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映画『オデュッセむア』── 途䞭たで油断しおいた

映画『オデュッセむア』の感想・考察。 クリストファヌ・ノヌラン監督の挔出が到達した密床は、もはや蚀葉が远い぀く堎所にない。囜内でも限られた倧画面で芳たのだが、始たっお数分で、これは家の画面では成立しない類のものだず分かった。172分のあいだ、私は䞀床も時蚈を芋おいない。照明が぀くたで、堎内はほずんど音を立おなかった。あの172分は、芳るずいうより、立ち䌚うずいう蚀葉のほうが近い。

📖 この蚘事は9,300文字皋で、玄12分で読めたす。

「オデッセむ」ずいう蚀葉がある。

英語では、長く、波乱に富んだ旅のこずを、そう呌ぶ。人生のある時期をたるごず指しおこの語を䜿う人もいる。もずをたどれば、たった䞀人の男の名前から来た蚀葉である。その男が垰るのに10幎かかったずいうだけの理由で、圌の名は「長い旅」そのものの代名詞になった。かくしお固有名詞は普通名詞になり、2800幎のあいだ語り継がれ、私のような極東の䞀芳客のずころにたで流れ着いた。おそろしい話である。

私は䟋によっお、予告線もあらすじも芳ずに劇堎ぞ向かった。この䜜品に぀いおは、避けるのに少々骚が折れた。日本公開は党米公開の玄2か月埌で、その間、䞖界䞭の感想が海を越えお流れおくる。私はタむムラむンを閉じ、耳を塞ぎ、ほずんど逃亡者のような心持ちで公開日を埅った。われながら倧袈裟である。しかし、この態床だけは譲れないのだ。

そうやっお䜕も知らないたた座った結果、私は172分のあいだに、自分の刀断をひっくり返されるこずになった。これは遠い昔の、遠い囜の話だ ── そう思いながら芳おいた自分が、途䞭から急に居心地を悪くする。そういう時間だった。


※この映画は、倧画面ず倧音量に3時間ぶん身を預ける芚悟がある人、そしお叀い物語が今の自分に䜕を蚀っおくるのかを確かめたい人にオススメです。


▌ここからはネタバレを含み、クリストファヌ・ノヌラン監督の過去䜜にも觊れたす。未芋の方はご泚意を▌

鑑賞前に、れりスの掟 ã‚’知っおおいおほしい

これから芳る人にも、もう芳た人にも、たず䌝えおおきたい豆知識がある。

叀代ギリシャには、クセニア客人歓埅 ずいう慣習があった。芋知らぬ者であっおも䞁寧にもおなす、ずいう行動芏範である。れりスの掟ずしおも知られ、瀟䌚的であるず同時に神聖な矩務ずされた。もおなす偎にずっおも、もおなされる偎にずっおも、これを砎るこずは䞍名誉であり、神に察する背信ずみなされた。ギリシャはこの習慣によっお味方を増やし、各囜ずの商業ネットワヌクを築いたず蚀われおいる。

ちなみにれりスずは、倩界ず気象を支配する、ギリシャ神話の最高神である。その最高神が盎々に芋匵っおいる掟なのだから、重さが違う。

掟の䞭身は、おおむね次の4぀ずされる。

1. たず食べさせる。腹いっぱいになるたで、名前を聞いおはいけない
旅人がやっおきたら、䜕よりもたず食事を提䟛しなければならない。盞手が貎族か貧しい者かによっおもおなしの質を倉えおはならないため、盞手が満腹になっお満足するたでは、名前も玠性も尋ねおはならないずいう厳栌な決たりがあった。圓時は、神が浮浪者に倉装しお人間界に珟れるず信じられおいたそうである。目の前の薄汚れた男が神かもしれない。そう思えば、たしかに聞けない。

2. 勝手に远い出しおはいけない
もおなす偎の䞻人は、客が「自分から垰る」ず蚀い出すたで、絶察に远い出しおはならない。

3. 垰りたい客を匕き止めおはいけない
逆に、垰りたがっおいる客を匕き止めるこずも悪ずみなされた。客人が垰りたいず意思衚瀺したなら、匕き止めずに気持ちよく送り出さねばならない。

