田は軽やかに笑うと青空の中、翼を振って晴嵐を択捉島に向けて降下していった。
「ところで飛行場もないのにどうやって降りるのですか」
「ああーん?さっきちらりと道路が見えたよ」
「あそこに降りようぜ、ゼロ戦と同じ特別装備の20mm機関銃を使うこともなかったし、フロートを落とした時の最高速度560kmのすごさ見せられなかったが、これは今度に取っておくこととしよう 惜しいことをした
 本部にフロートと晴嵐の回収を願う連絡を入れてくれ」
晴嵐は国後島に向かって東から近づきながら、高度を下げていった。
すると驚いたことに、未舗装と思われていた道路は穴の模様が施されていた表面が左右に二つに割れて、下から完全に整地された滑走路が出現した。
さらに降下していくと道路の両側の樹木が次々と後方に倒れこんでいくではないか。
翼の幅十分な広さを持つ道路は、まさに飛行場として整備されていたのだ。
さらに前方には地下から巨大な掩体壕が出現し大きな口を開けて晴嵐の到着を待っていた。
晴嵐は無事着陸すると、その掩体壕の口に吸い込まれるように進んで静止した。
驚いたことに住民の多くが、平服のままながら兵士のようにてきぱきと動いていた
「なんだ、誰も全然驚いてもいない
これは普段から相当の訓練が行われている証拠だ
セルゲイは知っていたのか」
掩体壕の奥では黙々と、晴嵐にフロートを取り付ける作業が進んでいる。
「晴嵐は明日整備のために色丹島の基地に移されますから、今日はここで泊りですね、少し休んでから、車で島を視察してみましょう」
国後島 面積は1489.27平方キロメートル (km2)[4]、長さは123キロメートルに及ぶ細長い島で、沖縄本島より大きく、日本では、本土4島を除いて、択捉島に次いで2番目の大きさを持つ島である。
二人はくろがね四起で島内をめぐった。
「いいところだな なんて美しい島なんだ、出来ればここは戦場にならずに、このまま残してほしいよ」
島内の最高峰 散布山(ちりっぷさん)1,587 m のすそ野をぐるっと回りながら島内を見学した二人は、ひと際高い岬の上にくろがね四起を止めて、キューバのモンテクリスト・エドゥムンドの吸い口を切って火をつけた。
豊かな煙が風に流れていく
「ところでセルゲイ、この前言った大日本帝国軍の病巣ってなんだ」
「あっ 聞こえていたんですね 失礼しました
私は以前から、大日本帝国陸軍と海軍の間の連携に問題があるのではないかと思っていました」
海江田は、何か聞きたくないような話が始まったので黙って話の先を促した。
「例えばですが、ここは一応海軍の飛行隊が使用する前提になっていますが、本土から陸軍の飛行機がやってきて、機銃弾の補給を求めた場合、燃料はいいとしても弾はどうするんでしょうか
それぞれが使用する機銃の弾の口径が違っては、飛行機は丸腰のまま再び飛び立たねばなりませんよね」
考えてこともなかった問題を突き付けられて海江田はうなるしかなかった。
頭の中ではわかったつもりではあった。
しかも長州系が多い陸軍は大陸での戦闘を想定し、薩摩系が多い海軍では洋上の戦闘を想定していたので、そもそも思想的に異なっていたのだ。
さらに幕末・明治初頭に陸軍ははじめフランスに、海軍はイギリスにと教えを受けたお雇い外国人といわれる軍人たちの思想が色濃く影響を残しているということがそもそもの発端であった。
つまり大日本帝国陸軍と海軍の戦闘機の開発目的が、陸軍は陸上での空域制圧と地上攻撃、海軍は空母艦載機としての敵艦隊攻撃と陸上基地からの対艦攻撃を目的とした長距離攻撃だったので、陸軍は制空・要撃・地上攻撃。海軍は主力艦隊への魚雷攻撃などを主な任務と考えていたというわけである。
その結果陸軍の飛行機はあまり長距離飛べないために国後島に来たとしてもすぐに着陸して燃料の補給を行わなければなないし、弾の補給を受けられないのですぐに本土に引き返すしかなかったのだった。
深いため息をついた二人の頭上美しいに夕日が沈んでいき、千島列島上空における初の日ソ空中戦は終了したのだった。
13,遣独潜水艦作戦 
昭和16年1941,12月8日未明ついに大日本帝国は第二次世界大戦に参戦した。
一方そのころアフリカ大陸の南東に位置するマダガスカル島は世界第4位の面積を誇る島であり、1940年代はフランスの植民地であったが、第二次世界大戦がはじまるとわずか2か月でドイツに降伏したフランスには親ドイツ派のビシィー政権が誕生すると、島はいち早く親ドイツ派支持を表明した。
したがってドイツ・イタリアを中心とした枢軸国側は、地中海から北アフリカまでを勢力下に置いていたので、インドやオーストラリアに向かう連合国側の輸送船団は、スエズ運河を通行する航路が使えず喜望峰を超えてインド洋に迂回する航路を使用するしかなかったが、島の軍事基地は連合国側の側面攻撃を可能にする極めて重要な役割を担っていた。
当時の大日本帝国は昭和15年1940年9月に日独伊三国同盟を締結し、ヨーロッパ戦争、日中戦争に参戦していないアメリカを想定し、アメリカからの攻撃に対する相互援助を約束した。その後対ソ連対策としてハンガリー王国、ルーマニア王国、ブルガリア王国、フィンランド共和国、タイ王国(日本)などの国が枢軸国に加盟した。
そしてアジアにおける日本とヨーロッパにおける独伊の指導的地位の相互確認と、調印国いずれか1か国が、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線日中戦争に参加していない国から攻撃を受ける場合に相互に援助するとの取り決めがなされた。
するとドイツと対立するイギリスオランダと日本の関係が悪化し、アメリカの対日感情も悪化することになった。
そしてこの日独伊の3国は、他の先進国に比べると植民地獲得が遅れていたと言われるが、日本とイタリアにおいては、第一次世界大戦戦勝国として少ないながらも植民地を所有していた。
そして日本は台湾併合した他に中国の天津租界を領有し、朝鮮大韓帝国)を併合した後は、日本領土として日本語教育などに最先端の技術と多額の資金をもって近代化を推し進めた。
また明治38年9月に締結されたポーツマス条約によって、ロシア帝国から譲渡された東清鉄道なども運営していた。
さらに第一次世界大戦戦勝国となると、ヴェルサイユ条約によって国際連盟委任統治領として、ドイツの植民地だったグアムを除く赤道以北のサイパンパラオなどの南洋諸島を託され、軍事基地は設営できぬものの事実上の植民地として運営していた。
一方イタリア植民地帝国は第一次世界大戦までに、アフリカの紅海沿岸にあるエリトリアソマリア、そして元オスマン帝国領のトリポリタニアへと植民地を広げた。アフリカ以外では、トルコ沖のドデカネス諸島と日本同様に天津租界を領有していた。また第一次世界大戦中にはアルバニア南部を占領して支配下に置いた。
しかし日本もイタリアも1920年代後半の経済の世界大恐慌以降、これら植民地を持ちながらも国内では経済不況に苦しんだ結果、解決を軍事力による更なる領土拡大に求めたのだった。
したがってイタリアのファシスト政権も日本と同様、帝国の規模拡大を図ろうとし、ドイツ第3帝国も第一次世界大戦の敗戦で30年近く保持していた各地の植民地をすべて失い、経済不況を救う鍵として領土拡大政策に走ったのだった。
開戦後の大日本帝国の各地における戦果は目覚ましく、ほぼ東南アジア全域を手中に収め、イギリスの植民地ビルマやインドまでも触手をのばし、インド洋における制海権もほぼ手中にしていた。
このような戦況の変化はマダガスカル島が大日本帝国海軍の基地となるのではないかという恐怖が連合国軍を支配し、ついに軍事行動によって島のフランス軍を駆逐占領した。
この作戦にはイギリス海軍の空母イラストリアスとインドミタブル、戦艦ラミリーズを中心とした艦隊が上陸作戦を海上から援護し、さらに南アフリカ空軍も参加した大規模なものでわずか実際には2日でフランス軍は敗退した。
しかしこれを事前に察知したドイツ軍は日本にイギリス軍への攻撃を依頼してきたので、イ号潜水艦4隻がマレーシアのペナンから出撃した。
島に近づいたイ号潜水艦隊は連合国側のクイーン・エリザベス級戦艦一隻、巡洋艦一隻を確認した後、北端のディエゴ・スアレス港内にやすやすと侵入し、新式魚雷を発射すると、戦艦ラミリーズの左舷と大型油槽船ブリティッシュ・ロイヤルに命中し、 2隻を轟沈大破するという大戦果を挙げた。
一方で晴嵐を使って千島列島の偵察業務にあたっていた海江田とセルゲイは明石総督からの呼び出しを受けて、総督室に向かうエレベーターの中にいた。
「今度はいったいどんな話だろう」
 「またわくわくするような話だといいな」
「そうですね、連合軍がフランスのノルマンディーに上陸作戦を準備中ということですから、意外とドイツあたりからの話かもしれませんね」
扉をノックして室内に入ると、明石総督に促されて座ったが、床から積み上げられている大きな金塊の山に目が奪われ二人は夢見心地だった。
相変わらず、葉巻のいい香りがする。
いい香りは人を正気に戻してくれる作用があるらしい。
グラスに氷とシーバス・リーガルウイスキーを注いでから総督の話は始まった。
聞く二人が次第に高揚していくのを楽しそうに総督は見ていた
「君たちは遣独潜水艦作戦については聞いているだろう
 遠く離れたドイツ日本は、戦略物資及び新兵器やその部品・図面等及び両国の人材の相互輸送を成功させたわけだが、独ソ開戦によって連絡が途絶えてしまった
そこで相互の情報交換の手段として、潜水艦を使った作戦が生まれたのだ
日本は、最新の空母等の技術情報を送り、ドイツはレーダー技術、ジェットエンジン、エニグマ暗号機等の技術情報を入手したいという思惑で生まれた作戦だ
その基本的なルートは、日本~マラッカ海峡をへて喜望峰沖~東部大西洋~ドイツ占領下のフランスに建設された堅牢なUボート・ブンカーと呼ばれ厚い鉄筋コンクリートで建設されていた潜水艦基地までであったが、戦況の悪化でマダガスカル島への作戦に変更になっていったのだ」
 
