行きたい所は行けるうちに行っとけシリーズ②コロナ前のキューバ
2017年のゴールデンウィーク、キューバに行った。
もう9年前の話だ。記憶はとっくにモザイク処理されていて、輪郭しか残っていない。このままだと近いうちにモザイクどころか白紙になる気がするので、写真を見ながら思い出せる範囲で書き起こしておく。とはいえデジカメメイン、iPhoneサブで行ったのにデジカメの写真をちゃんと保管していなかったからところどころだけれど…
出発前夜に高熱
前年のゴールデンウィークはロシアに行った。だから同僚や先輩に「今年もどこか行くの?」と聞かれ、「キューバです」と答えたら、私が社会主義者ということになった。
先輩の一人が「キューバ行くならこれ見とけ」と勧めてくれたのが『Buena Vista Social Club』という映画。これは行く前に観なくては、と当時の私は素直に思い、わが青春のTSUTAYAでDVDを借りた。しかし日々は忙しく、あの青いシャカシャカした袋から出さずに数日が経過した。
そして気づけば出発前夜。
体が熱い。起き上がれない。
平熱35℃台、風邪をひいても36℃、夏でも汗をかかない私が。
熱を測ると38.5℃。

母には「やめときなさい」と止められた。でも、ここまで地球の歩き方も買ったし、宿も予約したし、というか――
そんなことより、DVDを返さなければならない。
寝ている場合ではないのだ。TSUTAYAの返却期限はもうすぐ切れる。延滞すれば1日ごとに料金が発生する。今日返さなければ10日分くらいの延滞料金がかかる計算だった。
体温38.5℃でも、当時の私の頭の中にあったのは「延滞料金」だけだった。とりあえず観た。でも内容は全く覚えていない。1回流し見した後、深夜、自転車に乗って最寄りのTSUTAYAの深夜返却ボックスまで自転車で走った。これでTSUTAYAの平和は守られた。
真夜中に無一文で徘徊@メキシコ
当時のeチケットの写真が出てきたので記録しておくと、
成田→メキシコシティ→カンクン(カンクンで一泊)→ハバナ 帰りはハバナ→メキシコシティ→東京
航空会社はアエロメヒコ。空港税込みで153,830円。今思えば安い。
キューバに入るにはビザの代わりに「ツーリストカード」が必要で、本来は大使館で事前申請するものだが、メキシコの空港カウンターでも当日受け取れるらしいということで、現地調達することにした。
これが地味に最初の焦りポイント。(海外一人旅勢としてはトラブルに入らない)
メキシコシティの空港でカウンターを探し、ようやく見つけて尋ねると「用紙がないから待って」と言われる。時間がない。反対側のターミナルまでスーツケースを引いてダッシュ。

なのに。
肝心のメキシコシティ→カンクンの便が遅延。15:30発のはずが21:20発に。

カンクンに着いたのは23時を回ってから。両替所はもう閉まってる。現金ゼロのまま、Booking.comで予約した宿を目指すことになった。
空港バスでなんとか市内までは着いた。ここからが問題だった。
深夜でも路面バスは走っている。しかし現金がないので乗れない。Googleマップも今ほど優秀じゃない時代だったので、バスの経路すらまともに検索できない。海外のバスはだいたい縦横無尽に走っているのに、どれに乗ればいいのか全くわからないという、観光客に対して最も不親切なシステムだった。
仕方なく、スーツケースを引いて歩いた。
30分くらい歩いた記憶だったが、改めて写真やその位置情報を見返したところ、バスターミナルが右上の「ADO Terminal Centro」、宿が左下のピンの部分辺り、実は1時間近く歩いていたらしい…

