四十九日は、四十九日後ではありません
法要の日取りの相談で、いちばん多かった間違いがこれだった。
カレンダーを指でたどりながら、喪主の方が言う。「亡くなったのが三月四日なので、四十九日はこの日ですね」。そう言って指した日は、たいてい一日ずれている。
四十九日は、亡くなった日を一日目として数える。ここが落とし穴だ。普通、日数を数えるときは、その日を〇日目として、翌日から一日、二日と数える。でも四十九日は違う。亡くなったその日が、もう一日目なのだ。
だから計算式は「命日+四十八日」になる。三月四日に亡くなったなら、四十九日は四月二十一日。翌日から数え始めると、四月二十二日という答えが出てしまう。一日、後ろにずれる。
たかが一日と思うかもしれない。でも法要は、お寺の予定を押さえ、親族に案内を出し、会食の席を予約する。全部の起点が、その一日だ。ずれたまま案内を出してしまい、慌てて住職に電話をかけ直す方を、私は何人か見てきた。
もうひとつ、覚えておくと役に立つことがある。数える起点は、葬儀の日ではなく、亡くなった日だということ。葬儀は亡くなった数日後に行われるから、そちらを起点にすると、まるごとずれる。悲しみの中で日にちの感覚が曖昧になっていると、案外やってしまう間違いだ。
そして、ややこしいことに、この数え方には地域差もある。全国的には命日を一日目とするが、関西など一部では、命日の前日を一日目として数える地域がある。この場合、答えはさらに一日前になる。もし親族の中で日にちが食い違ったら、どちらかが間違っているというより、育った土地が違うのかもしれない。迷ったら、菩提寺に聞くのがいちばん早い。お寺はその地域の数え方を知っている。
さて、正しい日が分かったところで、次に多い相談がこれだった。「その日は平日なので、みんな集まれないんです」。
結論から言うと、前倒しは問題ない。むしろ、参列者の都合に合わせて、直前の土日に繰り上げるのが今では一般的だ。遠方から来る親族もいれば、仕事を休めない人もいる。全員が揃うことのほうが、日付を一日単位で守ることより大事にされている。
ただし、条件がひとつある。ずらすなら、前へ。後ろへは、ずらさない。
理由は、この四十九日という日が持つ意味にある。仏教では、亡くなってから四十九日までのあいだ、故人は次の行き先を決める旅の途中にいると考えられてきた。この期間を中陰といい、七日ごとに審判があり、四十九日目に最後の判定が下る。残された家族の供養は、その旅路を後押しするためのものだ。
つまり、四十九日の法要は、故人の大事な節目に間に合わせるもの。だから、その日を過ぎてから行うのでは、後押しにならない。早める分には、先回りして送り出すことになるから構わない。前へはよくて、後ろがいけないのは、そういう理屈だ。
繰り上げるなら、一週間以内が目安とされている。あまり早すぎると、さすがに節目からかけ離れてしまうからだ。
ついでに、この先の法要でつまずきやすいところも書いておく。一周忌は、亡くなってから満一年。ここは素直だ。ところが三回忌は、満三年ではない。満二年で行う。七回忌は満六年。名前の数字から一年引く、と覚えておくと間違えない。ここも、多くの人が一年ずれる場所だ。
こうして並べてみると、日本の法要の日にちは、ずいぶん不親切な数え方をしている。亡くなった日が一日目で、三回忌は二年後で、地域によって数え方が違う。
でも、この数え方の癖の裏側には、故人の旅路に寄り添おうとしてきた、長い時間の積み重ねがある。四十九日は、遺された人が日付を数えながら、少しずつ気持ちを整えていくための、区切りの装置でもあったのだと思う。
いつか、あなたがカレンダーを前にして指を折る日が来たら。数え始めは、亡くなった日から。そのことだけ、思い出してもらえたら。
現場で覚えた、こういう数え方の落とし穴の話を、これからも少しずつ書き残していきます。
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