初めて行われた第一次遣独潜水艦作戦は、伊号第三十潜水艦をもって無事フランス・ロリアン入港 (Lorient)を果たしたが、復路のシンガポール港にて撃沈されてしまった。
第二次遣独潜水艦作戦は、ドイツが無償譲渡するUボートU1224号をドイツから日本に回航する要員60名を乗せ、フランス・ブレスト無事入港。復路も成功し日本に最新式ドイツ潜水艦のウーボートをもたらしたのだった。
しかし第三次遣独潜水艦作戦では、往路の東南アジア地区のマラッカ海峡にてイギリス海軍の潜水艦に撃沈された。
それらを挽回すべく行われた第四次遣独潜水艦作戦は、技術将校など総勢17名をのせ、シンガポールを出港し、フランス・ロリアン入港に成功したものの、復路はロリアンを出航後のシンガポールでアメリカ海軍の潜水艦に撃沈されてしまった。
この作戦ではMe163型ロケット戦闘機に関する資料が、途中で降りた海軍技術少佐によって少しばかりもたらされ、のちにロケット戦闘機 日本名・秋水の開発に活かされたのだった。
この資料によって、ロケット戦闘機秋水こそが日本の当時の戦況悪化を物語っていたが、これが完成すれば、高度1万M以上を飛行して爆弾投下のために飛来するアメリカ空軍のボーイングB―29の迎撃が、超高度からの垂直降下によって可能となることから、日本軍にとっては喉から手が出るほど望まれていた戦闘機であった。
しかし数々の実験後は、三菱302号機秋水は首都防衛のために高射砲部隊や航空教育隊のある千葉県柏飛行場に移され、飛行第70戦隊にて飛行試験を行っていたが、ついにロケットエンジンの開発は間に合わなかった
そこで第五次遣独艦は、この失敗を挽回すべく任務を与えられたのだった。
「この作戦にはわが研究所も極秘任務を帯びて参加するが、両君には今回の任務はマダガスカル島を経由してフランスのロレアン港まで行ってもらいたいのだ
もちろんこの作戦は、連合軍側の警戒と暗号の解読がかなりの確率で高まってきたということを鑑み、これを陽動作戦として我々のイ号潜水空母は、第5次遣独潜水艦とは別行動で作戦の成功を期してもらいたい
先行する潜水艦には軍事物資とUボート及びロケット戦闘機メッサーシュミットMe163Bなどの報酬として金の延べ棒146本、約2トンを積んでいくことになっている。まあ2トンの金額といえば現在の価格で約450億円ぐらいにはなるだろうがね
こちら側からは晴嵐2機 海軍の技術情報と生ゴム、錫、タングステン、アヘンなどの軍事物資などを提供することになっている
それから帰路はマダガスカル島からロケット戦闘機Me163Bを積んできてもらいたいのだ」
ふたりは、明石総督の話があまりにも現実離れしているため、俄には信じられないでいた。
何しろマダガスカル島までは少なく見ても、22000km(日本列島の7倍)もあるのだから。
明石総督はそんな二人を楽しそうに見つめながら、この作戦の成否がこの大戦の成否を分けることになるだろうと考えていたが、この2トンの金塊の出所がアメリカであることはもう少し伏せておくことにしようと思いつつ、若者が担う未来への不安も感じていた。
やがて先行するイ号潜水艦は、無事に赤道を通過したのち一路フランス北西部に位置するブルターニュ地域圏のロリアン軍港を目指した。
しかし戦局の悪化が続き、ついに連合軍はノルマンディー上陸作戦を決行したので、日独両軍部は計画を変更し、ドイツ海軍潜水艦U530ユーボートとイ号潜水艦は、北西アフリカ大陸の沖合数百km大西洋の沖合に位置するカーボベルデ諸島で邂逅する作戦に変更となった。
積み荷を交換後ユーボートは素早く潜航し帰路に就いたが、レーダー設置に手間取ったイ号潜水艦は撃沈されてしまった。
一方基地を出発した3人は艦長室で、驚くべき報告を受けていた。
「残念ながら先行したイ号潜水艦は、どうも撃沈されてしまったようです」
二人は声もなく聞き入っている。
「つまり連合国側に今回の秘密作戦の暗号が傍受され、残念ながら解読されていたようです
そこで、総督からの無電によれば本艦は作戦を継続し、ロケット戦闘機を是が非でも連れて帰ってほしいとのことでした」
しかし、日独伊三国同盟はもう崩壊の危機に瀕しており、今までのイタリアは大正末期ムッソリーニが王政後期のイタリア政界で第一次世界大戦従軍後に同じ退役兵を集めてファシスト党を結成し、一党独裁政治によってファシスト体制を構築すると、エチオピア帝国への侵攻を開始したが、英仏と対立を深め孤立したため、ドイツと接近し枢軸国を形成し、アルバニア侵攻を行い植民地支配によって自国の経済を復活させようともくろんだ。
そして第二次世界大戦においてはドイツと共に参戦し、北アフリカバルカン半島に侵攻したが、連合国側の強い抵抗によって戦線は停滞を続けていた状態だったが、やがて連合国軍はアフリカ上陸作戦をへてシチリア島に上陸することに成功した。
当時遅れた先進国と呼ばれていたイタリア王国は、それまでにエリトリアソマリランドリビアを獲得していたが、その後のイタリア王国は外交的には三国同盟に加わったが、アフリカの植民地を保持する目的で英仏との三国協商とも関係を築くという二枚舌外交を行い、さらにアフリカの植民地を拡大しようとしていた。
しかし第一次大戦後のイタリア王国は戦勝国として列強五大国の一つとされたものの、獲得した領土はわずかにとどまた不満が、その後の恐るべきファシズムの台頭につながったのである。
しかし第二次世界大戦も末期になると、イタリア王国は自らの存続のためにムッソリーニを切り捨てて休戦を考えるようになり、ついにムッソリーニは失脚した。
日本の上層部は全くそのようなことは、知らせてくれない。
「現在の状況の深刻化を考えた時、軍部をはじめ国民の誰もが知らないんじゃないか、もっと世界的な歴史の知識を持つ地球人の育成が必要なんじゃないだろうか
そして今後日本はどうなるのだ」
ごちごちの国粋主義者であり大日本帝国陸軍の軍人である海江田からの言葉に、
二人は顔を見合わせて、少し微笑んでうなずきあった。
「イタリアいえムッソリーニの運命を決めたのは第二次世界大戦に対する情勢判断でしょう
翌年連合国軍がイタリア本土上陸するという危機感から国王側はムッソリーニを逮捕・幽閉しましたが、一番驚いたのは彼でしょうね
そして後継のバドリオ政権は連合国との休戦条約とイタリアの降伏を発表したので、この動きを察知していたドイツはイタリア北部に侵攻占領し、ヒットラーの特命で幽閉先から救出したムッソリーニを首班とするイタリア社会共和国を傀儡政権としてイタリア北部に建国させたのです
まるで満州国と同じような成立過程ですが、結局北部のイタリア社会共和国はドイツの支援を失うと崩壊してしまいました
あれほどの権勢を誇ったムッソリーニはスイスへと撤退するドイツ軍に紛れ、逃亡を試みましたが、昭和20年1945年連合国軍に援助されたパルチザンに拘束され、法的裏付けを持たない略式裁判ののちメッツェグラ市で妻のペタッチと共に銃殺されると、生存説を退けるために遺体はミラノ市のロレート広場に吊されたのち、無記名の墓に埋葬されたのです」
「なんということだ」
しかし今、潜水空母はマダガスカル島に向かって深く潜航しているのだ。
戦争が何を生むのか、何のために戦争するのか。
イ号潜水空母は自慢の航続距離の長さと、その性能を発揮して無事にマダガスカル島に到着し、掩体壕に深く秘匿されていたジェット戦闘機メッサ―シュミットMe262と、レーダー式逆探知機を無事装着することに成功し金塊2トンを届けるべく出港した。
そして再び、驚くような報告が艦長からなされたのだった。
昭和18年1943にドイツの終戦間際のベルリン攻防戦の最中に起ったヒトラーと愛人の自殺が引き金となってナチス政権は事実上崩壊し、ドイツの第二次世界大戦は終わった。
 ドイツ降伏の知らせを受けた海江田たちは、マダガスカルからフランス北西部に位置するブルターニュ地域圏のロリアン軍港を目指す途中だったが、艦長室で、世界で最も高いワインとして知られている、フランス・ブルゴーニュ地方のドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティが生産するロマネ・コンティを開けながら、艦長は言った。
「これ一本で300万円はするらしいです 」
とりあえず3人は、グラスをくるくると回転させてワインの香りと味を楽しんだ。
「ヒトラーもムッソリーニももういません
このワインを飲むのは、こうして生きている私たちだからできることですね」
何に乾杯か、むなしくそれでも乾杯して3人はロマネ・コンティを飲み干すのだった。
「ここに、ロケット戦闘機と金塊はあります
しかし日独伊三国同盟のうちイタリアとドイツはすでに降伏してしまいました
 我々はこれからどうするべきなのか。連合国側に降伏したほうが良いのではないでしょうか」
 長い沈黙が流れる中、明石総督からの無電が入電した。
「なんとしても、無事にジェット戦闘機メッサ―シュミットMe262と金塊2トンを持ち帰るべし」
「いつの時代も、独裁者の最後は哀れなものですね ロシア帝国のニコライ2世の最後に彼らは学ばなかったのでしょうか」
セルゲイの問いかけに思わず海江田は語りだした
ドイツ・イタリアと違って日本という国は過去1000年の間他国に武力で侵略占領を受けたたことがない また織田・豊臣政権はモンゴル帝国やローマ帝国の再現を志したものの、それら無駄な戦いを教訓として徳川幕府は360年もの長きにわたり鎖国政策を行い平和を維持してきた
しかし、鎖国と言うが実際には鎖国などしていない 長崎で訓練を受けたからわかるが、幕府は長崎の出島を中心にして諸外国とは貿易を通じて交流があったわけだ 学者が翻訳するときに間違って鎖国という言葉を使ったから、それが定着してしまったんだ
なぜその間違いを直さないのか、教科書にも鎖国と書いてあるし、とても不思議だ
しかし誰も言わないが、この日本は奇跡のような対外国戦争における勝率を残しているんだ」
 
