血の筋と濃さ
「血」の拘束を受ける人たちの心を思ってのことだろうか。皇室典範改正(?)の勝手半端な議論をみるにつけ、そう感じた。養子は男でこの血筋に限るとか、婿はとっても血筋には入れないとか、よくわからない話だった。肝心の当事者の思いは脇におかれている。
「静謐な環境下」で「総意」を自認する人たちの数の多さをもって「改正」が決まった
今さらながらだけれど、わたしが考える判断基準があの人たちの議論のテーマにならなかったのが残念だ。
「血」が問われた。遠い親戚とはいえほぼ他人、おつきあいも疎くなった家からの男の養子とりでつなぐ「血」と、直系の娘たちの婿とりの「血」。男の「筋」をたぐって、「濃さ」は傍に置かれた。
日本国憲法でいう「象徴」を担ってくれる人は、その役目を覚悟されているはずだ。覚悟は、濃い血の環境で育つことで醸成されるのではないだろうか。そこを問わずに、「血」は遠くても男系という「筋」で跡取りを決めるのは腑に落ちない。
旧宮家である久邇宮家出身の久邇朝宏さん(81)は、「血統だけでなく資質が必要だ」という(毎日新聞)。たとえば、「(天皇家の)家族の振る舞いに幼少期から触れてこそ国民に慕われる皇族としての資質が養われる」。そして「自由な生活を謳歌してきた旧宮家の若い独身男性が皇族に戻るのは難しいのでは」とも。
そもそも2005年に決めておけばよかったのだ。その時は「濃さ」を問うた。ところが、悠仁さんが生まれたことで結論がうやむや先延ばしになってしまい、今回「総意」の力で「筋」で決められてしまった。
思い立った時に決めておくこと、これが今回の教訓だ。
