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アルタイルとベガは出会わない|湘南ひらつか七夕まつり

2026年は、7月3日(金)・4日(土)・5日(日)の三日間が、湘南ひらつか七夕まつり

戦後、復興のために平塚七夕まつりとして、仙台の七夕祭りを参考にスタート。
ちなみに、仙台の七夕祭りは伊達政宗の時代から続く伝統行事であり、「大先輩」です。

第43回・平成5年(1993年)から「湘南ひらつか七夕まつり」に改称されました。
この年は7月7日を初日にした話題性も後押しし、史上最高の361万人の来場者を記録。
この頃はまだ「湘南」がアピール度の高いブランドでした。


七夕ってそもそもどんな行事なのでしょう?
ちょっとまとめてみました。

まずざっくりとまとめると、7月7日は一年に一度だけ、彦星ひこぼし(牽牛星/アルタイル)と、織姫おりひめ(織女星/ベガ)が会うことができる日。

なぜそうなったのか、二つの伝説を綴ります。


まず一つめの伝説。

昔、天帝(天上界で一番えらい存在)の下で勤勉に働く織姫と彦星がいました。
織姫は神々の着物を作る布を降り続け、彦星は牛の世話をし続け、二人ともワーカホリックに。

それを見かねて、かわいそうに思った天帝が二人を結婚させて、「労働」だけでなく「愛」を教えようとしました。

ところが、結婚した二人は「愛」に溺れすぎて、それぞれの仕事をサボるようになります。

神々の布は織られなくなり、神の世界の牛は痩せ細っていきます。

「おまえら、極端なんじゃっ!」
と怒った天帝が二人の仲を引き裂き、それぞれ天の川の両側にすまわせてしまいました。

でも永遠に会えないのもかわいそうだしなぁ、と考えた天帝は一年に一度だけ二人が会うことを許しました。
めでたしめでたし。

二つめの伝説。

織姫は天界の仙女でした。一説には天帝の娘、孫などとも言われています。
それに対して彦星は地上の貧しい牛飼い。

あるとき、織姫は地上に降りて、着ていた羽衣を脱いで木の枝にかけ、川で水浴びをします。
その姿を見つけた彦星は、木の枝にかけてあった羽衣をこっそりと隠してしまいます。

羽衣がなくなって困っている織姫(裸だったのでしょうか?)のところへ、彦星は近づき、しれっと、
「お嬢さん、どうされました?」
と尋ねます。

事情を話した織姫に同情する素振りで、
「とりあえずうちに来ない?」
と誘い、そのまま夫婦に。

子供も生まれて幸せに暮らしていましたが、天帝が二人を発見。
「天界の仙女が、地上の人間と結ばれることは御法度! ぜったいダメ! え? もう結ばれちゃった? じゃあ、引き離す!」

ということで、天の川を隔てた場所に二人を強制移住させました。
彦星も天に昇ってしまいました。

で、やっぱり、永遠に会えないのはかわいそうなので、一年に一度だけ会うことを天帝が許します。

天界の掟的にはどうなんでしょう? 地上の人間を天界に上げるのはアリなんでしょうか?

二つめの伝説、彦星がゲスいです。
日本の伝承にありがちな羽衣伝説が元になった物語です。
裸になった女性の服を隠して、騙して夫婦になるという伝説、個人的に嫌いです。

一つめの「愛が労働を超えてしまった」説の方がロマンティックなので、独断でこちらを「正解」とします。
今後の記事の展開的にもそのほうが都合が良いので。

さて、どちらも一年に一度二人が会えることになっています。
しかし、二人の間には天の川。橋はかかっていません。
さあ、どうする?

