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【エッセイ】音楽活動の目的とライブ休止に寄せる思い【Kondo Shoto】

いきなりですが、自分の半生を振り返り、何を目的に音楽活動をしているのか、創作活動がどのように変遷してきたか、そしてなぜライブ活動を休止するのかを、エッセイとして綴りました。かなり長いです。

ごあいさつ

こんにちはKondo Shotoです。コンドー・ショートと読みます。髪が短いのでショート。覚えやすいですね。

ピアノを弾き語りの様子

埼玉県出身、埼玉県在住。会社員として働きながら、曲を作って、歌って、ギターやキーボードを弾いています。これまでにアルバムを5枚、70曲ほど作ってきました。電子音をたくさん使う曲もあれば、ピアノ一台、ギター一本で歌う曲もあります。そして12月には、初めて4ピースバンド「THE STRAY FLEECE」でKondo Shotoの曲を披露します。

「あなたの音楽のジャンルは何ですか?」と聞かれると…うまく答えられません。テクノも好きだし、ガレージロックも好き。自分が好きな音で曲を作っているだけで、ジャンルやサウンドの分類にはこだわりがありません。

ですが私の曲には、だいたい共通しているものがあります。

現実にありそうで、どこにも存在しない風景を描くこと。

Primera ※ChatGPTを利用して画像生成

夢、昔の記憶、知らない町、夜の道路、飛行機、機械、海、煙、古い建物。日常生活の中で拾った小さな断片を混ぜて、別の物語にして歌っています。

たまにふざけて「病院に行きたい」みたいな曲も作りますが。

そんな私ですが、思うところあってしばらくライブ出演を休止することとしました。

今回は「Kondo Shotoとはどんな人間なのか」「創作活動がどのように変遷してきたか」「なぜライブ活動休止するのか」を、反省を振り返ったエッセイとして書いてみます。

何のために音楽をやるのか

音楽活動の目的は何か。

私の答えは明確で、「自分のため」です。

音楽を使って誰かを励ますためでも、人を感動させるためでも、売って儲けるためでもありません。

もちろん、聴いた人が何かを感じてくれたら嬉しいです。「この曲が好きです」「あの曲は素敵ですね」と言ってもらえることはとても嬉しい。

ただ、曲作りの起点はいつも自分の心の中だけにあります。

私は昔から、いろいろなことを考えすぎています。
心配性で、病気を恐れるあまり潔癖症になりかけたり、対人関係などで神経症気味になるたび心療内科のお世話にもなってきました。

(今は自分に対する理解が進み、歳を重ねて自分の限界もわかってきて、ヤバくならないように調整して生きているので元気です)

そんな私は、まだ起きていないことを心配したり、人からどう見られているのかを過剰に気にしたり、居場所らしき場所を見つけても「私はここにいていいのだろうか」と常々悩んできました。

そうして心の中に溜まったものを、曲にしています。

現実にあったことを、そのまま日記のようには書きません。

誰かとの出来事を、架空の物語にする。誰かを失って「寂しい」「会いたい」と書く代わりに、そのときに見た空模様や街並みを描く。

私にとって曲作りは、自分の中にある記憶や感情を観察し、少し離れたところから眺められるように再構築する作業なのだと思います。


私の土台となるもの

子供時代の記憶

昔から何かを作ることは好きでした。家の中では、よく絵を描いたり、歌いながら踊ったりと自由にやっていたし、両親もそれを否定しませんでした。

そんな子供の頃のちょっとした記憶があります。

幼稚園で、好きな遊びをしていい自由な時間がありました。そのとき同じグループの子たちはみんなスケッチブックを開いてクレヨンで絵を描いていたのですが、私は粘土で遊んでいました。粘土で遊びたかったからです。

ところが、そのグループ内で私は仲間はずれにされました。そのグループの中でいちばん大人びていた友達が、なぜか私に冷たく当たるのです。その子が私に嫌なことを言うと、他の友達もそれに同調します。