「え、どういうことですか 」
「まあ、1270年頃、鎌倉幕府が日本を統一した国家としてからの戦争としてだが、ざっと
★鎌倉時代 元寇 日本が撃退2度で2勝
★応永の外寇 朝鮮対馬への侵略 3勝目
★文禄慶長の役 日本敗北1敗
★文化露寇(ぶんかろこう)文化3年 1806 ロシア外交使節が北方領土攻撃勝利後撤退 ロシア撤退2分け
★台湾事件 明治7 台湾原住民日本漂流民攻撃 派兵 日本勝利4勝目
★日清戦争 日本勝利 5勝目
★乙未戦争 日本は台湾割譲のための派兵 6勝目
★義和団事件  明治33年日本連合国側派兵 7勝目
★日露戦争   日本勝利8勝目
★第一次世界大戦 日本9勝目
★シベリア事変 第一次世界大戦 連合国出兵 10勝目
★満州事変 関東軍満州占領計画開戦 11勝目
ざっとみて、対外国戦争 11勝1敗2分け 
しかも明治以降大日本帝国としては8勝全勝というすごさなんだ」
「えええええええ!おおおお!
なんですって!まじで、すごいじゃないですか!こんな戦績を残しているのは本当に日本ぐらいです
そりゃあ、神風が吹くだのと考える人が出てきてもおかしくないですね」
「だろう、この飛ぶ鳥を落とす勢いのまま日本は念願かなって第一次世界大戦後は英仏米伊と並んで世界列強5大国の仲間入りをしたんだが、ちょっといい気になっていたんだろう
好事魔多しというのか、何を思ったか、昭和8年国際連盟を脱退してしまったので国際連盟の常任理事国でもなくなってしまったんだ 」
3人の深いため息が漏れた。
「もったいない!折角つかんだ世界ビッグ5なのに自分から降りるなんて
なんて馬鹿なんだろう
そして戦勝国が、常任理事国の席を占めるとこれまた、おかしな方向へ世界は向かうような気がして心配だ」
つぶやいてから、慌てて背後をうかがった自分を笑った。
「もしかして、この戦争でイタリア・ドイツに次いで敗戦を迎えたら近代国家になって初の敗戦となりますが、どうなっちゃうんでしょうね
なにしろどこの国でも、占領された彼らの恨みは深いものがありますから
今回の連合国側は市民感情というものに大変な気を使うでしょう
特に日本では竹やりでB-29に勝とうとしてるぐらいですから」
「そうだ。だから連合国が恐れているのは、もし日本に上陸した場合 上陸した瞬間から女子供老人までもの1億人の日本人がやり・刀や爆弾を抱いて連合国兵士に向かってくるのではないかという強烈な恐怖だ
この戦争を早く終戦に導くために、連合国特に太平洋の隣人アメリカ合衆国が苦悩しているだろう もしかしたら占領政策は、日本人を懐柔し日本列島ごと防共の鎖にする計画のためにおいしいミルクと肉やにバターが与えられるかもしれんがな
そして日本人を太らせて、精神的に骨抜きにしたうえで健康寿命を短くするという秘密計画が・・・これは考えすぐだな」
ははっと海江田は力なく笑った。
「この混沌とした世界の中で、日本という国の独自性を維持し、恒久的な平和を維持する方法を模索してほしいものだが・・・
しかし今の日本では、不思議なことに誰もそのようなことを言わない」
それでもイ号潜水空母は2トンの金塊とジェット戦闘機を積んで色丹の基地めざしていたが、途中で長崎・広島に原子爆弾が落とされたことを聞いた。
さらにソビエトが不可侵条約を破って突如参戦し、千島列島も占領されたことも聞いたのであった
14、風呂間児童養護学校
 彼はいつも昼休みになると、養護学校近くの丘に登ってはるかな海を見ているのが常だった。
天気がいい日は手が届くぐらいに色丹島が見えた。
彼は、アレクセイ・イノコというちょっと風変わりな名前の少年で、少し縮れた黒髪の少し陰のある青色の瞳をしていた。
父は養護施設の校長で代々・猪子止戈之助(いのこ・しかのすけ)を名乗り、祖父は京都帝国大学医学部を首席で卒業しボート部のキャプテンも務めたという熱血漢で、卒業後は京都府医学校の校長と大津病院の院長を務めていたという。
なんでも、明治時代に起きた大津・湖南事件ではロシア帝国のニコライ皇太子の怪我を治療したということと、猪子家の男たちはみな京都大学ボート学部を卒業したことを終生の誇りにしていた。
はいはい、それがどうしたんですかと、彼はいつも草をむしっては茎を咥えていた。
「俺には、かんけーねーし」
しかしここの授業体系はとても変だったが、面白かった。
まず、学校は完全寄宿舎制で年齢は10歳から18歳までで一クラス30人の男女が学んでいたが、学年は9学年で各学年3クラス編成で国籍は雑多で世界中の子供たちがいた。
敷地面積30万坪を誇る広大な学校の中には山や川もあった。学校としての規則もとても変わっており、自己責任の4文字だけだった。
またこの養護学校の特徴の一つに10万冊を誇る世界的にみても貴重な蔵書と、国会図書館をはじめとする世界中の図書館とPCでつながれている点があった。
そのため、携帯電話ではレポートが書きにくいという理由から図書館のPCは24時間使用することが認められており、外出時は特に緊急連絡を兼ねて基地局を介さない衛星型のスマホの携帯も認められていた。
さらに、それらを完全サポートするのは屋内用のコミュニケーション型の2輪独立走行のAI搭載ロボットが行っており、愛(AI)先生という愛称で呼ばれていた。
また学内には0歳から9歳までの幼児舎もあり、進級進学先等は自由だった。
特に不思議なことは、年度の途中での、転入生や転出生も多かったことだがここではだれもそれを気にしなかった。
6人ずつの2段ベッドの各居室で生活し、学年が変わるときのクラス替えはなく、一度編成されたクラスで9年間の濃密な学校生活を送るのだったが、特定の教室がなく多くの広間や校庭などで授業が行われることも多く、何の前触れもなく場所は変更されたので、遅れないように教場に集合するための情報収集能力が問われるのだった。
つまり任意な場所に教師が来て授業を始めると、生徒たちがわらわらと集まってそれぞれが好き勝手授業を受けるのだが、質問や退出入など完全自由だった。
さらに授業は完全選択制で、生徒が好きな科目や教師を選んで教えを受けるという方式で、途中での科目の変更や教師の変更も許されていた。
テストはないが、教師の好みでいきなり実技や紙一枚一問題のレポートの提出を求め、2から3か月ごとに成績の順位が発表された。
そして、好きな科目と得意な科目の両方から1科目ずつ選択し終生の専門科目を決めることが求められたが、面白いことにどちらか一方の科目が、セカンドキャリアのためとして選択するには、一つのキャリアが終了してからでは遅すぎるとして、パラレルキャリアとして同時並行的に学んでいくことが求められたのだった。
教師構成が最も変わっており、メンサ(MENSA)と呼ばれる、全人口の上位2%に入る高い知能指数(IQ)を持つ人々で構成される国際的な非営利団体から派遣されて来たものや、ノーベル賞受賞候補者、高名な舞台俳優や歌手などのあらゆる分野の芸術家、定年後の名誉教授、大企業のットップから軍隊の特殊部隊の隊長、漁師・猟師を含めた狩人までもおり、時には生徒の要求で特に求められてくる業種出身の教師もいた。 
特に力を入れていた語学と称する授業は選択制ではなく必修制で、日本語・英語・母国語 つまり標準的な日本語と方言の感覚で他国の言語を同時に学んでいくのだ。 
例えれば馬は、馬っこであり、ホースであり、ロシア語でローシャチという風に覚えていくのがごく普通だったし、筆記よりも会話に重点が置かれているという具合だった。
日本語の漢字は特に熟語カードを使って行われたため、難解な漢字も書けなくても読めることに不自由はしなかった。
さらに体育という授業は明治時代の誤訳が国策の富国強兵策とあいまって、強い兵隊が求められていたため、体を育てるという体育という意味表現では、各人の心の成長が促せないとして、心身ともに育成が図られるスポーツという呼称で、あらゆる種目が用意され主にシーズン制がとられたが、通年での履修も認められていた。
とくに武術の中では体格や体力があまり求められない合気道が人気を集めていたが、男子には和洋の剣を使う授業が人気だったし、特にスポーツの言葉が持つ余暇を楽しむという性質上、ハイキングや乗馬・自然観察などの余暇を楽しむという科目もあった。
周りをすべて海に囲まれた日本における水泳の授業は特別に重要視されており、キャンパス内には水深20mを超える深さのプールがあり着衣での立ち泳ぎの練習も行われたが、海で行われる着衣での遠泳が必ず夏冬行われ、生徒の不人気科目NO1を占めていた。
その遠泳には江戸川大学の古城名誉教授の考案した、ヒラールという世界5番目の泳法なるものの習得が義務付けられたが、これは呼吸を確保するために上半身は平泳ぎで、下半身はクロールという泳法で、早さよりも長距離を泳ぐ場合に有効とされた泳ぎ方だった。
水泳が出来ないものは9割が呼吸法を習得していないからだという方針で、大概の生徒は2時間もあれば呼吸法をマスターし楽に500mを完泳することが出来た。
その呼吸法は水中でブクブクっ!と息を9割がた強く吐くことで、肺の空気をほぼ9割がた押し出して、体が酸素を求める状態にし、口の中の残った酸素と水分を空中に大きく吐くことによって、慌てて口の中の酸素とつばなどの水分を吸い込みむせることを避けると同時に、肺に異物の混入を防ぐため次の呼吸が楽になるというものだった。
 水泳困難者の多くはこの呼吸法を教えられずにいきなり、クロールなどの型を泳がされるため、肺に入ったそれら水という異物でむせ返り、本能的恐怖から泳ぐことをやめてしまうものが多かったのである。
つまり、教え方の良しあしが結果を決めるというコーチング方法をとっていたのである。
さらに春秋には校長の肝いりで始められた、海用に考案されたエイトと呼ばれる8人漕ぎ艇でのボートレースが開催された。 
種目は学年を問わない男女混合種目・男子種目・女子種目があり1000mのスピードを競うものだったが、それとは別に漕ぎ手8人の構成年齢が10歳から11歳、12歳から13歳、14歳と15歳、16歳から18歳までそれぞれ2人ずつが選抜されたエイトのボートレースが行われ、クルーと呼ばれる乗組員全体で没ヒーローの完全協力主義で、フォア・ザ・チームの協調性が求められ、さらに艇のかじ取り(乗艇中は船長を兼務)であるコックスは体の小さいもののために年齢制限は求められなかった。
特に体の小さな生徒にはクルーの頭脳であり、戦術戦略の構築という軍師的な活躍の場が与えら8人の漕手のポジション決定権もあたえられていた。
近年のオリンピックなどで他競技が団体戦と称する種目を採用しているのは、まさにボート競技の一致団結という精神の習得が世界平和に寄与してほしいという願いである。
また春秋には、食料等を持参しない3泊4日のハイキングが行われ、それぞれのクラスは食料の現地調達と炊事を行わなければならなかったが、食料調達には、山菜等の知識や、罠猟の知識及び山野でのテント張りなどの知識も求められるというサバイバル行動に近いもので、卒業旅行は学校の所有するクリッパー型高速帆船・晴嵐丸での樺太および千島列島をふくめた北海道一周の船旅が行われるのだった。
国家間の戦争を中止する目的で行われた古代オリンピックが、ローマ帝国の暴君ネロなどによる勝利の捏造事件やローマ帝国の衰退という事情から大会が行われなくなってから約1000年の間は、人々はブラッディ―スポーツ(流血を伴う競技)と呼ばれた暗黒のスポーツを行っていた。
その種目には、闘牛を代表的なものとしクマ・ライオン・牛などと対人間の流血と死という結果を伴うもの。
狩猟の形をとり多くの犬を使って獲物を追い詰める形のもの。
腹部を割かれた動物がどのくらいの距離を逃げるかを競うような種目や、一定時間に何羽の鳥を撃ち仕留めることが出来るかを競うような内容だったし、そこには賭けという強いギャンブル性が認められたのだった。
そしてしばらくしてから、普通の人々も余った時間を活用して楽しむということを考え出し、時にはトランプのようなカードゲームであったり、郊外に出かけるピクニックなどが行われたが、やがて陣地の取り合戦やボールを使っての点取り合戦・道具・生き物を使っての競馬・ドッグレースなどの時間競争などが行われるようになっていった。
そして産業革命を経て当時世界最強の帝国を築き隆盛を誇っていた大英帝国では、それらの楽しみがユダヤ教やキリスト教などの労働を休み、神を礼拝するために設けられた安息日(あんそくび)などに行われたが、そこに教育的価値を見出した教職者たちが学校教育の現場にスポーツという形で 若者たちを善導するために導入していった。
そのような余暇は、やがては競技として形を整え、ルールが決まりったスポーツという形で人々が楽しむようになっていった。
そしてイギリスにおける子供たちの姿を学校のグランドや競技場で見たクーベルタン男爵は、当初軍人であったが教育者として敗戦で疲弊していたフランス復活のために歩みだした。
近代オリンピックの父と知られるクーベルタン男爵は、当初フランスが敗戦のための賠償金の支払いに苦しみ、国中の青少年たちが暗い時代を送っていることを救いたいと考え、近代スポーツの発祥地とされるイギリスで貴族の青少年たちが、学校の授業で行っているスポーツを見学した時に感じた、強いイギリス軍の基本はこれらグランドから生まれるのだという思いを強くした。
さらにイギリスのロンドン郊外にある、マッチ・ウエンロック村(Much Wenlock人口約3000人)である牧師の提唱で行われていた現在の競技大会の原形のようなもので、男女の区別なく行われることや、メダルを授与するなどの方式から、近代オリンピック誕生へのヒントを得たといわれ、この競技会を見学した感動が、古代オリンピックの精神と融合し近代オリンピックの創設という構想を得たといわれている。
その古代オリンピックの精神は、都市国家間の戦争を中止しても行われたオリンピズム(精神)として現代に伝わっている。
・スポーツを通して心身を向上させる。
・文化や国籍など、さまざまな差異を超えて理解し合う。
・友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でより良い世界の実現に貢献する。 
この理念は現在もオリンピック憲章の根本原則として受け継がれている。 
 
