無料公開『新しいカレーの歴史 下』 メモ:第一次世界大戦とカレー粉の国産化(その1)
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メモ:第一次世界大戦とカレー粉の国産化(その1)
大正5年の農商務省農務局編『農業関係重要品輸出入累年対照表』には、明治38年から44年までのカレー粉の輸入量(左:単位斤)および輸入金額(右:単位円)がまとめられている(農商務省農務局 1916:86)

輸入カレー粉の統計がとられていたのはこの期間のみで、明治37年以前および大正時代以降の数字は存在しないようだが、ご覧の通り明治38年から明治42年にかけての5年間に、カレー粉の輸入量/金額は約三分の一に激減しているのである。
明治43年に増加に転じた理由は、後述するようにクロス・アンド・ブラックウェル社が本格的に日本に進出したせいかと思われるのだが、増加といっても43年の輸入量は38年の約半分しかない。
なぜ、カレー粉の輸入量が激減したのか?
この時期はビヤホール、洋食屋台、一品料理店により、東京において西洋料理の大衆化が進行していた時期である。後に述べるが、大阪においてもカレーを提供する高級一品料理店が花街に増殖した時期だ。カレー粉の需要は、増えることはあっても激減することなどありえない。
この時期の輸入量激減の理由は一つしか考えられない。カレー粉の国産化が進んだ結果、海外産カレー粉の輸入が減ったと考えられるのだ。
国産カレー粉の販売量・金額の統計データはないが、外務省通商局編『海峡殖民地概覧』によると、イギリス領インドおよびイギリス領緬甸(ビルマ)などから輸入した国産カレー粉の原料の金額が、大正5年度で478,909ドル(当時の為替レートで957,244円)となっている(外務省通商局 1918:323)。

つまり原料費957,244円以上の金額の国産カレー粉が販売されたわけだが、これは明治42年の輸入カレー粉の金額、9,354円の約100倍。明治44年と比較しても約31倍。この時期にカレー粉の国産化が劇的に進んでいたことがわかる。
明治40年代以降、国内業者のカレー粉商標登録が相次いでおり(商標登録32310 K&K国分、33907 I&O、34809I SHIZAKI&OMACHI、40179 大町信、43368 杉本ちよ、48619 小島仲三、53116 大橋鉄次郎、62344 田宮源太郎)この点からもカレー粉の国産化が活発となっていたことがわかる。
第一次大戦開戦直後(大正3年)に発行された畜産雑誌『肉と乳 第五巻九月號』の記事「戰亂と食料品」には、カレー粉のほとんどはイギリス製の輸入品であり、戦争による輸入断絶により東京市の洋食店は危機に陥るとある。
“今後更に困る品はカレーである、カレーは勿論日本では出來ず、米國でも歐羅巴(ヨーロッパ)でも出來ず、原料は印度で出来それを英吉利(イギリス)に持って行つて製し上げその上で全世界の需要に應じて居たのであるからもう當分時局が納まる迄は來る見込みが無い。”
“市内數千の小さい洋食店では殆どライスカレーの賣り上げをもつて算盤をとつて居た位であるから若しカレーが無くなつて献立表の中からライスカレーを削らねばならぬ事となればそれこそ一大事だ”
同じく第一次大戦開戦直後の朝日新聞大正3年8月23日東京朝刊記事「時局と婦人」では、“外國産輸入途絶”に対応するために、カレー粉の国産化研究を始めている、とある。
大戦中の大正5年度の国産カレー粉向け原料輸入額が957,244円という大きな数値となっているのは、第一次大戦によってイギリス産カレー粉の輸入が途絶えたために、国産化が進展したという背景があったのだろう。
メモ:第一次世界大戦とカレー粉の国産化(その2)に続く
