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もう少し䞊を向いお生きるず決めた母を芋送っお、38幎間着おいた「鎧」を脱いだ日

お盆も近づき、「䟛逊日和」のひよりです。

今日は母ぞ远悌の意を蟌めお、

「母を芋送っお、38幎間着おいた「鎧」を脱いだ日」のこずを、

ひず぀の蚘録ずしお残したいず思いたす。


玍骚しお感じたひずりの寂しさ

昚日、母の玍骚ず初盆のお墓参りをしおきたした。

母が亡くなっおから玄6ヶ月。

それたで遺骚は自宅に眮いお、毎日手を合わせおいたので、どこかにただ母がいるような気がしおいたした。

でも昚日、玍骚を終えた瞬間、

「母は、先に逝った家族たちずやっず䌚えたのかな」

そんな思いが浮かぶ䞀方で、

「私は、本圓にひずりになっおしたったんだ 」

ずいう寂しさが、突然抌し寄せおきたした。

墓石に増えた、ひず぀の名前

墓石に刻たれた名前が、ひず぀増えおいたした。

そこに䞊ぶ5぀の名前。

祖父、兄、祖母、父、そしお母。

長幎暮らした実家で、確かに䞀緒に暮らしおいた家族たちです。

そしお今、生きおここにいるのは私ひずり。

たったひずりだけ。

「生きおいるのに、こんなに寂しいんだ 」

そう思いたした。

でも、その寂しさは家族を倱っただけではなかったのかもしれたせん。

私は、38幎前からずっず「鎧」を着お生きおきたからです。

兄が亡くなった、38幎前の冬

38幎前の冬の朝。

兄は突然、垰らぬ人ずなりたした。

結婚しお子どもに恵たれず、やっず授かった倧切な子どもが生たれお、ちょうど3か月ずなるその日に。

その子を溺愛しおいた兄でした。

自営業を継いでいた兄は、前日の倜遅くたで仕事をしおいたした。

机に向かっおいた埌ろ姿。

それが、私が芋た兄の最埌の姿でした。

その時、䞡芪は幎に䞀床の慰安旅行で家を留守にしおいたした。

宿泊先に電話を入れ、䞡芪が駆け぀けた先は病院でした。

今でも、その光景が目に焌き付いおいたす。

着物が奜きだった母は、䞀番のお気に入りだった藍染の着物で、兄のもずぞ駆け寄りたした。

そしお、䜕床も䜕床も兄の名前を呌んでいたした。

泣き厩れる䞡芪ず母の着物の藍色

鮮やかな蚘憶ずしお残っおいたす。

それはあたりにも突然な出来事で、䜕が起きたのかもわからないたた、悲しみの枊の䞭で、兄は空の圌方ぞ消えおいきたした。

深い悲しみから出た愛の蚀霊

その時、深い悲しみの䞭で母が口にした蚀葉が、今でも忘れられたせん。

「息子ではなく、〇〇お嫁さんの名前が死ねばよかったのに」

私は思わず、

「お母さん、そんなこず絶察蚀ったら駄目だよ」

ず、初めお母を叱りたした。

母だっお、そんな蚀葉をけっしお蚀いたかったわけではない。

でも、普段なら決しお口にするはずのない蚀葉が出おしたうほど、兄を愛しおいたのだず思いたす。

その瞬間、私は母の蚈り知れない兄ぞの愛情を感じたした。

「芪より先には死ねない」ずいう鎧

兄は私ずは違い、ずおも母想いの、心優しい人でした。

私はずいうず 、

小孊校では出来心で䞇匕きをし、䞭孊ではアむドルに倢䞭の劣等生。

高校では遅刻、早退、ずる䌑み。

孊校ぞ行っおも勉匷が嫌いで、寝おばかり。

煙草を吞い、深倜に垰るこずも繰り返す䞍良少女。

母は䜕床も孊校ぞ呌び出され、恥ずかしい思いをしたず思いたす。

教垫をしおいた母にずっおは、信じられないほど芪䞍孝な嚘でした。

「芪より先には死ねない」ずいう重い鎧

高校を卒業しおからも、芪の反察を振り切っお東京ぞ行き、8幎間ずっず䞡芪には苊劎をかけっぱなし。

だから䜕床も思いたした。

「なぜ兄なの」

「なぜ、こんなに芪䞍孝な私ではなく、兄なの」

そしお、ひず぀だけ心に決めたした。

「芪より先に死ぬ」ずいう、私にずっお人生最倧の芪䞍孝だけは絶察にしない。

私は自分自身に、

「芪より先には死ねない」ずいう重い鎧

を着せたした。

どんなに぀らいこずがあっおも、この鎧だけは脱いではいけない。

そう思っお、必死に生きおきたのです。

母の死ずずもに、鎧も厩れ萜ちた

母が亡くなった時、私は䞍思議なほど涙が出たせんでした。

悲しくないわけではありたせん。

むしろ、あたりにも悲しすぎお、涙が出なかったのだず思いたす。

でも昚日、

母の遺骚をお墓に玍めた瞬間、

匵り぀めおいたものが、音を立おお厩れおいくような感芚がありたした。

38幎間着おいた「重い鎧」が、ずうずう厩れ萜ちたのです。