当時、産業革命を成し遂げた大英帝国イギリスは、世界最大の植民地を保有しており、その世界に散らばった植民地の面積を合計すると世界の4分の一が領土であったという。
それら世界中に散らばった植民地を管理するために少ない兵力で管理する方法として、駐屯地軍のトップにすべての権限を与えた。 これにより無線もない時代において、植民地のイギリス軍は本国の了解指示なしに現地の人々と協力して植民地を管理するという独特の方法を編み出すことにつながった。
つまり、イギリス発祥のスポーツである、ラグビー・ボート競技などにおいては、いったん試合が始まると、作戦タイムというような時間はない。
 またコーチや監督も試合に介入することはできず、全て主将を中心とした選手たちの判断で進められるのだが、それは植民地での出来事はすべて現地の人間が解決しなければならなかったからだが、それは無線のない時代に本国の方針をうかがっていては、現地の変化についていけず全滅の危機に陥るからであったし、まさに事件は現場でおこっていたからである。
あーでも、なんか楽しかったなとアレクセイは思い出し、にやにやしていた。
そして、アレクセイ・イノコは幼稚舎の8歳のころの出来事を思い出していた。
特にアレクセイは風変わりな少年で、大勢の仲間の中でも感情というものを全くあらわさないというか、恐怖や喜びの感情すら持ち合わせていないようだった。
時に人は、つらい過去があるとその記憶を強制的に封じ込めて全くないものとし、心の平安を保とうとするが、彼にはつらい過去の記憶そのものさえなかったのだ。
夕日の当たる屋上の四角いフェンスの上をくるくると、いつまでも一人で歩いているという姿がよく見られていたし、寡黙で人と話こともほとんどない暗い青色の目をした少年は、授業中に間違って小刀で自分の指を傷つけたときも、滴る血液を不思議そうに見ているというふうだった。
養護学校にはそんな彼のように比較的協調性が乏しいとされる児童生徒も多いことから、彼らのために学内には厩舎での牛馬や豚羊などを、飼育を希望するものが完全に面倒を見るという条件で飼育されている生物は、犬猫を含めて多くが飼われており、さながら動物園のようであった。
猪子校長が言う、彼らは言葉がしゃべれないからこそ、彼らの心を理解しようとすることが、コミュニケーションの基礎であり、相手の心を察することがすなわちコミュニケーション学なのだと。
そんなある日、猪子校長は一匹の子犬をだっこして生徒たちが陽だまりでまったりしているところに来た。
「さーみんな、このわんこは裏山で迷子になっていたので、うちに来るかいと聞いたら来るというので一緒に来たんだ」
「うーん、誰が友達になるのかな」
校長の連れてきたわんこは、一見アイリッシュ・ウルフハウンドのような風貌であったが、黄色を帯びた体毛の中にブリンドルと呼ばれる差し毛が混ざっていた。
わんこは丸く車座になって座っている彼らを見ると、一度校長を見てから彼のうなずくのを確認するようなしぐさで静かに立ち上がり、ポテポテとアレクセイの前まで来ると何の躊躇もなく彼の胡坐の中に丸くなり座り込んだ。
「おおっ。アレクセイ、わんこに選ばれたね 」
「これからしっかり面倒を見てやってくれ、愛は交際の頻度数によるからね」
アレクセイは珍しいことに半分驚いた様子をみせて、この生き物をよく見ようとのぞき込むとワンコになめられてちょっと微笑んだ。
アレクセイの心にさざ波が少したって、暖かいものを少し感じたようだった。
人は愛されたことがなければ、愛することはできない。
人に飼われた生き物は自ら餌をとることが出来ないので、飼い主は自分の事は二の次にして彼らの世話をしなくてはならず、風雨や嵐・豪雪にも優先して散歩を行うということこそが、無償の愛というものなのだ。
陽だまりにいた彼らは、ひらがなとABCカードを使ってアナグラムという文字を入れ替えて単語を作るという遊びをしていた最中だったので、わんこの名前を決めようということになった。
彼らが使っていた文字カードを見たわんこは、ちょこちょことカードに歩み寄ると、少し考える風を見せて改めてS・E・R・G・E・Yとならべると、少年たちは驚きあきれ、セルゲイ!セルゲイ!と連呼するのだった。
その日以降、アレクセイとみょうちくりんなわんこのセルゲイは新友から少し親しくなった親友を経て心の友である心友になった。
お風呂もトイレも一緒に行動するのだったが、犬の成長は早い。
一年もすると、立ち上がったセルゲイはアレクセイをはるかに追い抜き、4本足での体高は98cm 体重90kgの超巨大犬になったのだった。
15,僕のあしながおじさん
そんなある日アレクセイは猪子校長から呼び出された。
彼は妙に堅苦しくて、タバコ臭い慇懃な校長が嫌いだった。
「きみは幼稚舎から普通部に進級するのかね」
「ええ。そのつもりです セルゲイと一緒ならということですけど」
日常生活の中では時折アレクセイが、セルゲイの頭をペシリと撫でると、少しきつめに嚙み返されて顔をしかめたりするのをみて、仲間たちは笑ったものだったが、それはつまりただの主従ではないことを示していた。
「もちろんだよ、もう二人は心の友のようだから」
「では、セルゲイと一緒に近況報告に行ってくれたまえ」
「?????あっ!とうとうおじさんに会えるのですね」
アレクセイは、常々聞かされていた、あしながおじさんというパトロンのところだなと思いついた。
「わかりました これから行ってきます」
ワクワクしながら、返事をしたアレクセイは、早く行こうとぐるぐると走り回っていたセルゲイに待ってくれと声をかけるとセルゲイに導かれて、校長室の横にある大きな本棚にむかうと、光のカーテンを浴びた。二人は目の前の本棚が薄い紫の煙を吐きながら左右に開くのを見た。すると現れた重厚な古いタイプのエレベーターに向かった。
古風な形のエレベーターだったが、生体認証システムが作動しておりアレクセイはまた光を浴びて少し驚いていた。
やがてエレベーターは下方に急降下してから、驚いたことに横に移動を開始し徐々にスピードを上げたと思ったら減速して停止した。
ドアが開くと、そこには巨大な広場を見下ろす所に丸いベランダと手すりがあったので前に進んで、下を覗き込んだ。
「そうかここも地下の地熱発電所からの電気で動いているんだ」
そこから背伸びをして遠くを見るとまるで大きな事務所のようであり、奥には何かの工場なようなものが続いていた。
手前には、コウセイ号と呼ばれる中型の戦車が控えていたが、島の土壌に合わせてキャタピラの幅は狭くいかにも高速で運転ができ小回りの利きそうな形をしていた。
さらに、背面には亀の甲のような丸い球体から無人ドローンが放出されるようだ。
きっと丸い甲羅で、土手の上からは転がってすすむことも想定されているのだろう。
九五式軽戦車と呼ばれていたこれらの車両は、第二次世界大戦終了後に日本の復興のために武装解除されブルドーザーなどとして日本各地で使役されていたものを密かに回収し、半電気式中型新戦車として生まれ変わっていたのだった。
ただし、ただのEV電動自動車((Electric Vehicle)とは異なり、局地での戦闘に対応できるように、モーターとバッテリーを動力源とし、太陽光を含めた外部からの充電で走行する車両としてのBEVと、エンジンとモーターを併用するHEV(ハイブリッド)タイプと、最終局面では自動操縦で敵車両等に攻撃が行えるタイプの、水素で発電するFCEV(燃料電池車)など種類が製造されていた。千島列島のような島嶼部それぞれの地形に合わせた車両が運用できるようになっていたのだった。
多くの人々が忙しそうに立ち働いており、アレクセイは初めて見る働く大人たちの雰囲気に圧倒された。
「これが働くということか、でもなんか楽しそうだ」
耳を澄ますと多くの言語が当然のように飛び交っていたが、異なる言語が同じ言語として話されているのを見ると、まるで世界がこの空間に同居しているように感じられて、言葉の壁などという感じは全く受けないのだった。
「僕も働いてみたいな、今まで学んだことは役に立つのだろうか」
「そうか いくら得意だからと言って人並みの腕になるには時間がかかるんだ」
下に降りて、中央通路を先に進むと、いたるところから、やあセルゲイ 今日はセルゲイと声がかかる。
不思議に思って、セルゲイを振り返って見たアレクセイはその驚きを終生忘れることはなかった。
そこにはいつものウルフハウンドがこちらを見ながら静かに立ち上がり、全身の体毛が光を発しながらのスーツ姿で、黄金のストライプのネクタイをした姿に変身した金髪で緑色の瞳を持つ青年が立っていた。
 身長は優に6フィートを超えて、よく鍛えられた鎧のような筋肉を身にまとった青年は、ぽつり、涙を流しながらささやいた。
「坊ちゃん。ようやく会えましたね、100年も掛かりましたが、もう離れませんよ」
巨大な拍手と、万歳!Hurrah!(フラー英語)Vive!(ビーブ仏語)Ypa!(ウラ―露語)などの歓声に包まれてアレクセイはセルゲイに肩車されたまま前に進んでいった。
「君は何者 僕はだれ ここはどこ どこへ行くの」
「坊ちゃん 万歳は初めて聞いた言葉でしょう 明治時代に東京帝国大学のボート部の学生が他国のHurrahのような感動した時に出る言葉が日本にはなかったことから発明されたそうです さあ乗ってください」
目の前には地面から浮き上がってきた、風防に覆われたバイクのような乗り物が姿を現した。
エンジンの音はしない。 磁気で浮き上がっているのではないだろうか。
そんな疑問が次から次と浮かび上がり、セルゲイに投げかけようとしたところで、乗り物は高速で音もなく前に進んでいく、彼は左右を見ながらセルゲイの背中に夢中でしがみつき、ワクワクする自分を発見し驚いていた。
「僕の心の中に、こんな感情があったなんて」
先に進む青い光の両側には、いろんな形の乗り物らしきものが見えては消えていく。
バイクがあり、4WD車両があり、トラックや6輪駆動車まであって、UFOのような形をした戦闘機と、銀色に輝く巨大な潜水艦までもがあったような気がした。
そして、突然二人が乗っていた全体を風防で包まれたバイクのような形の乗り物は、音なしのまま風を切りつつ上空に浮かび上がると、ゲートの前に音もなく留まった。
風防が開き、降り立った二人の前の重厚な扉が開いた。
そこは、床から天井までぎっしりと本がならんだ巨大な書庫のようであったが、大きなテーブノの向こうに巨大な出窓があり、黒い海と白い波、青い空が広がっていた。
まぶしい光の中にカモメも飛んでいた。
冷静に観察する自分に驚きながら、セルゲイの手元を見ると、左の手首に巻かれたバンドのボタンを押していた。
デスクの中央に巨大な光の画面が浮かび上がった。
画面が少しチラチラしている。
こちらを向いている画面の男は、挨拶した。
「セルゲイ、ここに私が浮かんでいるということはようやくニコライが成人し、時が来たということだね」
「長いようで、短かった気もする100年だった」
「君のそばにはセルゲイがいることだろう。私は間に合わなかったが彼は、脳をそのまま残したアンドロイドタイプのリアルな彼として君に会っていることだろう
うらやましいという感情を禁じえないよ」
うらやましい?それはどんな感情なのだろうと想像しながらアレクセイは言葉を待った。
「詳しいことは後程セルゲイから聞いてもらうとして、
私の名前は海江田という」
「明治に生まれ、大正昭和と生き抜いた生粋の日本帝国の軍人だ」
「その間に多くの戦いを見てきた」
「戦いは何を生んだのか」
「海江田さん、僕は何者なんですか」
「坊ちゃん、海江田所長はもう生きてはいません」
「彼の記憶が坊ちゃんに話しているのです」
「黙って聞いてやってくれませんか」
画面が、ジジッと鳴った。
「君の名前は、、アレクセイ・ニコラエヴィチ・ロマノフといい
ロマノフ家のニコライの息子アレクセイといい、母の名前は華というんだ」
「つまり今は無きロマノフ王朝のニコライ2世とお華さんとの間に生まれたので、君はニコライ3世というロマノフ王朝の正式な後継者になるんだ」
「お華さんは、それは美しい人だった」
「そのお華さんの父が、猪子止戈之助いのこ・しかのすけと言い、養護院校長の祖父にあたる人なんだ」
「そしてね、ロマノフ2世とお華さんとの間にできた受精卵は、つまり君だね
100年の時を経て受精卵の冷凍解凍技術の進歩により、10年前にようやくこの世に誕生したというわけなんだ」
 
