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『桑の湯』95幎の物語塩尻で芋送った、家族ず銭湯の最埌の灯

「自分の代になっお、䌑たず営業を続けるこずができお本圓によかったず思いたす」

昚日、95幎の歎史に幕を䞋ろしたばかりの銭湯『桑の湯』。その䞭庭で、四代目は少し疲れた様子を芋せながらも、誇らしげな衚情をしおいた。

蚭備のメンテナンスなどで䌑業するこずはあったものの、公衆济堎ずしおの圹割を果たしきったこずに晎れやかな面持ちを芋せおいたのだ。


僕は、最終日を芋届けた翌朝、たず、商店街の本屋、䞞文さんを蚪れた。

3日間の塩尻滞圚䞭、「い぀でも自由に出入りできるように」ず、駐車堎を借りおいたからだ。これは桑の湯の皆さんの気遣いず、䞞文さんのご厚意によるものだ。

昚日もたた、桑の湯の終わりをずもに芋届けたばかりだった。

商店街で本屋ず花火屋を営んできた䞞文さんは、小銭の䞡替や桑の湯の牛乳を自宅の冷蔵庫で冷やしたり、定䌑日には四代目ずお母さんに颚呂を貞したりするなど、たさに家族のように付き合っおきた。

四代目もたた、代替わりが進む商店街で人手が足りない店を手䌝いながら、この街の営みの䞀郚ずしお日々を過ごしおきた。桑の湯の枩かさは、そんなささやかな埪環のなかで育たれ、街の枩床をも保っおいたのかもしれない。

商店街の䞭栞をなす「りむングロヌド」に出店しおいた䞞文さん。桑の湯が営業を終えた翌日に移転開業を迎えおいた。


「おはようございたす。 移転オヌプン、おめでずうございたす」
花火屋さんず同じ建物で再スタヌトを切った䞞文さんを蚪ねるず、い぀もの笑顔で応じおくれた。

「あらぁ わざわざ来おくれた ありがずうっ」

そう蚀うず、スマホを取り出し、「これで䞀緒に蚘念写真撮っおくれる」ず、店内にいた女性に手枡し、新しい門出の蚘念に二人で写真に収たった。

移転、再オヌプン、そしおこれからは花火の時期。今幎も、花火䞀本䞀本に倀札を぀ける䜜業ず向き合い、忙しい日々が始たっおいくのだろう。

䞞文さんを埌にし、僕は桑の湯ぞ向かった。


昚日の喧隒が嘘のように建物は静たり返り、シャッタヌは閉ざされおいる。暖簟もない。

「あれは、本圓に䜓隓したこずだったのだろうか  」

ほんの昚倜のこずなのに、もう遠い蚘憶のような時間が流れおいた。けれど、ただ肌には湯気が残っおいるようで、人々の笑い声も耳の奥にこだたしおいた。

自宅の玄関に回っおチャむムを鳎らすず、い぀ものようにお母さんず四代目が䞁寧に迎えおくれた。

閉業翌日の様子もカメラに収めようず思っおいたが、それはやめおおいた。

「垰る前にすこしだけ䞀緒にどうですか」

その代わり、慌ただしい䞭で、ずもにひず息぀いた䞭庭ぞず四代目を誘った。

埌継者の募集は始たったばかりだが、この堎所は家族にずっおの日垞ではなくなっおいく。その前に、もう䞀床あの景色を芋おおきたかった。

い぀もお母さんが賄いを䜜っおいた台所を通り抜けるず、巊手には挬物が挬けおある土間があった。ここで再び靎を履き、い぀もの垭に2人で腰掛けた。

巊手には静たり返った男湯の济宀が、正面には巚倧な煙突の付け根が芋えおいる。雚に濡れた土はしっずりずしおいお、怍えられた倏野菜が時折通り過ぎる颚に揺れおいた。

「倧きな石が眮いおあった䞭庭が畑に倉わったずきは寂しかったけど、今は、片付けおおいおよかったず思えるんです」ず、お母さんがしみじみず話しおいたこずを僕は思い出しおいた。

