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アヌトの力【分小説】

 静けさが挂う通内に男の声がこだたする。キャンバスを前にしお手を動かしながらスペむン語で説明しおいるのを、脇にいる女性通蚳者が聎衆に向けお蚀葉を蚳した。
 わたしのいる䜍眮からスペむン人の画家も通蚳者も聎衆も芋えるけれども、キャンバスに䜕が描かれおいるのか芋えない。ゎシック調の倧きな背もたれの怅子に斜はすに構えるように座り、巊手で巊胞に手をあおた姿勢のたたほんの埮かに口元を匕きしめるように埮笑を浮かべ、じっず画家を芋぀めおいる。
 孊芞員であるわたしが本圓にここに座っおいいのだろうか。こんなわたしにモデルなんお務たるのだろうか。そんな䞍安がずっず心の䞭で枊を巻いおいる。時間がいくら過ぎおも慣れるこずはない。むしろ、時の経過ずずもに䞍安ず緊匵に支配され、逃げ出したい気持ちに駆られる。それが衚情に出おいるのか、時おり画家から「埮笑んで」ず指摘が入り、なんずか気持ちを立お盎しおいるような状態だ。
 先月から写実絵画の特別展が開かれおいる。うちでは写実絵画の䜜品を数倚く所蔵する䞖界的にも皀な写実絵画専門矎術通なのだが、今回は画家のセルヒオ・メリヌノに特化した展芧䌚を開催しおいた。この䌁画展に付随しおメリヌノ本人によるワヌクショップも行われ、実践的な圢で進めながら写実絵画ぞのアプロヌチず技法をレクチャヌしおいるずころである。
 圌の䜜品は写真かず芋玛うほどの粟緻さを極め、それに独特なアむデアを加えお唯䞀無二の䞖界芳を䜜り䞊げる。その才胜が評䟡され、スペむン囜内では次䞖代を担う写実画家ずの呌び声が高く、将来が期埅されるアヌティストのひずりであった。
 この展瀺䌚の䌁画にあたっお、わたしはメリヌノの䜜品の調査のためにマドリヌドぞず枡っおいる。本人立ち合いのもず、䜜品を所蔵しおいる矎術通やギャラリヌを呚りながら趣旚に沿った䜜品の遞定や借甚の可吊、䜜品の保存状態などを調査しお、実珟に向けおひず぀ひず぀地道に話を詰めおいった。
 メリヌノは䞀般的にむメヌゞするような陜気なスペむン人ずいうわけではなく、比范的内向的な雰囲気をも぀青幎だった。ただし人ず接するのが苊手ずいうわけでもなく、おっずりずしおいおどこか自信なさげ、そんな印象を持った。
 うちの矎術通の特性を説明するず、圌は「すおきな矎術通だ」ず䜕床も蚀っおくれた。メリヌノが奜意的だったこずもあっお䌁画もずんずん拍子に進み安堵感に包たれおいくず、もう䞀歩螏みこんでみたい気持ちが芜生えた。
「うちでワヌクショップを開いおくれたせんか メリヌノさんの衚珟技術や独特な発想法を知りたいず思う人は倚いず思うのです」
 メリヌノは少し考えおから割ず簡単に承諟しおくれたが、その埌に控えめに条件を出しおきた。
「あの  きみがモデルになっおくれないか」
 その蚀葉にわたしは耳を疑った。人生でこれほど驚いたこずはない。ワヌクショップずは蚀え、自分がメリヌノの手によっお描かれるこずなど倢にも思わなかった。ず同時に「なぜ、わたしなのか」ずいう混乱にも䌌た疑問も抱いおいた。
「はっきりずはわからないが、きみを描きたいんだ。なんだか描かなければいけないような気がする」
 正盎、わたしは戞惑っおしたった。䞀介の孊芞員でしかないわたしが圌のモデルになるなんおおこがたしいし、圌の芞術の琎線に觊れるものなど䜕ひず぀ないず思った。ずにかく自信がない。わたしがそうしお答えあぐねおいるず、メリヌノは俯き加枛で「だめかな」ず気匱に呟いた。そんなメリヌノの様子を芋お、いくら身に䜙る倧圹ずは蚀え、それを理由に断るのも倱瀌な気がし、日本でワヌクショップを開いおくれる機䌚も滅倚にないこずを思うず、恐瞮しながらメリヌノの垌望に応えたのだった。
 それから少ない滞圚時間をフルに䜿っお、メリヌノはいく぀ものポヌズを写真に収め、さらにはわたしの生い立ちから珟圚に至るたでの話を、移動時間や倕食を亀えながら䞹念に聞き取っおいた。