16,ヤルタ会議
昭和20年1945年2月4日、ソ連南西部の現在はウクライナと呼ばれているクリミア半島のヤルタに、アメリカ合衆国ルーズベルト米大統領、大英帝国チャーチル首相、ソ連首相スターリンの三人が集まった。
 ソ連首相スターリンの思惑は、日ソ不可侵条約を破った上で無条件降伏をした大日本帝国の北方カムチャッカ半島のロパトカ岬から占守海峡を約12km離れた千島列島の北東端にある占守島(しゅむしゅとう)に、1945年8月の終戦直後にソ連が侵攻したことによって生じた「占守島の戦い」と知られている作戦の成功を前面に打ち出し、日本列島を4分割占領のときの北海道占領という布石にしたかったからである。 
この占守島の戦いは日本国民にはあまり知られていないが、終戦後の混乱期に起きた、大日本帝国陸軍と旧ソ連軍による激戦で、 8月15日の玉音放送後、日本軍が武装解除を進めていた8月18日未明、日ソ中立条約を破棄したソ連軍が突如として上陸を開始したことに日本軍が応戦、第5方面軍司令官が「断乎反撃」を命じたため守備隊の戦車第11連隊(士魂部隊)などが死闘を繰り広げた。
戦いの結果は日本軍が優勢で、ソ連軍に大きな損害を与えたが大日本帝国からの軍命により21日に停戦、23日に日本軍守備隊の優勢のまま武装解除した。
 その結果日本側の死傷者は約1,000人、ソ連側は約3,000人とされ生き残った日本兵の多くは不当にもシベリアへ連行され抑留された 。
戦後80年もたつとシベリア抑留(よくりゅう)という言葉を知る人も少ないが、第二次世界大戦終結後、旧ソ連によって旧満州や樺太、千島列島にいた日本軍兵士や民間人らが強制的に連行され、極寒の地で長期間にわたり過酷な労働を強いられた歴史的事実を指し、2026年現在も厚生労働省による死亡者の特定作業が続いている。 
その主な概要としては、抑留された人数は 約57万5,000人とも、約60万人とも言われる、その犠牲者は厳しい 極寒、飢餓、重労働により、約5万5,000人以上が命を落としたといわれている。
抑留期間は昭和20年 1945年の終戦直後から始まり、昭和31年1956年の日ソ共同宣言を経て最後の引き揚げ船が帰国するまで、実に最長で11年間の長きにわたり祖国に帰還することが出来なかった。
場所はシベリアを中心に、モンゴル、中央アジア、ウクライナなどソ連全土の収容所に分散されて、過酷な重労働を強制された結果多くの日本人が命を落としたのだった。 
あまり知られていない抑留生活の厳しい実態は、 零下40度を下回る極寒の中、鉄道建設、森林伐採、鉱山採掘などの重労働に、黒パンと薄いスープなどの極めて少ない食糧しか与えられず、常に飢餓状態に置かれた上に、 収容所内ではソ連当局による共産主義教育が行われ、日本人同士の密告やつるし上げなども発生するほどの生活を送らされたのだった。
当時北方における日本軍の陣容は、侵略に備えて精鋭をもって準備をしていた。
それは侵攻に対し強固な防御陣地を構築した上に、精鋭部隊を配備し急襲に十分な準備ができたことを意味している。 
総兵力  占守島 約8500人
主要部隊 第91師団 歩兵部隊 戦車第11連隊
装備   迫撃砲他多数
戦車   九七式中戦車など77両
航空機    艦攻機 8機 悪天候により不参加
特徴     要塞化した陣地の構築成功と精鋭の戦車部隊の配置
 
ソ連軍の陣容
ソ連軍は千島列島全島の占領を目的としていたが、急造の上陸部隊でありもともと海上作戦は不得手であった上に、戦車や大型軍艦は参加しておらず火砲並びに歩兵の数で何とかなると高をくくっていた。
総兵力  約8800人 海軍歩兵 ライフル2個師団
主力部隊 第101狙撃師団 第302狙撃連隊、海軍歩兵大隊など
艦艇   64隻の小型艦船・上陸用舟艇部隊
装備   火砲 迫撃砲  多数ただし、多くが揚陸時に失われ限定的支援砲撃
特徴  奇襲攻撃を試みたが、日本軍の強力な陣地と戦車攻撃に苦戦
 
この戦いは、兵力数こそ拮抗していたが、日本軍が戦車戦力と要塞防御を効果的に活用したことで、ソ連軍は計画外の激しい抵抗に遭い、多大な損害を出すことになり思うような戦果は挙げられなかった 
 
