暫定のロマンを生きる
「UNISON SQUARE GARDEN活動休止」の報に触れて、浮かんできたのは「間に合わなかった」だった。22年間もの間、華やかに活躍してきたロックバンド、その存在を横目に捉えながらも深く交わることなく過ごしてきたのに、アルバムで言えば「Ninth Peel」の頃から突然ハマってリアルタイムに合流した。ライブには二度行けた。だけど、生き物であるバンドという存在と並走しながら、自分の人生を成す一本の糸として織り込みながら、もっと長く追いかけたかった。そんな身勝手な消化不良と、彼らは来る日もどこかでライブをしていて自分さえそこへ足を運んでいけばいつだって会えるのだという、浅はかな、しかしなぜだか信じて疑わなかった未来が忽然と消えたことにただ呆然として、薄く膜の張ったような心で7月15日までの日々を過ごしていた。
突然、貪るように聴き始めた4年前。それなりに働いてきた二十代の終盤、転職先の新しい仕事に夢中でのめり込んでいた頃。終電ぎりぎりの時間までオフィスに粘って、数時間後にもう起きてるんだなまだ寝てないけど、とか思いながらぼんやり地下鉄に揺られている夜だった。YouTubeのアルゴリズムが薦めてくるままに音楽を耳に流し込んでいたら「君の瞳に恋してない」のMVが自動で再生されて、ワンカット撮影風のなにやら目まぐるしい映像に引き込まれて手の上の四角い画面を見つめていた。
まあちょっと潮が引くまで
Cメロを締めくくる甘い不意打ちに、ずきっとした。なんだその温度感、と驚いた。失敗したりループにハマって病んでいる人に対して、大丈夫だよ、と励ますのでもなく、でも頑張ってるよね、と肯定する訳でもなく「まあちょっと潮が引くまで」。待とう、と皆まで言わない所もセクシーだ。向いていないことに食らい付いて四六時中仕事のことを考えていた、そうでもしないと到底足りないと自分で自分を追い込んでいたあの頃、ケアが足りずにすっかり毛羽立っていた心の表面を、通りがかりに「さっ」と撫でてもらった心地がした。それは前の人が落としたハンカチを拾って手渡すような自然さで、ちっとも押し付けがましくなく、心の深くまですっと落ちるやさしさだった。その日を堺に私は彼らを信じ始めた。
アルバムの軌跡をリリース順に辿り、彼らが主題歌を書き下ろしたタイアップ作品を観た。15周年記念のB面集も繰り返し聴き込んだ。それだけ熱を上げておきながら恥ずかしいのだけど、「オリオンをなぞる」のBメロで「十分適度に」「ロマンチックさ」「軽くスーパースター」の間に挟み込まれるコーラスが、何て言っているのか、昨日まで実は分かっていなかった(カラオケで適当に発声してごめんなさい)。あれってそういえば、と思い歌詞を改めて調べてみると「暫定ロマン」「最高ロマンス」と言っていたのだと知って、本当に今さらながら、たまげた。「暫定」と「ロマン」。あまりに温度差の激しい二つの単語を難なく接着した挙句、掛け声にまで落とし込んでしまう様はまさに田淵マジック、あまりにもユニゾンらしい言葉遊びじゃないか。暫定ロマン、と小さくつぶやいて、その連結部のなめらかさを口の中で確かめる。
まるで使い古した暫定状態
それも別に悪くねぇよ バイバイ
暫定、というワードを田淵は歌詞にたびたび使う。この言葉に受ける印象はなんというか、一般的にはそんなに前向きなものではない。一旦の、仮の、という腰掛け状態、白黒はっきりしないグレーな状況。辞書の堅い定義はこうだ。「最終的な決定や解決が行われるまでの間、一時的に設けられる措置や状態を表す言葉」。あくまで通過点であってここがゴールではない。いわばそんな中途半端な現在地。
でも、と思う。人生ってひょっとして、暫定の連続でしかないのか? 命の時間が尽きるまでの道中、最終的な答え、解決、終着地に一足飛びには辿り着けない。終われない。総括できないまま、スッキリしないままで日々は続く。現体制ラストライブのセットリスト後半で満を持して繰り出された「センチメンタルピリオド」の演奏に配信の画面越しに触れながら、雷を喰らったかのようにズガン、と鮮烈に気付かされる。暫定こそが、人生なのか、もしかして。
半端な措置はとりあえずで続いて、そのうち古びる。次なる暫定にアップデートされていく。言っても暫定なんだけどね、とか言い訳しながら、その先に続く時間の果てしなさに恐ろしくなったり、わからなさに辟易したりする。それでも私たちはどうしたって、目の前の選択肢を暫定で、選び続けていくほかないのだ。ユニゾンが三人で歩んできたおよそ22年という途方もない時間の蓄積。それはこうして区切りが付いてみれば壮大な物語なのだけれど、それらを構成するミクロの「点」にクローズアップしてみれば、きっとそのときどきの、彼らの「暫定」の積み重ねなのだろう。ある年齢、あるタイミングで、新譜やライブという形で出力され、聴き手と広くシェアされる彼らのいくつもの暫定状態に、私たちはロマンを感じてその都度熱狂してきた。なんでもなさそうな日々の地点にロマンは確かにあって、後から振り返ればそれも別に悪くはなかったのだ。
昨日までをちゃんと愛して
見たことない景色を見るよ
正しすぎることを言わない彼らに、ずっと救われてきたのだった。信じれば叶うだとか愛だとか。手を叩こうとかみんな一緒にとか。君の瞳に恋して“ない”から取れる適切な他人の間合いで、だけどちゃんと相手に届くボリュームで、他人の言うことなんて気にしないで自分の頭で考えて自分の足で立ちなよ、と彼らはいつも背中をぽんと軽く叩いてくれたのだった。
そういう仲になりたいとかじゃなくて逆で stand up yourself, OK?
足元はいつも暗くてせいぜい1メートル先しか見えない。その先は闇のままだけど、目の前の希望を拾って一歩踏み出せれば十分適度。そうやって日々を縫っていけばいい。どうしたって暫定ではしんどい今でも、まあちょっと潮が引くまで。一難去ってまた一興。
こんなにも「正しくなくていい」と言い続けてきてもらったのに、私の方はつい彼らに、ロックバンドとして「続いていく正しさ」を無自覚に押し付けていたのかもしれない、と気付いてしまう。ステージの向こう、遠い存在に見える彼らだって同じ人間で、他人どうしが寄り集まって擦り合わせたり諦めたり乗り越えたりしながらきっと、バンドの時間を前へ進めてきた。そして迎えた今、彼らは彼らなりの暫定の結論を出した。まだ見ぬ音楽をどうしても待ち焦がれてしまうファンからしたら「正しくない」かもしれない決断を、どうか結んでくれ、と私たちに真正面からぶん投げて、その幕を潔く下ろす。
22年間、言葉と音楽で心から楽しそうに遊んでくれてどうもありがとう。主語が三人の側に移った途端に新たな意味が生まれたラストの憎い選曲と、ひとまずのさよならだからって余計なお喋りなんか挟まず、いつも通りの完璧なステージを届けたあなたたちの暫定の姿に、まだ痺れたままでいます。
拝啓 わかってるよ 純粋さは隠すだけ損だ
敬具 結んでくれ 僕たちが正しくなくても
