神社で見落としていたもの②【句碑】|松尾芭蕉っていろいろな神社に寄っていたのね
鹿島神宮で要石を見たとき、近くに松尾芭蕉の句碑があることに気づきました。
石の句碑が達筆すぎるのと、老朽化しているため、説明板を読まなければ、なんと書いてあるのかわかりません。

枯枝に 鴉のとまりけり 穐の暮
と彫られているらしいです。そのまま説明を読み進めます。
穐は秋の旧字であり、この句はこの地で詠まれた句ではないが状況が似ているので建てられたものと推察される。
芭蕉がここで読んだんじゃないんかい!
と、ツッコミを入れたくなりませんか?
あと、句心(というのかどうか知りませんが)が無いためか、俳句の内容を知ってもピンときません。
はっきりいうと、「ふぅ〜ん」という感じです。
松尾芭蕉の句だからということで評価されているのではないかと勘繰ってしまいます。
だって、枯枝にカラスが止まっている秋の夕暮れですよ。
今では珍しくない光景。都会でも田舎でも、もうあちこちカラスだらけ。

などと思いつつ、
「そういえば、今まで参拝した神社にはけっこう松尾芭蕉の俳句の句碑みたいなのがあったような気がするな。」
と気づきました。
しかし、句碑にはなんの関心もなかったため、ほとんど写真も撮っていません。
ずっと句碑の写真を撮り続けていれば、『神社の句碑写真集』とか出版できたかもしれないのに(権利関係は不明ですが)。
で、手持ちの6万枚ほどの写真の中から、句碑を探してみました。
「句碑」で検索して絞れればいいのですが、そこまで便利ではありません。
下の写真は三嶋大社の句碑ですね。
どむみりと 楝や 雨の花曇り
説明板には「楝」の読み方が書いてありません。
こういう点も句碑があまり親しまれない原因なのでは?
ちゃんとふりがなを振ってほしいところです。

というか意味もよくわかりません。
説明板にも「楝」が「せんだん」という植物のことだと描かれています。
Wikipediaの画像を拝借。こんな花だそうです。

さらに、俳句の意味をchatGPTに教えてもらいます。
雨が降りそうなどんよりした花曇りの空の下で、センダンの花が重たげに咲いている。
以下は、説明板の説明です。
元禄七年(一六九四)五月十四日三嶋明神に参詣した芭蕉は雨空に神池の辺りせんだんの花の群を仰いで江戸に残してきた病床の妾「すて」の身を案じて詠んだ句である。
もう、男って身勝手!
病床の妾を心配しているのなら、そばにいてあげなさい。
妾という以上は正妻もいるわけで、妻も妾も残して勝手に旅して風流に浸っているわけですな。
「芭蕉=スパイ」説とかもあり、重要な任務を負っていたという話もありますが、やはりここは病床の妾のそばにいてあげてほしかったです。
で、次の句碑。
藤沢市の白旗神社の駐車場の片隅に、ひっそりと立っている小さな石碑。

【俳句】
草臥れて 宿かる比や藤の花
【現代語訳】
長旅で歩きくたびれて、そろそろ宿を借りたいころ、ふと藤の花が目に入った。
これまた、芭蕉がここで詠んだ句ではないそうです。
藤沢なので藤の花と関係があると感じた人が江戸時代の後期に建てた句碑とのこと。
でも、1805年に建てているので、もう200年以上経っています。貴重といえば貴重。
もう説明板の文字も半分消えかかっていますが。
膨大な写真の中から芭蕉の句碑の写真を探すというのは、なかなかの苦行なので、次で最後にします。
わりと最近参拝した玉前神社の句碑。

たかき屋にの御製の有難を今も猶
叡慮にて賑ふたみや庭かまど ばせを
説明を読んでもよくわかりません。

調べてみると、だいたい次のような感じです。
(仁徳天皇)が詠んだという「たかき屋に」の御製(ぎょせい/天皇が詠んだ歌)のありがたさを今でも感じる。
天皇の民を思う心によって、民の家々のかまどは今も豊かににぎわっている
ばせを=芭蕉
「叡慮にて賑ふたみや庭かまど」の部分だけが俳句。
こうやってみてくると、句碑はあるのに説明が十分でないところばかり。
神社にもあまり句碑をアピールする姿勢は見られません。
せめて、漢字にはふりがなを振って、説明板には原文と現代語訳くらいは書いてもらいたいです。
そうなっていれば、私ももっと早く神社の句碑に気づいて関心を持ったのに(たぶん)。
今後は神社参拝のおりには、句碑にも気をつけたいと思います。
では、最後に私も一句。
あじさいが 濡れる社に 石の句碑
お粗末さまでした。
