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人生教訓。急がば回れ。焦るが負け。

自分は気質的になんでもパパッと終わらせたいタチである。仕事しかり、食事や睡眠、筋トレやストレッチ、人付き合いやメールの返信、歯医者からメガネのレンズ交換まで、日常生活のあらゆる面をスムーズにこなし、自由な時間を最大化することに全精力を捧げている。

基本的に、私は他人に自分のペースを乱されるのが苦手である。待ち合わせ時刻に平気な顔で遅れてくるような人とはできるだけ付き合いたくない。仕事においても、やるべきことを後回しにする輩や、やらなければいけないことをやらない人とは一緒に仕事をしたくない。今パパッとやってしまえばすぐ終わるのに、なぜ今やらないのか?それが私にはわからなかった。

でも、最近ふと思ったことがある。なんでもかんでも効率的かつスムーズにこなしてばかりいると、本当に大事なタイミングでの選択を間違ってしまうということだ。

普段の仕事や生活をそこそこ効率的にこなすのは、自由な時間を最大化するためには有効である。自由な時間が増えれば、ゆっくりとアールグレイを嗜みながら本を読み、飽きたらのんびりゆっくりとした散歩に出かけ、帰ってきてカモミールティーを嗜みながらG線上のアリアを聞き、頭に浮かんできた考えを言語化しながらキーボードを叩き、夜はベッドの中で静かに読書をする。そんな生活ができるのだ。

しかし、効率化には副作用がある。効率的に物事をこなそうとすれば、必ずどこかに欠陥や間違えが生じる。完璧に物事をこなすことは不可能であり、効率化とは言い換えれば物事の単純化である。そして、単純化というのはその性質ゆえに、大事な部分や重要なポイントを削ぎ落としてしまうのだ。イメージ的には角砂糖を丸くするようなものだ。もちろん私たちが向き合う現実的な問題の多くは、角砂糖の四隅よりも大事なものであることが多い。

たとえば、食事を栄養摂取のみに焦点を当てて単純化してしまうと、美味しいものを食べる幸せや家族や友達と食卓を囲う喜びがなくなってしまう。脳への影響を考えただけの睡眠の単純化は、ホルモンバランスやストレスの緩和など、脳以外の体への影響を無視してしまう。筋トレやストレッチにしても、早く終わらせたいからと思えば思うほど、呼吸やフォームが疎かになり、しっかりした効果を得ることができない。歯医者やメガネのレンズ交換では、ちょっと調べて料金とクチコミをチェックすれば、無駄に何万円もぼったくられることもない。

効率化と単純化は、一時的には自由な時間という報酬を与えてはくれるが、なんでもかんでも効率的かつ単純な枠組みに押し込んでしまうと、後になって副作用が襲ってくるのである。物事や人生には冗長性が大事であり、何事も焦ったら負けなのだ。

人間に目や耳が二つあるのは、生物的な冗長性の表れだ。肺や腎臓が二つあるのも、手と足が二つあるのも、生物として冗長性を持つためがゆえに進化してきた表れなのである。私たちはお金がないからと眼球を一つ売ったりしようとは思わない。同じく耳も肺も腎臓も、「一つあればいいよね」などと言って臓器売買をして大金を手にしようとは思わない。人間は生物的にも人生的にも冗長性が必要なのである。

仕事で結果を出そうと焦れば焦るほど仕事のクオリティは落ち、成功はどんどん遠くへ行ってしまう。異性を口説いてワンナイトラブしようと強引に誘えば誘うほど、相手からは嫌われてしまう。効率化と単純化は意識的な焦りをもたらす。その焦りこそすべての失敗の原因なのである。「急がば回れ」ということわざどおり、何事も丁寧に誠実に対応することが大事なのだ。

よく、人は間違えから学ぶというが、物事を単純化して効率化したいというのは人間の脳の性質であり、よくよく注意していなければ何度でも同じ間違えを犯す。こうした人間のバイアスは、知っていても治すのがとても難しい。だから私は、間違っていることを完璧にこなすよりも、大体正しいことを大雑把にこなすように心がけていこうと思う。完璧主義者は往々にして、冗長性とは無縁で口角を下げながらいつも眉間にシワを寄せている。そんな人を見る度、「ああはなりたくないな」と本気で思う。

心に余裕と冗長性を持ち、現代の単純化と効率化の波に流されず、焦らずゆっくりと物事に対処していこう。

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