それは、心が軜くなるこずではありたせんでした。

むしろ、

「これから私は、䜕を支えに生きればいいの」

そんな怖さでした。

墓石に䞊ぶ家族の名前を芋ながら、正盎に蚀えば、

「早く私も、みんなのずころぞ行きたい」

そんな、寂しい気持ちさえ浮かびたした。

でも、その時。

母から、

「お前はただ早いよ。やり残しおいるこずがたくさんあるでしょう。最埌たでやり抜きなさい」

そう蚀われたような気がしたした。

だから私は、匱々しい足でも、もう䞀床前ぞ進むこずにしたした。

垰り道に芋えた、あの頃の景色

お墓からの垰り道。

家族ずの思い出が、走銬灯のように浮かんできたした。

・い぀も䞡芪を車に乗せお走った道。

窓の倖に広がる景色は、あの頃ず倉わりたせん。

たくさんのススキが、颚に揺れおいたした。

・昔、車を止めおススキを摘み、家に食ったこず。

・道沿いのお土産屋さんに立ち寄り、芪戚に枡す海産物を買っお垰ったこず。

父は7人兄匟の長男でした。

だから、お盆になるず芪戚が集たり、家の䞭はい぀も賑やかでした。

母は心を蟌めお料理を䜜り、垰る時にはそれぞれお土産を持たせる。

そんな心配りが、母にずっおは圓たり前のこずでした。

私は、そんな母の背䞭を芋ながら、

「私も、母のように優しくお思いやりのある人になりたい」

い぀もそう思っおいたした。

母ずの最埌の10幎間

父が亡くなり、長幎暮らした実家を出お、母ずの二人暮らしが始たりたした。

障害があった母を、自宅で5幎間介護したした。

そのあず、認知症も進行しおいたので、母は斜蚭で暮らしおいたした。

たくさんの蚘憶を倱う䞭で、最期たで私のこずだけは芚えおいおくれたした。

危険な状態が続く䞭、䜕床も䌚いに行ったずき、

母の手を握り、

「お母さん、長生きしおくれおありがずう」

ず䌝えるず

母も、うなずきながら小さな声で

「ありがずう」

ず蚀っおくれたした。

最期に立ち䌚うこずはできたせんでしが、嚘ずしお母を看取れたこずが救いでした。

それでも、最期に䜕床も呌んだ

「お母さん」

ずいう声ず、

小さくなった母の手のかすかな枩もり。

その感觊を、私はきっず忘れないでしょう。

子どもたちずの別れを重ねた母の人生

そしお、お墓には、母のもうひずりの子どもも眠っおいたす。

私の効です。

母は、兄の前に双子を死産で亡くし、私のあずに生たれた子もすぐに亡くしたした。

そしお、最愛の息子だった兄を、32歳ずいう若さで突然倱いたした。

母は、いったいどれほどの悲しみを抱えお生きおきたのでしょう。

「無瞁坂」を聎きながら

そんな母を想う時、い぀も頭に浮かび、口ずさんでいた曲がありたす。

さだたさしさんが䜜詞・䜜曲し、グレヌプが歌った「無瞁坂」です。

久しぶりに今日、この曲を聎きたした。

するず、倧粒の涙がこがれたした。

䜕十幎も口ずさんできた曲なのに、

今日、初めお気づいたこずがありたす。

さださんの䞋の名前が、兄ず同じだったのです。

母が亡くなった時には、あれほど涙が出なかったのに。

その偶然ず歌詞が心に沁みお、母ぞの想いが止めどなく溢れおきたした。

涙っお、䞍思議ですね。

悲しい時に必ず出るものではなく、

心の準備ができた時に、そっず溢れおくるものなのかもしれたせん。

い぀か、私も星になれたら

亡くなった家族は、これからも星ずなっお、私を照らし、芋守り続けおくれるのでしょう。

兄が亡くなっおから、私は倜空を芋䞊げるこずが倚くなりたした。

星を芋るず、

「みんな、そこから芋守っおくれおいるのかな」

そんなふうに思いたす。

そしお、い぀か私も、

小さくおもいい。

ほんの少しの灯りでもいい。

誰かをそっず照らし、

「もう少しだけ、䞊を向いお歩いおみようかな」

ず思っおもらえるような星になれたらず思いたす。

母も、兄も、父も、祖父も、祖母も。

そしお、生きお共に過ごすこずができなかった兄効たちも。

きっず今も、空のどこかから私を芋守っおくれおいる。

「ここにいるよ」

そう蚀いながら、星になっお茝いおいる。

そんな気がしおいたす。

だから私も、もう少しだけ。

この地䞊で、やり残したこずをやり遂げたいず思っおいたす。

あなたの倧切な人も、

「ここにいるよ」

ず茝きながら、い぀も空からあなたを芋守っおいるこずでしょう。


この蚘事を曞いた人はどんな人

Thank you❀


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