日本全面降伏後、米英両国から遠いクリミア半島のヤルタを会談場所に選んだのはソ連首相スターリンだった。
 この地を会談場所に選んだのは、当時アメリカ合衆国ルーズベルト大統領が、風邪のため体調がよくないという情報をつかんでいたため、さらに体調の悪化と自らの発言力を強めるために半ば強引に開催を決定したのだった。
この思惑にたいして大英帝国チャーチル首相は無力だった。
 もしソ連が参戦していなければ大英帝国はドイツ第三帝国による蹂躙占領虐殺を免れ得なかったからである。
一方チャーチルの苦しい胸の内を聞いたルーズベルト大統領は病身をおして船と飛行機と車を乗り継ぎ、息も絶え絶えに雪のクリミア半島にたどり着いたのだった。
なんとしてでも、この会談で日本列島の4分割占領は避けなければならい。
とくに北海道を共産主義者の手に渡したら、北海道を出発するソ連軍の脅威がアメリカ本土に直接向かうからである。
アメリカ合衆国建国以来200年間、アメリカ本土攻撃を許したのは大日本帝国の風船爆弾と潜水空母による空襲のみだったからで、戦勝国として世界最大の強国を目指す以上、それは許されないことであった。
17,超極秘映像は何を語る
セルゲイは深いため息をつきながら、またボタンを操作した。
そこに映し出されたのは古い映像だった。
第一次世界大戦後、世界のビッグ5となっていたイタリアと日本はすでに席がなく、新たに加わったのはソビエト社会主義共和国連邦という共産主義者の国家だった。
中国はいまだ国内での内乱が継続しており、スターリンは毛沢東を激励すると同時に日本4分割統治に同意する旨の内諾を取り付けていた。
この会談において秘密警察が、撮影した、ルーズベルトとチャーチル・スターリンの個人的会話が撮影された映像が初めて上映された。
無声画像トーキーでありながら3人の本音が字幕によって垣間見える恐ろしい映像であり、その過激な内容ゆえに世界未公開のフィルムである。
この映像を、見るにあたってセルゲイは唇の動きからさらに細かい言葉を拾って正しくニコライに説明した。
なおこの会談内容は門外不出とされているため、見たことがあるのはセルゲイと校長およびニコライの3人であった。
「まあ、あのちょび髭とほら吹き男はすでに死んだ」
「乾杯!」
「米国・英国・仏国・ソ連の4か国で行う4分割統治で日本を占領統治するということでいいじゃないか」
「乾杯!」
「世界を独裁主義者から守ったこの戦いにソ連が参戦できたことは非常に光栄であり、それに見合った戦利品が欲しいというものだが、ドイツのV型ロケットにロンドンを蹂躙され復興に苦しむチャーチル君どうだね」
「日本列島4分割統治にあたっては、まあイギリスは四国で我慢したまえ」
「フランスなぞ、肝心なところでくその役にも立たなかった」
「乾杯!」
「わずか2か月で降伏したんだから、ドイツの4か国分割で十分だろう」
「戦前のビック5はもうなく、米国ソ連中国英国のビッグ4でいいんじゃないか」
「今回の会談に出席はならなかった中華民国が近さから言っても、日清戦争の屈辱を払拭するためにも九州の統治が妥当だと思うが、どうかねルーズベルト君」
「今度の新国際連合の設立を決めるサンフランシスコ会議の前に、昭和20年1945年2月に交わしたヤルタ密約の約束を実行してくれたまえ」
ここでスターリンが言うヤルタ密約とは、ドイツ降伏後2から3か月でソ連が対日参戦することを約束した事実のこと。
「その見返りとして、樺太南部と千島列島を早々にソ連に引き渡してくれたまえ」
わはははっ がはははっ
「乾杯!」
「キャビビアがうまいじゃないか」
「特にレモン汁を垂らして食するのは、常識だがね」
「乾杯!」
スターリンはここで明記された約束が、国際的お墨付きを得たものであるから、終戦直後の8月に守占島を攻撃したのであると主張しているのだった。
ルーズベルトが恐れていたのはこの点である。 早くこの戦いの終息を見なければ、千島列島とアリュウ―シャン列島を防共の鎖にすることが困難になるだけでなく、せっかく安価で手に入れたアラスカ地区を強奪されるような事態が起こらないとも限らなかったのだ。
このときから、すでに後の東西冷戦の様相を呈していた。
「まあ、しかしソ連が参戦したのは日本が全面降伏した後である」
「乾杯!」
「しかもその戦いでは武装解除していた守備隊に体よく蹴散らされ、この軍事作戦は日本との休戦の後に日本兵(捕虜)をシベリアに連れ去ったというではないか」
「乾杯!」
「いくらヤルタでの密約があったとしても、国際法上認められることではないのではなかろうか」
「しかし原子爆弾の威力は絶大だな」
「今度は我が国でも持つことにしよう、先に原子爆弾を打たれたらかなわん」
「乾杯!」
チャーチルが、顔をしかめた。
机下でルーズベルトの鋭い蹴りがさく裂した。 何か言えと言っているのだ。
やばい、さすがにこのままでは植民地のすべてを失いかねん。
特にポーランド問題があり、このままでは共産主義の牙が欧州の真ん中に突き刺さる。
イギリスとしてはルーズベルトに協力し恩を売っておくしかないだろう。
「さすがに新国際連盟の創立を計画しており、そこには戦勝国として拒否権のある常任理事国の一つとして中国とともに参加していただく以上、終戦後の参戦を声高に述べられては、新生大国ソ連の沽券にかかわるというものでしょう」
がははははっ
「そうとも言える」
がははは
「乾杯!」
この会談で使用された帝政時代のリヴァディア宮殿は、クリミア半島の南部にあり黒海を望むソ連随一のリゾート地で、ロシア皇帝ニコライ2世の別荘(離宮)として建造されたことを知っていたチャーチルは、自分がニコライ2世の後継者だとでも言いたいのか、と思った。
チャーチルは随員として同行していた娘から、キャビアにはレモンが合うねと話したら翌日には宮殿の庭にレモンの木が植えられているのを見たという話を思い出していた。心中では欧米文化になめられたくなかったのだろう この田舎者めと思っていた。
「乾杯!」
そしてこの宮殿にソ連の秘密警察が盗聴器を仕掛けていることは、ルーズベルトとチャーチルはCIAとMI1を通じてすでに知っていた。
チャーチルは最近のルーズベルトに多少の危惧を感じていた。
大統領選前はあんなに第一次世界大戦の参戦でアメリカの若者を死亡させたことを悔い、絶対に戦争はしないと公約に掲げていたにもかかわらず、ニューディール政策で世界恐慌下にあり経済がどん底にまで落ちたアメリカ経済を救うためにという名目で、第二次世界大戦に参戦した。
そして日系移民を収容所に隔離したが、ナチスドイツのユダヤ人政策と何がちがうんだ。
せっかく、ムッソリーニに降伏条件を緩めてやるから枢軸国から早く脱退し降伏しろと説得の最中なのに、その努力が無駄になったと思っていた。
「乾杯!」
もしかして、少し高血圧によりボケが入ってきたか。
今回の参戦でアメリカ経済が奇跡の回復を見せだした途端、こんどはその反省もあり何が何でも終戦を急ぎ、全面降伏しか認めず、しかもスターリンに対日戦参戦を促すために大幅な譲歩だと。
そのためには、千島と原子爆弾の使用をはかりにかけるだと。
もはや、狂ったか ルーズベルトめと思った。
最近のフィリピンでの戦いで、アメリカ軍は日本軍の特攻による損害も含めて、戦闘での死傷79,104名、戦病や戦闘外での負傷93,422名という第二次世界大戦で最大級の死傷者を出したことで、良心の呵責に耐えられなくなってしまったのかもしれん。
「乾杯! がはははぁ」
やがてこの秘密協定は、ルーズベルト個人の金庫に連合国の一員である中国にも知らされずに密かに納められ、二か月後のルーズベルト急死以降も公にされることはなかった。
秘密協定は、ソ連参戦の条件として大きくは次の項目をあげていた。
1・外蒙古(モンゴル人民共和国)の現状維持
2・日露戦争により侵害されたロシアの旧権利の回復
3・樺太南部のソ連への返還・大連港の国際化とソ連の優先的利益擁護、海軍基地としての旅順港の租借・東清鉄道及び南満州鉄道の中ソ共同運営とソ連の優先的利益の保証
4、千島列島のソ連への引き渡し
ルーズベルトは、なぜこれほどスターリンに譲歩したのか。
口汚く口から泡を飛ばして乾杯し、数々の美食を食い散らし、前をはだけて座る男たち。
早期の戦争終結と、共産主義の拡大を防ぐための原子爆弾の使用だったのか。
カラカラカラ
映像はここで終わっていた。
 
18,実はね、アレクセイ
「日本が第二次世界大戦で敗れたことは知っていると思うが、終戦後今に至るまでこの地球上で、過去現在を含めてどのぐらいの諍いが起こっているか知っているかね」
画面が切り替わり、世界地図に炎のしるしが灯っている。
その数、世界中で実に約20
 