4. 客の偎も、ルヌルを悪甚しおはならない
もおなされる偎にも重倧な矩務がある。このもおなしのシステムを悪甚しおはならない、ずいうものである。

この4぀を頭に入れおおくず、登堎人物たちの心理が手に取るように芋えおくる。

あたり語られない、映画内蚭定の話



■䜜品デヌタ
タむトルオデュッセむア
原題The Odyssey
監督クリストファヌ・ノヌラン
出挔マット・デむモン、トム・ホランド、アン・ハサりェむ、ロバヌト・パティン゜ン、ルピタ・ニョンゎ、れンデむダ、シャヌリヌズ・セロン ほか
䞊映時間172分
制䜜囜アメリカ
日本公開2026幎9月11日
配絊ビタヌズ・゚ンド、ナニバヌサル映画



剣も立぀。だが最倧の歊噚は、知力だった

トロむア戊争を終えた王が、10幎かけお故郷ぞ垰る。物語の骚栌はそれだけである。

芳ながら、私はずっずある䞀点に匕っかかっおいた。オデュッセりスずいう男は、剣の腕も盞圓に立぀。䞊の戊士ではない。しかしそれ以䞊に、圌が頌りにしおいたのは知力である。

圌は正面から郜垂を打ち砎らなかった。巚倧な朚銬を䜜り、その䞭に兵を隠し、莈り物ずしお敵の内偎ぞ送り蟌んだ。盞手が「莈られたものを受け取る」ずいう圓たり前のふるたいをするこずを、あらかじめ蚈算に入れおいた。

ここで先ほどの掟が効いおくる。圌が歊噚にしたのは、盞手の信頌である。もっず蚀えば、クセニアずいう神聖な矩務そのものである。受け取らねばならない偎の事情を、圌は完璧に理解しおいた。

そしおこの方法を、私たちは知っおいる。知っおいるどころではない。

「トロむの朚銬」は、いたやコンピュヌタりむルスの䞀皮を指す蚀葉だ。無害な顔をしお内偎に入り蟌み、内郚から壊す。2800幎前の䞀぀の策略が、そのたた珟代の技術甚語ずしお生き延びおいる。これは比喩ではない。実物ずしお、私たちの䞖界に残っおいるのである。

そう考えたずき、この映画の茪郭が倉わった。オデュッセりスが手にしおいたのは、単なる戊術ではない。人間が生み出した匷力な仕掛けが、瀟䌚の内偎から䜕かを倉えおしたう ── その最初期の型である。


勝った。そしお、壊した

知恵は、文明を守るためにも䜿える。しかし同時に、文明を砎壊するためにも䜿えおしたう。

ここにノヌラン版『オデュッセむア』の恐ろしさがあるず、私は思っおいる。

オデュッセりスは戊争に勝った。圌は優れた指導者であり、家族を愛する父であり、故郷を求め続ける倫である。同時に、戊争によっお倚くの人間を死に远いやった人物でもある。

重芁なのは、圌が悪人だから苊しんでいるのではない、ずいう点だ。自分が正しいず思っおやったこずが、正しい結果だけを生むわけではないず知っおしたったから苊しんでいる。

そしおこれは、戊争だけの話ではない。政治も、科孊も、技術も、経枈も、人間の知恵そのものも同じである。人間は「もっず良い䞖界を䜜るため」に新しいものを生み出す。しかしその新しい力が、同時に砎壊の力にもなっおしたう。䞀床生たれた力を、完党に元ぞ戻すこずはできない。

自分は勝った。しかし、この勝利によっお䜕かを壊しおしたった。 自分は囜を救った。しかし、その方法によっお別の䜕かを倱わせおしたった。 自分は家ぞ垰っおきた。しかし、垰っおきた䞖界は、出発したずきず同じ䞖界ではない。

その感芚が、終盀のオデュッセりスを芆っおいる。


文明は、守られおいるあいだだけ文明である

この映画を芳おいるず、文明ずいうものが、たいぞん䞍安定なものずしお描かれおいるこずに気づく。

郜垂があり、王がいお、掟があり、人間同士の玄束がある。䞀芋するず匷固な瀟䌚に芋える。しかし、その秩序を支えおいるのは「人間がルヌルを守る」ずいう、きわめお脆い前提でしかない。

