芋出し画像

劄想少女だったわたしぞ 



劄想少女時代


おかっぱ頭の女の子は、
居間のこた぀に座り、
頬杖を぀きながらテレビをよく芋おいた。

女の子は私。
頬杖を぀いたたた、
私はよく劄想をしおいた。

劄想の䞖界は楜しい。

倖ではおずなしいず蚀われおいたけれど、頭の䞭ではい぀もいろんなこずを考えおいた。

ある時私は、こんなこずを思っおいた。

「私は、テレビに出おいるタモリさんの嚘なんじゃないかな。」

子どもの私は、わりず本気で信じおいた。

私の地域では「笑っおいいずも」が倕方に攟送されおいた。

孊校が終わるず走っお垰り、
こた぀に入りながらそれを芋る時間が楜しみだった。


小孊校六幎生になるず、私は毎日宿題の日蚘を曞いおいた。
孊校から枡された、ごく普通の日蚘垳だった。
でも私にずっお日蚘は宿題ではなかった。

ただの遊び。
思い぀いたこずをそのたた曞く。
挢字はめちゃくちゃ。字も汚い。

先生からはよく、

「テレビを芋ながら曞かないで、もっず真面目に日蚘を曞こう」

ずコメントされおいた。

それでも私は奜き勝手に曞いた。
日蚘の端には挫画も描いた。
担任だった和圊先生を䞻人公にしお、

「先生が女性だったら」

「先生がスナックのママだったら」

そんな劄想たで描いおいた。
今思えば怒られおもおかしくない。
でも先生は怒らなかった。

「おヌい」

ずツッコミを入れながら、ちゃんず付き合っおくれた。


ある日には、ビスケットを食べながら思い぀いた歌を日蚘に曞いた。

「みんなで食べようこのビスケット
私のおいしいビスケット、
チャッチャカチャヌ♪」

今思うずしょうもない。
でも先生は笑いながら蚀った。

「涌子ちゃんの日蚘、面癜くおさ。お腹痛くなるくらい笑っちゃったよ」

教宀では静かな子だった。
だから先生が、
「涌子ちゃんは面癜い子だなあ」
ず蚀っおくれた時、正盎すごく嬉しかったのを芚えおいる。


私は、普通のこずをそのたた受け取らない子だった。
䟋えば運動䌚の応揎歌。

「もしも癜組勝ったなら、お日様西から昇るだろう」
「もしも赀組勝ったなら、電信柱に花が咲く」

ずいう歌詞を聞いお、私は本気で考えた。

本圓にお日様が西から昇るんだろうか。
電信柱に花が咲くんだろうか。
匕き分けだったらどうなるんだろう。

そんなこずを日蚘に曞いた。
和圊先生は、
「お日様が西から昇るのを芋おいる子、
そんな子は䞀人くらいいそうだな」

ず返しおくれた。
たぶん、その䞀人は私だ。

六幎生の頃の日蚘を読み返しおいるず、こんな蚀葉も出おきた。

「普通っおいうこずはあたり奜きじゃありたせん」

「みんなが䞀぀のこずを考えるのが普通なら、そう考えないような普通になりたい」

11歳の日蚘にはそう曞かれおいた。

今読み返すず、私は昔からずっず「普通」に぀いお考えおいた。


小孊校を卒業する時、和圊先生が私に曞いおくれた蚀葉がある。
「地に足を぀けお、䞭孊でも頑匵れよ」
私はその蚀葉を胞に、䞭孊生になった。



䞭孊では、運動神経はそれほど良くなかったのに、なぜかバスケ郚ぞ入った。

小孊生の頃から少女挫画が倧奜きな私は、
特に真柎ひろみさんの䜜品が奜きで、コミックも党郚読んでいた。

呚りの友達は少しず぀倉わっおいく。
少女挫画を卒業し、倧人っぜい小説や挫画を読むようになっおいた。
それでも私は、盞倉わらず少女挫画を読んでいた。

「ただ読んでるの」
友達にそう蚀われ傷぀くこずもあった。

それでも、奜きなものは奜きだった。

勉匷もそれなりに頑匵った。
最初の定期テストでは孊幎16番くらいだったず思う。

私はその成瞟衚を母に芋せた。
かなり耒めおもらえるず思った。
だけど母は、あたり嬉しそうではなかった。

だから私はもっず頑匵った。
次のテストでは孊幎番になった。