1,           国共内戦   共産党軍VS国民党軍  蒋介石国民党軍が台湾脱出
2,インドシナ戦争 ベトナム民主共和国VSフランス 植民地支配の復活
3,           中東戦争    イスラエル独立VSアラブ諸国  4度にわたる独立阻止
4,           朝鮮戦争    ソ連・中国+北朝鮮   韓国侵攻
5,           ベトナム戦争  南ベトナム政府軍VS社会主義陣営 米国軍介入 死者58千人
6,           ビアフラ内戦  ナイジェリア政府軍VSイボ族  イボ族独立宣言
7,カンボジア内戦 フランスからの独立後の内戦  ポルポト政権死者170万人
8,           アフガニスタン侵攻 ソ連VSアフガニスタン     内政への侵攻
9,           イラン・イラク戦争  イラクVSイラン       アダム・フセインの侵攻
10,フォークランド紛争 イギリスVSアルゼンチン アルゼンチンが侵攻
11,湾岸戦争  イラク軍VSクエート+多国籍軍   クエート解放
12,ユーゴスラビア内戦  独立諸民族派VSセルビア人  死者14万人
13,ルワンダ内戦   多数派フツ族VSツチ族   死者80万人
14,コンゴ紛争 コンゴ民主共和国の内戦 アフリカ最大の紛争死者250万
15,アメリカ同時テロ  アルカイーダVSアメリカ  国際テロ組織の台頭
16,アフガニスタン戦争  タリバン政権VSアメリカ   別名最長の戦争   
17,イラク戦争     イラクVSアメリカ    フセイン政権への攻撃
18,シリア内戦  アラブの春VSアサド政権    中東の民主化運動
19,ウクライナ侵攻  ウクライナVSロシア    ロシア勢力圏の回復
20,ガザ紛争     ハマスVSイスラエル    イスラム主義組織
「これらを見ても、人間の愚かさがよくわかるよ」
「なぜ人はこんなにも戦うのだろうか」
「なぜキングダムは人を殺すことで最強を目指すのだろうか」
「第一次・第二次両大戦を経験した人類は懲りずに、いまだ多くの戦争孤児を量産している始末だ」
 「自然環境の変化は気温上昇をもたらし、天変地異は大雨や雷・台風となり大地を削り多くの孤児を生んでいる」
「作物は不足し、栄養不足の子供たちは今日も世界各地で何千人も死んでいるのだ」
「もはや国際連合の機能しなくなった現状では、これら天災でなくなった孤児も戦争孤児だと言えるだろう」
「大量の爆弾による火災は地球の気温上昇を促し、北極南極の氷を溶かし、南洋に浮かぶ島々は水没の危機に瀕しており、大陸への人類の大移動さえ始まっている」
「白熊は寄るべき氷山さえ失っている 何とかしてくれ!」
海江田の映像は悲痛な叫びとともに消えた。
ニコライは、背筋に冷や汗が流れるのを感じていた。
何かこの身が、強大な黒いパワーに引きずり込まれていくようで身震いが止まらず、その場に座り込んでは荒い呼吸に喘いだ。
天涯孤独のさみしい自分は、食事や衣服には困った事がない。
医療にも困ったことがない。 学校にだって行ける。 好きな学びが出来ているじゃないか。
お金で苦労したことがない自分が、自分の孤独ぐらいで虚無にとらわれているなんて。
この世の地獄を知らない自分が、恥ずかしい。
日本という国が、直接戦闘に関わっていないという理由でこんなに平和でいいのか。
顔面蒼白となり、早い呼吸に苦しみながらとどまることなく冷汗がしたたり落ちる。
呼吸が荒い。
見かねたセルゲイが声をかけた。
「さあ、坊ちゃん 少し休憩しましょう」
ニコライは、はじめて泣いた。号泣した。嗚咽した。
セルゲイの鋼鉄の胸にしがみついて、それは血の涙となって二人の胸を濡らした。
やがて体中の水分がほとばしり、蒸発するとニコライの頭髪は見事な銀色に変化したのだった。
セルゲイは、ニコライを胸に抱いたまま静かに話し出した。
「ロシアに帰った殿下はお華さんとの間にできた坊ちゃんの行く末を心配していました」
「そこで私に、王位継承権の印となる赤いダイヤと卵をお預けになりました」
「預けた先が、ロシア帝国の宿敵である大日本帝国の将軍、明石総督でしたが、
殿下は、決してロマノフ王朝の復活を望んでいたわけではないようです
あなたに何を望んでいたのかはわかりませんが、あなたはこの強大なパワーをどのように使うのも自由であるという、いわば重い自由を得たということでしょう」
「どこまでも一緒ですよ 心配しないで」
「あと、ついでにもうお気づきでしょうが、風呂間児童養護学校、という名前は校長先生がつけられました」
「さすがにイギリスで発明されたスポーツであるボート競技の経験者である校長先生は、いつも紳士たれとおっしゃっていましたが、少々しゃれの利いた方でもありました」
「つまり風呂間児童養護学校の(ふろのま)をアナグラムするとロマノフになるんです」
「さらにオアーズメンというように、そのスポーツを愛好する人たちの総称として、ボート競技とラグビー競技は、自分たちをオアーズメン・ラガーメンという特別な呼称で呼んでいます」
「特に校長先生が大切にしているこのオアーズメンという呼び方は、ボート競技の関係者の間では、単にボートを漕ぐ人あるいは練習の時だけ一生懸命漕ぐ人というRowerと、ボート競技を通して人生の生き方フィロソフィーを文化や礼節及び精神性を日常生活にまで反映させている人としてOarsmenと区別している点です」
「まあ早い話が、校長先生の口癖である(紳士たれ)ということでしょうね」
「またボートやラグビーなどのスポーツを経験した者たちが、発明したもう一つが
フラタニティ―(Fraternity)ですが、この言葉は古くはラテン語の「frater(兄弟)」を語源とする言葉で、広くは「友愛」あるいは共通の目的や信条を持つ人々による「社交・友愛組織」を指しています 」
「その活動内容は、 社交のイベントへの参加、地域奉仕活動、学業の相互支援、リーダーシップ育成などを行うので、その育成方法として共同生活を送ることが必要とされていますし、ここで一度身に着けたネットワークは、 卒業後も続く強い絆が特徴で、ビジネスやキャリア形成における強力な人脈(ネットワーキング)としても機能しているんです」
「まあふつう最近では、無意識にふるまっている人が多いようです が、とくに有名なのはアメリカ最古の団体で1776年に創設されたもっとも名誉あるリベラルアーツ系の名誉団体、イギリスでは ファイ・ビータ・カッパ Phi Beta Kappa(ΦBK )があり、非日常の世界の裏で地球規模で多くの影響を与えているといわれています」
「つまり、現在のフラタニティ―は、一つのことを経験共有した仲間に生じる性別も超えた助け会いの精神ということになりますから、あんなに苦しんだエイトのボートレースもフラタニティ―の獲得のための訓練だったのですね」
「そして、あのボートレース後の爽快感と一体感がまさにその答えでしょう」
「それから、知床自然観察研究所の陣容をお話しする前に、風呂間児童養護学校の卒業生のお話をしなくてはなりませんね」
「設立から80年を迎えた当校の卒業生は、毎年240人前後として合計約2万人にのぼり、現在ではその高い能力を買われ、国連はじめ、世界各国の政治家および行政府、芸術界・スポーツ界などその活躍は多岐にわたります」
「そして合言葉は(フラタニティ―)です」
「さらに、坊ちゃんの成人をことのほか楽しみにしておられた方々がいます
イギリス国王ジョージ5世・ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世など彼らは、ビクトリア・イギリス女王の孫として、いとこ同士の関係で、特に従弟のイギリス国王ジョージ5世は、写真で見ると本当に父上であるロマノフ2世殿下に驚くほどそっくりです」
 
「ロシア革命時の皇帝一家の救出作戦は、ロマノフ2世からの要請を受けイギリス情報機関の1つであるMI1によって実行されようとしましたが、収容されていたボリシェヴィキの位置の特定が困難だったことや、第一次大戦中だったことなどもあって、計画は頓挫し、最終的にニコライ2世と妻のアレクサンドラ、5人の子供たち(1男4女:長女オリガ、次女タチアナ、三女マリア、四女アナスタシア、長男アレクセイ)一家7人は、1918年7月17日にボリシェヴィキによって処刑されてしまいました」
「しかしロマノフ家はさらに多くのヨーロッパの王室とも深い関係を持っており、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世: ニコライ2世の皇后アレクサンドラとは従兄にあたり、3人は第一次世界大戦時に互いに親戚関係にありましたから、いとこ同士で大戦を戦ったという悲しい事実の前では押しつぶされそうです」
「またエカチェリーナ2世: デンマーク王室やイギリス王室ともつながりがあり、遠い親戚として元イギリス首相のデーヴィッド・キャメロンも挙げられます
さらにイギリス王室:故エディンバラ公フィリップ殿下は、ニコライ2世の妻アレクサンドラ皇后の血縁(大姪の息子)であり、ニコライ1世の玄孫でもありました。そのため、ウィリアム皇太子ら現英国王室もロマノフ家の血を引いていますし、ギリシャ王室やデンマーク王室なども歴史的に深い血縁関係にあるのです
これはまさに、殿下が坊ちゃんに残された最大の遺産ということが出来るのではないでしょうか」
「正式には彼らは、坊ちゃんの従甥(じゅうせい / いとこおい)いとこの息子あるいは、従姪(じゅうてつ / いとこめい)いとこの娘 となるのですが、普段は単に「いとこの子供」と呼ぶのが一般的ですが、彼らから見ると五親等(ごしんとう)の親族にあたり、彼らからしたら坊ちゃんは「従叔父(いとこおじ)」となりますが、坊ちゃんは年齢は若いのに彼らの父親よりも受胎年が上なので、「従伯父・従伯母」と同じに呼ばれますが字に書くと違う漢字が使われます」
「まあつまり、かれらにとって千島列島に(おじ様)が存在しているというわけです
今の地球上でこんな親戚持っている人なんていませんよ」
19,暗殺者再び
歳月がたち、ニコライの身長はゆうに190cmを超え、体重は100㎏を超える偉丈夫の青年に育っていた。
人の風貌はこんなにも変わるものだろうか。やはり人の風貌はその人の人生の表れなのだ。
色丹島の見える丘の上でニコライは座って茎を咥えていた。
今日も良く晴れていたが、後方から人型ロボットいわゆるヒュ―マロイドロボットのセルゲイが近づいてきた。
「坊ちゃん、そろそろご飯ですよ」
「あれほど音を立てずに僕に近づくなと言っているだろう」
といいながらアレクセイはにわかに走り出して、セルゲイを振り返る。
セルゲイは、追い付きそうで追い付かないようにしていたが、遠慮がちに息が上がったふりをした。
「なんだセルゲイもう年か」
「坊ちゃん、セルゲイの脳はもう100歳を超えているんですから無理もないでしょう」
近くの森に来ると、大木や障害物を使ったパルクール追いかけっこがはじまり、剣を使った戦いから銃を使った的あて、枝から枝への飛び移りなどまるで忍者のように静かに戦っていたが、ふとアレクセイは耳を澄ました。
「坊ちゃん聞こえますか」
「うん、5人だな」
予告なく、サイレンサーの弾が連発で着弾した。
ビシュビッシュッビシュッ!
「あれ、今度の敵は今までの奴らとは少し違うようだ
殺意が感じられないから、立ち合いが希望かな」
なら受けてあげよう 森から出たアレクセイは、刺客を待った。
全身黒装束の者たちが5人姿を現した。
一応彼らを見渡したアレクセイは、すでに座っているウルフハウンドを見て苦笑する。
「なんだ、助太刀はしない気か」
さて、どうする。一人の巨漢が進み出た リーダーだろう。
風がそよぎ、よく晴れた緑の丘の上で相手は構えたが、ニコライは手を下げていつもの姿勢のままだった。
相手が言う。
「弱ったな― 何も構えなくていいのですか」
「うん いいよ」
「銃を使っても?」
「おっ!新型 グロック・ジェネレーション・シックス通称 グロック・ジェン・シックスじゃないか
ラットフェイス・トリガーの採用、RTF6と呼ばれる新しいグリップテクスチャ、人間工学に基づいたアンダーカット・トリガーガード、および進化した光学サイト搭載システム(MOS)が標準装備されたものだ、使いやすいかい?」
アレクセイはグロックを手に取って言った。
「軽いね」
「僕は自衛隊(9mm拳銃SFP9)の後継であるドイツH&K社製の「SFP9」しか使ったことがないんだ たしか 利き手を選ばない操作性で、射手の手の大きさに合わせてグリップを調整できる機能を備えた最新のポリマーフレーム拳銃だよ
たしか Heckler & Koch GmbH (ヘッケラー&コッホ)といって、 1949年にモーゼル社を退職した3名の技術者により設立メーカーだね
最近のトレンドである光学サイト(レッドドット)の標準化と、 スライドに小型照準器を直接取り付ける「Optic Ready」仕様がはやりだよね」
「あつっ!!」
刺客の4人が、声なき声を上げて息をのんだ。
「リーダーあああああああぁぁぁっ!」
「何してんすか?」
「あッ?!」
「やられた、これが噂の無刀取りですか」
「まいったなー 最近派遣された最強と言われた刺客が誰も帰ってこないので、私たちが任務を引き受けたんですけど・・・」
「みんなもこっち来て、自己紹介しろよ」
促されて近くに来た4人は車座に座った。
セルゲイは人型に戻って、一段高いところから周りを見ている。
セルゲイの変化を見ても誰も驚かないのを見たニコライが驚いた。
「すごくないかい?セルゲイだよ」
「ええ、あなたの存在が広く知れ渡るようになって2年ぐらいたちますが、欧州をはじめとしてとんでもない騒動になっています」
「もちろん一般の方には情報が洩れていませんけどね」
「なんでそんなに騒ぎになってるんだ?」
5人は互いに顔を見あって楽しそうに笑った。
「なにって・・・」
「でも、なんですから、私はMI6のジェームズ 008です」
「私はフランス外人部隊の BB通称ブリジッドです」
「僕は南アフリカの特殊部隊(South African Special Forces)通称Recces(レキーズ)です」
「私はインドのNSG (National Security Guard)通称ブラック・キャッツです」
「僕はオーストラリアSASR (特殊空挺部隊連隊 / Special Air Service Regiment)のジョンですけど」
「それで何の用?」
一番若いジョンが、目をキラキラさせて聞いた。
「あのー あなたのことはなんと呼んだらいいでしょうか」
「うーん父と同様、ニッキー (Nicky)がいいな」
「へー、ニッキーかぁ いいね」
ジェームズが口をはさんだ。
「ところで、先ほどの業というか武術というか 今まで見たことがないんですけど」
「うん、あれは合気道術だよ わかりやすい呼び方は合気道だね」
「おーいセルゲイ!説明してくれ」
「なんだもういるじゃん」
「はいはいお任せを 簡単に言うと合気道(あいきどう)は、今から100年前の大正末期から昭和初期にかけて植芝盛平(うえしば もりへい)が開祖となり創始した現代武道で、日本伝統の柔術や剣術を基盤としつつ、独自の精神哲学を融合させて完成されたものです
それぞれの武術には多くの分派が存在していました いわゆる何々流というやつですね、柔道の開祖嘉納治五郎が、初めに柔術の流派を道という呼び方で統一したんですよ それ以降他の武術も剣道などと総称しています」
「その特徴と原理は

