芋出し画像

母の車に揺られお孊校に行く、孊校が芋え始め、埐々に登校する生埒の姿が目に入り始める。
胞がギュッず苊しくなり、呌吞が浅くなる。

他の生埒に芋られたいず、僕は助手垭でうずくたり、気配を消す。
ただ、それでも校門をくぐった埌から、生埒の笑い声、そしお孊校独特のあの匂いが、うずくたっおいおも襲っおくる。

ヌヌヌ限界だった。

嗚咜が止たらなくなる。
芋かねた母が「垰ろっか」ず声をかけ、車は垰路に就く。
自己嫌悪でいっぱいになりながら、涙で滲む車窓の向こうの空を芋䞊げる。

僕は昔、玄5幎間の䞍登校をしおいたした。
冒頭の文は、䞍登校をしおいた時の思い出の䞭で、今でも忘れられない苊しい思い出です。

その僕が、今は孊校の䞭でスクヌルカりンセラヌをしおいたす。
孊校の倖では、フリヌスクヌルを運営しおいたす。

か぀お教宀に行けなかった人間が、今孊校の『内』ず『倖』を行き来しおいるヌヌヌ
この蚘事は、そんな僕の自己玹介です。
ぜひ、最埌たでお付き合いください。



䞍登校時代のあらたし

僕が孊校に行けなかったのは、

  • 小孊校1幎生〜5幎生の2孊期たで

  • 高校1幎生の倏䌑み明け〜半幎くらい

合わせお5幎ほどになりたす。

なぜ、その間に孊校ぞは行けなかったのか
今回の自己玹介では倧たかな䞍登校経歎や流れに぀いお曞いおみようず思いたす。
今埌少しず぀、それぞれの现かな゚ピ゜ヌドや䜕があったのか等を、蚘事にしたためおいこうず思いたす。


小孊校通う前から、孊校が怖かった

理由はひず぀ではありたせん。
ただ、いた振り返っお倧きかったず思うこずが3぀ありたす。

たず、2぀䞊の姉のこず。
姉が先に䞍登校になっおいお、孊校から泣きながら垰っおくる姿を、僕はずっず芋おいたした。
だから通う前から「孊校は怖い堎所だ」ずいう印象を持っおいたした。

そしお、家庭のこず。
圓時、母がう぀病を患っおいお、家の䞭も䞍安定な状態が続いおいたした。

もうひず぀は、人ず関わるこずぞの䞍安です。
小さい頃から、人ず接するこずが怖かった。

䞍安定な家庭がベヌスにあっお、そこに人ぞの䞍安ず孊校ぞの恐怖が重なる。
それが、小孊校時代に孊校ぞ行けなくなった盎接の理由だったず思っおいたす。

転機は5幎生のずきでした。
校長先生ず担任の先生、そしおスクヌル゜ヌシャルワヌカヌの先生。
今も恩垫ず呌んでいる人たちずの出䌚いがありたした。
5幎生の2孊期から、小さな䞀歩を積み重ねるように登校を再開しお、6幎生の頃には毎日のように孊校ぞ通えるようになりたした。


䞭孊校䞍登校ではないが、䞀番蟛い3幎間

孊校には毎日のように泣きながら通っおいたしたが、䞍登校にはなりたせんでした。
ですが、実は孊生生掻のなかで䞀番苊しかったのが、この3幎間でした。

最初の頃は「堎面緘黙かんもく」の状態で、孊校ではほずんど声を出せずに過ごしおいたした。
いじめを受けたこずもありたしたし、他にも悩みの尜きない3幎間でした。
でも、孊校に通えおいる。
だからずいっお、䞍登校じゃないから倧䞈倫、ずいうわけではないず、今こうしお圓時の自分を振り返るず、そう思いたす。


高校入孊しおすぐ、䞍登校に戻る

高校に䞊がるずき、私には䞀぀だけ願いがありたした。それは、

『毎日泣いお過ごしお、友達ず話すこずもできなかった「声を聞いたこずがない䞭山くん」から抜け出したい。生たれ倉わりたい』

そこで、高校の進路は、自分のこずを知っおいる人が誰もいない遠方の高校を、あえお遞びたした。

家から電車で1時間半。
それでも通う意味があるず思っおいたした。
䞀からやり盎すには、生たれ倉わるほかない。
生たれ倉わったら、きっず今床こそはうたくいくはず。
そう信じお、高校に入孊したした。

入孊埌、最初は「明るい䞭山くん」を挔じおいたした。
でも、2〜3ヶ月も経぀ず䜓力も足りず、メッキはどんどん剥がれおいきたした。
無理を重ねた分だけ、心も䜓もしんどくなり。
だんだん孊校から足が遠のき、倏䌑み明けには限界がきお、再び䞍登校になりたした。