歩くにつれて、人気がなくなっていく。これはどう見ても「観光客が深夜に一人で歩いていい雰囲気」ではない。私は時々カニ歩きやダンサブルなステップを取り入れながら、私はヤバい奴だぞ〜近付くなよ〜と態度で示した。これで本当に効果があったのか、9年経った今でも検証不可能である。
気温は夜なのに25〜30℃。喉が乾く。水を買いたい。
VISAとMASTERのステッカーが貼られたミニマーケットを見つけ、入店してレジのお姉さんにカードが使えるか聞いた。
お姉さんは、眉だけしかめて無言で首を横に振った。
そしてそれ以上こちらを向いてくれなかった。
「何言ってんだこいつ」という顔。あの無表情だけは、9年経った今も鮮明に覚えている。記憶がモザイク処理されているはずのこの旅で、なぜかこの顔だけは4Kリマスターされている。
喉はカラカラのまま、先を行く。
宿の近くに公園があり、若い男性2人と女性1人がバスケをしていた。
真夜中の公園でバスケしている男女3人組。
陰キャの私から見れば、これはもう「世界で一番話しかけたくない部類の人」だ。クラスにいても間違いなく友達になれない。向こうから認識されない。クラスにいても認識されないくらいだから、今も気付かないでくれ!!と念じながら、なるべく見つからないようにこそこそ宿を探したが、地図上のピンの場所に行っても、何もない。ぐるぐる周辺を回るも見当たらない。このぐるぐる自体もリスクが高い行動だということは分かっていたが、他に手段がなかった。
最終手段として、その3人に声をかけた。
スマホの画面を見せて住所を聞く。3人は最初、一緒に周りを探してくれた。でも住所だけでは見つからない。「電話番号わかる?」と聞かれ、Booking.comの画面を見せると、その場で電話をかけてくれた。
しばらくして、宿の人が迎えに来た。
あの3人には、本当に感謝している。怖いと思っていた相手が、結局この旅で一番助けてくれた人たちだった。
宿に着いて分かったのだが、予約していたのは民泊のような場所で、普通の家の使っていない一室を貸し出すタイプの宿だった。
そりゃ見つからないわけだ。住所だけじゃ無理だ。普通の家なんだから。
カンクンの宿には、おじさんとおばさんの夫婦がいた。深夜に到着した迷惑客なのに、到着すると拍子抜けするくらい温かく迎えてくれた。小さなダイニングテーブルが置かれたL型キッチンで、2人が座って微笑んでいる画角を覚えている。今思えば連絡入れろよという話なのだが、通信手段もなかったのかな。
居室は2階。翌日はハバナに飛ぶだけなので、また空港に戻ればいい。するとおじさんが「息子に送らせるよ」と言い出した。しかも無料で。めちゃめちゃありがたい。
平和なハバナの街
ハバナ行きの飛行機に乗って、まず驚いたのは現地の人たちと思われる人々が持つ荷物の量だった。
今の日本でよく見る「爆買いする外国人観光客」なんて可愛いものだ。
身長より高く段ボールを積んだカートを押す人。 人ひとり余裕で入れそうな巨大スーツケースを3つ4つ持っている家族。
たぶんキューバ国内では手に入らない物資を、国外でまとめて買い込んでいるのだろう。みんな自分の周りに荷物を縦に積み、横に広げていた。

キューバに着くと、街には配給制っぽい簡素な商店が並んでいる。十字路の角、たばこ屋さん的ポジションに同じサンドイッチのお店を何回も見た。同じアイスクリームのお店、同じチュロスの屋台…なのに夜になるとレストランから音楽が流れ、みんな踊っている。物がない国なのに、人々はちゃんと楽しんでいる。




泊まるのはカサ・パルティクラル。政府公認の民泊みたいなもので、朝になると必ずフルーツたっぷりの朝食が出てくる。日本のフルーツほど甘くはなく、ちょっと水っぽい。絵としては贅沢だった。