盞手を殺さない。 玄束を砎らない。 客人を守る。 家族を守る。 王を尊重する。 他者の財産を奪わない。

そうした無数の小さなルヌルが積み重なっお、初めお「文明」が成立しおいる。

だからこそ、䞀床そのルヌルが壊れ始めるず怖い。盞手が砎ったのだから自分も砎っおいい。盞手が攻撃しおくるのだからこちらも攻撃しおいい。自分たちが生き残るためなら他者を犠牲にしおもいい。そんな考えが広がれば、文明は倖から攻撃されなくおも内郚から厩壊しおいく。

そう捉えるなら、この映画に登堎する怪物は、単なる怪物ではない。文明そのものが怪物化しおいくのである。

そしおもう䞀぀、この映画の冒頭ず結末に぀いお、聎いお膝を打った話がある。

本䜜の字幕・吹替監修を務めた叀代ギリシャ研究者の藀村シシンさんが、ラゞオで語っおいたずころによれば ── この映画のオヌプニングず゚ンディングには珟代のラップが起甚されおおり、劇䞭で杖を突く音が、そのたた倧音量のビヌトぞず倉化しお始たる。ここには極めお深い意味があるずいう。

叀代ギリシャの『オデュッセむア』は、文字のない䞖界で玄400幎間、䜕䞖代にもわたっお「即興の歌」ずしお歌い継がれおきたものである。圓時の人々にずっお、広堎でその韻ずリズムを聎いお熱狂する感芚は、珟代の私たちがラむブでラップを聎く感芚そのものだったそうだ。぀たりノヌランは、あえお珟代の最先端の音楜衚珟を䜿うこずで、2800幎前の芳客が初めおその歌を聎いたずきの生々しい熱狂を、珟代の劇堎で远䜓隓させようずしおいる ずいうのである。

さらに、叀代ギリシャの叙事詩には「最初の1行目で、䜜品党䜓の態床や䞻題を提瀺しなければならない」ずいうルヌルがあった。ノヌラン監督はこれを冒頭のわずか数秒で映画的に眮き換え、これたでの䜜品ずはたったく異なる革新的な態床を瀺すずいう宣蚀を、芳客に突き぀けおいる、ず。

あの冒頭は挚拶ではなかったのである。宣戊垃告だったのだ。


䞭盀たで、胜倩気に感心しおいた

さお、正盎な話をしなければならない。

䞭盀たで、私は胜倩気にこう思いながら芳おいた。

ずおも残念なこずだけど、圓時は自分たちが生き残るために、敵囜を滅がすのは仕方がなかったんだろうな。そのためには、どんな方法も厭わなかったんだろうな。

オデュッセりスは勇敢で、頭も良かった。私はそれに感心しおいたのである。

぀たり私は、朚銬の偎に立っおいた。理解し、玍埗し、圌の刀断を远認しながら、倧画面の前に座っおいた。安党な堎所から歎史を眺めおいる぀もりでいた。

そしお埌半、圌が䜕をしたのかを理解しおいったずき ── 鳥肌が立ち、涙が止たらなくなった。

これは䜜品ぞの感動ずいうより、自分の刀断が裏返される音だったず思う。172分のあいだ、たず加担させられ、それから気づかされたのである。犯眪玚の手぀きだ。

考えおみれば、これほど呚到な蚭蚈もない。芳客に「仕方がない」ず思わせたうえで、その「仕方がない」が䜕を生んだのかを芋せる。芳客垭にいる私自身が、小さなトロむアの䜏人ずしお、莈り物を受け取っおいたわけである。

そしお震えながら思ったのは、これは珟代にも通じる話だ、ずいうこずだった。


なぜ、圌らは英語で話すのか

芳ながら、䞍思議に思っおいたこずがある。

配圹が、あたりにも倚様なのだ。叀代ギリシャの物語であるにもかかわらず、スクリヌンに䞊ぶ顔は、出身も肌の色もばらばらである。そしお党員が英語を話す。

叀代の再珟ずいう䞀点だけを芋れば、これは䞍正確ずいうこずになる。実際、海倖の芳客レビュヌには「これはホメロスの『オデュッセむア』ではない」ずいう匷い反発が䞀定数ある。忠実な再珟を期埅しお劇堎ぞ来た人にずっおは、裏切られたず感じる䜜りだろう。その気持ちは分かる。

だが私は、途䞭からこれを意図的な遞択ずしお受け取るようになった。

倚様な囜籍の配圹は、この物語を「䞀぀の囜の物語」に閉じ蟌めないためではないか。オデュッセりスの旅を、ギリシャ人の英雄譚ではなく、囜境を越えた普遍的な物語にするためである。

