『護符の裏』
八月十七日の早朝。
五山の送り火が終わった翌朝の山には、静かな争奪戦がある。山頂の火床(ひどこ)に残り、まだかすかに温もりの残る薪の燃えかす、「消し炭」を集めるためだ。
奉納された薪の灰や炭は、半紙に包んで門口に吊るしておくと、一年間の「無病息災」「盗難除け」の護符になる。
「朝六時前に行かんと、ええ形のは残ってへんで」
そう教えてくれた近所のお年寄りの言葉通り、薄暗い大文字山の登山道を登ると、すでにチラホラと先客の姿があった。手にビニール袋と竹トングを持った地元の人間だ。
火床に着くころには、すっかり夜が明けていた。
赤茶けた土の上に、黒々と残る炭の破片。大の文字を描いていた火床の跡からは、微かに焦げた木の匂いと、冷めきった灰の匂いが立ち上っている。
俺はしゃがみ込み、形の良い、手のひらサイズの消し炭を探した。あまり小さく砕けたものは包みにくい。しっかりとした枝の輪郭が残っているやつがいい。
「……あった」
崩れた炭の山の奥に、綺麗な筒状のまま真っ黒に焦げた、握り拳ほどの消し炭を見つけた。
手を伸ばし、指先で摘まみ上げる。
まだ、ほのかに温かい。十七日の朝になっても冷めきらない炭があるのだろうか。疑問に思いながら持ち上げた瞬間、その「重さ」に違和感を覚えた。
軽い木炭の重さではない。ずっしりと、湿った肉のような重みだ。
煤(すす)で汚れるのも構わず、てのひら全体で包み込むように持ち直して、まじまじと見た。
炭だと思っていたのは、黒く焼け焦げた「人間の指」だった。
いや、正確には指の形をした炭だ。だが、節々が歪に曲がり、爪のあった場所には、白い灰で小さな半月が描かれている。そして何より、その「炭」は、てのひらの中で脈打つようにトックン、トックンと、微かに跳ねていた。
「ひっ……」
短く息が漏れた。投げ捨てようとした瞬間、真後ろから声をかけられた。
「兄ちゃん、それ、うちの祖父さんの指や」
振り向くと、そこには登山客の格好をした若い男が立っていた。リュックを背負い、手に大きな紙袋を下げている。
「え……?」
「五山で燃やす薪にはな、たまに混じるんよ。帰りたがらない奴が、自分の身体の一部を薪に括り付けて登るんや。火で燃やされたら、いやでもあっちへ連れていかれると思ってな」
男はそう言って苦笑いしながら、持っていた紙袋の口を開けた。
中を覗き込むと、そこには黒焦げの腕、歪んだ足首、耳の形をした炭が、無数に詰め込まれて重なり合っていた。どれも微かに、命の残滓のように温かく蠢いている。
「毎年、消し炭を拾うフリして回収して回っとるんですわ。そのまま門口に吊るされたら、家主が化かされてまうからね」
男は俺の手から、ぬるりと温かい指の炭を丁寧に受け取ると、紙袋の中へ放り込んだ。
袋の中から「カサッ」と、骨が擦れるような音が響く。
「おおきに。これで今年の分は揃いましたわ」
男は浅く頭を下げると、残りの火床には目もくれず、軽やかな足取りで山を下りて行った。
手元に残された俺の掌には、黒い煤と、ぬるい皮膚の感触だけが、いつまでもねっとりと残っていた。
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