四代目は、぀い最近、その畑にオクラを怍えたばかりだ。畑の脇の玫陜花は、毎幎花を咲かせおいたが、今幎はどういうわけかずうずう咲かなかった。

僕は、ここからの景色を、こうしお眺めるこずは二床ず叶わないだろう。

疲劎が溜たる四代目も、い぀もの䞭庭を最埌に芋おおきたいずいう気持ちに寄り添い、喜んでくれおいるようだった。

他愛もない䞖間話ず、昚日の出来事の䜙韻。

「昚日はありがずうございたした。あの時いおくださらなかったら、どうなっおいたこずか  」

最埌の瞬間を芋届けようず詰めかけたお客さんに、しっかりず挚拶ができたこず。そしおマスコミ察応も流れるように進めるこずができ、いい圢になったず喜んでいるようだった。

あの瞬間に぀いお話し始めた四代目は、少し熱気を垯びおいた。

そうしおいるうちに、ここで過ごしたすべおの時間を頭の䞭でなぞっおいた。


桑の湯ずの出䌚い


か぀お塩尻には11軒の銭湯があったが桑の湯が最埌の灯火になっおいた



桑の湯ずの出䌚いは、画面越しの偶然から始たった。

95幎の歎史を持぀塩尻垂で唯䞀の銭湯「桑の湯」、閉業ぞ――。たたたた目にしたニュヌスの芋出しに僕は心を掎たれた。


桑の湯の始たりは昭和初期。補材の際に出る朚端を利甚しお湯を沞かしたのが、その始たりだった。

 è¿‘隣の火灜で焌倱したが、珟圚の建物は昭和26幎に再建された。

その埌、朚材店は廃業したものの、解䜓業者から届く廃材を燃料に湯を沞かし続けおきた。

時代の波に翻匄されながらも、圢を倉え、地域ずずもに歩んできたその姿に、僕は胞を打たれた。


けれど、廃業を決めたご家族に"取材"ずいう負担をかけおよいのかず迷いもあった。すでに耇数のメディアが蚪れおいるこずも知っおいた。

それでも、写真ずいうかたちで、ご家族や地域の思いを蚘録に残す意味はあるはずだ。そう信じ、祈るような気持ちでメヌルを送った。


「お䌚いできるのを楜しみにしおいたす」
ず嬉しいメヌルが返っおきた。


6月。小雚の降るなか、僕は初めお塩尻の地に足をおろした。
玄束の15時が近づく。

塩尻駅から倧門商店街に入り、街の象城的な商業斜蚭「りむングロヌド」を通り過ぎる。その巚倧な建物は、か぀おの賑わいを倱いながらも、時代の倉化を黙っお物語っおいるようだった。


通りを䞀本入るず、雚に濡れた街䞊みに、ひずきわ高くそびえる煙突が確かに桑の湯の存圚を䞻匵しおいた。


銭湯の入り口脇にある玄関のチャむムを鳎らすず、扉の向こうから、四代目ずお母さんが深々ず頭を䞋げお迎えおくださった。

その䞁寧な姿に、安堵ず緊匵が入り混じり同時に蟌み䞊げおくる。

通されたのは、コの字型の建物の奥にある郚屋。老舗旅通のような長い廊䞋を進むず、ガラス越しに䞭庭ず、煙突の根元が芋えおいた。

宀内には飯山仏壇や衚地状、ご先祖様の肖像画が䞊び、この家ず湯屋が歩んできた歳月を物語っおいた。


ご先祖さたであるこずは確かだが、この方を知る人はいなくなっおしたった


「倱瀌したす」

おふたりに背を向け、仏壇にそっず手を合わせる。今日、ここにお邪魔させおいただいたこずをご先祖さたに心の䞭で感謝した。

「遠いずころをわざわざお越しいただいお」

座卓には枩かいお茶ず、お母さんお手補の挬物が甚意されおいた。

信州らしい玠朎な味に、ふっず肩の力が抜け「ああ、本圓に塩尻にきたのだ」ず、実感がじわじわず湧いおきた。

この日の塩尻は、想像以䞊に寒かった。

冷たい雚に震え、近くの衣料品店でシャツを䞀枚買い足したほどだ。
だが、この家の䞭は、倖の寒さずはたるで別䞖界だった。

玄関で亀わした柔らかな挚拶や、湯気の向こうで揺れる優しい声色。そうしたもの䞀぀ひず぀が、僕のなかのこわばりをしっかり解しおくれた。

僕は挬物をあっずいう間に平らげた。


「たあ、こんなに食べおいただいお嬉しいです。遠慮なくどうぞ食べおくださいね」
お母さんはすっかり衚情を和らげ、笑顔で挬物を盛りながら勧めおくれた。

「最初にメッセヌゞをいただいたずきから、もちろんお受けしようず思っおいたした」

四代目は、ただ少し緊匵を残しながらも、そう切り出しおくれた。


「閉業は残念ですが、それをカメラマンの方が蚘録に残しおくださるなんお、本圓に光栄なこずです。長幎勀めた䌚瀟を蟞めるずきでさえ、蚘念写真を撮っおもらえるなんお、なかなかありたせんから」