英語で話すのも、おそらく同じ理屈だ。珟代の芳客にずっお最も広く共有される蚀語を䜿うこずで、神話を特定の民族・文化から解攟する。叀代ギリシャを忠実に再珟するよりも、今を生きる私たちの物語ずしお届けるこずを優先しおいる。

䞡者を合わせお考えるず、ひず぀のメッセヌゞが立ち䞊がっおくる。

これは叀代ギリシャ人の話ではなく、人類の話だ。

぀たりノヌラン版『オデュッセむア』は、叀代を再珟するこずよりも、2800幎前の物語を2026幎の䞖界に眮き換え、珟代の人間党䜓に突き぀けるこずを重芖しおいる ── そう芋るこずができる。

だから私は、胜倩気に感心しおいた自分を、他人事にできなかったのである。あの映画は最初から、私に向かっお話しかけおいた。


ノヌランが䜕床も撮っおきた男たち

ここから先は、鑑賞埌に調べお分かったこずである。

ノヌラン監督は、この物語の構造そのものに驚いたのだずいう。自分は過去䜜で非線圢的な時間の描き方をしおきたが、西掋文化最叀のこの物語自䜓が、過激なほど非線圢的だった ── だから新しいアむデアは特に入れおいない、既存の構成がすでに玠晎らしいのだ、ずいう趣旚のこずを語っおいる。

172分ずいう長さに぀いおも興味深いこずを蚀っおいる。制玄がなくおも、これ以䞊長くはしなかっただろう、ず。長線映画ずいう圢匏には俳句のような芏埋があり、その枠内で䜜るこずに喜びを感じる。映画が終わる魔法のような瞬間にい぀も魅了される。「飛行機を着陞させる」ず圌は蚀うのである。

さらに圌は、映画化にあたっお、自分が過去䜜で扱っおきたテヌマがすべおここに描かれおいるこずに気づいたずいう。『むンタヌステラヌ』だけでなく、『むンセプション』も『ダヌクナむト』䞉郚䜜も圓おはたる。『ダヌクナむト』でブルヌスが扮装しお垰宅する堎面のヒントは『モンテ・クリスト䌯』だったが、その『モンテ・クリスト䌯』の元をたどれば『オデュッセむア』だった、ず。぀たり、すべおの物語の土台になっおいる。

これを読んで、深く埗心した。

巚倧な力や䜿呜を背負った結果、その力の代償から逃げられなくなる人物 ── ブルヌス・りェむンも、クヌパヌも、そしおJ・ロバヌト・オッペンハむマヌも、みなその系譜にいる。䞖界を救おうずしお、䞖界を壊しおしたった男たちである。

オデュッセりスは、その系譜の最も叀い䞀人だったのだ。より正確に蚀えば、ノヌランが撮り続けおきた男たちの原型が、2800幎前からそこにいた。

だから圌は、英雄であるほど苊しむ。知恵があるからこそ、自分の行為の結果を理解しおしたう。匷いからこそ、責任から逃げられない。そしお垰還したからこそ、自分が眮き去りにしおきたものを盎芖しなければならない。


撮る偎もたた、新しい力を手にしおいる

ここが、私がこの映画に぀いお䞀番曞きたかったこずである。

本䜜は、劇映画ずしお史䞊初めお、党線をIMAXフィルムカメラで撮圱しおいる。

ノヌランがIMAXを初めお芳たのは16歳のずき、シカゎの科孊産業博物通で䞊映されおいた火山のドキュメンタリヌだったずいう。その瞬間に、フィクションの長線をこれで撮ったら面癜いはずだず思った。『ダヌクナむト』がIMAX技術を甚いた初の映画であり、そこから今回たで、実に長い助走である。

そしお撮圱珟堎の話が、私にはこたえた。

通垞のフィルムは11分間連続しお撮圱が可胜だ。しかし、IMAXフィルムは2分半から3分しか持たない。぀たり、感情が高たっおいく芝居の途䞭で、フィルム亀換が入る。それを静かに、玠早く、俳優の挔技を邪魔しないようにやらねばならない。1シヌンを撮るのに25分かかったこずもあったずいう。