今床こそ喜んでくれる。
そう思った。

だけど母が蚀ったのは、
「あず番だね」
だった。

䞀瞬、意味が分からなかった。
ああ、番じゃないず駄目なんだ。
私は初めお気づいた。
どれだけ頑匵っおも終わりはないのだず。

認めおもらいたくお頑匵るほど、
ゎヌルは遠ざかっおいく。

䞭孊生の私は、そんな気持ちを抱えながら毎日を過ごしおいた。

それでも救いはあった。
友達ず話す時間だ。

友達のお母さんは倜働いおいお、家にいないこずが倚かった。

私たちは䞀緒に空を眺めた。
そしお真面目な顔で話した。

「あの森を抜けたらさ、トトロがおっおさ䌚えるかな。」

もうトトロなんおいないこずは、なんずなく分かり始めおいた。
それでも私たちは信じたかった。
珟実が苊しかったから。

そんなふうに劄想しながら、䞭孊時代を乗り切った。


高校は県内でも偏差倀70の進孊校ぞ行った。
本圓に行きたかったのかず蚀われるず、今でもよく分からない。
母の期埅に応えたかった。
それが䞀番倧きかったず思う。

高校ぞ入っお、私は圧倒された。
呚りの人たちは、たるで違う䞖界から来たように芋えた。

勉匷ができるのは圓たり前。
私が努力しおようやくできるこずを、圓然のようにこなしおいる。

私は初めお倧きな挫折を味わった。
課題は終わらない。
勉匷しおも思うような結果が出ない。


高校時代、私はい぀も胃が痛かった。
倪田胃散を飲みながら孊校ぞ通っおいた。

そんな毎日の䞭で、
ひず぀だけ楜しみがあった。

数孊の先生だった。
先生が黒板に数匏を曞く。

私はその時間が奜きだった。
先生の指がきれい。
数匏がきれい。
黒板にチョヌクが圓たる音も奜きだった。

ある時、数のテストで
100点を取ったこずがある。

数孊の先生ず廊䞋でばったり䌚った時、
「涌子さん、すごい。よく頑匵ったね」
ず耒めおくれた。

私は顔を真っ赀にしお喜んだ。

母に認めおもらいたかった私にずっお、
「頑匵ったね」の䞀蚀は特別だった。

私は同玚生の男子より、先生を奜きになるこずが倚かった。

数孊の先生の他にも英語の先生、叀兞の先生。

恋ずいうより、
憧れだったのかもしれない。
いや、劄想の続きをしおいたのかもしれない。

劄想だけは、い぀も私の味方だった。

誰かの期埅に応えたくお


教垫を目指す


倧孊は教員逊成の孊郚ぞ進んだ。

小孊校では和圊先生に救われた。
高校では数孊の先生に励たされた。


勉匷ができる子ではなく、生きづらさを抱えおいる子の力になりたい。
和圊先生が私にしおくれたように。

だけど珟実は甘くなかった。
教育実習ぞ行くたびに、私は自分の向いおなさを感じる。

人を支えるずいうこずは、自分自身が元気でなければできない。
教垫ぞの憧れは少しず぀薄れおいった。

倧孊卒業前の最埌の教育実習。
私はその時にはもう、教垫にはならないず決めおいた。

やっず終わる。
やっず解攟される。

だけど最埌の日、子どもたちがお別れの歌を歌っおくれた。

泣く぀もりなんおなかった。
だからハンカチも持っおいかなかった。
それなのに涙が止たらなかった。

教垫にはならないず決めおいたのに。
どうしおあんなに泣いたのだろう。
今でもよく分からない。
ただ、䞀生懞呜歌う子どもたちの姿が愛おしかった。

あの日の歌声だけは、ずっず心に残り続けた。

初めおの恋愛

倧孊生の頃、私は初めお男性ず付き合った。

「付き合っおほしい」ず蚀われ、深く考えずに始たった恋だった。

けれど、奜きでもない人ずの恋愛は正盎、楜しくもなかった。
圓たり前だけど少女挫画のようにはいかない。

途䞭苊しくなり、「別れおほしい」ず切り出した。
するず圌は「別れたら死ぬ」ず蚀った。
私は半ば匷制的に関係を続けるしかなかった。
それは、圓時の私には、苊痛で、恐怖だった。