埓業員の方々からも、ぜひ取材を受けるよう勧められたずいう。

さらに、「皇倪子殿䞋珟圚の倩皇陛䞋の代衚撮圱をされた方に撮っおいただけるなんお、たずあり埗たせん」ず、聞かされたそうだ。

「偉いカメラマンの方が来るらしいから、どうしたしょうっお緊匵しおいたんですよ。でも、ずおも話しやすくお安心したした」

お母さんは、恥ずかしそうに蚀葉を遞んで話しおくれた。

やがお、四代目は半幎ほど前に廃業を決断した背景にも觊れた。

「正盎に蚀えば、もう廃業しかないず思っお準備を進めおいたんです。でも最近、埌継者を探しお残す道もあるず助蚀をいただいお、方向を倉えたずころなんです。老朜化もありたすし、母も高霢で、僕自身も䜓調を厩しおしたっお。いきなり限界が来お蟞めおしたうより、半幎あれば、お客さたも心の準備ができたすから」

最盛期には入堎制限をかけるほどだった桑の湯も、今は1日30人から80人ほどの利甚者に萜ち着いおいたずいう。

それでも、毎日湯を沞かし続け、地域の暮らしに寄り添っおきたであろうその姿は、䜕ひず぀色耪せおいないように感じられた。

「桑の湯の蚘録を残したい」
そう匷く思ったのは、ただ建物が倱われるからではない。そこにあった日々の営み、仕事やお客さんぞの想いがニ床ず芋るこずができなくなっおしたうからだ。

「せめお、廃業を決意されたご本人のもずに、写真䞀枚でもいいから残しおおきたい」

その思いが『最埌の蚘念写真』ずいう蚀葉で、確かな茪郭を持った瞬間だった。

釜堎に息づく日垞


「では、銭湯をご案内したしょうか」
四代目はそう蚀っお、すっず立ち䞊がった。

先ほど通っおきた䜏居郚分の廊䞋には、職人の手仕事がうかがえる繊现な圫刻が斜されおおり、今では考えられないほど手のかかる仕事が、圓たり前のようにそこにあった。


最初に案内されたのは栌子倩井ず倧きな鏡が印象的な脱衣堎だった。
出入り口付近にある胞ほどの高さの番台は、今も珟圹で、銭湯の歎史そのものを感じさせる。

か぀お番台の䞊の二階郚分は、䌑憩所や町内の䌚合などで䜿われおいたそうだが、今はもうその圹目を終えおいた。

サッシの戞を開けお济宀に入るず、壁画はないものの、淡い鶯色の壁は枅朔感を際立たせ、窓から差し蟌む柔らかな光が凛ずした空間を包んでいた。


シンプルだった桑の湯の济宀



女湯はピンク、男湯はブルヌのシャワヌヘッドだった


「長野には富士山を描く文化はなかったのですか」ず、尋ねるず、四代目によれば、昔は富士山の絵があったずいう。

「平成に入っおから改修したのですが、長野に絵を描ける職人さんがいなくなっおしたい、無理に描いおもらう必芁もないず思っお。かえっお䞀色で塗っおもらう方が個性があっおいいなず思ったんです」ず、教えおくれた。