理由はすぐには分からなかったのですが、やがて「ああ、自分だけ違うことをしているから仲間に入れてもらえないのか」と気づきました。

今でも、なぜそんなことで仲間はずれにされたのか納得はできていません。相手側にも大した理屈はなかったのだと思います。

この経験だけではないのですが、集団の中では自分の主張を通すよりも周囲に合わせるほうが得策だと考えるようになり、あまり自己主張をしない子供になりました。

いつも音楽が身近にあった

子供の頃から、身近なところに音楽がありました。

元音楽教師でYMOが好きだった母の影響で幼少期から鍵盤に触れ、エレクトーンやピアノを習いました。その頃から楽譜は全く読めませんでしたが、メロディを聞けばなんとなく鍵盤で弾くことができ、小学生の頃には曲らしきものも作っていました。

父も音楽好きで、家には洋楽のレコードがたくさんありました。当時住んでいたマンションの居間で、父はよくアコースティックギターを爪弾いていました。(私が弾いているアコースティックギターは、父の形見です。)

その後、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを知ってギターを弾きはじめました。でもバンドを組むような社交性や行動力は、当時の私にはありません。

代わりに、MIDIソフトや携帯電話の着信メロディ作成機能、ニンテンドーDSソフトの「大合奏!バンドブラザーズ」という音楽ゲームで自作の曲をコソコソと打ち込むようになりました。

POLYSICS、P-MODEL、平沢進などの音楽を知ってからは、シンセサイザーや電子音、コンピュータ音楽にも興味が広がっていきました。

今考えると、かなり早い頃から音楽に親しむ環境に恵まれ、そして一人で何かを作っている時間が好きだったのだと思います。

「ここではない、どこか」への逃避

埼玉の小さなベッドタウンで育った私は、小学生、中学生の頃、今よりずっと周囲の目を気にしていました。

学校という狭い世界の中では、友達関係や先生との関係が、生活の中でものすごく大きな割合を占めます。
しかも私の学区では、中学に上がる際に他の学区からの統合がなかったため、小学校・中学校の9年間はずっと同じ同級生たち約120人と過ごすことになりました。

自分のほぼ全てを占める「学校」という狭い世界の中で、いつ除け者にされるかわからないという不安があり、いつも周囲を気にしていました。いじめられているとか、ものすごく嫌なことがあったわけではありません。仲の良い友達もいました。ですが、狭いコミュニティの中で漠然とした居場所のなさを感じていたような気がします。

そんな頃、一番楽しみにしていたのが函館へ行くことでした。

母方の祖父母が住んでいて、夏休みになると二、三週間ほど函館に滞在していました。

函館に行けば、優しい祖父母と会える。埼玉にはない景色がある。毎日楽しい非日常の経験ができる。
何より、いつもの学校、いつもの人間関係を、全てを海の向こうに置き去りにできました。

函館から埼玉へ帰る日は、毎年のように泣いていました。祖父母と離れたくなかったのもあるし、また現実に還らなければならないことに対する漠然とした不安もありました。

今の曲にも、知らない町、遠くへ向かう乗り物、海、旅の途中のような風景がよく出てきます。

私は昔から「ここではない、どこか」に、逃げ場や救いを求めていたのだと思います。

ベッドタウンの外へ

高校受験を経て、少し遠い学校に進学しました。
私の中学校からその学校に進学したのは私1人だけ。周りは私のことを知らない人ばかりです。自分にとって窮屈だった埼玉のベッドタウンのコミュニティからようやく抜け出せました。

高校には、真面目な人間を「ガリ勉」と馬鹿にする同級生や、すれ違いざまに挨拶をしそびれたからといって陰口を叩いてくるようなくだらない先輩はいません。それだけでかなり気持ちが楽でした。

生徒たちは埼玉県内のさまざまな市町村から集まっていました。それぞれが勉学や部活に励み、自分らしく過ごしていました。

そこで初めて「少しくらい変わったことをしても、別に誰も気にしない」ということを知ります。(ルールを守り、人を傷つけたりさえしなければ。)

私は少しだけ自由になりました。派手な色のスニーカーを履いたり、ちょっと変な髪型をしたりして、友達からは「クレイジー」と呼ばれていました。変なあだ名ですが嫌ではありませんでした。むしろ友人が私を自然に受け入れてくれていることが嬉しかったです。

