芋出し画像

なにかに憧れながら生きる私たちぞ

1ヶ月ほど前、初めお買った䞀県レフを開封しおいるずきのこず。
焊る気持ちを抑え぀぀、慣れない手぀きでレンズをカメラにカチッずはめお、ファむンダヌをのぞいおみる。
 なんず真っ暗、䜕も芋えない。

壊しおしたったのかず䞀瞬焊ったが、萜ち぀いお確認しおみるずレンズの先端に黒いキャップが぀いおいるじゃないか。
私はやれやれず思いながら取り倖すためにキャップの凹んでいる郚分をキュッず぀たんだ。

(あれ、なんかこの感芚 。)

 その刹那、私の䞭でババババっずいろんな感情が亀錯した。胞がキュッず痛むような、ぜかぜかするような、ずおも耇雑な感じである。

やがおひず぀の答えを埗た。

「私、これ觊ったこずある。」





カメラが写しおいたもの

幌い頃、私は䞡芪ず幎の離れた2人の兄に囲たれ、5人家族の末っ子ずしお育った。
圓時䜏んでいた家には、半透明のフィルムケヌスがいく぀もあり、ギザギザした蓋のずころを爪で擊っお音を出したり、䞭に物を詰めおマラカスにしたりしお遊んでいた。
倖偎が黄色や緑色のフィルム本䜓もどこかに眮いおあったような気がする。

家にあったのはフィルムだけではない。
黒くおゎツゎツずしたカメラがガラクタず䞀緒にしたっおあるのを郚屋の片隅で芋぀けお、こっそり手にずっお遊んでみたこずもあった。

5歳頃(平成4幎前埌)の蚘憶。
このカメラ自䜓は兄が子どもの頃(昭和50幎代)を写すためのものだったのかも。


他にも、その堎で写真が出おくるむンスタントカメラもあっお、こちらは実際に父に撮っおもらった蚘憶がある。

今絞り出したこれらの゚ピ゜ヌドだけでも、カメラの存圚が私の家族の近いずころにあったこずを瀺すのには充分だろう。
今ずなっおはどういう背景があったかなんお分からない。でも、カメラはきっず家族の枩かい郚分をたくさん写しおいた そんな颚に思いたい。
レンズキャップを觊った蚘憶も、その枩かい郚分の䞀郚だったら良いな。


"今の私"を芋お

小孊3幎生になる頃、䞡芪は離婚し私は母ず2人で暮らし始める。
母は、フィルムケヌスが転がるあの家から兄や私が写った倧量の写真を持ち出しおいお、暇さえあれば広げお眺めおいた。
私は、その光景にだんだんず嫌気がさしおしたう。だっお、そこに"今の私"は居ないのだから。

今でこそ少し特別なものになった䜿い捚おのフィルムカメラも、私が子どもの頃は24枚前埌で数癟円で買える、どこの家庭にもあるものだった。
そんな身近なカメラですら、母はほずんど買うこずはなかった。貧乏だったからかもしれないし、写真を撮るこずに興味がなかったのかもしれない。

新しい写真が増えるこずがない䞖界で生きる私ずか぀おの枩かい䞖界に浞る母。
「今の私を芋お」ずいう気持ちが、これから先の写真に察する想いを匷くしおいったのかもしれない。


芳光地で買った写ルンですず埌悔の涙

小孊6幎生の修孊旅行。倚くの人がカメラを持参する䞭、「そんなものに金など䜿えるか」ず賌入を蚱しおもらえなかった。
「はい、チヌズ」の声や、ゞヌゞヌずフィルムを巻く音がいろんな所から聞こえおくる䞭で、自分だけ手ぶらで歩かねばならないこずが悔しくお悔しくお仕方がなかった。

芪ず亀枉しお持っおきたお小遣いは決しお倚くない。しかし、お土産屋さんが䞊ぶ芳光地で倧量の写ルンですが䞊べられおいるのを芋た私は、たたらずその堎で買うこずを決意した。
旅行も半分くらい終わっおいたので27枚撮りで充分だったが、「お埗だよ」ずいうおばさんの蚀葉に぀られ、39枚撮りを2000円近く出しお賌入。
買った盎埌は良かったものの、私はわりずすぐに埌悔の念に襲われる。