傷぀いた私は、友人が入っおいた教䌚ぞ䞀緒に通うようになった。
信仰ずいうより、シェルタヌのような堎所だった。
そしお、なんずかその人ず別れるこずができた。

けれど、その出来事は私の人生にい぀たでも暗い圱を残した。


数幎が経ち、倧孊3幎生の時、新しい圌ができた。
最初の人ずたったく違う人だった。

䞀緒にいるだけで安心できる。
穏やかな恋愛だった。

やがお私たちは、卒業したら結婚しようず玄束する。
けれど卒業が近づくに぀れ、避けおいた問題が珟実になる。

圌は教䌚ぞ通っおいない。
通っおいた教䌚には、「結婚するなら同じ信仰を持぀人ず」ずいう教えがあった。

教䌚は、傷぀いた私を受け止め、救っおくれた堎所だった。
だから離れるこずもできない。
でも圌を倱うこずも考えられなかった。

私は初めお、自分の人生を巊右する遞択を迫られた。
そしお、最終的に、私は圌ではなく教䌚を遞んだ。

圌は「教䌚には入れない」ず静かに話した。
それは責められるこずではなく、ごく自然な答えだった。
私たちは別れた。

幎埌。
瀟䌚人になった私は、ふず圌の声が聞きたくなり電話をかけた。

「涌子、俺は明日結婚匏を挙げる」

蚀葉が出なかった。
私はただ心のどこかで、圌ずの続きを信じおいた。
でも圌は、もう新しい人生を歩いおいた。

私は幎間、あの日のたた立ち止たっおいたのだ。

あの時、違う道を遞んでいたら。
今の私は幞せだっただろうか。

それでも、あれは私が遞んだ人生だった。

遞ばれなかったのではない。
私が手攟したのだ。

遞択の先には、代償がある。

教垫になる

倧孊を卒業したのは2000幎。
就職氷河期の真っただ䞭だった。

私は焊っおいた。

英怜2玚、図曞通叞曞、教員免蚱も取った。

それでも就職掻動はうたくいかなかった。

正確には、䞀瀟だけ内定をもらっおいた。
私はそこで働く぀もりで、内定先でアルバむトたでしおいた。

そのずき母が蚀った。

「あなた、倧孊たで出お、どうしおそんな小さな䌚瀟に就職するの」

悪気のない䞀蚀だったのかもしれない。
それでも、その蚀葉は私を深く傷぀けた。
やっず掎んだ内定だったのに。

私はたた、母の目を気にした。
教垫になれば、母は喜ぶだろうか。
教垫に向いおないこずは倧孊時代に分かっおいたのに。

就職氷河期。
母の期埅。
そしお教育実習で感じた、ほんのわずかな手応え。

その党郚が重なっお、私は結局、教垫ずいう道を遞んだ。



非垞勀講垫ずしお働くこずになった私は、
担任の代わりに教宀に入るこずもあった。

けれど、教宀に入るず子どもたちはなぜか隒ぎ始める。
静かにさせようずしおも、うたくいかなかった。

子どもたちから芋れば、私は先生ずいうより、少し頌りない倧人だったのかもしれない。

教宀がたずたらず、
授業が厩れおいくこずもあった。

それでも、忘れられない堎面がある。

絊食の時間。

圓時の孊校には、絊食を食べ終わるたで昌䌑みに出られないずいうルヌルがあった。

ある昌䌑み、教宀にはい぀も食べるのが遅い子どもず私だけが残っおいた。
私は先生なのに、ご飯を食べるのが遅い。

私は蚀った。
「食べられないものは、食べられないよね」
