飛鳥・藤原物語:第8話 天智天皇が築いた新しい国―近江遷都と防衛国家への道
白村江の敗北を受け、日本は大きく変わり始めます。
天智天皇はなぜ飛鳥を離れ、近江へ遷都したのでしょうか。
防衛国家への転換、戸籍制度の整備、そして中央集権国家への歩み――。
第8話では、天智天皇が進めた改革と、その後に待ち受ける「壬申の乱」の前夜を、史実に基づいてわかりやすく物語として描きます。
663年、白村江の戦いで日本は大敗を喫しました。飛鳥へ戻った人々の胸には、一つの恐れがありました。
「もし唐の大軍が日本へ攻めてきたら、この国は守れるのだろうか。」
その危機感を誰よりも強く抱いていた人物がいました。
中大兄皇子です。彼は668年、即位して天智天皇となります。

新しい天皇が最初に取り組んだのは、国の守りを固めることでした。
九州では、大野城や基肄城などの巨大な山城が築かれます。山の尾根を利用した長大な石垣や土塁は、敵の侵攻を防ぐための最前線でした。瀬戸内海沿岸にも防衛施設が整えられ、日本は初めて本格的な「防衛国家」へと変わり始めます。

しかし天智天皇は、それだけでは十分ではないと考えました。
飛鳥は山々に囲まれた美しい都でしたが、長年にわたり豪族たちが勢力を築いてきた土地でもあります。
新しい国家を築くには、新しい政治の中心が必要でした。
667年、天智天皇は都を飛鳥から近江大津宮へ移します。

現在の滋賀県大津市です。なぜ近江だったのでしょうか。そこは琵琶湖に面し、水運に恵まれた交通の要衝でした。東国とも結びつきやすく、万が一西から敵が攻めてきても、飛鳥より守りやすい場所だったと考えられています。
もちろん、この遷都には反対する人も少なくありませんでした。
飛鳥は代々の天皇が政治を行ってきた聖なる土地です。
そこを離れることに、多くの人々は戸惑いました。
それでも天智天皇は、新しい時代には新しい都が必要だと信じていたのです。

この頃、国家の制度も着実に整えられていきます。
全国の戸籍づくりが進められ、有名な「庚午年籍」が作られました。

これは、日本で最初の全国的な戸籍と考えられています。
人々の名前や家族構成を記録し、税や兵役の基礎とする制度でした。
さらに、土地制度や行政組織も整えられ、中央集権国家への歩みが一段と進みます。こうした改革によって、日本は豪族たちの連合体から、一つの国家へと姿を変え始めました。

しかし、その平和は長くは続きません。671年、天智天皇が病に倒れます。
後継者に指名されたのは息子の大友皇子。一方、弟の大海人皇子は政争を避けるため吉野へと去りました。

ところが翌672年。天智天皇が崩御すると、日本史上最大の内乱が始まります。兄の子と、弟。皇位をめぐる壮絶な戦い――。「壬申の乱」です。
この戦いが、日本という国家の未来を決定づけることになります。
次回、第9話「壬申の乱」。
古代日本最大の内戦と、勝利した一人の皇子が築く新しい時代を描きます。
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監督:こう爺
お話とプロンプト:ChatGPT
画像と動画:Flow (Nano Banana 2)
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