まほろばに、会いに行こう
飛鳥は、日本人の原点である「自然と共に生きる思想」が体で感じられる場所。だからこそ、一度は足を運んでほしいと思います。その理由を3つあげます。
まず、祈りが生活の隣に存在しているからです。明日香村に着くと、二月とは思えない暖かな陽差しと穏やかな空気に包まれました。生命の象徴の石も古代米のおにぎりも、特別な展示ではなく暮らしの中に自然にあります。信仰が生活感覚として残る場所は、今の日本ではほとんど見かけません。
次に、人の業と救いが重なって見えるからです。石舞台古墳の石には権力の重さがあり、縄文の石器が武器へと移り変わる歴史に争いの影を感じます。それでも飛鳥寺の仏像は憂いを帯びた目で、静かに人を救おうとしています。人は争いながらも、やさしさを手放さなかった。そのことが、石の前に立つとなぜか腑に落ちました。
最後に、酒船石や亀石には、自然を読み取り共に歩む知が刻まれているからです。所有より「ただ在る」ことを大切にしていたのではないかと思わせる縄文の感覚は、画面越しでは決して届きません。
古来、大和の地は「まほろば」と呼ばれてきました。すべてが満ち足りた理想の場所という意味です。まほろばは、読むものではなく行くものです。
京都が華やかな兄なら、奈良は本質を静かに抱える弟といえますね。ぜひ、会いに行ってみてください。(また来たい!)