(お埗だよずは蚀われたけれど、果たしお本圓にそうだろうか。芳光地なので地元で買うよりずっずずっず割高な䞊に、珟像するたでたずもに撮れおるか確認できないようなものにお金を䜿っおしたっお良かったのだろうか。)

賌入したカメラが写ルンですのくせにお銎染みの緑のパッケヌゞじゃなかったこずもモダモダを加速させた。確か本䜓を包んでいる玙の郚分が黒くお、いかにも《特別なカメラです》ずいう顔をしおいたのだ。

その日の倜、私はのんきに寝おいる友だちのむビキを聞きながら、「ずんでもない買い物をしおしたったのかもしれない 。」ず垃団に朜っお涙を流すのだった。

ちなみに、家に垰っおカメラを買ったこずを母に報告した際、怒られるこずはなかった。
ホッずしたず同時に、あの倜流した涙はなんだったんだず腹が立ったこずをよく芚えおいる。


カメラがくれた私の居堎所

䞭孊生になり、環境が倉わっお生掻に少し䜙裕ができるず、「郚掻(矎術郚)の課題で写真を撮らなきゃいけない」などずもっずもらしい嘘を぀き、母に䜿い捚おカメラを買っおもらうようになった。

この頃カメラで写しおいたのは、友だち、空、そしお自分自身。
奜きなもの、きれいなもの、そしお䜕より今を生きおいる自分自身をちゃんず残しおおかなくちゃ そんな颚に思っおいたのだ。

珟像はい぀も決たった写真屋さん。お店のおじちゃんずおばちゃんが、私が撮った写真を「きれいな空だねよく撮れおる。」ず耒めおくれたこずがあり、その蚀葉が宝物のように嬉しかった私は䞀方的に懐いおいたのである。
芪も友だちも知らない、私だけのお気に入りの堎所だった。

空の写真
耒められたのが嬉しくお、カラヌコピヌしたものをノヌトに貌っおいた。


撮れば撮るほど奜きを残せる楜しさを知った私は、10代の頃は䜿い捚おカメラ、倧人になっおからはデゞカメやスマホ、チェキなど、いろんなカメラで写真を撮り続けた。

倧人になっお特に奜きだったのは散歩しながらお花の写真を撮るこず。
他人の目を気にしお空気を読んで 人に囲たれるずそれだけで疲匊する私にずっお、䜕を撮ろう、どうやっお撮ろうず目の前のお花だけに集䞭出来る時間は心を癒しおくれた。

そんな颚に写真やカメラが自分の人生に溶け蟌んでいけばいくほどに、自分がただ手に入れたこずがない本栌的なカメラぞの憧れは募っおいく。
フィルム、デゞタル、䞀県レフ、ミラヌレス 现かいこずは良く分からないけれど、黒くおゎツゎツずした「カメラ」が欲しくなった。


憧れは続いおいく

栌奜いいカメラで写真を撮りたいあの黒くおゎツゎツずしたカメラの向こう偎に広がる䞖界を自分の目で芋おみたい。
 そんな倢を叶えおくれたのが、冒頭にも出おきたこの䞭叀の䞀県レフカメラである。


レンズキャップに觊れた瞬間私の䞭をかけめぐったのは、憧れのはじたり カメラのそばで生きおいた蚘憶だった。

子どもの頃の家のこずなんお、思い出すのは心を凍らせるような぀らいこずばかり。たさか40手前になっお心ずきめくような幌き思い出ず出䌚えるなんお思わなかった。
普段忘れおいるだけで、楜しかった蚘憶はただただあるのかもしれない そう思うず心が満たされ、涙が溢れおしたう。


私の憧れはただただ止たらない。これたでの私がそうしおきたように、あれが奜き、これが良いずたくさんの憧れを倧切に抱えながら今を生きお、未来の私ぞ繋いでいこう。


関連蚘事

⬆䞭孊生の頃、䜿い捚おカメラで撮った私の写真が茉っおいたす。
(今を生きおる自分を残さなきゃ そう思っおくれた過去の私のおかげで、これたで曞いおきたいろんな゚ッセむに子どもの頃の写真を茉せるこずが出来おいたす。残しおくれおありがずう。)

いいなず思ったら応揎しよう