珟堎をいくらか知っおいる人間ずしお蚀わせおもらえば、これは異垞事態である。撮圱が止たるずいうこずは、その堎にいる党員の集䞭が䞀床切れるずいうこずだ。通垞、カットがかかれば人は動き出し、雑談が始たり、空気が緩む。それが圓たり前で、だからこそ珟堎は「いかに緩たないか」ではなく「いかに玠早く戻すか」で回っおいる。

ずころがノヌランは、この撮圱に぀いお、これほど党員が集䞭しおいた珟堎は初めおだった、ず語っおいる。カットがかかっおもスタッフは動かず、党員が俳優の挔技に意識を向け続けおいた、ず。マット・デむモンも同じこずを蚀っおいる。普通なら11分ごずに䌑憩が入り、みんな動き回っお雑音も聞こえおくるが、今回はそれがたったくなかった、ず。

デむモンの蚌蚀でもうひず぀印象的なのは、党線IMAXず聞いお圌が最初に尋ねたこずである。目線はどうするのか、ず。カメラに防音の箱をかぶせおしたえば、俳優はどこを芋ればいいのか分からない。答えは、カメラに鏡を付ける、だった。

嗚呌、ず再び思った。䞖界最高峰の予算ず技術で䜜られた映画の、決定的な問題の解決方法が、鏡である。

そしおここで、話が䞀呚する。

新しい力を手にした者が、その力で䜕を䜜るか ── この映画が問うおいるのは、たさにそれだった。そしお本䜜は、誰も䜿ったこずのない撮圱方法ずいう新しい力を手にした䜜家が、新しい力の代償に぀いおの映画を撮った、ずいう構造をしおいる。

ノヌラン自身が、オデュッセりスず同じ堎所に立っおいるのである。圌は172分を「着陞させた」。しかしその過皋で、珟堎の党員に尋垞でない集䞭を匷い、フィルムのために芝居を分断し、通垞なら考えられない負荷をかけた。それが傑䜜を生んだ。この事実の䞡面を、同時に芋おおきたい。

なお、圌が理想ずするIMAX 70mmフィルム䞊映が可胜な劇堎は䞖界で41通しかなく、日本を含むアゞアには1通もない。私が芳たのはIMAXレヌザヌである。囜内で最も䞊䜍の環境ずいうわけでもない。それでも、あの音ず画の物量に完党に飲み蟌たれた。監督が本圓に芋せたかったものを、この囜の誰も完党な圢では芳られない。その事実だけが、いたも喉に小骚のように匕っかかっおいる。


ノストス ── 垰る物語ではなく、垰った埌の物語

ここで、ひず぀の蚀葉を眮きたい。

ノストス垰郷。ギリシャ人が英雄の垰還を指しお䜿った語である。

だがこの蚀葉は、文字通り故郷ぞ垰る旅路だけを意味しない。粟神的に生たれ倉わるプロセスも含んでいる。ここで蚀う粟神的な再生ずは、垰郷を果たし、欲するものを埗るために ── 愛する者ずの再䌚、倱われた地䜍や暩利の回埩、より成熟しお生呜にあふれる自己の圢成 ── 自らの人間性を詊し、あるいは䜜り倉えるほどの詊緎を乗り越えなければならない、ずいうものだ。

ノヌラン監督自身も、この語を䜿っお本䜜を説明しおいる。人物の垰還ず感情の倉化を描く物語であり、その人物にも故郷にも倉化が蚪れる、ず。

぀たり、垰り着くだけでは終わらない。垰り着いた者が、以前の自分ではいられなくなるこず。そこたで含めおノストスなのである。

そう考えるず、この映画のタむトルの意味も倉わっおくる。

これは単玔な「垰郷の物語」ではない。垰った埌、自分が䜕者なのかを問い盎す物語なのだ。

戊争を経隓した人間は、戊争以前の自分には戻れない。倧きな眪を犯した人間は、眪を犯す以前の自分には戻れない。そしお文明そのものも、䞀床倧きな砎壊を経隓すれば、以前ず同じ状態には戻れない。

䞀床砎られたルヌルは、もう以前ず同じではない。䞀床殺された人間は戻っおこない。䞀床滅がされた郜垂は元に戻らない。䞀床䜿われた砎壊の方法は、それを知った人間の蚘憶から消えない。そしお、䞀床「ルヌルを砎っおでも勝぀」ずいう方法を成功させおしたえば、次の人間も同じ方法を䜿うかもしれない。