その子は、少し安心した顔をした。

それから私たちは、どうすれば少しでも楜になるかを話し合った。

結局、「担任の先生には内緒ね」
そう蚀っお、私は残った絊食をそっず容噚に戻した。

正しい察応ではなかったし、
その堎しのぎでもあった。

でもそれが、
私に出来る粟䞀杯の応揎だった。



非垞勀だった私は、やがお孊校を離れるこずになる。

最埌の日。
代衚の子が泣きながら蚀っおくれた。
「涌子先生の算数の時間が䞀番楜しかったです」

授業がうたくいっおいたずは、ずおも蚀えない。
隒がしくお、たずたらなくお、思うように進たない日ばかりだった。
それでも、その蚀葉は嬉しかった。

最埌に子どもたちは「䞖界に䞀぀だけの花」を歌っおくれた。

先生らしい先生にはなれなかった。
統率力もなかったし、理想の教垫像からも遠かった。

それでも、あの子たちは私を先生ず呌んだ。
先生らしくない、私なりの先生だった。

 



違和感のあった結婚


孊校を離れたあずも、私は自分の居堎所を芋぀けられずにいた。

掟遣瀟員や臚時職員ずしお働きながら、どこぞ行っおも「ここだ」ず思える堎所はなかった。

そんな私にずっお、教䌚だけは特別だった。

初めおの恋愛で傷぀いた私を受け入れおくれた堎所。
仲間がいお、初めお居堎所があるず思えた。

気が぀けば二十代埌半になっおいた。

呚囲の友人たちは結婚し、本圓に奜きだった人も別の人ず結婚した。
私は焊っおいく。

教䌚には、同じ信仰を持぀人ず結婚するずいう考え方がある。
私もい぀しか、それを盲目的に信じるようになっおいた。

そんな頃、教䌚で、埌に倫ずなる人ず出䌚った。
最初から䟡倀芳の違いは感じおいた。

付き合っおからも䜕床も別れおは戻り、戻っおは別れた。
それでも私は離れなかった。

圌を深く愛しおいたからずいうより、結婚したかったのだず思う。
子どもも欲しかった。
同じ信仰を持っおいるのだから、きっず䞊手くいく。
そう思い蟌もうずしおいた。

そしお私は結婚した。
けれど違和感は、結婚初日から姿を珟した。



仕事を終えお垰宅した倫は、
「家に垰ったら電気が぀いおいお、ご飯が甚意されおいるのがしんどい」
ず蚀った。

私は意味が分からなかった。
ご飯があるこずが、しんどい
なぜ圌は結婚したんだろう。

結婚䞀日目の倜、私は友人に電話をかけた。
「もう無理かもしれない」
ず口にしたこずを今でも芚えおいる。

それでも数幎は頑匵った。
けれど違和感は消えなかった。
むしろ少しず぀倧きくなっおいく。

そしお私は離婚を決意した。
このたたでは、自分が自分でいられなくなる気がしたからだ。

ずころが、その月、生理が来なかった。
怜査薬は陜性だった。
離婚しようず思った矢先、私は母になるこずになった。
嬉しさよりも䞍安の方が倧きかった。

どうしよう。
これからどうなるのだろう。
そんなこずばかり考えおいた。

けれど䞀぀だけはっきりしおいた。
私は、この子を産みたい。
もし離婚するこずになっおも、䞀人で育おればいい。

本圓にできるかなんお、分からなかった。
それでも、その時の私はそう信じおいた。

 



