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実家のお墓は、いつか誰かが決めなければならない

盆が近づくと、決まって思い出す光景がある。

私がまだ現場にいた頃、あるお年寄りが、亡くなった奥さんの納骨の相談に来られた。話が一段落したあと、その方がぽつりと言った。「自分が入る墓のことは、もう子どもには任せられん」と。

聞けば、息子さんは都会で暮らし、めったに帰ってこない。娘さんは嫁いで遠くにいる。実家の墓は、山の中腹にある古いお墓で、車を降りてから、細い坂を十分ほど登らないとたどり着けない。「わしが元気なうちはいい。でも、あと何年かしたら、誰があの坂を登るんだ」と、その方は笑いながら言った。笑っていたが、目は笑っていなかった。

あのとき私は、うまい言葉を返せなかった。慰めも、助言も、どこか嘘くさく感じられて、ただ「そうですね」としか言えなかった。

今になって思う。あの方が抱えていたのは、お墓の問題であると同時に、家族の距離の問題だったのだと。

お墓というのは、そこに家族が近くで暮らしていることを、静かに前提にしている。歩いて通える場所に、子や孫がいる。盆や彼岸には、みんなで手を合わせに行く。そういう暮らしを前提に、日本のお墓は長いあいだ成り立ってきた。

でも、その前提は、もうずいぶん前から崩れている。

進学や就職で、子どもは都会に出ていく。そのまま向こうで家庭を持ち、実家には年に一度帰るかどうか。悪気があるわけではない。ただ、暮らしがそうなっている。そして親が年老いて、お墓のことが現実の問題として立ち上がってくる頃には、もう家族はばらばらの場所に散っている。

近ごろ「墓じまい」という言葉をよく聞くようになった。お墓を閉じて、遺骨を別の形で供養することだ。実際、こうした改葬の件数は年々増えていると聞く。継ぐ人がいない、遠くて通えない、そういう事情を抱えた家が、それだけ増えているということだろう。

ひとつ、あまり知られていないことがある。お墓から遺骨を移すには、勝手にはできない。今お墓がある市区町村の役所から、改葬許可という許しをもらう必要がある。役所の手続きだと聞くと身構えるかもしれないが、要は「どこからどこへ遺骨を移すか」を、きちんと届け出る仕組みだ。この一手間が、遺骨をぞんざいに扱わせないための、静かな歯止めになっている。

ただ、私が本当に伝えたいのは、手続きの話ではない。

墓じまいをするにせよ、しないにせよ、そこには必ず「誰が決めるのか」という問いがある。そして、この問いを先延ばしにしている家が、あまりにも多い。

親は「子どもに迷惑をかけたくない」と、言い出せずにいる。子どもは「まだ元気なんだから」と、考えないようにしている。お互いに相手を思いやっているつもりで、いちばん大事な話を、避け続けている。そうして、いつか突然その日が来たとき、遺された者が、何も分からないまま決めることになる。

あの坂を登れなくなる日は、必ず来る。それは誰にとっても同じだ。

お墓をどうするか、正解はない。守り続けるのも、閉じるのも、それぞれの家の選択だ。ただ、ひとつだけ言えるのは、その選択を、まだ話せるうちに、家族で言葉にしておいたほうがいいということ。

あなたの実家のお墓には、今、誰が手を合わせに行っているだろう。そして、その次は、誰が行くのだろうか。

盆が近づくこの時期に、少しだけ考えてみてほしい。

もしよかったら、これからもこういう話を綴っていくので、のぞきに来てくれたら嬉しいです。

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