飛鳥・藤原物語:第12話 藤原京誕生 ― 日本初の本格的な都はこうして造られた
694年、日本初の本格的な都「藤原京」が誕生しました。碁盤の目のように整備された街並み、壮大な宮殿、全国から集まる役人や商人たち――。
第12話では、藤原京がどのように造られ、なぜ日本最初の計画都市と呼ばれるのかを、史実に基づいてわかりやすく物語としてご紹介します。
694年。日本の歴史は、新しい時代を迎えます。持統天皇は、飛鳥から北へ、およそ五キロ。広大な平野に築かれた新しい都へ移りました。
その名は――藤原京。
ここは、日本で初めて本格的な都市計画に基づいて造られた都でした。

それまでの宮は、天皇が代わるたびに移されることが多く、宮殿を中心とした小さな政治の場にすぎませんでした。しかし藤原京は違います。最初から「国を動かすための都」として設計されたのです。
その手本となったのは、中国・唐の都「長安」。東西と南北にまっすぐ延びる大きな道路が町を碁盤の目のように区切り、その中心には壮大な宮殿が建っていました。藤原京もまた、この最新の都市計画を取り入れています。
宮殿の南には幅二十メートルを超える朱雀大路が一直線に延び、役所や貴族の邸宅、寺院、市場が整然と配置されました。都の広さは、およそ5キロ四方。面積は約25平方キロメートルに及び、当時としては東アジアでも有数の規模を誇る大都市でした。

では、この都には誰が暮らしていたのでしょうか。まず、政治を担う役人たち。全国から選ばれた官人たちが宮殿へ通い、法律を整え、税を管理し、国を動かしていました。その周囲には貴族たちの邸宅が建ち並びます。

一方、市場では商人たちが全国から集められた品々を売り、職人たちは瓦や木工品、布や金属製品を作り続けていました。都には多くの人々が集まり、新しい文化が生まれていきます。

また、藤原京には上下水路も整えられ、計画的な道路網によって人や物の移動も効率化されました。これは、それまでの日本にはなかった都市づくりでした。

しかし、藤原京が果たした役割は、それだけではありません。この都は、「日本という国家」を目に見える形で表した存在だったのです。壮大な宮殿。整然と並ぶ役所。全国から集まる人々。誰もが、この国には中心があり、そこから政治が行われていることを実感できました。まさに、律令国家の象徴だったのです。
ところが、この華やかな都で栄えた時代は、わずか16年ほどしか続きませんでした。710年、都は平城京へ移されることになります。なぜ、これほど立派な都が短い期間で役目を終えたのでしょうか。その理由は、藤原京が失敗だったからではありません。むしろ、藤原京が成功したからこそ、さらに大きな都が必要になったのです。その答えは、藤原京で暮らした人々の日常に隠されています。
次回、第13話「藤原京で暮らした人々」
日本最初の都で、人々はどんな毎日を送り、どんな夢を抱いていたのでしょうか。
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監督:こう爺
お話とプロンプト:ChatGPT
画像と動画:Flow (Nano Banana 2)
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