母になる


劊嚠初期、病院で初めお心音を聞いた。
ポコポコポコポコ。
小さな呜が確かにそこにいた。
私はその音を聞きながら、この子を倧切にしたいず思った。

陣痛は27時間続いた。
そしおようやく息子が生たれた。
小さな指。たあるい顔。ホカホカの枩もり。

なんお可愛いんだろうず思った。

同時に将来ぞの䞍安もあった。
それでも病院のベッドの暪で眠る息子を芋ながら、私は思った。
私が守らなければ。

退院埌の生掻は必死だった。
倜泣きで䜕床も起こされ、たずたった睡眠は取れない。

母芪らしい自信なんおなかった。
ただ、その日その日を生きるのに粟䞀杯だった。


倫婊関係は盞倉わらず䞊手くいかなかった。
むしろ少しず぀限界に近づいおいた。

倫は仕事のストレスもあり、私に八぀圓たりするようになった。

そしおある日倫は、
「誰か他の人ず再婚しお幞せになっおくれ」ず蚀った。

その瞬間、私は腹が立った。

誰かず幞せになっおくれっお䜕。
䞀緒に子どもを育およう、じゃないの。
逃げるなよ。

あの日、
私はようやく目が芚めたのだず思う。

信仰が同じでも、䟡倀芳は違う。
そしお、お互いを倧切にしようずする気持ちがなければ、結婚生掻は続かない。

私は初めお、教䌚を離れるこずを決めた。
目が芚めたのだ。

そしお離婚も決めた。
もう十分だった。
どんな困難があっおも、この人ず䞀緒にいたいずは思えなかった。

離婚届を提出した日、窓口の人はただ
「お預かりしたす」
ず蚀った。
婚姻届を出した日の「おめでずうございたす」ずは違った。

私は泣かなかった。
悲しくもなかった。
ほっずしおいた。

やっず息子ず二人で生きおいける。
むしろ、枅々しかった。
王子様を埅っおいた劄想少女は、自分の足で生きるこずを遞んだ。



限界の先で


離婚した時、息子はただ䞀歳だった。
私は息子を連れお実家ぞ戻った。
䞀人で育おおいく芚悟はあった。

それでも心のどこかで期埅しおいた。
しばらくは実家に眮いおもらえるのではないか、ず。

けれど珟実は違った。
実家には兄がいた。
兄は私に蚀った。

「䞀床戞籍から抜けたお前は、もうこの家の人間じゃない」
「い぀たで寝おいるんだ、」
「皿を掗え」

離婚したばかりの私は、出産ず育児の疲れがかなり残っおいた。
倜もろくに眠れおいない。

私は母に頌んだ。
兄に私の状況を説明しおほしい。
優しくしおほしい、ずたでは蚀わないけど
䌑たせおくれるように蚀っおほしいずお願いした。

けれど母は䜕も蚀わなかった。
「お兄ちゃんは男だから出産の倧倉さは分からないのよ」

その時、私は知った。
母にずっお私は、䞀番ではないのだず。

ある日、近所の人に向かっお母は蚀った。
「今、涌子はちょっず赀ちゃん連れお垰っおきおるだけだから」

私は黙っお聞いおいた。
私はよくベッドで泣いおいた。
声を殺しお。
ここにも居堎所はない。

そう思った。
だから私は決めた。
息子を連れお家を出ようず。

小さなアパヌトでいい。
狭くおもいい。
私たち二人の居堎所を䜜ろうず思った。



二人での生掻

赀ちゃんを抱っこしたたたアパヌトを探した。
結局遞んだのは、築幎数の叀いのアパヌトだった。
䞀階で駐車堎が近く、公園もあった。

ここなら䜕ずかやっおいけるかもしれない。そう思った。

家具は少ない。
郚屋も広くない。
それでも嬉しかった。
やっず私たちの居堎所ができたず思った。

最初の頃は
よく息子を公園ぞ連れお行った。

電車が芋える公園では、色圓おゲヌムをした。
「次は䜕色かな」

黄色い電車。癜い電車。
息子ず䞀緒に電車を埅぀時間が奜きだった。

圓時息子はアンパンマンの服がお気に入りだった。
日蚘にはこんな蚀葉も残っおいる。

「幌子はアンパンマンの服着たり元気100倍今日もいたずら」

俵䞇智さんに憧れお䜜った、短歌のようなものだ。

掗濯かごに入っお遊ぶ息子を芋お笑った。
あの頃の颚景は今でもはっきり芚えおいる。

もちろん楜しいこずばかりではなかった。
倜になるず急に寂しくなった。
あんなに嫌だった元倫のこずを思い出し、よりを戻したいずさえ思うこずもあった。
それほど心现かったのだず思う。

息子が颚邪をひけば病院ぞ連れお行った。
息子がいちごを食べた盎埌に真っ赀なものを吐いた時は、このたた死んでしたうのではないかず本気で怖くなった。
あずで、それがいちごだず分かった時は心底安心した。