デザインやイラストレーションに興味を持ち、美術大学への進学を考えてデッサンを勉強しました。そこで一緒に学んだ友人たちは自由で、創作意欲に溢れていました。そんな友人たちと過ごすことで、私ものびのびと自分らしくいられたような気がします。


創作活動の変遷

情報工学×芸術表現

いろいろありましたが最終的には工科系の大学へ進学しました。
情報工学系の学部で「コンピューターを使った芸術表現」を専攻しました。ここで人間工学、技術者倫理などのほか、プログラミングやIT技術全般、そしてコンピューターグラフィックス(3DCG)などを学びます。

そして軽音楽部に入部。そこで初めてライブハウスでの演奏を経験しました。軽音楽部はコピーバンドの活動が主体だったため、バンドで自分の曲を表現することは叶いませんでしたが、部活動のかたわら打ち込みによる音楽制作やイラスト制作などは継続して行なっていました。

大学4年の時にはコンピューターによる音声表現を取り扱う研究室へ。卒業制作ではCGとコンピューター音楽を組み合わせた小作品を制作しました。

大学で学んだこと、そして軽音楽部での経験は、今の創作活動の基礎になっています。

創作ツールとしての「夢日記」

この頃の私は、自分自身について歌を書くのが得意ではありませんでした。ファッションや髪型などの見た目は(我ながら)個性的で、良くも悪くも目立つタイプでした。それでも子供の頃に根付いた「自己主張を避けるクセ」は強く残りつづけました。

そのため、よくあるロックやポップソングのように、自分の考えや感情を曲の中で直接的に描写することができませんでした。

そこで使っていたのが夢日記です。

夢の内容を文章や絵にする。そこから印象的な場面を取り出して、歌詞にする。

夢なら、自分の中から出てきた言葉でも不思議と他人事のように扱えます。「これはそういう夢なんだ」と言ってしまえば細かな意図を説明する必要もありません。

存在しない町、架空の人物、変な建物。それらを組み合わせて、一つの世界を作る。

多くのアーティストが使っている手法だとは思うのですが、当時の私は「これは便利な方法を発明した」と思っていました。

夢から着想した曲には、古いものだと「流体喫茶」「Primera」「Caustic」など、比較的新しいものだと「Spacequake」などがあります。

今でも「夢」は、重要な創作の要素となっています。

流体喫茶 ※ChatGPTを利用して画像生成

箱庭治療としての創作

大学を卒業する頃から、作り方が変わりました。

大きな喪失と環境の変化を経験したのがきっかけです。

これまで暮らしの中で感じてきた居心地の悪さやモヤモヤした不安ではなく、明確に、心に大きな影を落とす出来事。

しかし、心に傷を受けても現実をそのまま歌詞にはしませんでした。傷や思いをそのまま表現するのはこれまでずっと避けてきたことだし、自分にとってはあまりに生々しく感じられ、直視できなかったからです。