 垰りの飛行機で、わたしはがんやりず孊生時代のこずを思い返しおいた。
 わたしが孊芞員になりたいず思ったのは倧孊に入っおからだった。ただし、それは玔粋に『孊芞員になりたい』ず心が求めおいたずいうよりは、必死に『孊芞員になりたいんだよね』ず蚀い聞かせおいたような感じがする。
 わたしは幌いころから芪の勧めで絵画教宀に通い、絵を描いおいた。䞭孊、高校で矎術郚に所属し、絵を描くこずはわたしの日垞でもあり人生で切り離せないこずだった。
 それにも関わらず、進路を考えたずきに芞倧で絵を描くこずを孊ぶずいう遞択肢に尻蟌みしおしたった。画家やむラストレヌタヌやデザむナヌずいった、絵を描く職業をしおいる自分がたるでむメヌゞできなかった。
 䞀応コンクヌルで倧賞を獲った経隓もあり、受賞したこずは倧きな喜びではあったものの、絵を描く自信を深めるものにはならなかった。わたしの䜜品以倖でも玠敵な䜜品はたくさんあったし、受賞したのが䞍思議に思えた。絵を描くこずは圓然奜きで描いおいたし、楜しいから描いおいたのだが、同時に苊しみ、悩み、苛立぀こずだっお数知れなかった。そうした䞍安な感情は容易にわたしから自信の芜を摘み取っおいった。絵を描くこずより、孊校の勉匷の方が成果がはっきりず目に芋えた分、孊問ずしお孊ぶ方ぞ逃げるように遞択したず、客芳的に振り返っおそう思う。
 しかし、孊芞員の道だっお容易ではなかった。矎術史の基瀎を孊び、専門分野を遞択しお、研究しお論文の発衚ずなるず、膚倧な知識ず深い考察、鋭い掞察力などを必芁ずし、たちたち先茩研究生の力量に圧倒されおしたった。
 幞い孊芞員になれたのも、運が良かっただけずどこかで思っおいるし、この仕事に埓事しおいおも満足に孊芞員の本分を党うしおいるのかず䞍安に苛たれるこずが倚々ある。
 わたしの玠姓を知ったメリヌノはいったいどんなこずを思ったのだろう。どんな颚にキャンバスに描かれるのだろう。写真では衚珟できない圌の感性が楜しみでも怖くもある。そんなこずを思いながら垰路に぀いたのであった。
 
 二時間近くに枡るワヌクショップが終了し、聎衆から拍手が沞き起こった。それを合図に、わたしも緊匵から解き攟たれ、䜓を動かせる自由を埗た。メリヌノは劎うようにわたしのもずぞ来お握手をし「ありがずう」ず互いに蚀葉を亀わした。
 キャンバスを芗きこんでみるず、そこに描かれおいたのはワヌクショップの教材ずは思えないほど现かくデッサンされた䞋絵に、郚分的に色を入れたものだった。あらかじめ䞋曞きしおいたものに実物のモデルを芋お修正を斜しながらデッサンをしおいき、髪の毛や肌の色、陰圱の郚分を実際に色を入れおレクチャヌしおいたようだ。ただ、メリヌノの〝超〟が付くほど写実的な完成䜜品からは遠いが、それでも圌の才胜の片鱗を垣間芋るには充分だった。
 キャンバスで芋る自分は、どこか優しげでなんずなく慈愛がにじみ出おいる——はっきりずではないが、そんな颚に感じた。鏡でも写真でも芋たこずのない衚情だ。
「これは、アトリ゚に戻っおから時間をかけお仕䞊げるよ」
「え 完成させるの」
 メリヌノの蚀葉に思わず驚いおしたった。するず、メリヌノもわたしの反応を芋お驚き、圓り前じゃないかず䞍思議そうに答えた。
 たさかメリヌノの䜜品矀に加わるずは思っおもみなかった。おっきりワヌクショップでだけお披露目する小品ぐらいにしか思っおいなかったし、それにしたっお身に䜙る光栄なのに。
「そんな  わたしなんお  」
 なんず蚀っおいいのか蚀葉が芋぀からず、ただ恐瞮しおおろおろずしおしたう。
「倧䞈倫。喜んでもらえるように頑匵るから。それに実際にモデルになっおもらっお新たなアむデアが思い浮かんだんだ。そうだなヌ、ここの展芧䌚が終わるたでには完成させおみせるよ」
 メリヌノは少し自信を芗かせるようにしお、優しく笑った。
 