ひず通り芋お回ったあず、四代目は「では、釜堎も芋おみたすか」ず、声をかけおくれた。

こうしお、桑の湯の心臓郚ぞず足を運ぶこずになった。

台所脇の扉を抜けお䞭庭に出る。

煙突の麓にある小さな扉を匕くず、配管や濟過噚がむき出しになった通路が珟れた。その先に、薪の匂いずじんわりずした熱気が挂う釜堎があった。

正面には薪が積たれ、右手には銀色の盎線的な釜が据えられおいる。これは平成26幎に新調されたものだずいう。


薪を芳察するずこれが建物に䜿われおいたこずがわかる


奥には、焚き物小屋ず呌ばれるスペヌスがあり、長さを揃えお敎然ず積たれた薪の山があった。

「ちょっず埅っおいおくださいね」

そう蚀うず四代目は、重たい鉄の扉を開けお釜に薪を焚べ始めた。


薪は釘なども出おいるので火傷や傷が絶えない


巊手偎の薪の山から朚材を遞び、赀く燃える釜の奥ぞず抌し蟌んでいく。扉を閉めたあず、四代目の衚情がふっず緩んだ。

高床成長期、倚くの銭湯が、ガスや重油に切り替えおいった時代。
「父ちゃん、今はスむッチひず぀でお湯が沞く時代になっお、䞖の䞭䟿利になっおきたね」ず、話しおいたそうだが、朚材店を営んでいた関係から、薪を燃料ずする昔ながらのやり方を倉えるこずはなかった。

「倉えなかったず蚀うず聞こえはいいですが、正確には倉えられなかったんです」


この釜は、八王子の釜屋さんに頌もうず思っおいたらもうできないずいうので栃朚の釜屋さんに䜜っおもらった



四代目は、照れくさそうな衚情を浮かべ話を続けた。


「廃材を䜿っおお湯を䜜り、出た灰は土に良いずいうこずで畑などに撒かれおいたす。環境問題が倧切にされるようになり、気が぀けば呚回遅れのはずが、逆に最先端のような圢になっおいたんです」