翌朝は5月1日、ちょうどメーデー。革命広場のパレードがテレビで生中継されていた。

ガイドブックもネット情報もろくにないキューバで、頼りになるのは現地の口コミだ。日本人旅行者に人気らしいというホアキナさんの家に行ってみた。過去の日本人旅行者が書き溜めてきた情報ノートを見せてもらうためだ。
ちなみにこの宿で知り合った日本人旅行者たちとは帰国後も交流が続き、なぜか一緒にケニアのサファリにまで行くことになる。キューバで知り合った人たちと、その後アフリカで再会する人生。誰が予想できますか、こんなの。
キューバといえば二重通貨制。どうやら廃止されたとAIが言うので詳しい説明は省くが、対外的な通貨CUCと国内通貨CUPがあるのだ。$1≒1CUC≒25CUP。
アイスクリームは1CUP。当時$1=¥110くらいなので、4円でアイスが食べられる!
これに苦戦したという情報も多いが、ホアキナさんの宿で知り合った人たちと行動を共にしていたせいか、戸惑った記憶はあまりない。
そもそもキューバに出回っている商品はどこも同じことが多いから、すぐに価格感は分かる。
そして、もう忘れていたと思うが。
出発前夜に38.5℃の熱を出していた私、実はこの時もまだ全然治っていなかった。
ハバナの土埃と、街を走るクラシックカーの排気ガス。これが容赦なく喉を直撃する。声はかすれ、ほぼ出ない。出国前よりひどくなっている。
そんな様子を見たホアキナさんが、私をキッチンに連れて行った。大きなスプーンにたっぷりはちみつをすくって、よこした。
「これを喉に当てて、なめなさい」
私、ここに泊まってないのに。
ただ情報ノートを見せてもらいに来ただけの、通りすがりなのに。
知らない街で、知らない人に、こんな当たり前みたいに優しくされる瞬間がある。旅をしているとたまにこういうことが起きて、その度に、自分がいかに人の親切に頼って生きているかを思い出す。
ハバナは小さい町だ。カンクン→ハバナの便でたまたま隣にいた日本人の男の子と、街でまた偶然会った。一緒にバーに行ってフルーツカクテルを飲む。初めて食べたサルサの味は衝撃的で、9年経った今でも覚えている。記憶がモザイク処理されているはずなのに、ナチョスだけは無事だった。優先順位どうなってるんだ、私の記憶。

ヘミングウェイが通った有名なバー、エル・フロリディータでは、たまたま意気投合した韓国人カップルのディナーに、なぜか同席させてもらうことになった。「韓国来たら教えてね」と言われたけど、あの2人、今どうしているんだろう。

ハバナの後どこに行くか、オールインクルーシブで有名なバラデロと、渓谷と葉タバコ畑で有名なビニャーレスで迷った。
貧乏旅行派の私は、迷わずビニャーレスを選んだ。
ビニャーレスは何だったのか
ビニャーレスは世界遺産にも登録されている渓谷だ。先住民、スペイン人、アフリカから連れてこられた人々、いろんな文化が積み重なってできた土地だという説明を、出発前に読んでいた。
馬に乗って渓谷を巡るツアーがあると聞き、宿の少年に申し込みをお願いした。少年は「うん、できるよ」と言った。よく分かんないけどまあいいよと言いたげな何とも言えない顔で了承した。
翌日、集合時間に行くと、昨日の少年がやってきた。
馬は、いない。
赤土の中を、延々と歩かされる。文化的な説明も、特にない。なんとなく小屋っぽい建物はあった気がする。

生えていたパイナップルを指して、少年が言った。

「パイナップルだよ」
知っとるわ。
お気に入りの黒いスニーカーは、この日の赤土を吸い込んだまま、その後数年間きれいに戻らなかった(洗えという話なのだが)。

これは正規のツアーではなく、少年が個人的に案内してくれているだけらしい、ということに、歩きながらだんだん気づいていった。
え。あ。そういうこと?
「あれも見てみたい」とか、いろいろ注文したい気持ちもあったが、炎天下を歩きすぎて、もうそんな気力もなかった。
どうでもよくなった。
馬もいない。説明もない。パイナップルだけは、ちゃんと教えてもらった。
ビニャーレスの思い出は、結局パイナップルだけになった。
おわり
以上。
まだまだiPhoneカメラの性能が今ほどではなかった時代。デジカメがメインだったから、データが消えてしまったのが悔やまれてならない。
そしてそれはこの後ケニアでもイスラエルでもインドでも繰り返すことになる…
それでも確かに私はあの時代にあの場所にいて笑っていたのだ。
ってことで、みんなは写真の保存面倒くさがらないようにしような!
