33歳、無職です。
33歳無職です。
この歳まで、なんのキャリアも積み上げずに生きてきました。
YouTubeで若手女性施工管理技士の
紹介動画を見ました。
自分で選んだ仕事をしていそう。
本当に羨ましい。
うわあ。
見るんじゃなかった。
だって私もそういう人生が
欲しかったんだもん。
私の人生、選ぶ自由がなかったんです。
志望校を自由に選びたかった。
自分に合う仕事を見つけたかった。
でも、許されなかった。
一応学士号は持っています。
家政学の。
母親が家政学科卒業だから、
私もそれにしました。
だって何を選んだらいいのか、
わかんなかった。
心から学びたい分野を父親に打ち明けたら、
めちゃめちゃ怖くって。
「お前は頭がおかしい」
「お前なんてどうせ野垂れ死ぬ」
「やりたいことがあるなら自分の金でやれ!」
すごい怒鳴られた記憶。
私、絵を描くのが好きだから、
絵を描く方向に進みたいって言っただけ。
絵を描くことだけじゃなくて、
得意な科目も、好きなものも、
他にあったはずなのに。
自分の希望で選んじゃいけないんだと思った。
当時高校生の私、毎日泣いてました。
友達は自分の興味のある学校を探してる。
私は父親が許しそうな学部を探してる。
あの頃から、私は当然のように
怒鳴られないための選択を
探すようになりました。
何が好きで何がしたいかなんて、
考えてはいけないことでした。
だって自分がどう生きたいかなんて考えたら、
生きていくのが苦しくなるから。
家政学部を志望して、
晴れて大学生になりました。
ここでは、私が学びたいことは学べない。
華やかな入学式で、
先輩方のコーラスを聴きながら
そんなことを思った。
でも描くことだけは、やめなかった。
授業が終わった瞬間、講義室を飛び出して
電車に乗って帰宅していました。
美術系の学校の学生は、
この時間だって描いている。
遅れをとるわけにはいかない。
ひとりで描くしかない。
先生が欲しい。
描く仲間が欲しい。
私も絵の指導を受けてみたい。
そんなことは誰にも言えない。
それに、
私にはやりたいことをやるためのお金がない。
常に喉に何か詰まっているような感覚。
あの頃は、唾を飲み込んでも消えない不快感に
ずっと悩まされていました。
私にとって大学の4年間は、
苦しみが過ぎ去るまで、耐え続ける日々。
あと4年、あと3年、あと2年……。
でもその先にだって、
私に自由なんて無かったんですよね。
2016年。
就職活動の頃も、私は泣いていました。
おばあちゃんに買ってもらった
ノートパソコンで新卒用リクナビを
見ていました。
隣には父がいて、
ものすごい剣幕で怒鳴ってくる。
「全ての企業にエントリーしろ」
「どんな会社かなんて後で調べればいい」
「お前を雇いたい会社なんてない」
仕事から帰ってきた父に進捗を聞かれる。
面接まで辿り着かずに怒鳴られる。
それが毎日恐ろしい。
向いている仕事を考える余裕なんてなくて、
とにかくこの恐怖の日々から逃れたい。
藁にもすがる思いでハローワークへ行き、
そこで見つけた会社に私は入社しました。
初めて取れた内定でした。
内定通知を見たら力が抜けて、
もう何もできなくなりました。
そして私は新卒で、
地方の中小企業に入社して、
ケーキ屋の販売員になりました。
接客がしたいなんて思ったこと、
子供の頃から一度も無かったのに。
最初の頃は、楽しかったです。
あの辛く苦しい大学生活が終わった!
本当に解放された気持ちでいました。
でも、この会社は30歳の頃に辞めました。
早いうちに接客が嫌いになりました。
数千円の買い物しかしないお客様に、
素晴らしいお買い物体験を。
何年働いて、どんなに嫌な思いをしても、
手取りは16万円。
転職も考えたけれど、
退勤するとものすごく疲れてしまう。
新しい会社を探す余裕が無かった。
それに私は仕事を辞めることが
許されていませんでした。
「次が決まるまで辞めることは絶対に許さない」
私にはなんの決定権もありませんでした。
それでも仕事を辞めたのは、
心身共に壊れたからです。
最後に配属された先は、
子育て中の店長の穴埋め要因として、でした。
乗り換えを2回。1時間半かけて店舗へ行き、
21時過ぎにやっと退勤する。
家に着くのは23時付近。
店長は18時に颯爽と退勤してゆき、
日曜日は絶対に公休。
子供の行事を理由に、繁忙期も休む。
とても、羨ましかったです。
私も18時に退勤したい。
土日のどちらかは必ず休みたい。
個人的な理由で繁忙期に休みたい。
独身だから、全部却下です。
なぜ私の希望は通らないのか。
なぜ私は我慢し続けなければならないのか。
自分の時間がほとんど取れない。
絵を描く気力も残らない。
どんどん精神の調子を崩していきました。
いきなり泣き出す。
アルバイトの学生に怒鳴り散らす。
生理も止まった。
多嚢胞性卵巣症候群と診断されました。
低用量ピルを服用し始めました。
なんで仕事のために、わざわざ薬を買って
飲まなければならないのだろう。
もう無理でした。
そしてその頃、転勤が決まりました。
電車とバスを乗り継いで2時間の場所でした。
これが私の人生なのか。
絵を描くのが好き。
ずっと描いていたいな。
描くのが仕事になったらいいな。
子供の頃はそう思っていました。
何一つ、叶っていない。
ここで初めて私は気がついたんです。
人生を自分で選べたことが一度もないこと。
父親の許可がなければ何もできないこと。
私は人生で初めて自分で決めました。
この会社を辞めよう。
次なんて決まっていませんでした。
でも、辞めました。
振り向くと、何も残っていませんでした。
長く勤めても、私は店長になれませんでした。
アルバイトでもできるような接客の仕事を、
新卒から30歳までずっとやっていただけ。
誇れるものが、何もない。
あんなに苦労して好きなものを諦めたのに。
夢を諦めたのに。
あんなに必死に父親の意向に沿ったのに。
結局、私には何もない。
今の私は、33歳無職です。
キャリアはありません。
空白期間3年目です。
自分の人生を、自分で選びたかった。
10代20代の頃に夢を追いかけたかった。
まだ消化できていません。
動画で見た若手女性施工管理技士の姿は、
自分で道を選び、
誇りを持って仕事をしている人の姿でした。
それは、私の欲しかった人生そのものでした。
本当に眩しくて、もう何日も引きずっている。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでくださってありがとうございます。
「また読みたい」と思っていただけたら、チップで応援してもらえるとうれしいです。
いただいたチップは、おやつと執筆の栄養になります🍰