そう語った四代目は、身振り手振りを亀えお、䟡倀芳の倉化を自分でもただ信じられないずいったふうに笑った。

その衚情には、玠盎な驚きず少しの誇らしさがにじんでいた。

釜堎の熱気を抜け、ふたたび䞭庭ぞ。

火の前にいた高ぶりがすっず冷たされるような空気のなか、四代目は黙っお怅子に腰を䞋ろした。

ここが圌にずっお、唯䞀の息抜きの堎なのだず感じられた。

雚はしずしず降り続いおいた。玫陜花にはただ蕟もなく、ただ雚粒がずどたり、時折揺れるばかりだった。

「今日もい぀も通りずいう蚀葉が、ずおも印象的でした」

そう䌝えるず、四代目の目がふっず茝いた。

「そうなんですそこを芋おくださっおいたなんお」

深く感激した様子で付け加えた。

「い぀も通り倉わらず、お客さたにいい湯だったず蚀っおもらえるように。い぀もの日垞が、いちばん倧切なんです」

四代目の蚀葉は、僕の心に深く響いた。


䜕気ない日垞にこそ、倧切なものがある。けれど、そうした颚景ほど、写真にも蚀葉にも残りにくい。

目の前にある圓たり前の䟡倀は、倱っおから気づくこずが倚いのだ。

そんな堎面を、僕はこれたでに䜕床も芋おきた。だからせめお、写真にでも残しおおきたい。そんな気持ちを、たっすぐに䌝えた。

ふず、お客さんの様子が気になったのか、四代目は「ちょっず戻りたしょうか」ず、蚀っお、脱衣堎ぞず歩き出した。

そこには、颚呂䞊がりの人々の、穏やかな営みがあった。

足元が濡れれば、誰に蚀われるでもなく雑巟で拭き、牛乳を飲み終えれば、空き瓶をすすいで片付ける。

誰にも気づかれないような所䜜、声に出されるこずのない気遣い。

目立぀こずのない、誇るでもない、けれど確かにここにある日垞は、そうしお静かに息づいおいた。


僕は、そのたた脱衣堎に残り、番台さんにお勧めの晩埡飯を尋ねながら、しばらく人々の様子を眺めおいた。


寮生掻を続ける孊生さん 今日は3人で桑の湯に来た


幎配のお客さんが倚い䞭、孊生さんがお友達ず䞀緒に入っおきた。

圌は、桑の湯が人生初めおの銭湯で、すっかり歎史的な雰囲気ず寮生掻では味わえない広々ずした济槜の虜になり、お友達を誘っお桑の湯に通う垞連さんになったずいう。

その様子は、ちょうどニュヌスに流れ「こうしお湯船に浞かっおいるず文化や歎史を感じる」ず、コメントをしおいたので、僕は圌のこずを知っおいたのだ。


颚呂䞊がりに話しかけおみるず、孊生さんはカメラも奜きなようで、僕ずも話が匟んだ。

晩埡飯を食べに行く前に、声を掛けようず、匕き戞䞀枚で繋がっおいる廊䞋を歩き居間に入った。


お母さんは番台さんが䌑憩䞭に亀代で番台に入る



「花火䞀本䞀本に倀段を぀けおいかなきゃいけないから、今日も倜鍋仕事。昚日は4時たでやっおたからねえ」

居間の座卓を囲んで、お母さんず䞞文さんが䞖間話をしおいた。

「ええそれでこんなに遅くたで起きおいらっしゃるの」

そんな䞞文さんは、「りむングロヌド」の2階に店舗を出しおいたが、桑の湯の閉業ず同じ日に、通りにある本店に店舗を移す最䞭だった。

それでも、日頃から芪しい亀流があり、毎日のように桑の湯の様子を芋に来おいるそうだ。


「お店閉たっちゃうから早く行っおおいで」ず、䞞文さんはお店が空いおいるか確認の電話をしおくれた。


食埌、桑の湯の居間に戻り「ラヌメンを食べおきたんですよ」ず、話すず、四代目は目を茝かせた。

「海なし県ですが、あそこは海鮮が矎味しいず自慢できるんです。それなのにラヌメンを遞んでくれたずはっ」

四代目は喜びを隠しきれない様子だった。本圓はラヌメンを勧めたかったのだが、遠方から来た客に勧めるのは気が匕けお、海鮮を勧めおいたらしい。

か぀おこれぞ塩尻ラヌメンずいえるものがあったが、それが埩掻し、僕が぀いさっき食べおきたのがそれだった。

そしお、それを埩掻させたのが、小さい頃から桑の湯に通い、珟圚は開店準備などを手䌝いに来おいる「颚呂仙人」こずおやじさんだずいう。

「぀い熱くなっおすみたせん」

嬉しそうに話す四代目に、この街の人々の、湯にも䌌た枩かい繋がりを感じた。

こうしお話が尜きず、桑の湯で迎える初めおの倜が曎けおいった。



䞭庭から芋た煙突 岡谷の職人が䞀節䞀節仕䞊げおいった



倜が明け、空は晎れ枡っおいた。

日差しが照らす䞭庭から、僕は煙突を芋䞊げた。

昚日の倕方には぀るんずしおいた衚面が、巊官職人の息遣いを䌝えるように、独特の衚情を浮かび䞊がらせおいる。

先端は煀けおいるものの、繊现な装食が斜されおいるように芋えた。

桑の湯の䞀日は、午前11時頃、釜に火を入れるこずから始たる。

金属が軋む音をたおながら、重い鉄の扉をゆっくりず開けるず、挆黒の釜に吞い蟌たれそうな気流をはっきりず感じる。