  • 和合の精神: 「争わない武道」とされ、相手と力でぶつかるのではなく、相手の動きや力を利用して制することが基本です

  • 試合がない: 他人と優劣や勝敗を競うことが目的ではないため、一般的に試合や競技は行われません。日々の稽古は心身の鍛錬と自己修養のために行われます。

  • 円の動き: 相手の攻撃を円の動きでかわし、関節技や投げ技で相手を無力化します。」

「なんですって!試合がないんですか??」
「そうです、というより自ら仕掛けないので相手が動かない限り変化はありません
一番面白いのは、上級者同士が向かい合うと、ともに動かないので試合にならないという点ですね」
「それは思いっきり不思議です」
「ところで、そちらではどんな噂が?」
「ええと、私がEUを代表してお答えすると
ロマノフ王朝のニコライ2世のご子息が生きていらっしゃったこと
膨大な資金と武力をお持ちなので、それをどうしようとしておられるのか
なにより、今後どうするおつもりなのかに集中していますけど」
「うーん、そうか」
「僕もわかんないなー」
「ええっ・・・マジで!?」
五人は互いに目を白黒して顔を見つめあった。
「そうだな、無刀取りについては、セルゲイ説明してよ」
「はいはい 簡単に言うと無刀取り(むとうどり)とは、日本武術において、武器を持たない状態(素手)で、刀を持った相手の攻撃を制し、その刀を奪い取る、あるいは無力化する高度な技法のことで、主に柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)の奥義として知られています そもそもは柳生新陰流の 柳生宗厳(石舟斎)が、師である上泉信綱から課された課題に対し、研究の末に編み出したとされ、 相手の刀を奪うことそのものが目的ではなく、「刀を持たずとも、心身の運用によって相手に勝つ」という精神的な境地を含んでいるのです」
「ある時、この技を見せてくれと将軍から求められた剣術指南役の柳生石舟斎が、では殿のお刀を少しお貸しくださいと、言ったとき
今と同じ反応をされたということですよ
諸説ありますがそのような概念をもって、坊ちゃんがここに示されたのが先ほどの業ですね」
「ぼ、ぼ、ぼちゃん???」
「ほら、だからいやなんだよ、いつまでも坊ちゃんって!!」
「それはそうと、おなかもすきましたし皆さんを施設見学にでもご招待したらどうでしょうか」
アレクセイはどこからともなく表れた流線型の乗り物の風防が開いているところにひらりと飛び乗るとついておいでと先に音もなく飛び立った。
向こうのがけ下から同じような乗り物が6機現れたので、促された5人が乗り込むと
6機は草原の中央から舞い上がって、追従し自動操縦で後を追ったのだった。
20,アレクセイの気持ち
別室で食事をふるまわれた5人は、北の海の幸をうらやましく思った。
しかし最近の温度上昇がつづくと、食べられなくなるかもしれない。
酒豪のジェームズには一番の心配事だった。
すると給仕をしていた、愛型ヒューマノイドがよろしければ、ご見学にご案内しますけれどといった。
「あのー、一応刺客としてきたのですけど見せてもらっちゃっていいんですか」
「ええかまいません ニッキーもそういっておりましたし」
「先に来られた方々も、皆さんにお会いするのを楽しみにしておられますよ」
「あのー愛さん」
「一応お聞しますが、こちらでは宗教的な信仰とかはどうなっているのでしょう」
「うーん、その質問は簡単にお答えできますが混乱される方が多いので、なるべく簡単にお話ししましょう」
「日本人の多くは、神道が一番多いでしょうか
いま世界の宗教の中で、神と呼ばれるものを信じる人たちの多くは、多神教・唯一神教・汎神教の3つに分けられると思います、つまり日本の神道は多神教に分類できるのだと思いますが、日本の神様は何人ぐらいおられると思いますか」
ツーと、愛ロボットが移動しながら質問した。
「ええと、今では誤解を受けることが多いようですが、多神教で知られるインドでは
ヒンドゥー教の聖典によると、もともとは神々の数は「33 Koti(33コーティ)」と表現されますが、3億3000万ではなく33人の神様とするのが正しいようです」
「ええ!そんなにいるの?誰を信じていいのか迷っちゃうね」
「それで日本の神様は何人ぐらいいるの?」
「日本では八百万(やおよろず)の神と表現しますが、この世のあらゆるものに神が宿っているという考え方で、神々の総数を表した言葉です
「八百万」という言葉は、数学的な「800万」という具体的な数を示すものではなく、 

  • 八百(やお): 数が極めて多いこと

  • 万(よろず): さまざまであること、あらゆること

ということから合わせて、数え切れないほど多くの神さまがいるという意味になるので、生徒たちには、便宜上多くの野菜を扱う、八百屋のように800人以上はいるねと話しています」
「そんな800人はいる神様のところに、801番目に仏様が来られた時、日本の神様チームは、まあいいんじゃね
次には802番目にイエス様が来られた時も
まあいいんじゃね、ケーキが食べられるから
と言って受け入れたんではないかと、学生たちに話すと非常に受けると、時に近代スポーツ史とコーチ学の講義をお願いしている江戸川大学の古城名誉教授がおはなししていました
とにかく日本という国は、四周が海に囲まれているので国境というか、壁や隔たりというものに寛容な人たちが多いという感じがしますね」
「そういう点でインドの神様とよく似ていますが、非常に大きな数字を使って「無限に近い神々」を表現している点が共通していると思います
また、ほかの国でもそうかもしれませんが日本では、8という聖数と万(無限)という組み合わせで八百万としたようです」
「私も驚きましたが、神様ばかりですね」
「とにかくいずれの文化圏でも、神聖なものは一つではなく、世界のあらゆる場所に多様な姿で満ちているという多神教的な世界観を、強く感じます
ことに日本では8という数字は、漢字で八と書き無限と繁栄を表しているといわれていますし、末広がりなどとも表現します 」
「もう一つ、神様が増えた理由で面白い話があります」
「その昔古代イスラエル王国の12部族のうち、北王国が滅亡した際に行方が分からなくなった10部族の一つが日本にたどり着き暮らし始めたというイスラエルの失われた10支族説
また、秦の始皇帝に永遠の命を授かる薬を探すように命じられた徐福という人が、引き連れてきた若者たちと日本にたどり着き秦に帰らず暮らし始めたという説もあります
まあ諸説あるという話ですが、それぞれが信じる神様がこうして増えていったということですね つまり日本という国は民族の集合体なのかもしれません
最近のDNA解析技術の向上で新たなことがわかる日が来るかもしれませんね」
「はあー なんだか聞いているうちに、もういらないや、重たいし」
彼らがグロックやナイフをポイポイと捨てだしたので愛ロボットが慌てていった。
「きちんとリサイクルに出してくださいね」
「物には限りがありますよ もったいない」
「ああーこういう時に、使うのか(もったいない)」
「でもごみ箱ないじゃん」
彼らは、見学中に先に来ていた刺客の多くと再会を果たした。
そして、ジャームズ以外の者はいったん母国に報告のため帰ることになった。
「またいつか会えるさ」
そんなある日のこと、008は空気が変わっている日が来たことに気づいた。
何か全体がざわざわしている、チャイムが鳴るわけでもないし時報が鳴るわけでもないが、人々はどこかに移動していき、気が付くと008は一人で立っていた。
「一人は嫌だよ みんなどこへ行ったんだ」
背中をつつかれて振り返ると、愛先生がいたのでほっとしてついていくことにした。
すると、アレクセイが広い講堂のようなところの壇上に立っていた。
やがて人々は次第に増えていく。
天井近くの席には、多くの人の形をした映像が浮かんでいる。
「みなさん こんにちは!」
「そろそろ、皆さんに僕の気持ちをお話しする時が来たようです」
しーんという、深い静寂には音があった。
008は、海より深いこの静寂になぜか涙が流れていることに感動していた。
理由はわからない。
「僕は、アレクセイ・ニコラエヴィチ・ロマノフと言います
父の遺言で、本日からロマノフ公爵「Grand Duke」という爵位の継承をすることにしました」
「私の願いは、世界中から戦争孤児をなくすため、この地に北方四島を含んだ千島列島と、いまだに国際的に領有がはっきりしていない南樺太を併せたこの地に色丹公国を設立し、世界中から戦争がなくなることを目標に活動していくことです」
「皆さんは、私の希望に賛同し国民となることを望みますか」
会場は不思議なことに静寂のままだった。
「この色丹公国の法は、フラタニテイーです」
008の顔を見てセルゲイが小声で言った。
「もちろんです!
坊ちゃんが、その気になるのをみーんーな、待っていたんですから」
やがて、幕が開くと後ろにフルオーケストラが準備万端で待っていた。
気持ちよさそうにニコライは、マイクなしで歌いだした。
本当によく通る歌声が空気をふるわせていく。
音楽には、愛と哀しみがあるのだ。
この色丹公国独立宣言は、全世界に同時中継され非常な驚きをもって迎えられた。そして驚くことに、この独立宣言を容認する国々が次々と表れると、同時にそれらの国々は国際連合、通称国連を相次いで脱退するという驚くべき流れが生じた。
また世界各地で生じている多くの紛争地域からは、大きな流血を見ないで続々と独立宣言を行う国々が現れた。 
またそれら、国際連合を脱退した国々と、新たに独立を宣言した国々による新たな世界を取りまとめる枠組みが誕生しようとしていた。
その名は(地球平和同盟)と称し、機能を失った国連はその活動を終了した。
ここに、国連で拒否権を有し紛争の種をまいてきた大国のエゴによる武力行使は、地球平和同盟の誕生によって、一国VS他の全国家という勢力バランスに移行し事実上
消滅した。
新たに誕生した地球平和同盟に参画した各国の要人の多くが、風呂間児童養護学校の卒業生であったことは言うまでもない。

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