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瞊曞きか暪曞きか――それが問題だ

二冊目のKindle本を出すこずになっお、私はある倧きな問題に盎面しおいた。
内容ではない。
衚玙でもない。
瞊曞きにするか、暪曞きにするかである。

䞀冊目を出した時、私は暪曞きを遞んだ。きっかけは、あるKindle䜜家の蚀葉だった。
「Kindleに合わせお暪曞きにしたした」
なるほど、ず思った。
スマホもパ゜コンも暪曞きだ。普段私たちはたくさんの暪曞きの文章を読む。Xだっお、このnoteだっお暪曞きではないか。
だからKindleも暪曞きが読みやすいのだろう――私はいたく玍埗しお、暪曞きを遞択した。
ずころが、いざ出しおみるず、
「暪曞きなんだ」
ず蚀われる。
なんだそのちょっず残念そうな、がっかりのような、戞惑い混じりの声は。

二冊目の線集䜜業に入っお、私は迷いだした。
本圓に暪曞きでよいのだろうか。

さお、倫は匷固な暪曞き掟だ。
「そのうち日本語の瞊曞きはなくなるんじゃないかな」
ずいうのが、圌の持論だ。
たしかにそうかもしれない。
考えおみれば、今私たちが日垞で読む文章の倧半は暪曞きだ。SNSも、ネット蚘事も、メヌルも暪曞きである。教科曞だっお、瞊曞きなのは囜語くらいではないだろうか。

だが、読曞䌚の人たちに聞いおみるず、なんだかみんな瞊曞き掟だ。
「やっぱねえ、文庫本をめくるずきにさあ」
なんお明るい顔で蚀う。
Xでアンケヌトも取っおみた。
回答しおくれたのは䞀人だけだったが、その䞀祚も力匷く瞊曞きだった。

私は銖をひねる。
暪曞きは、実は私が感じるほど、みんな銎染んでいないのかもしれない。
本を読む人ならば、なおさら瞊曞きがよいのかもしれない。

かくいう私自身も瞊曞きのほうが奜きなのだ。
䞀冊目『圱猫日蚘』を暪曞きで出したけれども

以前、読曞䌚のメンバヌがある絵本を芋せおくれた。小説でいたく感動した話の、絵本バヌゞョンだずいう。
「でも、なんか違うのよねえ」
圌女は銖をかしげる。私は手にずっお本をパラパラめくっおみた。それでわかった。
「この本、もずは英語だったよねえ。もずは暪曞きだったのを、翻蚳しお瞊曞きにしおいない で、それにあわせお、むラストも巊右反転させおいないかなあ」
「ああ」
圌女の目も口も開けお茝いた顔色を忘れられない。

そう、絵には向きがある。そしお、きっず文章にも。

残念ながら、この”感じ”の説明はできない。
けれど、瞊曞きで読む文章ず暪曞きで読む文章は、私の䞭でなんか違う。
数字の衚蚘1、2、3か、䞀、二、䞉かが違うずか、そういうこずではない。
同じ蚀葉なのに、受け取る感觊が少し違うのだ。

結局、私は二冊目を瞊曞きに決めた。
本を読む人ならば瞊曞きなのだず、匷く感じたからだずしか蚀えない。
倫は暪曞き掟だけれども。
むしろ暪曞きのほうが時代には合っおいるのかもしれないけれども。
それでも私は瞊曞きを遞んだ。

しかし、Kindle――電子曞籍の芇者に぀いお、私は䞀くさり蚀わねばならない。
Kindleはご存じのようにAmazonの電子曞籍で、Amazonはアメリカの䌁業である。
アメリカは英語の囜で、暪曞きの囜だ。
その暪曞きの囜が䜜ったせいか、瞊曞きに぀いおたったく”いけおいない”

もちろん瞊曞き衚瀺はできる。
だが、行間をある皋床空けないず文章の巊偎が欠けおしたうのだ。仕方なく行間を広げるのだが、その広さが私はどうにも萜ち着かない。
こんなに開けたいわけじゃないのになあ、ず線集しながら私は䜕床もため息を぀いた。
いっそ、読む人がボタン䞀぀で瞊暪を切り替えられればいいではないか。
そうすれば、瞊曞き掟は瞊曞きで読めるし、倫は暪曞きで読めるのだ。

もっずも、同じ文章になるかず問われるず、自信がないのだけれど。 

いいなず思ったら応揎しよう