直系ではなく、傍系から――光格天皇はなぜ即位できたのか
推古天皇から後桜町天皇まで、女性天皇たちは皇統を守り、次の世代へ皇位をつなぐ役割を担ってきました。その最後を担った後桜町上皇が見届けたのが、今回の主役・光格天皇の即位です。
後桃園天皇の崩御 ―― 皇位継承の危機
1779年、後桜町天皇から皇位を継いでいた甥の後桃園天皇が、わずか22歳で崩御します。後桃園天皇には皇位を継ぐ男子がおらず、残されたのは皇女・欣子内親王お一人だけでした。皇統は、ここで深刻な危機を迎えました。
なぜ、光格天皇だったのか
そこで迎えられたのが、閑院宮家の兼仁親王、のちの光格天皇です。当時、まだ数え九歳の少年でした。兼仁親王は後桃園天皇の直系の子孫ではありません。けれど男系の皇族でした。閑院宮家は東山天皇から続く男系の宮家で、兼仁親王は父をたどっていけば歴代の天皇に行きつく、れっきとした男系の皇族だったのです。兼仁親王は後桃園天皇の養子となる形で皇位を継ぎました。血のうえでは傍系でも、こうして跡を継ぐ筋道が整えられたのです。
直系から離れた傍系の皇族が皇位を継ぐのは、室町時代の後花園天皇以来、およそ350年ぶりのことでした。
後桜町上皇が、見届けたもの
この大きな局面で重要な役割を果たしたのが、後桜町上皇でした。すでに位を退いていたとはいえ、皇室の長老――「国母」と称された存在として、次の天皇を迎える場に深く関わったと伝えられています。女性天皇シリーズの最後を飾った後桜町天皇が、その目で、現在の皇室へとつながる新しい皇統の始まりを見届けた。歴史の不思議な巡り合わせを感じる場面です。
血縁と婚姻 ―― 欣子内親王
光格天皇は、のちに後桃園天皇の唯一の皇女であった欣子内親王を中宮に迎えています。いったん分かれていた後桃園天皇の系統と閑院宮家の筋が、婚姻によってふたたび一つに結ばれたのです。
現在の皇室へと、つながる
光格天皇から続く男系はこうつながっていきます。光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇→明治天皇→大正天皇→昭和天皇→上皇陛下→今上陛下。現在の天皇陛下へと続く皇統は、男系の傍系から迎えられたこの光格天皇から続いているのです。
光格天皇の功績
光格天皇は、長く続いた武家の世のなかで朝廷の権威を回復しようと努めた天皇でした。とだえていた朝廷の儀式を再興し、祭祀の復興にも力を注いでいます。
筆者の考え
女性天皇シリーズを通して見えてきたのは、歴代の女性天皇が、それぞれ事情は違っても皇統を守り次の世代へ皇位をつなぐ役割を担ってきたことです。その最後を担った後桜町天皇が見届けたのが、男系の傍系から迎えられた光格天皇の即位でした。
注目したいのは、光格天皇が後桃園天皇の直系ではなかったという事実です。それでも皇位を継いだのは、男系の皇族だったからでした。皇位継承の歴史を振り返ると、このように直系ではない男系の皇族へ皇位が受け継がれた例が実際に存在します。光格天皇の即位は、その代表的な一例です。
もちろん、現代の制度や議論をそのまま過去に当てはめることはできません。それは慎重であるべきだと思います。ただ、少なくとも歴史の事実として、今の天皇陛下へと続く皇統もまた、男系の傍系から迎えられた光格天皇から続いている。このことは、皇位継承を考えるうえで知っておきたい大切なポイントだと思います。
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