代わりに、そのとき心に映った風景を書くようになりました。

悲しい出来事をありのまま書くのではなく、悲しい時に見た街並みを書く。人間関係の話を書くのではなく、誰かがいなくなった後の部屋を書く。

自分の感情や記憶を、自分の中にある「関数」を通して別の物語・別の景色に変換する。そんな表現をするようになりました。

詞の中に、工学の専門用語やCG用語、技術的な概念を入れこむことで、感情を込めながらも、どこか無機的な印象を作りだす手法を多用するようになります。

感情を直接的な言葉にしない歌なので、初めて私の曲を聴いて「結局、これは何の歌なんだろう?」と思う人も多いでしょう。

ですが、私自身、あまり説明しすぎない方がいいと思っています。

その曲の背景を知っていてもいい。でも知らなくても楽しめる。私が見ていた風景とはまったく違うものが、聴いた人の中に見えても構いません。

むしろ、聞き手に想像を委ねる作品のほうが面白いと思っています。

「翼の王国」と大森のワンルーム

大学卒業後は、ITエンジニアとして働き始めました。情報工学系の学部を出た人間として、とてもナチュラルな成り行きです。

社会人になってしばらくした頃、東京の大森で初めて一人暮らしをしました。
職場が羽田空港の近くにあったので、大森はそこに通うにはちょうど良い町です。

ワンルームの小さな部屋。非常にありきたりな6帖間でした。

でも、そこは完全に自分だけの場所でした。

何時に帰ってもいい。何を聴いてもいい。好きな時に曲を作れる。その部屋の中で私はいろいろなことを考えました。

その後、大森が気に入って職場が変わっても何度か引っ越しながら長く暮らすことになります。

羽田周辺で働いていた頃の景色や記憶は、後に「翼の王国」という作品に再構築されました。

タイトルはとある航空会社の機内誌から取っています。でも飛行機やその航空会社について歌っているわけではありません。

羽田の近くで働いていた頃の空気や、当時考えていたこと、さまざまな感情が混ざり合って、実際にはない物語、景色を構成しています。

私の曲には、こういうものが多いです。

記憶を振り返り、外にうまく出せなかった感情を昇華するために多くの曲を書きました。「翼の王国」のほか、「やさしい機械工学入門」「FRIEND」「Cartoon Heroines Never Die」「787」「空を飛ぶということ」などは、この頃の経験を元に作りました。

787 ※ChatGPTを利用して画像生成

音楽とサイバーセキュリティ

その後、突然の異動宣告を受けて、2019年ごろから別の現場でセキュリティエンジニアとして働くことになりました。企業の情報セキュリティ、サイバーセキュリティに関わる仕事です。

異動宣告を受けた時はセキュリティに特段の興味はなく、むしろ慣れ親しんだ技術領域や現場から離れなければならず、がっかりしたのを覚えています。
ゼロからの学び直し、ゼロからの関係性構築のなかで嫌々ながら働くうちに、私の心配性な性格がサイバーセキュリティの仕事では意外にも役に立つことがわかりました。

「こうなったらどうしよう」
「こういう事故が起きるかもしれない」
「こういう不正をする者が出てくるかもしれない」

ストレスフルな考え方ですが、セキュリティではリスクを先回りして考えることが仕事になります。国際的な資格を取り、ヒリつく緊急対応を何度も経験し、リーダーとしてチームをまとめたりする中で、自分の居場所と仕事の目的、やりがいを見つけることができました。

そして、2025年。別の現場でもセキュリティの経験を積みたいという思いから、新卒以来勤めてきた会社を辞めて別の会社に転職しました。
転職と同時に長く住んでいた大森を離れ、また埼玉に戻ってきました。

そして今に至ります。

音楽とサイバーセキュリティは考え方がまったく違うように見えます。でも「憂う心」が起点となる点で共通していると私は思っています。

音楽は、憂いに目をむけ、拾い上げ、割り切れない感情を景色や物語に置き換え、作品を構築していく。文学的かつ抽象的な思考活動。

サイバーセキュリティでは、憂いに目を向け、拾い上げ、論理的な説明に置き換える。起こるかもしれないリスク、発生しうる内外の脅威に対して効果的・合理的な対策を検討し、防御を実装する。技術的かつ具体的な思考活動。

アウトプットのプロセスや方向性は違いますが、「憂い」が起点となることに変わりはありません。これまで自分自身でも鬱陶しいと思っていた自分の性格が、今の仕事で役に立っています。

