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天智天皇と天武天皇

*引き続きAIで調べてます。


天武天皇と持統天皇が結婚した理由

持統天皇が13歳のときに叔父である天武天皇(大海人皇子)に嫁いだ背景には、当時の強い政治的意図があった。

高貴な血統を維持する「政略結婚」

当時の皇室では、天皇中心の中央集権国家を築くため、純粋で強力な皇族の血統(身分)を維持することが最優先された。天智天皇は実の娘4人を弟の大海人皇子に嫁がせており、強力な皇位継承資格を持つ大海人皇子を皇室内に強く繋ぎ止める意図があった。

古代における「近親婚」の許容

現代の法律では叔父と姪の結婚は認められないが、飛鳥時代の皇族間においては近親婚はごく一般的だった。特に「同じ母親」を持つ兄弟姉妹でなければ、血統の尊貴性を保つための正当な婚姻とみなされていた。

ちなみに持統天皇の周辺では、姉の大田皇女や妹の元明天皇も巻き込んだ複雑な婚姻関係が見られるらしい。が、今回はもう突っ込まないでおく。

天智天皇と天武天皇の関係

公式な歴史書(正史)の記録では実の兄弟とされているが、現代の歴史学界や研究者の間では「実は兄弟ではなかったのではないか」「異父兄弟だったのではないか」という強い疑問(非兄弟説・異説)が提出され、未だに完全な決着はついていない。
やはり兄弟というには怪しかった、ということがわかる。そもそも弟に4人も実の娘を嫁がせているのも、この時代でも不自然な事だったらしい。
以下、それぞれの説。

公式の記録(通説):「同母兄弟」

奈良時代に完成した歴史書『日本書紀』では、二人は同じ父親と母親を持つ完全な実の兄弟と記述されている。

  • 父親:舒明天皇

  • 母親:皇極天皇(のちに再び即位して斉明天皇)

  • 関係:兄が天智天皇(中大兄皇子)、弟が天武天皇(大海人皇子) [2, 3]

学校の教科書や一般的な歴史の本では、この『日本書紀』の記述通り「実の兄弟」として教えられている。確かに学校ではこの二人は兄弟だ、と習っている。

兄弟説が疑われる理由

しかし、記録を細かく分析すると、実の兄弟としてはどうしても辻褄(つじつま)が合わない不自然な点がいくつも見つかってしまう。

年齢の逆転現象(弟の方が年上?)

歴史書に書かれた二人の没年(亡くなった年齢)から逆算すると、不都合な事実が浮かび上がる。

  • 兄(天智):46歳で崩御

  • 弟(天武):諸説ありますが、別の古い記録(『一代要記』など)を基に計算すると、兄の天智天皇よりも数歳年上(または同い年近く)になってしまうという矛盾が生じる。

  • 同じ母親から生まれたのに「弟の方が年上」になるのは生物学的に不可能なため、血の繋がりが疑われている。

娘を4人も嫁がせる異常さ

天智天皇は実の娘(持統天皇など)を4人も天武天皇に嫁がせている。
いくら近親婚が認められていた時代とはいえ、実の弟に対して自分の娘を4人も差し出すのは、「政略結婚」としても過剰であり不自然だと指摘されている。これは「弟」ではなく、「他国の強力な王や、無視できない別系統の権力者」を味方に引き入れるための婚姻だったのではないかと考えられている。

天武天皇の「前半生」が不自然なほど隠されている

『日本書紀』には、天智天皇(中大兄皇子)が若い頃に行った「大化の改新」などの大活躍が細かく書かれている。しかし、弟であるはずの天武天皇の若い頃の記録は、なぜかほとんど白紙(空白)らしい。皇太子クラスの人物の若い頃がこれほど隠されているのは、出自を隠すための改ざんではないかと疑われている。

ますます怪しい。

研究者たちが唱える「3つの有力な異説」

公式の「実の兄弟説」のほかに、歴史学者の間では以下の説が真剣に議論されている。

  1. 異父兄弟 説:母親(皇極天皇)は同じだが、父親が違うという説。天武天皇は別の有力者の子だったという考え方です。

  2. 完全な赤の他人(非兄弟)説:天智天皇は近畿の王権、天武天皇は地方(九州など)で巨大な武力を持っていた全く別系統の豪族(王)であり、血縁はなかったとする説です。

  3. 叔父・甥 説:血筋は繋がっているものの、兄弟ではなく一世代離れた親族だったとする説です。

なぜ「嘘の兄弟記録」を作ったのか?

もし二人が他赤の他人だった場合、天武天皇が起こした「壬申の乱」は、ただの武力による国家乗っ取り(クーデター)になってしまう。
それを防ぎ、「これは他人の乗っ取りではなく、正当な血筋の弟が皇位を継いだだけ(正当な政権交代)である」と国内外(特に中国の唐)に示すために、歴史書を作る際にわざわざ「実の兄弟」という設定に書き換えたのではないか、と推測されている。

ここで新たな疑問。なぜクーデターではだめなのか?

端的にまとめると、国家の乗っ取り(クーデターによる王朝交代)がまずい理由は、「新しい政権の正当性」が失われ、国内外から命を狙われる絶対的な危機に陥るから、ということらしい。まあもっともな理由。

詳細な理由は、

国内の豪族たちが反乱を起こす大義名分になる

当時の日本(倭国)は、天皇が絶対的な権力を持っていたわけではなく、各地の強力な豪族(蘇我氏や藤原氏の先祖など)のバランスで成り立っていた。
もし天武天皇が「ただの部外者による乗っ取り犯」であれば、他の豪族たちから見れば「あいつが力で奪ったなら、俺たちが力で奪い返してもいいはずだ」ということになってしまう。皇族という「神聖な血筋」という看板がないと、国内が終わりなき内戦状態に陥るリスクがあった。

中国(唐)に「侵略・討伐」される口実を与える

当時の東アジアの絶対王者は中国の「唐」。周辺の国々は、唐の皇帝から「お前がその国の王だと認める」というお墨付き(冊封)をもらうことで国際的な地位を保っていた。
唐の儒教社会において、正当な血筋を持たない者が武力で国を奪うことは「大逆罪(最も重い罪)」になる。もし乗っ取りだとバレれば、唐から「不届き者を討伐する」という大義名分で大軍を送り込まれ、国ごと滅ぼされる恐怖がリアルにあったようだ。

「神の子孫」という宗教的な権威が使えなくなる

当時の天皇は、単なる政治のトップではなく、神々(のちの天照大御神など)を祀る最高神官、つまり「神の子孫」としての権威で人々を従えていた。赤の他人が武力で奪った政権では、この「神聖な血筋による支配」という宗教的なフィクション(神話)が使えなくなってしまう。力だけの支配は長続きしないため、どうしても「天智天皇の正当な弟」という血の証明が必要だった。

自分の子供たちへ皇位をスムーズに世襲できない

天武天皇の最大の目標は、自分の妻(持統天皇)や息子の血統に、これからの皇位を代々独占させることであった。
自分自身が「ただの乗っ取り犯」になってしまうと、その子供たちも「泥棒の子」になってしまい、将来の即位を誰も納得してくれない。自分の子孫を未来永劫、日本の王として君臨させるためには、歴史を改ざんしてでも「正当な皇族の兄弟喧嘩の末に勝っただけ」というストーリーにする必要があった。

結局はどういう関係だったのだろう。学者の間で結論が出ないのであればこれ以上調べても真実はわからないだろう。
全くの赤の他人、というのはちょっと無理があるのでは?と思ってしまうので実際に所は叔父:天武、甥:天智、くらいが丸くまとまるところじゃないだろうか?

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