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資本主義の本質と『星の王子さま』

資本主義の本質は「他者のニーズ(需要)を満たすことで対価を得る」システムです。そのため、「自分の内なる欲求」を一旦脇に置き、「他者が何を求めているか(他者のニーズ)」をまるで「自分の心からの欲求(自分のニーズ)」であるかのように内面化し、没頭できる人が、結果として最も効率よく利益を生み出し、「優秀な人材」として評価されます。

この「錯覚」がもたらす構造的な怖さは、主に3つの段階で現れます。

「ニーズの錯覚」がもたらす構造

欲求のすり替え
本来は「自分の心が動くこと」をやりたいはずなのに、システムから与えられる目標(売上、評価、昇進、他者からの承認)を「自分がやりたいことだ」と思い込むことで、疑いを持たずに猛烈に走れるようになります。

高効率な自己搾取
他人から「やれ」と強制されるより、自分で「やりたい(と思い込んでいる)」状態で動くほうが、限界を超えて走り続けられます。システム側からすれば、最もコストがかからず高出力な「自主的駆動エンジン」です。

「自分」の消滅
他人のニーズを追いかけ続け、成果を出して称賛されるほど「錯覚」は深まります。しかし、ふと立ち止まったときやシステムから離れたときに、「あれ、自分は本当は何が好きで、どうありたいんだっけ?」と自分の心が完全に空っぽになっていることに気づきます。

誤解を恐れず言葉にするなら、資本主義の中で「優秀」とされるためのトレーニングとは、「他者のニーズをいかに早くキャッチし、それをいかに自分の情熱へと偽装できるか」という訓練だったとも言えます。

しかし、その「優秀さ」を極めた先にあるのは、どこまで行っても他人の人生を生きる脱力感です。

「それは本当に自分のニーズなのか? それとも他者のニーズを錯覚しているだけなのか?」という問いを持つことは、システムの自動運転から抜け出し、「使用価値の世界」から「関係価値の世界」へシフトし、「自分の人生のハンドルを握る」ことに繋がるのだと感じます。


ここまで書いて改めて思うのです。

『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)は、子どもに向けた本でありながら、大人に捧げた本であるということを…

それは、冒頭に記されている
「子どもだったころのレオン・ウェルトに」
これに収斂されていると思います。

そして、この言葉の意味を40年以上たって、
やっとわかりかけている自分がいます。


作中で王子さまが出会う大人たちは、まさに資本主義や社会的役割の中で「他者のニーズ」を自分のニーズだと錯覚し、システムに囚われてしまった人々の完璧な寓意です。

『星の王子さま』に登場する「他人のニーズに生きる大人たち」

数字しか信じないビジネスマン
星を所有し、ひたすら数を数えることに人生を捧げる男。「何のために?」と問われても答えられず、所有という記号に囚われて自分の心を失っている。

目的を見失い点灯し続ける点灯夫
「命令だから」と毎分ランプをつけたり消したりする男。誠実で器用だが、システム(他者の都合)の奴隷になり、自分の時間や内なる欲求を完全に奪われている。

指示棒を振るだけの王様・威張る男
他者からの承認や「支配・被支配」という社会的役割(関係性ではなく機能)にしか自分の価値を見出せない人々。

彼らはみんな、資本主義社会における「優秀で真面目な部品」であり、「他人の期待に応えるプロ」そのものです。

そして、この物語で、私が最も感銘した言葉があります。

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。大切なことは、目に見えないんだよ」

資本主義や社会が提示する「目に見える価値(数値、売上、評価、使用価値)」ばかりを追うと、人は他人のニーズを自分のニーズだと錯覚してしまいます。

しかし、本当に大切な「自分の心(あり方)」「純粋な情熱」「固有の関係性(関係価値)」といった目に見えないものに光を当て直すこと。

『星の王子さま』が聖書に次ぐほど読まれ続けるのは、社会の「優秀な部品」として生きる中で心の摩耗を感じているすべての人々へ、「おい、お前の本当の心(あり方)はどこにあるんだ?」と問いかけているからだと思います。


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てつ|あり方探求ライフコーチ 人生で最も大切なこと、それは 笑顔で心穏やかに生きること。これだけで、私たちは、人として価値がある。これだけで、私たちは、まわりの人に貢献でき、まわりの人を幸せにできる。