【あの日母になった私へ】赤ちゃん誕生から母親誕生まで
まず、最初におめでとう!
そして、辛かったね。
お母さんが亡くなってから、うわ言のように言っていた
「私は孫ナシばばぁ」
この夢、生前に実現させてやれなかったこと、悔しかったね。
でも、あなたの立ち直りは早かった。同月のうちに
結婚相談所に駆け込み、年内に夫となるいい人を見つけて、次の年には、結婚して、自分の年齢をシビアに考えて、夫に不妊治療に協力してもらって、途中、双子ちゃんたちをお空へ見送った日は、階段から飛び降りようとしていたね。しなくてよかったね。その時、一度だけ夢にお母さん出てきてくれたね。
「女の子だけどいいの?」
と、聞いてきたから私は
「男の子がいい!」
と、魂の叫びを伝えたらその子たちの手を引いて振り返って光の中へ消えてしまったね。
その、翌々月に息子を無事に授かったね。
それから、ハイリスク妊婦としてNICUで管だらけになりながら、キツイ食事制限を受け入れて、頑張ったけど、そんなの序章にすぎなかったね。
陣痛促進剤を2日間耐えて、帝王切開して、麻酔から起きたら、
「赤ちゃんの首に3重にへその緒が巻かれていました。」
と、報告を受けてゾッとしたね。
そして、ようやく対面した時、その小さな小さな赤い子がおっぱいを探して、飲ませていた時!この時助産師さんや看護師さんに
「お母さんの顔になってますよ!」
と、言われた時……これが、公の場的な【お母さんになった】の定義かもしれないけど、私は、それどころではなかったね。
その後、私の呼吸は、だんだん浅くなって、肺塞栓になってしまったね。肺の血液に塊が出来て、血液を遮る病気になったね。不幸中の幸い、塊は、端っこの方が多くて、重要な真ん中にはあまり出来なかった。
まるで、ロシアンルーレットみたいだったね。真ん中だったら私、今、ここにいないよ。
それから、血液サラサラ注射を一日四本を打ったね。毎日、よく耐えたね。
でも、肺塞栓が消えるころ、今度はお腹に血腫ができたね。次々と退院していくお母さんを見送っては、ホームシックになっちゃったね。血腫も縮んできて、退院のメドがついたとき、看護師さんに
「病気のフルコースですね!」
と、言われて笑えた時!この時が!一通りの苦しみを耐えぬいた、この日、私は母になったと思う。
お母さん、あれから五年、息子は五歳になったよ。2458gしかなかった、小さな小さな赤ちゃんは年中クラスで一番大きな子になったよ。立派な孫アリばばぁになったと天国で自慢してね。
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