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祖父の航跡をたどって ── 「三壽の日記」が教えてくれたこと


茶の間の思い出

小さいころ、私は祖父っ子だった。
学校から帰ると、茶の間でお菓子を頬張りながら、祖父と並んで西部劇や相撲中継を見る。
それが毎日の当たり前の光景だった。
いわば、私と祖父は「茶飲み友達」のような間柄だったのだと思う。

とても物静かな人だった。
声を荒げるところなど見たこともない。
だから子供の私は、この穏やかな祖父が、かつて戦場に身を置いていたことなど、想像すらしなかった。

手帳一冊とノート一冊

祖父・三壽が遺したものは、手帳一冊と、A5判ほどのノート一冊だけだった。

手帳には、1917年7月21日午前8時、
横須賀出港から始まり、
1919年6月18日の横須賀帰港まで、
各地の入港・出港地名、日時、航行距離、
そして遠征を率いた首脳者の名までが、几帳面な字で記されている。

今からおよそ110年前、祖父は海路2ヶ月をかけて、はるばる地中海の戦場へと向かった。第一次世界大戦。約2年もの間、命をかけて軍務に服したのだった。

横須賀から地中海へ  三壽の航跡

行きの航路をたどると、その距離の途方もなさに息をのむ。

横須賀 ― 佐世保 ― 香港 ― シンガポール ― コロンボ ― アデン ― ポートサイド

ここから先が、地中海の戦場である。

マルタ ― コルフ ― サモス ― アレキサンドリア ― マルセイユ ― ツーロン ― マルセイユ ― サロニカ ― イスタンブール ― ダーダネルス ― ガリポリ ― プリマス ― ブレスト ― ポーツマス ― マルタ

そして帰路。

マルタ ― コロンボ ― ペナン ― シンガポール ―馬公 ― 横須賀

長く滞在したロンドン、マルタ、コロンボでは、市内や島内を見学した記録が残されている。
ペナンやシンガポールについての細やかなメモ書きもある。

それは戦記というより、若き日の祖父が異国で見たものを書き留めた、一冊の旅日記のようだった。

語られなかった戦争

祖父は、子供の私に戦争の話を一度もしなかった。したくなかったのかもしれない。
参戦した経験というものは、家族の前で軽々しく語れるものではなかったのだろう。

その代わりに、私は後になって、祖母や父からぽつりぽつりと聞かされた。「家族でドーバー海峡を渡ったのは、お爺ちゃんの次はお前だったんだよ」と。

不思議な話だと思う。
祖父が声にしなかった旅の記憶を、私は知らぬ間に、自分の足でなぞっていた。
ロンドン、アレキサンドリア、コロンボ、ペナン、シンガポール、香港、台湾
祖父の航跡と重なる場所を、私は仕事として、
あるいは旅人として訪れていた。

父の見果てぬ夢、そして私

生前、父は「海外、それもインドネシアで仕事をしたかった」と私に語ったことがあった。
その夢は叶わなかったが、息子である私が、様々な国や地域を訪れ、旅に関わる仕事に携わることができた。

これは祖父から受け継いだDNAなのか、それとも父が果たせなかった夢を、巡り巡って息子が引き継いだということなのか。
輪廻というべきなのか、血というべきなのか。

答えは分からない。ただ、世の中とは、人生とは、実に不思議なものだとしみじみ思う。

父が「三壽の日記」を現代文に改め、解説を加えてくれたおかげで、今あらためてそれを読み返すことができる。
過酷な戦争体験の合間に垣間見える、祖父の若々しい好奇心。そして、100年以上前の世界情勢や航路の記録から浮かび上がる、時代そのものの不思議な一面。

まだ見ぬマルタへ

祖父が長く滞在し、日記に多くを書き残したマルタ島に、私はまだ足を踏み入れたことがない。

いつか必ず、あの島を訪れたいと思っている。
物静かだった祖父が、104年前に見たであろう景色を、今度は私がこの目で確かめに行く。

それはきっと、祖父からの、静かで優しい誘いなのだろうと、私は勝手にそう思っている。

(随筆随想)

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