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無料公開『新しいカレーの歴史 下』 メモ:C&Bのカレー粉はなぜ「日本国内だけで」有名なのか

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メモ:C&Bのカレー粉はなぜ「日本国内だけで」有名なのか


“カレー粉を作るというかたちでのカレーの商品化はイギリス、より正確にはクロス・アンド・ブラックウェル(以下C&Bと略)という会社の手によるものである”(森枝 1989:79)というのは、森枝卓士が『カレーライスと日本人』において捏造した嘘だ。

上巻で明らかにしたとおり、カレー粉はインド在住のイギリス人主婦によって生み出された。これを商品としてイギリスに輸出したのは当時貿易独占権を持っていた東インド会社で、1770年代から市場に流通し始める。

以降半世紀ほどはインドからの輸入品が主流を占めていたが、1820年代にはイギリス国内産のカレー粉が流通し始める。C&Bがカレー粉製造に参入したのは1840年代。国内産としても後発組だ。

C&Bがカレー粉を製造し始めた頃の有名な料理書、Eliza Actonの『MODERN COOKERY』においては、インドからの輸入カレー粉と比較し、国内産のカレー粉は品質が悪いと非難されている(Acton 1845:344)。

つまり、インド産のカレー粉の劣化版製品の一つと考えられていたのが、 C&Bのカレー粉であった。

イギリスのカレー粉製品の中で、C&Bだけが有名になっているというのは、日本だけでおきているガラパゴス現象なのである。

いったいなぜ、イギリスでは有名でもなく、評判が高いわけでもないC&Bのカレー粉が、日本においてのみ有名となったのか。

明治時代の終わりまでは、各種資料にC&Bの名前は出てこない。

森枝によると、C&Bが保有している1884年の商品リストのカレーの項目に“十六パケット・イン・ジャパン”との記載があるそうだが(森枝 1989:86)、それがC&Bのカレー粉であるとは断定できない。C&Bは流通業者であり、他社のカレー製品も扱っているからだ。

小菅佳子によると、食品輸入販売業者明治屋のPR誌『嗜好』の、明治41年の創刊号に「カレーパウダー 東印度産カレー粉 二オンス金三十銭、ホワイトカレー・ぺースト・白のねりカレー粉、ホワイトカレーペースト・エキストラ・コアリチー シービー社カレー 二オンス金五十銭、四オンス金九十五銭」との記述があるという(小菅 2002:177)。

ここにC&Bの名前が登場するが、販売している製品は自社製品ではなく、Selim社のCaptain White印のカレーペースト(上巻参照)。他に明治屋が扱っているのはインド産のカレー粉だ。

カレー史の本には、「C&B偽造事件」というものが載っているが(例えば小菅 2002:180)、各種書籍に書かれた内容と実際に起こった事件の内容は異なる。

小菅が引用元としているのは『総合食品』1989年9月号の記事、服部博「日本のカレー産業(6)」(P102~)。この記事によると「C&B偽造事件」は昭和6年に起こり、大々的に報道されたことになっているが、東京日日(毎日)、朝日、読売新聞によってカレー粉偽造事件が報道されたのは昭和6年ではなく昭和8年。

東京日日新聞昭和8年5月4日朝刊記事「暴利に集る醜類 カレー粉の偽造團」ではC&Bカレー粉偽造が取り上げられているが、同じ日の読売新聞朝刊記事「廿八錢のカレー粉を二圓五十錢に賣る」では、ロンドンウヰルミツト会社のAB印カレー粉が二万個偽造されたことになっている。

つまり、昭和8年の時点では、C&BだけでなくAB印カレー粉(とその偽造品)も大量に流通していたのだ。

C&Bのカレー粉が初めて資料に登場するのは明治42年。明治42年6月22日付けの官報(P460)に、商標“三六五六〇 「カレー」粉 英國 有限責任「クロス」及「ブラックウェル、コムパニー」”が登録された旨記述されている。

「メモ:第一次世界大戦とカレー粉の国産化」で言及したとおり、輸入カレー粉の量は明治38年の59,899斤から5年後の18,569斤へと三分の一に激減するが、翌年の明治43年には30,836斤へと急に増加している。C&B社が商標を登録した翌年だ。

つまり、C&Bが本格的に日本に進出し拡販、商標登録をして偽物を排除したことが、輸入カレー粉の増大に結びついたのではなかろうか。

その後、C&Bの名は各種資料に現れ、婦人雑誌への広告出稿も見られるようになる。

一方、ウヰルミツト会社のAB印カレー粉も含め、C&B以外のイギリスの会社が商標を登録した形跡、および広告を出していた記録は、調べた限りでは見つからなかった。

つまり、日本市場に本腰を入れて取り組んだイギリスの会社は、C&Bだけだった可能性がある。

インドで日本の自動車といえば、スズキ。メキシコで日本のインスタントヌードルといえば、マルちゃん(東洋水産)。いずれの会社も、それぞれの国の市場に熱心に取り組み続けてきた結果、日本国内の同業他社を凌駕するプレゼンスを獲得したのである。

C&Bも企業努力の結果、日本でのみ独特の存在感を持つことに成功したと思われる。

次は 日本郵船のカレーライスに福神漬はついていなかった(その1)