たまに短歌 2025年10月6日 果無集落からの帰路
城壁が道と崖とを分け隔て
何を何から何故守るのか
果ての無い山道行けばただひとり
この世とあの世の境も消える
果ての無い古道が通う山の里
ひとつひとつと灯りが消えて
坂道や階段は上りよりも下りの方が足腰に負担が大きいらしい。というわけで、果無集落からの帰路は車道を行く。今の自分には、かつて人が当たり前のように往来した山道さえ、上りはともかく、下ることは躊躇われるのである。果無集落から柳本橋までは車道で迂回してもバス停一区間分程度でしかないのだが、歩けばそれなりだ。途中に「めん滝」という小さな滝がある。住居表示では「吉野郡」、熊野三山から見れば「奥熊野」という神聖なイメージの地である所為か、小さくても存在感があって美しい滝だ。

滝壺に至る石段があって、水の中に入るようになっている
ここで何を?
果無集落からこの滝に至るまでに、観光客と思しき乗用車が2台、マイクロバスが1台、私たちの傍を通り過ぎ、郵便配達のバイクとすれ違った。郵便バイクは私たちが国道に着く前に折り返して下りて行った。日本中至る所に郵便が届くのは当たり前なのだが、この場所で郵便バイクを実際に目にすると、「おぉ」と思ってしまう。郵便は本当に民営化して良かったのだろうか。国鉄が民営化されて、不採算路線が切り捨てられ、三セクで一時的に話題を呼んだところも、その多くが力尽きている。そうなると、人はある程度の規模以上の都市でしか生活することしかできなくなるのではないか。公共交通網から外れた土地で生きる人々の暮らしは、自助努力に期待するというのだろうか。ということは、山林や農漁村の生活を国家は保障しないということであり、食料自給率や国全体としての国民生活の安全保障を国としては放棄するということなのだろうか。このところの選挙で、かつて票田であったはずの農村で自民党が得票できなくなっているのは、そういう状況と無関係ではあるまい。戦後ずっと農村票に依存しながら農村を蔑ろにし、農政無策を続け、国家としてのグランドデザインを真剣に考えることなくここまできてしまったツケがこのザマ、というのは現実と断言して差し支えあるまい。先頃の自民党総裁選では奈良地盤の人が総裁になり、総理の可能性もある。この先、どうなるのだろうか。
見出しの写真は、果無集落から国道に至る車道だ。道と崖との境が外国の城壁のように見えて面白いと感じた。境界の突起は高さ30cmほどしかないのだが、視覚的効果も考慮すれば、これでも十分用は足りるのだろう。

少なくとも郵便バイクは毎日のように通る
滝を過ぎ、しばらく下ったところで、軽装のリュックを背負った、腰の曲がった男性が登ってくるのとすれ違った。てっきり地元の人かと思ったが、挨拶をして一言二言交わしてみると、観光客のようだった。古道ではなく、この車道を上り下りするなら大丈夫なのかもしれないが、年配のひとり歩きというのは少し心配だ。自分も昨年、地下鉄の駅で倒れて救急搬送され、そのまま一週間ほど入院することになった所為もあるのかもしれないが、そういうことが気になるようになった。
その男性とすれ違って程なく、国道が見えてきた。国道との突き当たりに向井去来の句碑が立っている。
「つづくりもはてなし坂や五月雨」
と刻んであるらしい。句碑の文字は深く刻まれていてはっきりしているのだが、あいにく私の方の読解力の問題で読みこなすことができない。芭蕉の句集『猿蓑』に収載されているのだそうで、山梨県立大学の『芭蕉db』というサイトに次のような説明を見つけた。
<つづくりも はてなしざかや さつきあめ>。前詞にある「はてなし坂」は、大和と紀州の国境の無終山<はてなしやま>で、熊野神社への参詣道路なので通行人から修繕費用を勧進させていたのである。去来はここを元禄2年に通過した。その折の句で、募金の包み紙にこの句を書いたというのだが。
一句は、なんぼ道普請をしてもこの五月雨で文字通りはてなし山です、の意。

私のような無教養者にはこれだけみても何も語ることができない
小一時間山道を歩いて果無集落を見て、小一時間かけて谷へ下り、名前くらいは知っている俳人の句碑を見ただけで、この日一日が終わったような達成感が湧いてしまうのだが、まだ昼前だ。この後、昼飯を食べに、車で十津川村役場の隣にある道の駅へ向かう。

吊り橋と同じ名前
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