豊かさは、すでにそこにあった——カミーノを歩いて
この夏、家族でスペイン・ポルトガルの
カミーノ巡礼を歩いてきました。
巡礼の間、あることに気づきました。
私は毎朝、
「今日はこんな一日になってほしい」
「今日は何か特別なことが起きるといいな」
という期待を、ほとんど持っていなかったのです。
ただ、
「よし、今日も歩く!」
そんな気持ちで一日を始めていました。
もちろん、
何も考えずに歩いていたわけではありません。
その日の体調を見ながら、
どこまで歩くのか、どこで休むのかを考える。
必要があれば、予定を変える。
自分の足で歩き、
自分で考え、
選んでいました。
けれど、
その一日がどんな日になるのか。
そこから何を得るのかまでは、
考えていませんでした。
ただ、今日も自分たちで決めた目的地まで歩く。
それだけでした。
今振り返ると、
巡礼中は、そんなふうに毎日を過ごしていました。
思いがけない出会い
そんなふうに歩いていると、
思いもよらない出来事がいくつも訪れました。
聖ヨハネ祭の宗教行列に偶然出会ったこと。
巡礼者のために、
木陰でハープを奏でてくださる方がいたこと。
そして、熱波のために予定を変更し、
二泊することになったパドロン。
カミーノの歴史にとって大切な場所でした。
しかも私たちが滞在した日には、
ちょうど中世のお祭りが開かれていました。
どれも、私が計画していたことではありません。
良いことにしなくてもいい
以前の私なら、
予定どおりにいかないことが起きると、
「これは良くないことだ」
と考えたり、反対に、
「きっとこれにも意味がある」
「きっと何か良いことにつながる」
と、前向きな意味を
見つけようとしたりしていました。
けれど、
今回の巡礼で私がやっていたことは、
そのどちらとも違いました。
良いとも決めない。
悪いとも決めない。
意味がないとも決めない。
「きっと意味がある」とも決めない。
ただ、
「こうなったんだな」
と、起きたことをそのまま受け取る。
熱波になった。
予定どおりには歩けなくなった。
今の状況を見つめ、
どうするかを考え、
予定を変える。
それだけです。
これは、
何もしないことでも、
ただ状況に流されることとも違います。
起きていることをきちんと見ます。
必要な判断はします。
そして、
次の一歩は自分で選びます。
ただ、
その出来事が自分にとって「何なのか」を
急いで決めつけません。
すると、
目の前にあるものを、
それまでとは少し違う眼差しで
見ることができるようになりました。
ずっとそこにあったもの
パドロンは、13年前に
私が初めてポルトガルの道を歩いたときも、
そこにあり、滞在もしました。
そして今回も、変わらずそこにありました。

町が今回だけ
特別なものになったわけではありません。
変わったのは、
そこに佇む私の在り方だった
のかもしれません。
「ここはこういう場所」
「これは予定外の滞在」
と決めつけるのではなく、
「ここには何があるのだろう」
と好奇心を持って、目を向けてみる。
町を歩き、
その歴史に触れ、
人々を見て、
そこに流れる時間に身を置く。
すると、
それまで知らなかったパドロンの姿が、
少しずつ見えてきました。
パドロンが、今回初めて
豊かな場所になったわけではありません。
その豊かさは、ずっと以前からそこにあったのです。
ただ、13年前の私は、
そこにある豊かさに深く触れることなく、
通り過ぎていました。
そう考えると、
世界には、私がまだ気づいていない豊かさが、
たくさんあるのかもしれません。
そこにあっても、気づいていない。
出会っていても、受け取れていない。
そんなものが、
これまでにもたくさんあったのかもしれません。
「期待」と「関心」
では、なぜ今回のカミーノでは、
それまで見過ごしていたかもしれないものに
出会うことができたのだろう。
振り返ってみると、
そこには「期待」と「関心」の違いが
あったように思います。
期待しているとき、私の眼差しは、
「私はここから何を得られるだろう」
と、自分の方を向いています。
けれど、深い関心をもっているときには、
「ここには何があるのだろう」
「これは何なのだろう」
と、眼差しが対象(世界)の方へ向いています。
自分の期待や判断をいったん脇に置いて、
目の前にあるものに、深い関心を寄せてみる。
すると、
そのものが、そのものとして現れる余白が
生まれるように思います。
そして、そのとき初めて、
実は、ずっとそこにあった豊かさに
触れられるのかもしれません。
同じ場所にいても、
同じ出来事を経験しても、
どんな眼差しでそれに向き合うかによって、
受け取るものは違ってきます。
目の前の人や出来事を、
「これはこういうもの」と決めつけず、
「あなたは何者なのだろう」
「これは何なのだろう」
と、深い関心をもって、
まっすぐに見つめる眼差し。
カミーノを歩き終えた今、
私の中に一番強く残っているのは、
そんな眼差しを持って、生きていきたい。
という思いです。

カミーノを歩きながら見つけた、小さな発見のひとつです。