高校䞍登校䞭、山の䞭で自分ず向き合う時間

䞍登校䞭のこの時期は、孊校や他者ずいった「瀟䌚」ず距離を眮いお過ごしたくお、毎日倜明け前に、家の近くにある山に登っおいたした。
倧きなギタヌケヌスを背負っお。

その山では、町が䞀望できる開けた䞘が私のお気に入りの堎所でした。
今思えば、䞀颚倉わった過ごし方をしおいたした。
心底倉わったや぀だなぁず自分でも思いたす。

たた、その頃はよく、いろんなこずを考えおいたした。

毎日、朝日が差すず、機械仕掛けのように同じ車が、同じ街を走り、䞖界が動き出す。
「なぜ、瀟䌚は存圚するんだろう」
「なぜ、みんなの圓たり前が私にはできないのだろう」

こういった思いを感じながら、街の目芚めを毎朝山の䞊から芋届けおいたした。

日蚘にはグチャグチャの思いを曞き殎り。
本自己啓発、心理孊、小説...etcでたくさんの蚀葉ず出䌚い。
蚀葉にならない思いには、音楜が寄り添っおくれた。
そうした時間を積み重ね、日々自分ず向き合っおいきたした。

山に登り始めお半幎くらいが経過した、ある日。

「よし決めた...自分の心にだけ埓っお生きおみよう。僕の人生はその実隓だ」
そう、思えたずきがありたした。

そう決心しお山を降りた僕は、その埌、通信制高校に入孊したり、フリヌスクヌルに通ったりするようになりたす。


今支える偎になった

倧人になっお、僕は子どもたちを支える偎になりたした。
今は、幎間130人の子どもたちを支えるフリヌスクヌルを運営するNPO法人の代衚理事ずしお。
孊校に入るスクヌルカりンセラヌずしお。
それから、岡山フリヌスクヌル協議䌚の䌚長や、いく぀かの行政の委員ずいう立堎もありたす。

フリヌスクヌルで子どもず過ごすずき、盞談宀で誰かの話を聞くずき、家庭蚪問に向かうずき、僕はよく、あの頃の自分を思い出したす。
生々しく、リアルに。

垃団から出られない朝のこず。
䜕もしおいないのに抌し寄せおくる眪悪感。
珟実から目を背けるために、ゲヌムに逃げ蟌んだこず。

あの頃の経隓は、支揎のマニュアルには茉っおいたせん。
でも僕にずっおは、どんな理論より確かな「地図」になっおいたす。


どの堎面にも「あの時の䞍登校の自分」がいる

この仕事でそれなりに生掻できるようにるたでには、ずいぶん時間がかかりたした。
気づけば、この仕事を始めお15幎になりたす。
がむしゃらに走っおきお、立ち止たる時間はほずんどありたせんでした。
その15幎を、ここであらためおふり返っおみたい。
そう思ったこずが、このnoteを始めた理由のひず぀です。

ふり返るず、どの堎面にも「あの時の䞍登校の自分」がいたした。

・子どもや家庭ず向き合うずき
・スクヌルカりンセラヌずしお、孊校の䞭にいるずき
・経営者ずしおの刀断を迫られるずき
・行政の委員ずしお、政策を審議する堎に出垭するずき

立堎も、芋える景色も、それぞれたったく違いたす。
それぞれの堎面で、自分の15幎の経隓則や、公認心理垫ずしおの専門性、経営者ずしおの刀断などを䜿い分けたす。

ただ同時に、「あの時の䞍登校の自分」はどう思うか。
その芖点が、僕にずっおはやはり重芁な指針になっおいたす。

最近、䞍登校をめぐっお「䞍登校ずはこうだ」「䞍登校の子にはこうすればいい」ず語られるこずが倚くなりたした。
だからこそ僕は、「元䞍登校児ずしおどう芋えおいるか」「䜕を求めおいるのか」を、自分の蚀葉で曞いおいきたいず思っおいたす。


今埌、このnoteで曞いおいくこず

衚ではなかなか語りきれない、リアルも含めお、できるだけありのたたに残しおいきたす。
䟋えば、以䞋のようなこずを曞いおいく予定です。

  • 䞍登校だった頃の具䜓的な゚ピ゜ヌドず、そのずき僕が䜕を思っおいたか

  • 芪にしおほしかったこず、逆に、されお苊しかったこず

  • 今だから聞けた、圓時の芪が䜕を思い、䜕に葛藀しおいたか芪本人にむンタビュヌしたり、文章を曞いおもらったりしようかず思っおいたす

  • 孊校の内ず倖、それぞれの堎所から芋えおいる䞍登校支揎の今

これらの䜓隓や蚘事が、今孊校に行けない子を育おおいる保護者の方や、先生、支揎者の方、そしお、か぀おの僕のような圓事者の方にずっお、少しでも参考になれば嬉しいです。


最埌たで読んでくださっお、ありがずうございたす。

この堎所を、これから少しず぀育おおいきたす。
もしよければ、フォロヌしおもらえたら嬉しいです。
読みながら思い出したこずや、聞いおみたいこずがあれば、ぜひコメントで教えおください。
ひず぀ず぀、蚘事で応えおいきたいず思っおいたす。

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