そして今も曲を作っています。「MONOCEROS」「世界よ変わるな」「こおりのたて」「知ってるゴミ」など。

私の曲はこれまで、夢そのものであったり、記憶や感情を別の景色に変換したものでした。

ですが今では、社会の中で悩みながらも、それなりに居場所を見つけて生きていく、自己受容を描けるようになってきた、ような気がします。

私は生業と創作の間で頭の使い方を切り替えながら、同じ精神を引きずって生きています。

こおりのたて ※ChatGPTを利用して画像生成

ライブ出演休止の理由

ライブで得られたもの

ここ数年は、ライブにたくさん出演しました。これは自分にとってかなり大きな変化でした。

エレクトロライブの様子

それまで長い間、自分の部屋で作って、自分で歌って、自分で聴いていた曲。それらを誰かの前で披露する。

曲を知ってもらい、感想をいただく。共演した人から受けた影響も数知れず、たくさんの新しい音楽、新しい感じ方を教えてもらいました。

ライブを始めたことで、自分の作品の世界は間違いなく広がりました。

一方で、ライブが増えるほど、今度は新しい曲を作る時間が減っていきました。

いつの間にか、何年も前に作った曲を繰り返し歌っている自分がいる。

そこで改めて気づきました。

ライブに出ることが目的ではない

私は、ライブをするために音楽を作っているわけではありません。

ライブは好きです。でも私の活動の中心にあるのは、やはり「作ること」です。これまでの人生を振り返って改めて強くそう思います。

そのため、2026年12月13日の主催ライブ「FENCELESS GARDEN」を一つの区切りにすることにしました。

音楽を休むのではなく、制作へ戻るための休止です。

FENCELESS GARDEN フライヤー

作品の裏側にいたい

活動を続ける中で、もう一つ分かったことがあります。それは

自分自身を前面に出すよりも、作品を前に置きたい。

ということです。

ミュージシャンにはいろいろな活動方法があります。

本人のキャラクターやビジュアル、ファンとの交流まで含めて魅力として売り出すミュージシャンもいます。ですが私はそうではありません。

私は私の作品を最も理解しているヴォーカリストとしてステージに立ち、顔を晒し、歌い、弾き、世界観を表現する。でもそれと同時に、作者としてはその世界の後ろ側に立っていたいという思いがあります。

作品よりも私自身を全面に出しすぎることで、聞き手側の想像の余白を潰したくないとも思っています。

「私はこういうつもりで曲を作った。
 でも、あなたにはまったく別の景色に見えた。」

それでいいと思います。作品は外に出した時点で少しずつ作った人の思惑から離れていくものです。

私にとって創作とは

こうして振り返ると、私は昔からずっと同じことをしている気がします。

ある場所に入る。馴染めない。それでもしばらく過ごして、自分なりの居場所を見つける。しばらくすると、またその場所から外へ出たくなる。

学校でも、仕事でも、音楽活動でも、だいたい同じ。

これからも「ここが完全に自分の場所だ」と思えるような居場所は、ないのかもしれません。

でも、それを悪いことだとは思わなくなりました。

どこにも完全には馴染めないから、知らない場所を想像する。現実にはない町を作る。昔の記憶と昨日見た景色と夢の中の出来事を混ぜて物語にする。

そして、それを曲にするのが、私なのだと思います。


はじめて聴くなら、この曲から

「じゃあKondo Shotoの曲ってどんな感じなの?」と思った方へ。
まずはこの曲から聴いていただきたいです。

「翼の王国」

ピアノ弾き語り版です。ライブではギター弾き語りやエレクトロなスタイルでも演奏しています。

「Spacequake」

この曲はエレクトロのライブでよく演奏しています。

「闇坂(くらやみざか)」

エレクトロ、ギター弾き語りなどのスタイルで演奏しています。これはエレクトロのオルタナティブ・バージョンです。

「やさしい機械工学入門」

この曲は、ピアノ弾き語り、ギター弾き語り、エレクトロなど複数のスタイルがあります。これはバンド風のアレンジです。

「モノケロース」

割と最近の曲です。ライブでの演奏はあまりしていません。


これから

今、作りかけの曲がたくさんあります。

サビだけできているもの。ベースラインだけあるもの。タイトルしかないもの。頭の中に風景だけあるもの。ライブを少し休んでいる間に、それらを一つずつ形にしていくつもりです。

昔は、現実から離れるために夢から曲を作っていました。その後は、現実の記憶や思いが、曲の中に入りこむようになりました。今は自己受容の歌を書けるようになりました。自分が変わっていく中で、徐々に表現できることが増えています。

夢も、記憶も、昨日見た景色も、昔の自分も、今の自分も。それらを混ぜて、新しい景色、新しい物語を作っていこうと思います。

もし気に入った曲が一つでもあったら、ときどき思い出して聴いてもらえたら嬉しいです。

これからも、よろしくお願いします。

そしてここまで長文を読んでくださり、ありがとうございました。

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