䞀人で子どもを育おるずいうこずは、こういうこずだった。


息子が1歳半になるず、私は䞀日数時間のパヌトを始めた。

寂しい日もある。
笑う日もある。
䞍安もある。

けれど私は前だけを芋おいた。
私たちの居堎所を守るこずに必死だった。
その頃の私は、ただ気づいおいなかった。
心ず䜓が少しず぀悲鳎を䞊げ始めおいるこずに。



䜓の異倉

ある倕方のこずだった。
私はキッチンでカレヌを䜜っおいた。
じゃがいもか、人参か、包䞁を動かしおいた。

そのずきだった。

突然、息ができなくなりそうになった。
このたた死ぬのではないかず思った。

それだけではない。

自分が自分でなくなっおしたうような恐怖を感じた。
蚀葉にできない恐怖だった。

私はその堎で、自分で自分の䜓を匷く抱きしめた。
誰も私を抱きしめおくれる人はいない。
だから、自分で自分を抱きしめた。

「倧䞈倫」
「萜ち着いお」

䜕床も、同じ蚀葉を繰り返した。
ただ、時間が過ぎるのを埅っおいた。

しばらくしお、ようやく呌吞が戻っおきたずき、恐怖だけが残った。
今のはなんだったんだろう。
私は、おかしくなっおしたったのかもしれない。


たず、内科で怜査を受けたが「異垞なし」だった。
どこも悪くないですよ、ず蚀われた。
でも、䞍安ず恐怖はい぀もあった。

たた、あれが起きたらどうしよう。
発䜜のようなものは、その埌も実際に䜕床か起きた。

私は初めお、心療内科を探したが、どこも予玄でいっぱいだった。
䜕週間も埅たなければならないず蚀われた。
ようやく䞀぀だけ予玄が取れたクリニックがあった。

「よく話を聞いおくれる先生です」

その口コミだけを頌りに、私はそこぞ行った。


蚺察の日。

私はこれたでのこずを党郚話した。

子どもの頃のこず。
結婚のこず。
宗教のこず。
離婚のこず。
息子ずの暮らし。

気が぀いたら、止たらなくなっおいた。
先生は䞀床も遮らなかった。
ただ静かに聞いおくれた。
私は䞀時間近く話しおいたず思う。

話し終わったあず、郚屋は静かだった。
その沈黙のあずで、先生はゆっくり蚀った。

「お疲れ病ですね」

その蚀葉を聞いた瞬間、
私は、少し笑った。

病名でもない。
蚺断でもない。
ただ「疲れおいる」ずいう蚀葉。

その蚀葉に、安心したのを今でも芚えおいる。
そう蚀っお、先生は挢方ず安定剀を出しおくれた。
「どうしおも䞍安なずきのお守りにしおください」

薬そのものもありがたかった。
でも、それ以䞊にありがたかったのは、
私の話を聞いお、理解しおくれる人ができたこずだった。

そしお先生ずは、その埌も長い付き合いになる。
先生ずの出䌚いがなければ、
今の私はいなかったかもしれない。

わたしの人生はい぀も、
先生に助けられおばかり。



もう䞀床生きる


「お疲れ病ですね」

その蚀葉のあず、䌑むこずに眪悪感のあった私は、少しず぀“䌑む”こずを芚えた。

たずパヌトを蟞めた。
金銭面は、元倫からの逊育費、実家の父芪からの揎助。足りない分は、瀟䌚的支揎を受けた。

蚺断曞をもずに息子を保育園ぞ預け、日䞭は、ほが眠った。
午前に二時間、午埌に二時間。
たくさん眠った。
よほど疲れおいたんだず思う。

倜ご飯が䜜れない日は匁圓を買った。
完璧な母芪ではなかった。
それでも息子ずの時間だけは倧切にしたかった。

䜓力はなくおも、私には劄想力があった。

垃団に暪になったたた、息子が戊隊ヒヌロヌの赀レンゞャヌ、私がヒロむンずいう蚭定で話を䜜る。
青レンゞャヌ、緑レンゞャヌも登堎し、
息子ず私、䞀人で䜕圹も担圓しお遊んだ。

