満たされないという贅沢
人生は、どこか一つネジが外れているくらいがちょうどいい。
すべてが思い通りになり、欲しいものが何一つ欠けていない完璧な状態を想像してみる。
一見すると究極の理想郷のようだが、その先にあるのは平坦な静けさと、底知れぬ退屈ではないだろうか。
哲学者ショーペンハウアーは、人間の人生は「苦痛と退屈」の間を揺れ動く振り子だと言った。
何かを求めているときは「足りない苦しみ」にもがき、いざそれが手に入って欲求が満たされると、今度は猛烈な「退屈」がやってくるというのだ。
私たちは常に、この矛盾した二つの岸辺を行き来している。
そう考えると、「足りないものがある」という現実こそが、私たちを突き動かすエンジンなのかもしれない。
満たされない空白があるからこそ、私たちは明日への期待を抱き、手に入れたときの小さな喜びに胸を躍らせ、誰かと分かち合う温もりを求めることができる。
完璧ではないからこそ、工夫し、足掻き、生きていく実感が生まれる。
全部が満たされてしまった世界には、もう挑むべき山も、驚きも残されていない。
そう気づいたとき、胸のつかえが少しだけ軽くなる。
今抱えている物足りなさや、まだ見ぬ理想への渇望は、生きている証そのものなのだから。
あとがき
孟子は「生於憂患、死於安楽」と言った。
人は困難や不足という憂いの中でこそ生き抜く力を得て、すべてが満たされた安楽の中に身を置くとき、かえって魂の活力を失っていく。
不完全さや足りなさは、決して人生の欠陥などではない。むしろ私たちが生きているという証であり、明日を面白がるための最高のスパイスなのだろう。😏
