動物園は平和のバロメーター
「この学校は昔あった動物園の跡地に建てられたから、夜になると戦争中に殺された動物たちの幽霊が出るんだ」
中学生の頃、授業中に先生が雑談の中で話したこの怪談を、今でも私は鮮明に覚えている。
「へえ、ここは動物園だったんだ」
「戦争中に殺されたということは、空襲のことだろうか」
当時中学生だった私はぼんやりと考えていた。
その中学校では春に遠足があり、行き先は市内の動物園だった。
目の前で大迫力のゾウを見たことは記憶に残っている。
動物ってかわいいな。動物園は楽しいな。
中学生の私にはそんな単純な感想しか出てこなかった気がする。
そのとき私は、先生のあの怪談をすっかり忘れていた。
約20年後、大人になった私は、念願だった猫と暮らすようになった。
動物の歴史や生態にも興味が出てきたので、動物園の役割や動物福祉についても学ぶようになった。
そして、中学生ぶりに、あの動物園に行った。
動物たちは退屈していないかな。
本来の行動をとれる環境になっているかな。
20年前と同じ動物園に来ているはずなのに、私の見ているものはまるで違っていた。
そして園内を歩きながら、あの怪談を思い出す。
「戦時下猛獣処分」
なぜその動物たちは、殺されなければならなかったのだろう。
第二次世界大戦中、空襲で檻が壊れ、動物が逃げ出して人を襲う事態を防ぐために、ライオン、クマ、ゾウなどが処分された。
戦争は、人間だけでなく、動物を守るための食料や場所、あらゆる選択肢まで社会から奪っていった。
猫と暮らすようになった私は、「うちの子、快適に暮らせているかな」と考えるようになった。
しかし、戦争になれば「快適かどうか」の前に「生かしておけるか」というところまで、社会は追いつめられる。
「命を守る余裕を失わない社会」を持続させることも必要なのではないか。
中学生の私にとって、戦時中に殺された動物たちは「幽霊」だった。しかし、今となっては怖い話ではない。
平和を失った社会で何が起こったのかを、忘れないための話だったのかもしれない。
幽霊たちの存在をこうして語ることもまた、未来の命を守るための小さな営みなのだから。
かつての動物園で無邪気に笑っていた私のように、これからも子どもたちが動物を見て笑顔になれる、そんな日常が続いてほしいと思う。
いいなと思ったら応援しよう!
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!いただいたチップはすべてトニーのために大切に使わせていただきます。
