「夏に食べるもののはなし」
ここ最近は、思い出話ばかりしていたから、今日はかるめの話にしようとこれを書きはじめている。
夏に食べるもの、というとまずラタトゥユがうかぶ。
20年以上前に、仕事帰りに酔っぱらって、3軒目か4軒目に連れて行ってもらった、イタリアンのお店のラタトゥユが絶品だった。
酔っぱらっいの記憶だから、誇張されている可能性もなくはないけれど、やっぱりあれを超えるラタトゥユにはであえないしつくれない。
肉も魚も入ってなかったと思うけれど、はっきりとして深みのある味で、これがラタトゥユ? というほど濃厚だった。
くりかえしくりかえし、夏がくるたびに挑戦するけれど、あの味にはいまだに再会できていない。
ゴーヤはそんなに得意ではないけれど、店頭に安価で出まわるようになると、買って豚肉と島豆腐でゴーヤチャンプルーや、ナスと豚肉でみそ炒めを作ったりする。
やっぱり20年以上前に、沖縄の西表島まで行ったことがあって、そこで泊まった宿で食べたゴーヤのあえものが、まったく苦味がなく、みずみずしくてさっぱりしていておいしかった。
やっぱりあのゴーヤにも再会できないなあ、なんて、苦味のあるゴーヤを食べるたびに思う。
ちいさいころは、苦いといってゴーヤが食べられなかった子どもたちも、ちょっとずつ出すようにしたら、食べられるようになり、最近はゴーヤを均等にめいめいのお皿に盛り付けるたびに、おお、と成長を感じる。
今年限定なのかもしれないけれど、今年は桃の季節が長くて安い。
なので、桃をよく買う。
果物の中で、桃は高価なのもあるけれど、繊細なあつかいが必要な点で、なんだか果物の中では勝手に別格にしているので、安くて食べる機会がおおいと単純にうれしい。
店頭にならぶ桃のなかから、美味しそうな桃を、さわらずにみきわめ、いつが食べどきなのか慎重にはかり、食べるまえに冷蔵庫に入れてひやす。
なんててまのかかることか!
でもそこが愛しい。
そしてあふれる果汁がおいしい。
桃を切り分けて、大きいところは子どもたちにゆずり、いちばんちいさいところをいつも食べるのだけれど、あるとき夫に、大きいところを食べてもいい? と言ったら、遠慮せずに食べなよ! とびっくりされた。
桃は、おそれおおい食べ物なのである。
ナスも夏によく食べる。
旅行先で食べた、大きなナスを輪切りにして、両面に格子状の切り込みをいれて、焼いてぽん酢をかけたのが、びっくりするほどおいしかったので、以来、夏になるとよくつくる。
緑色の大きいナスで作るといちばんおいしいけれど、トルコナスでも丸ナスでもおいしいし、かんたんなのもうれしい。
長男が好きなので、夏のあいだにナスを見かけるたびに何度もつくる。
次男はすこし苦手そうにするので、ぽん酢ではなく酢みそを添えたり、たまにチーズをのせて焼いたりもする。
それもまたおいしい。
夏だなあと思う。
冬瓜も夏の間になんどか買う。
まるごと買ってきて、キッチンのカウンターにしばらくころがしておく。
よおし今週食べるぞ、となると週のはじめごろに皮とタネをとって切り分けて、そのあと3〜4日かけて、塩としょうがと鶏肉で煮たひすい色の煮ものや、卵を入れた中華味のスープや、お味噌汁をつくり、冬瓜祭りが開催される。
なんで冬瓜ばっかりーと子どもたちがちいさいころには文句をいわれたけれど、冬瓜は切ると足が早いのでしかたないのだ。
そうして、傷むまえに食べきるぞーとプレッシャーを感じながら料理するのもちょっとした非日常でたのしい。
コリンキーという名前の、生で食べられるカボチャがある。
あまりみかけないのだけれと、最近買う機会があって、めずらしいので買ってみた。
これもまた、大きいのを丸ごと買ったので、しばらくカウンターにころがしていたのだけれど、やはりこれも切ると足が早いので、切ったらもう、3〜4日つづくコリンキー祭りの開催である。
チーズの入ったサラダと、きゅうりとツナの入ったサラダと、塩昆布とごま油で和えたものをつくる。
生で食べられるから、なるべく生で食べたいのだけれど、歯ごたえはちゃんとあるので、細く切らないと食べにくい。
包丁で切れなくもないけれど、今後もコリンキーを買うなら、スライサーを買うべきだなあと思う。
歯ごたえと食感がたのしい野菜なのだ。
ぶどうが出はじめると、ああ夏もおわりだなあと思う。
最近は安価な外国産のぶどうもふえて、育ちざかりのいる家にはうれしい。
だけれど、ぶどうは国産のしっとりとした甘味が好きなので、これぞというときは、国産のデラウェアや巨峰を買う。
子どもたちがちいさいころ、ぶどうの皮をむいて食べさせてやったなあ、と思う。
より大きなぶどうを競って取りあう子どもたちをみると、やっぱりまあ大きくなっちゃって、と成長を感じる。
季節をおって一年がおわり、一年がつみかさなって、一生がおわっていくのかもしれない、と最近思う。
あるとき、ああここでおわりかあ、来年のあれは食べられないのかあなんて、思う日がくるのかもしれない。
生きることはたべること、働くとは究極のところ、じぶんの口を養うことだと思う。
季節のおいしいもので身体を満たしながら、すこやかに生きていきたい。