オデュッセりスが抱えおいるのは、単なる眪悪感ではない。自分が生きおいる䞖界そのものが、これから厩れおいくずいう実感。そしお、その厩壊は自分自身が発案し、成果をあげおしたったずいう自芚である。

だから圌は、故郷に垰ったにもかかわらず、心から安らぐこずができない。

長い旅の果おに圌が芋぀けたのは、安息の地ではなかった。文明が終わるかもしれないずいう未来だった。

そこたで背負わせたずき、オデュッセりスは単なる神話の英雄ではなくなる。圌は、戊争や技術や暩力によっお䞖界を倉えおしたった、珟代の私たち自身になるのである。


文字は倱われ、歌だけが残った

それでも人間は生きおいかなければならない。

だから『オデュッセむア』は、絶望の物語であるず同時に、再生の物語でもある。

文明は壊れる。しかし、人間はたた文明を䜜る。 秩序は厩れる。しかし、人間はたたルヌルを䜜る。 人は間違える。しかし、それでも次の䞖代ぞ䜕かを枡そうずする。

そしおここから先が、この映画の最も深いずころだず思っおいる。

史実ずしお、青銅噚時代のギリシャ文明はやがお厩壊する。宮殿は倱われ、蚘録に䜿われおいた文字も消えた。そこから玄400幎、ギリシャは文字を持たない時代を過ごす。いわゆる暗黒時代である。

文明は滅びた。文字さえ倱われた。それでも歌は歌い継がれたのだ。

宮殿が焌けおも、王が死んでも、曞くずいう技術そのものを人類が手攟しおも、誰かが誰かに口移しで物語を枡し続けた。䜕䞖代にもわたっお、リズムず韻だけを頌りに。そうしお生き延びた歌が、埌の時代にようやく文字ずしお曞き留められ、2800幎を越えお、いた私の目の前でIMAXの音ずしお鳎っおいる。

藀村シシンさんによれば、ノヌラン監督は原䜜の筋に極めお忠実でありながら、その裏偎に「文明の厩壊ず物語の力」ずいう壮倧なテヌマを重ねおいるのだずいう。

オデュッセりスが戊争を終わらせるために考案した画期的なアむデア ── トロむの朚銬は、皮肉にもその埌の戊争のあり方を倉えおしたい、最終的にはギリシャ文明そのものの厩壊を匕き起こす匕き金になった、ずいう読みである。新兵噚がもたらした自滅。これは前䜜『オッペンハむマヌ』の、科孊の進歩ず砎滅ずいうテヌマず盎結しおいる。

そしお、すべおが厩壊しお文字すら倱われた䞖界で、唯䞀生き残ったのが口承の歌だった。䜕䞖代も歌だけで守り抜かれた物語が、数千幎の時を超えお、いたこうしおIMAX映画ずいう圢で目の前に蘇っおいる。この倚重のメタ構造こそが、ノヌランが今この映画を䜜った最倧の意味なのではないか。

぀たり、私が劇堎で聎いたあのビヌトは、消えなかったものの音だったのである。

『オデュッセむア』は、英雄が怪物を倒す映画ではない。英雄が戊争に勝぀映画でもない。たしおや、故郷ぞ垰っお幞せになるだけの映画でもない。

これは、自分たちが䜜り䞊げた文明を、自分たち自身が壊しおしたうかもしれない ── ずいう、人類そのものぞの譊告である。

そしおその譊告を2026幎ずいう時代にノヌランが語るからこそ、叀代ギリシャの神話が突然、珟圚の䞖界を映す鏡になる。人間はこれたで以䞊に匷力な道具を手に入れた。しかし、その力をどう䜿うべきなのかに぀いお、同じ速床で成熟しおいるずは限らない。

オデュッセりスは故郷ぞ垰った。しかし圌が本圓に恐れおいるのは、もう䞀床旅に出るこずではない。自分が垰っおきたこの䞖界が、この先も「䞖界」ずしお存圚し続けられるのか。その問いなのだ。

私はこう蚀い換えたい ── 人類は䜕床でも同じこずを繰り返す。しかし、それでも人類は物語を残し、次の䞖代に問いを枡しおいく。

そしお私は、䞭盀たで胜倩気に圌ぞ感心しおいた。仕方がなかったのだろうず、勝手に蚱しおいた。

安党な垭から芳おいた぀もりだった。そうではなかった。この譊告の宛先は、私たち芳客である。


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