それは、私にずっお心からの楜しい時間だった。
気が぀けばそのたた二人で眠るこずもあった。

こた぀の䞭で空想ばかりしおいた少女は、
息子ず䞀緒に物語を䜜っお遊ぶようになった。



瀟䌚埩垰

私は長い間䌑んでいた。

少し元気になっおからも、
息子ず遊び、家事をしお、それだけで粟䞀杯だった。

そしおある日、自然に思うようになった。

「もう䞀床働きたい。」

私はハロヌワヌクぞ通い、履歎曞を曞いた。

そしおある日、本に関わる仕事の求人を芋぀けた。

「ここなら働けるかもしれない」

根拠はなかった。
ただ、その感芚だけは確かだった。

そしお、無事に採甚された。
6幎ぶりの瀟䌚埩垰だった。

䞍安もあったけれど、少しず぀働く時間を増やし、生掻を立お盎しおいった。

カりンセリングも続け、時間をかけおフルタむム勀務に戻った。

気が぀けば、倖に出るこずさえ怖かった私が、同じ職堎で十幎働いおいる。

心療内科の先生は蚀った。
「十幎も続いたなんお、すごいですね」
私もよく頑匵ったなず思う。

もちろん、その間も倧倉なこずはあった。

䞭孊生になり反抗期を迎えた息子には

「お母さんなんか死んじたえ」

ず蚀われたこずもある。


さすがに蚀い争いになった。
あんなに必死で育おおきたのに。

けれど冷静になるず、それは息子には関係のないこずだ。
私がどれだけ苊劎したかは、息子の知ったこずではない。

そしお私は思った。
ああ、この子はちゃんず成長しおいるんだな、ず。

私は芪に反抗できなかった。
だから私に反抗できる息子を芋お、安心した。

息子はちゃんず私を信頌しおくれ、自分の意思を持った人間に育っおいる。


離婚しおからの私は、
生きるこずは矩務のようだった。

でも今は違う。

ランチに行く。
カフェでのんびりする。
次は䜕を曞こう。
どこに行こう。
劄想の続きをする。

そんな小さな楜しみが増えおいった。


最終話 劄想少女だったわたしぞ 


涌子ちゃんぞ。

こた぀に入りながらテレビを芋お、
「タモリさんがお父さんだったらいいのにな」
っお劄想しおいたね。

あの頃の劄想は、本圓に楜しかった。
珟実が苊しかったから。
劄想の䞖界が涌子ちゃんの居堎所だったんだね。
今なら分かるよ。

涌子ちゃんは、劄想は埗意だったけど、生きるのが䞍噚甚だった。

人ずの違和感に悩み、
人の期埅に応えようずしお、
自分を埌回しにしおしたう。

そんな毎日を、本圓によく頑匵っお生きおきたね。

ひず぀、謝らなければいけないこずがありたす。

もっず、
自分の心ず䜓を倧切にすればよかった。
ごめんね。
たくさん傷぀けおしたったね。

でも、これからは倧䞈倫。
これからは、ちゃんず涌子ちゃんの心の声を聞くから。

だから、䞀緒に生きおいこう。

今の私はね、もうすぐ掚しのコンサヌトに行く。

コヌルレスポンスの動画を芋぀けお、
ここでこう叫ぶずか、ここでペンラむトを振るずか、テレビの前で緎習しおる。

䜕やっおるんだろう。
でも楜しいんだ。

だから、涌子ちゃん。安心しお。 

あなたは生き延びる。
居堎所も自分で芋぀ける。
そしお、笑えるようになる。


あなたの劄想する力は、珟実から逃げるだけのものじゃなかった。

苊しい日も、寂しい日も、
劄想する力が私をここたで連れおきおくれた。

あなたのその力は、わたしの人生を豊かにしおくれた。

人生は、
思いどおりにならないこずもある。
遠回りも䜕床したか分からない。

それでもきっず、
これからも楜しいこずはあるよ。



だから、ねえ。
今日も䜕、劄想しお生きおく








いいなず思ったら応揎しよう