せっかく会えたのに、二人の間に天の川が。「この幅なら、またげるでしょ」という声は無視。

ここで、カササギの登場です。
そう、鳥のカササギ。

どこからともなく、大量のカササギが飛んできて、みんなで陣形を組んで天の川に自ら身を挺した橋をかけます。
カササギ橋です。
この橋を渡ってふたりはめでたく手を取り合えるのです。

「重いから、とりあえずどちらかの岸に行けよ」と思っているかもしれないカササギたち。

ちなみに、彦星(牽牛星/アルタイル)は、10億〜12億歳、織姫(織女星/ベガ)は4億〜5億歳。
たいへんな、「歳の差カップル」です。

一年に一回の出会いも、雨が降ると会えなくなるという伝説もあります。
もう、何億回も会っているんでしょうから、別にそれくらいは我慢できるでしょう。

人間が百年間毎日会ったとしても、3万6500回前後(閏年の誤差含む)。
それに比べれば、もう十分に会っています。
実は倦怠期だったりして(←この想像もゲスいですね)。

で、「正解」とした伝説が奈良時代に日本に伝わります。
その当時の日本には、棚機津女(たなばたつめ)信仰というものがありました。
棚機津女たなばたつめとは、水辺の機屋(はたや)で神に捧げる衣を織る巫女的な乙女のこと。

棚機津女(たなばたつめ)想像図。

織姫がこの棚機津女(たなばたつめ)と同化。
「たなばた」という読みはこの棚機に由来します。
「七夕」を「たなばた」と読むのはこのためです。

では、なぜ「七夕」と書くのかというと、七月七日の夕方だからです。
だんだん説明が面倒くさくなってきました。
きっと、彦星と織姫は七月七日の夕方に会ったんでしょう。終わり!
(なぜか若干キレ気味)

で、江戸時代になり、寺小屋で学ぶ子供たちが、五色の短冊に学問や武芸の上達などの願い事を書き、笹の葉に結ぶようになりました。

笹の葉はまっすぐ上に伸びるので、古来、神聖な依代よりしろのひとつでもありました。
いわば、神道的な伝承と中国の伝承が結びついたのが、短冊をくくりつけた笹の枝。

♪「笹の葉さらさら…」が最近あまり見られない。

ようやく、湘南ひらつか七夕まつりに戻ります。

以前は会期が5日間で、必ず7月7日が含まれていました。
(会期を8月に移した2年間と、国政選挙が7月7日に重なった年を除く。)
ところが東日本大震災、コロナ禍を経て3日間開催が定着。
必ずしも7月7日が含まれなくなりました。

つまり、今年の湘南ひらつか七夕まつりの期間には、彦星(アルタイル)と織姫(ベガ)は出会わないのです。

湘南ひらつか七夕まつりは、だんだんと飾りも質素になり、来場者も往時の3分の1程度に減少。

昨年からは、夜8時には屋台も閉店することとなりました。
今年は日によっては夜7時半閉店。
屋台につないだ電源を、七夕まつりの実行委員会が時間になると強制的にシャットダウンしますし、大量の警察官と警備員、スタッフが警備と巡回にあたっています。

2009年には会期中に会場近くの暴力団事務所で殺人事件が発生。
七夕での縄張りをめぐる暴力団同士の抗争が原因でした。

2014年には、あちこちで喧嘩と暴力が頻発して大荒れに。

その頃から比べると、大変健全になりました。

一方で、七夕まつりに限りませんが、だんだんと本来の祭りの主旨が失われて、単に屋台が並んで、たまにステージで地元の人が歌ったり奏でたり踊ったりするという祭りが増えています。

湘南ひらつか七夕まつり、もはや竹飾りより屋台の方が多いのでは?

以前、伊勢原市の太田道灌まつりに行ったときも、メイン会場には太田道灌の痕跡はかけらもなく、菩提寺で供養がおこなわれただけです。
メイン会場は屋台と、伊勢原大神宮の遥拝所を利用したステージのみ。

そういえば最近、盆踊りも見なくなりました。

一年に一回、多くの人が集まって賑わう祭り。
活気づけや経済効果などは見込めるのかもしれません。

しかし、祭りの本質が、そして伝統が薄れていくのを寂しく感じながら、屋台の高いヤキソバをほおばりました。








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