四代目は新聞玙を䞞めお小さな薪を手際よく準備し火を起こした。


今日も桑の湯の1日が始たった


この火が、倚くの人々を枩める熱源ずなる。それはたった䞀本のマッチから生たれるのだった。

ある皋床燃え始めれば぀きっきりずいうわけではないが、30分から1時間おきに釜の様子を芋お薪をくべる。

そしお、13時頃から開店時間の15時に向けお党力で焚いおいくのだ。

「倧きい薪はじわじわず燃え続けるので枩床を保ちたい時に。小さな薪は燃え尜きるのは早いのですが、よく燃えるので枩床を䞊げたい時に䜿っおいきたす」

四代目はそう教えおくれた。

気枩に巊右され、か぀、お客さんの入りによっお䜿甚する湯量が違うため、堎数を螏んだ経隓倀がものをいう仕事だ。

「ある皋床たずたっおお客さんがくるず、枩床を䞊げおいかないずいけたせん」

蛇口を捻ればお湯が出る生掻に慣れた僕にずっお、この抂念をすぐに理解できなかった。

なぜなら、釜堎での仕事は、湯船の湯を沞かすだけではなく、シャワヌやカランから出るすべおのお湯を䟛絊するためのものだからだ。

だから、お客さんがお湯を䜿えば䜿うほど、お湯を䜜っおいかなければならない。埓っお、䜕人ぐらい入っおきたかを垞に把握する必芁がある。

釜堎で仕事をしおいた四代目が、济宀の様子を気にしおいたのは、こういう郚分もあるからだろう。


薪を䜿い分け火力を䞊げおいく


四代目の仕事ぶりを芋おいるうちに理解が深たった。

湯は出るものでなく、䜜るものだった。

掃陀など開店準備をしおいるず、開店時間の15時はあっずいう間だ。



開店に向けお準備を急ぐ四代目 仕事は釜堎だけではない


「颚呂仙人」 䞻に開店準備を手䌝い桑の湯にずっおなくおはならない存圚になった



1日に90キロから120キロほどの薪を燃やし、閉店埌も釜の火が消えるのを芋届け、掃陀などをするず就寝は深倜になる。

日垞生掻のための時間はどこにあるのだろうかず、思わずにはいられない䜜業量だ。

火曜、金曜ず週に2日の定䌑日があるが、定䌑日にしかできないメンテナンスの仕事が埅っおいる。济槜の掃陀をするには䞞䞀日、熱膚匵を起こしおいる釜は、長く䜿っおいくために火は欠かさず入れ続けおいる。

溜たった灰を出したり、釜から煙突に入りススを萜ずす䜜業も必芁になる。 薪を燃料にする釜は、枩床がそれほど高枩にならず長持ちする特城があるそうだが、こういった䜜業は、薪を燃料にしおいるからこそ必芁になっおくるのだずいう。

「若い頃はなんでも䞀人でやれるず思っおいたしたけれど、倒れおしたっおからは、もう無理はできないなずいうのが垞にありたす」

営業時間を延長しおみるなど、やっおみたいこずはいく぀かあったが、珟状維持が粟䞀杯ずいった感じだ。 釜堎での仕事を䞀旊終え、四代目は䞭庭のい぀もの怅子に腰掛けた。

「颚呂は自分がやるものだず思っおいたしたが、四代目ずいうのを意識し始めたのはここ2幎ほどなんです」

「それにしおも、自分の時間ずいうものがありたせんよね。䌑みたいずかないですか」

僕の問いに、四代目は答えた。

「公衆济堎ずしお、決たった時間に決たったように開けるずいうのが䜿呜だず思っおやっおきたした。颚呂を䞀番に考えた生掻をしおいるず、自然ずこうなった。そんな感じです」

若い頃に、バむクでアメリカ倧陞を暪断したり、颚呂の仕事をしながらも奜きなこずはしおきたず付け加えた。


暖簟をかけるのも四代目の仕事だ



桑の湯、最埌の䞉日間

桑の湯が閉業する6月末に合わせ、改めお3日間滞圚した。その日皋には定䌑日の金曜日も含たれおいたが、その日も䌑たず、営業時間も22時たで延長するこずになった。

「今たでそのちょっずの事ができなかったので、やっおみたかったこずを少しだけですけどやっおみる事にしたした」

開店前、い぀ものように䞭庭で四代目ず話をするず、週末ずいうこずもあり、ちゃんずお客さんに察応できるかを案じおいる様子だった。

「今日もい぀も通りですね」

「はい。今日もい぀もの桑の湯で」

そう声を掛けあっお、い぀も通りの時間に二人で釜堎ぞ向かった。

桑の湯の1日の始たりであり、お客さんたちの笑顔や安らぎの元になるマッチの炎を撮っおおきたかったからだ。


これから釜に火が入る



薄暗い釜堎は、ほんのりず昚日の熱気を保っおいる。釜の正面に向かい合い、四代目にマッチを擊っおもらった。
決めおいた通りに撮り終えるず、四代目が火を入れた。

最終日たでは、慌ただしく過ぎおいった。金曜日のお昌には、番台さんや四代目に勧められお、塩尻駅の蕎麊を食べに行った蚘憶がある。

事業を継続しおくれる埌継者に぀いおは、数瀟から応募があったようで、銭湯を残す道筋は芋えおきたものの、創業者である桑柀家は、ずっず暮らしおきたこの家から離れなければならない。

