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凪野 さら|沈黙の系譜|お市の方



沈黙の系譜|お市の方

二度の結婚の末に悲劇に散った戦国の姫



兄は、織田信長。

最初の夫は、浅井長政。

二度目の夫は、柴田勝家。



戦国という時代の大きな流れの中で、
お市の方は二度、武将の妻となった。



そして二度とも、
夫と城を失った。



歴史は彼女を「戦国一の美女」と伝えてきた。



けれど、その美しさだけを見ていては、
お市の方という女性の生涯は見えてこない。



兄と夫。

織田と浅井。

そして、勝家と秀吉。



男たちが天下を争うその傍らで、
彼女もまた、戦国を生きていた。






お市の方とは

お市の方

生年:1547年頃(天文16年頃)
没年:1583年(天正11年)

出身:尾張国

織田信長の妹として知られ、
近江国の戦国大名・浅井長政に嫁いだ。



長政との間には、

茶々・初・江

の三姉妹が生まれる。



浅井氏滅亡後、三人の娘とともに織田方へ戻り、
本能寺の変で信長が倒れた後、柴田勝家と再婚。



しかし、その翌年。

勝家が羽柴秀吉との戦いに敗れると、
お市の方は北ノ庄城で勝家と最期をともにした。







信長の妹として生まれた女性

お市の方は、1547年頃、尾張国に生まれたとされている。



兄は、織田信長。



後世、お市の方は「戦国一の美女」と称されるようになる。



けれど、彼女が生きたのは、
女性の婚姻が家と家を結ぶ政治そのものになり得た時代だった。



1567年末頃から翌年初めにかけて、
お市の方は北近江の戦国大名・浅井長政に嫁いだとされる。



信長にとって浅井氏との同盟は、
上洛を目指すうえでも重要な意味を持っていた。



お市の婚姻もまた、
その政治的関係の中にあった。



けれど、その後の人生を見れば、
彼女を単なる「政略結婚の姫」という一言だけで片づけることはできない。



長政との間には、三人の娘が生まれた。



茶々。

初。

江。



のちに、それぞれが豊臣、京極、徳川という大きな歴史の流れへ入っていくことになる三姉妹である。







兄と夫が、敵になった



1570年。

織田信長は越前の朝倉氏を攻めた。



浅井氏と朝倉氏には以前から関係があり、
浅井長政は信長から離反する。



その瞬間から、お市の方は極めて厳しい立場に置かれた。  



兄は、信長。

夫は、長政。



二人はもう、味方ではない。

戦場で敵として向き合う存在になっていた。



兄か。

夫か。



けれど、お市自身がこのとき何を考え、何を語ったのか。



その心の内を、現在残る史料だけから断定することはできない。



だからこそ私は、
その沈黙に目を向けたいと思う。



歴史に残された言葉ではなく、
残されなかった言葉へ。



「沈黙の系譜」で描きたいのは、そこにある。







小豆袋は、本当に信長へ送られたのか



お市の方には、有名な「小豆袋」の逸話がある。



長政が信長に背いたことを知らせるため、
お市が両端を縛った小豆の袋を信長へ送ったという話だ。



袋の両端を縛る。



それは、信長が前後から敵に挟まれることを暗示していた――。



そんな物語として長く語り継がれてきた。

ただし、この話を確実な史実として扱うことはできない。



後世に成立した史料に記された逸話であり、
同時代史料によって確実に裏付けられているわけではないからだ。



それでも、この逸話が何百年も語り継がれてきたことには意味があるように思う。



両端を縛られた小さな袋。

その姿はまるで、

兄と夫の間に挟まれた、お市自身

を象徴しているようにも見える。



史実なのか。

後世に生まれた物語なのか。



その境界を明確にしたうえで見ると、
小豆袋は、お市の生涯を象徴するひとつの伝説として残る。







小谷城落城



1573年。

信長軍によって小谷城が攻められ、
浅井氏は滅亡する。



浅井長政は自害。



お市の方は三人の娘とともに城を出た。



茶々。

初。

江。



夫と同じ場所で死ぬのではなく、
このとき彼女は娘たちとともに生き残った。



その後、お市と三姉妹は織田方に戻り、
信長の弟・信包に預けられたとされる。



小谷城を失ってから約九年。

お市は三人の娘たちと生きた。



だが、1582年。

再び歴史が動く。







本能寺の変、そして二度目の結婚



1582年6月。

本能寺の変。



明智光秀の謀反によって、
織田信長が死んだ。



絶対的な存在だった兄を失ったお市の方。



その後、お市は織田家の重臣・柴田勝家と再婚する。



三人の娘も母とともに越前へ移り、
北ノ庄で暮らすことになる。



お市にとって、二度目の結婚だった。



しかし、その生活も長くは続かなかった。



信長亡き後、
織田家内部の主導権をめぐる争いが激しくなっていく。



柴田勝家。

そして羽柴秀吉。



やがて両者の対立は、
戦場で決着をつけることになる。







賤ヶ岳、そして北ノ庄へ



1583年。

賤ヶ岳の戦い。



柴田勝家は羽柴秀吉に敗れ、
越前の北ノ庄城へ退いた。



秀吉軍は北ノ庄へ迫る。

城は包囲される。

逃げることのできる時間は、
もうほとんど残されていなかった。



しかし、お市の方は三人の娘を城外へ出した。



茶々。

初。

江。