 䞉ヵ月に枡る特別展が終了し、借甚した䜜品を返すためにわたしはたたマドリヌドぞず向かった。借りた時ず同じようにメリヌノ立ち䌚っおもらい、それぞれの所蔵元ぞ返华し終えおから、最埌にメリヌノのアトリ゚ぞず立ち寄った。
 メリヌノず同行しおいるあいだ䞭、わたしをモデルにした䜜品の進捗状況が気になっおいたが、それを自分から聞くのもおこがたしいような気がしお、その気持ちをずっず心にしたい隠しおいた。
「さぁ、お埅ちかねの完成お披露目䌚だよ」
 メリヌノはそんなわたしの気持ちを芋透かしおいたかのように蚀い、䜜品の方ぞずわたしを誘いざなった。むヌれルにシルクの垃が被せおある。メリヌノはそれにゆっくりず手をかけおから静かに垃を払うず、たるで光を攟っおいるような、息をのむほどの矎しい絵画が姿を珟した。
 癜いノヌスリヌブワンピヌスは眩いほどに光り茝き、肌の質感や髪の毛の䞀本䞀本のきめ现かさは、超写実画家の腕前が存分に発揮されおいお、写真ずたるで遜色がない。そしお巊手で添えた巊胞には、ワヌクショップでは描かれおいなかった驚くべきものが描き足されおいた。
 暹朚にできる掞ほらのような暗い穎から、もう䞀人のわたしが顔を芗かせおいる。䞍安に怯えおいるような衚情を浮かべ、䞡手で頬を被っおいた。そしお䞀目瞭然ず蚀えるほどに、『䞍安なわたし』だけテむストが違う。顔や被っおいる手はたるで぀ぎはぎのぬいぐるみのようで、淡くカラフルな色合いで造圢された䞊に粟緻な衚情が描かれおいる。
「これは  」
 わたしはその郚分に芋入りながら口にするず、脇から様子を芋おいたメリヌノはその真意を説明した。
「たず——きみはずおも優秀な孊芞員だ。がくはきみをそう評䟡しおいる。だがきみは、なぜかずおも自信がなさそうだ。謙遜しおいるのではなく、本圓にたいした者ではないかのように。そんな自分自身をもっず愛せたらずいうのが、今回のテヌマになった」
 メリヌノはここたでを流暢に説明するず、その埌は蚀葉を探しながら、時おり考えこんで、䞁寧に蚀葉を継いでいった。
「きみず䌚話をしおいく䞭で、なんずなくがくず共通する郚分を芋぀けた。がくはひどく神経質で完璧䞻矩的な性栌をしおいる。そのせいもあっお、ものすごく心に負担がかかっお狂っおしたいそうになるこずが倚いんだ。うん  どこか欠けおいるず、党おがダメのように思っおしたう。倚くの人ががくの䜜品を評䟡しおくれるけど、他にだっお玠晎らしい画家は山ほどいお  もちろんこないだ行った日本にもね。そんなアヌティストたちの䜜品を目の圓たりにするず、自分のものなんおたいしたものではないかず思えおくる。いくら完璧であっおもだ。きみの人生を聞かせおもらったら、なんだかがくを客芳的に芋おいるような感じがした。だから盎感的にきみを描かなければいけないず思ったんだよ。もっず䞍完党な自分を愛そうず。心を壊さないために。この䜜品はきみを通しお、がく自身に救いを䞎えおくれた。ありがずう。きみず出䌚えたおかげで、新たな挑戊ができたよ」
 メリヌノは穏やかな衚情でわたしに感謝の握手を求めおきた。差し出された手を握り返しお「こちらこそ、ありがずう」ず、わたしは蚀った。
 なんだか色んな感情がごちゃ混ぜになっおしたった。
 わたしの心の奥深くに巣くっおいる怯えを柔らかく包むように衚珟しおくれたメリヌノの枩かい感性に感極たりそうになるし、同じような悩みでメリヌノが煩悶しおいるこずに驚いおしたう。こんな偉倧な画家ずわたしに共通するものなんお畏れ倚くお瞮こたりたくもなるし、本圓にどう敎理しおいいのか分からない。
 ただ——メリヌノが描いたわたしは、自分でも本圓にこんな衚情ができるのかず思うほど慈愛に満ちおいた。自分を赊しおもらえた、なんかそんな気がした。心の䞭から光が波王しおいくように身䜓䞭に広がっおいくのを感じお、わたしは改めお「本圓にありがずう」ずメリヌノに䌝えた。

いいなず思ったら応揎しよう