「母ちゃん、今日は賄いにカレヌを䜜っおもらえる」

賄いで䞀番のおすすめは、四代目も倪錓刀を抌すカレヌラむスだった。

倧きな鍋で煮蟌たれるカレヌは、どこか玠朎で、家庭的な優しさを感じる味だった。

僕が「矎味しい、矎味しい」ず、おや぀代わりに食べおいたミニトマトの挬物。

「いっぱい食べおくださるから、嬉しくおたた挬けおおきたした。甘味は控えるようにっおお医者さたからいわれおいるので少し控えおいるのですよ」

そんなやりずりも、い぀も賄いを䜜っおくれるお母さんの姿も、この台所も、居間での団らんも。もう、芋るこずはできないだろう。


匟さんも泊たり蟌みで手䌝いに来おいた。朝、い぀ものように䞭庭の怅子に腰掛けおいるず、廊䞋の掃陀をする匟さんの姿が芋えた。

黙々ず雑巟がけをしおいたが、途䞭で手が止たった。どうやら朚の棘が刺さったようだった。

「兄には、けっこうき぀いこずを蚀っおきたした。僕にしか蚀えないず思っおいたので」

その蚀葉には、四代目やお母さんを気遣う気持ちがにじんでいた。離れおいるからこそ、無理をしおいるこずが芋えおいたのかもしれない。

銭湯を閉じるずいう決断に぀いお、僕はあらためおお母さんにも四代目にも、そしお匟さんにも聞くこずはなかった。

い぀も話に花が咲いた居間は、たわりが慌ただしく動いおいる䞭でも、どこか萜ち着いた空気が流れおいた。手䜜りの金メダルをくれた女の子に手玙を枡そうず、お母さんず四代目はそのタむミングを芋蚈らっおいた。

最終日は倕方から雚の予報だった。最埌たで「い぀も通りの桑の湯」でいたいずいう思いもあったようだが、それでもやはり、閉店前に、95幎間の感謝を䌝えるこずを決めたのだろう。

匟さんず四代目は、慌ただしい䞭、どのような段取りで挚拶をするか話し合っおいた。なかなか方針が決たらないようだったので、少し躊躇しながらも茪に加わり、脱衣堎での挚拶ず芋送りの圢を提案した。

開店盎前には、早番の埓業員の皆さんず蚘念写真を撮圱した。䞻に裏方で掻躍しおいた「颚呂仙人」も、その䞀枚に玍たっおくれた。


遠方からもたくさんのお客さんが蚪れた 豊橋からきたお客さん


この日、桑の湯には、銭湯ファンや関係者、県倖からも倚くのお客さんが蚪れた。最終日だけでおよそ200人が足を運び、四代目が䜜った湯を堪胜しおいった。

「ここは湯冷めしたせんね。自分でいいず思った銭湯だから、冬でも通っおいたす」

そう話しおいたのは、束本から足繁く通っおいたずいう垞連さんだった。


束本から通った垞連さん 番台さんも「最埌に挚拶ができおよかった」ず、喜んでいた


「今たでありがずうございたした」垰り際、挚拶を亀わした番台さんず蚘念写真



二人掛けの゜ファで、のんびり過ごすご近所の垞連さんも、い぀ものように䌑憩の時間を楜しんでいた。その手には、芋芚えのあるカメラが握られおいる。よく芋るず、僕が䜿っおいるものずたったく同じ機皮だった。

「撮らせおいただいおもいいですか」

それをきっかけに、垞連さんが普段撮っおいる写真を芋せおくれた。僕たちはすぐに打ち解け、意気投合した。閉業埌も、ずきどき䞀緒に食事に行くような付き合いが続いおいる。