小谷城では、
母と娘たちは一緒に生き延びた。



十年後。

北ノ庄では、
母が残り、娘たちが生きることになる。







「私はここに残る」



勝家は敗れた。

北ノ庄城の最期は迫っていた。



お市の方には、城を出る道もあったと伝えられている。



しかし彼女は、勝家とともに最期を迎えた。



1583年4月24日。

北ノ庄城は落城。

柴田勝家とお市の方は自害した。

お市の方、37歳。

二度の結婚。

二度の落城。

最初の夫・浅井長政を小谷城で失い、
二度目の夫・柴田勝家とは北ノ庄城で最期をともにした。



だが、その二つの最期には大きな違いがある。



小谷では、娘たちと生きた。



北ノ庄では、娘たちを生かし、自らは残った。



その選択の理由を、
現代に生きる私たちが簡単に決めつけることはできない。



ただ一つ確かなのは、

三人の娘は生き残ったということだ。







母の死後、三姉妹は歴史の中心へ



お市の方が北ノ庄で亡くなった後、
三人の娘たちは生き続けた。



長女・茶々



のちの淀殿。

豊臣秀吉の側室となり、
秀吉の後継者となる豊臣秀頼を産む。



しかし後年、大坂の陣で豊臣家は滅亡。

茶々もまた、戦乱の中で最期を迎える。



次女・初



京極高次に嫁ぎ、
のちに常高院と号した。



豊臣と徳川が激突した大坂の陣では、
両者の間を取り持つ役割を担うことになる。



三女・江



徳川秀忠の正室となり、
三代将軍・徳川家光らをもうけた。



母を失った三人の娘は、

豊臣。

京極。

徳川。



それぞれ異なる場所へ進んでいった。



お市の方自身は37歳で生涯を終えた。



けれど、その血脈は、
その後の日本史へ深くつながっていく。







もうひとつのお市の方――北ノ庄生存説



お市の方には、もうひとつの伝承が残っている。



北ノ庄城で死なず、
密かに城を脱出して生き延びたという「生存説」である。



福井県が紹介している伝承では、
お市は北ノ庄城から脱出したのち、近江を経て伊賀へ移り、1599年まで生きたとされている。



もちろん、これは一般に認められた史実ではない。



あくまで後世に伝えられた生存伝承として区別する必要がある。



それでも、

「あの女性には、生きていてほしかった」

そう願った人々がいたからこそ、
このような物語が残ったのかもしれない。



史実と伝承。



その境界にもまた、
人が歴史へ託した感情が残っている。







戦国の女性を「悲劇」だけで終わらせない



戦国時代の女性は、
政治的な婚姻によって家と家を結ぶ役割を担うことがあった。



お市の方も、その時代から自由ではなかった。



けれど、

「時代に振り回された悲劇の姫」



それだけで彼女の人生を終わらせてしまえば、
見えなくなるものがある。



夫を失ったあとも生きたこと。



三人の娘を連れて戦乱を越えたこと。



そして北ノ庄で、
娘たちを城外へ送り出したこと。



歴史の表舞台では、
信長、長政、勝家、秀吉といった武将たちの名が大きく残る。



その傍らにいた女性たちの声は、
決して多く残されてはいない。



だから私は、
残されたわずかな史実の間にある沈黙を見る。







沈黙の系譜|お市の方



兄と夫が敵になった。

夫を失った。

城を失った。



そして再び夫を得て、
再び戦に巻き込まれた。



最後に残ったのは、

三人の娘を生かし、
自らは北ノ庄に残ったという事実だった。



戦国一の美女。

信長の妹。

浅井長政の妻。

柴田勝家の妻。

浅井三姉妹の母。



いくつもの呼び名の向こうに、
一人の女性がいる。



その人が本当は何を思っていたのか。



すべてを知ることはできない。



だからこそ、
私はその沈黙を描きたい。



炎の向こうへ消えていった女性の人生は、

茶々へ。

初へ。

江へ。

そして、その先の時代へと続いていった。



沈黙は、そこで途切れなかった。

それが、お市の方の「沈黙の系譜」である。







参考・史実確認



本記事では、史実として確認できる事項と、後世に伝えられた逸話・伝承を区別して記載しています。



主な確認先:

・福井県「戦国ふくい歴史紀行 お市の方」
・福井市「ふくい歴史マップ」
・日本大百科全書(ニッポニカ)「小谷の方」
・山川出版社『山川 日本史小辞典 改訂新版』「小谷の方」



※お市の方の生涯には、婚姻時期や逸話など諸説ある事項があります。
※「小豆袋」の話は有名な逸話ですが、確実な同時代史料によって確認された事実としては扱っていません。
※伊賀で1599年まで生きたという話は「生存説・伝承」として紹介しています。







Instagram|沈黙の系譜

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「沈黙の系譜」の作品を公開しています。

戦国武将が残した魂と美学を、
女性像を通して描くシリーズです。

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note|沈黙の系譜



「沈黙の系譜」では、
Instagramの一枚だけでは描ききれない人物の生涯や、その時代に残された物語をnoteで綴っています。

▼ 沈黙の系譜|note 












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