【note感想】届いた花を眺めながら┃『凶器を、花束に。』を読んで
『凶器を、花束に。』
ある夜に公開された、
ひとつのnoteがあります。
それは単なるエッセイじゃない。
SNS時代の「言葉による暴力」に、
警鐘を鳴らすもの…でもない。
言葉に傷ついて、言葉に救われたひとの、
ひとつの祈りです。
「痛みを伴う言葉」を差し出してくれた。
その敬意をこめて。
この気持ちは、
単なる「感動しました」では終われない。
Xのポストへのリプや、
記事へのコメントでは収まらない。
だから、
言葉にして書くことで残したいとおもいます。
🐋🐋🐋
じつはこのnote、
もう3回は読み返しているんですよね。
1回目は、少し落ち着かないまま、一気に。
2回目は、そっと言葉を噛みしめるように。
3回目は、感想を書きながら、じっくりと。
それでも、正直、
まだ綺麗な感想にはまとめられていません。
ボクは X や note を書くようになって、
「言葉」はより慎重に取り扱いたい。
と、おもうようになりました。
画面の前には、血の通った人間がいる。
そうおもうと、言葉のひとつひとつ、
表現の一字一句に気を付けるようになって。
誰かを傷つけないか、誤解を生まないか。
こう書くことで、誰か不利にならないか。
小骨を取り除くような、
「言葉のとげ抜き」を必ずしています。
何気なく書いた一文が、
誰かを傷つけることもある。
でも逆に、
小さな言葉が、誰かに届くこともある。
同じ言葉なのに、
凶器にも花束にもなるんですよね。
🐋🐋🐋
少しだけ、
自分の話を挟んでもいいかな。
思春期の頃、
目に見えない暴力のようなものを、
受けたことがあります
「お前は、この輪の中にいれない」
直接、そう言われたわけではないけれど。
空気や視線や態度から、
チクチクと伝わってくる感覚がありました。
幼い頃は、
普通に笑い合っていたはずなのに。
多感な時期になると、
人はこんなにも変わるのかと思うほど、
距離ができていきました。
幸い、理解してくれる人もいたし、
学校でも他に居場所はあったんだけど。
あの頃に感じた「見えない刃」の感覚は、
いまも記憶や心のどこかに残っているみたい。
表立って何かが起きたわけじゃない。
こちらも歩み寄らず反発したのもあります。
言葉があるはずなのに、それすら発せられない。
空気が、視線が、
少しずつ、じわじわと心を削っていく感覚。
それはまるで、
目に見えない 鎌鼬 みたいでした。
🐋🐋🐋
そんなことを思い出しながら、
記事を読んでいました。
それもあって、
すぐに感想を言葉にできませんでした。
痛みを、
ただ強い言葉に変えることもできたはずなのに。
それでもなお、
誰かへ渡せる形へと言葉を編み直していた。
その姿勢に、書く人間として、
じんわりと心を動かされました。
ここまでのテーマを文章にするのは、
とてもエネルギーがいることだと思います。
過去の傷や痛みは、
見返すだけでも消耗します。
それを言葉に変えて、
人の目に触れる場所へ置くというのは、
きっと簡単なことじゃありません。
しかも、ネットは時に、とても残酷です。
少し表現を間違えれば、
誤解されることもある。
真剣に書いた言葉ほど、
軽く消費されてしまうこともある。
だからこそ、
彩心さんがこの記事を書いてくれたこと自体に、
ボクは強く、意味を感じたのです。
「すごく良かったです」
これだけで終わらせたくなかった。
もっとちゃんと受け取りたかった。
自分の中で何が動いたのかを、
ちゃんと言葉にしたかった。
感謝という言葉だけでは、
少し足りない気がしています。
ぜひ、お手に取ってください。
あなたにも、素敵な花束が届くはずです。
おしまい