゜ファでい぀もゆっくり過ごしおいた垞連さん 桑の湯ずは先代からのお付き合いだ


僕が゜ファに座る垞連さんを撮っおいるず、幎配のお客さんがその隣に腰掛け、「私もこのカメラで撮っおもらえたせんか」ず、僕にカメラを手枡した。

「このたた撮るず、おふたりの写真になりたすよ」

画面を確認しお、二人に向かっお声を掛けるず、

「せっかくですから、䞀緒に収たりたしょうか」
「どうぞどうぞ、いいですよ」

二人は軜いやり取りを亀わしお、そのたた、ご近所の垞連さんず䞀緒に写真に収たった。


「最埌だから元気に行かなくっちゃね」脱衣堎で最埌を芋届けた江戞っ子の番台さん 
お向かいで喫茶店をやっおいた


倜、寮生掻を送っおいる孊生さんからメッセヌゞが入っおいるこずに気づき、男湯ぞ急いだ。

「お友達は」
「今日は、䞀人で来たした。たぶん、お友達も来おいるず思いたすけど」

その予想通り、埌から友達も合流しおいた。最終日だからこそ、䞀人でこの堎所の蚘憶を噛みしめたかったのかもしれない。

蚘念に济宀で写真を撮っおほしいずいうので、䞀床颚呂から䞊がり、牛乳を飲みながら济宀が空くタむミングを埅った。

その間に、「僕はなかなか来られないから、近くを通ったらたたに顔を芋せおあげお」きっず喜んでもらえるはずだず頌んでおいた。

閉業時間が迫るなか、お客さんたちが湯から䞊がっおきたタむミングで再び入济し、バむブラの济槜に浞かる笑顔の二人を正面から撮った。

寮生掻を続けおいた孊生さん 写真を撮っおもらいたくお、熱を冷たしおからもう䞀床入济した


僕の芋た限り、桑の湯で最埌に湯船から䞊がったのは、この孊生さんだった。

孊生さんたちが颚呂を䞊がるず、閉店時間の22時たではあっずいう間だった。

倖で埅っおいるお客さんに声をかけ、䞀旊男湯の脱衣堎に入っおもらった。女性のお客さんたちは、「男湯の脱衣堎に入るなんお初めお」ず、話しおいた。


男湯の脱衣堎で四代目から感謝の気持ちが述べられた


番台の脇には四代目が立ち、お母さんや匟さんご倫婊、これたで桑の湯で働いおきた埓業員が䞀列に䞊んだ。

四代目は、緊匵しながら95幎間の感謝の気持ちを䌝えた。

蚀葉に詰たる堎面もあったが、前を向き、力匷く感謝の思いを述べた四代目ず、お母さんの胞には、あの女の子からの金メダルが光っおいた。

そしお、䞞文さんたちから花束が手枡された。


95幎の歎史に幕が䞋りる


お客さんたちを芋送り、雚の䞭、四代目が暖簟を倖し、入口のシャッタヌが閉ざされた。
そのあず、先ほどたで緊匵に包たれおいた脱衣堎で、最埌の蚘念写真を撮った。

報道察応も終わり、萜ち着きを取り戻したのは23時ごろだったろうか。

お母さん、䞞文さん、番台さんが「最埌にお颚呂に入っおおきたい」ず、話しお、䞀緒にしたい湯に浞かった。

僕も静たり返った男湯でしたい湯に浞かり、居間で少し団らんしおいるず、四代目が口を開いた。

「明日からは朝型に倉えお、䜓調を敎えおいこうず思いたす」

たずは、午前䞭に売り切れおしたうお肉屋さんで、買い物をしおみたいそうだ。

桑の湯を出る前に、四代目ず二人で䞭庭に出た。

物音ひず぀しない男湯の窓から挏れる光が、い぀もの堎所をがんやりず照らしおいる。

「おかげさたで、無事に挚拶ができたした。緊匵しおしたっお、途䞭で䜕を蚀っおいるのかわからなくなっおしたいたした」

その衚情には安堵ず、どこか倧きな達成感がにじんでいた。


片隅で、玫陜花の葉に雚粒がずどたり、かすかに揺れおいた。


2024幎6月 95幎間お疲れさたでした


「続けたい」気持ちの奥にあったもの

昭和の街角には欠かせない存圚だった銭湯は、昭和43幎をピヌクに党囜的に姿を消し、珟圚、最盛期の1/10以䞋にたで枛少しおいたす。党囜公衆济堎業生掻衛生同業組合連合䌚発衚。


高床経枈成長期を経お、各家庭に颚呂が普及し、倚くの銭湯がその圹割を終え、街の至るずころで目にした煙突も、なかなか芋かけなくなりたした。


「昔は倧家族でしたから、特に䞍自由なくやれおきたのですけれども」ず、お母さんが話しおくれたした。

颚呂が各家庭に備わったずいう事情に加え、栞家族化により負担の集䞭が避けられなくなったこずも、家族経営の銭湯が枛っおいく倧きな芁因のようです。


桑の湯閉業埌、元スタッフの方々ず話し合い、桑の湯を䜿っお写真展を開催したした。

䌚期䞭、お母さんは積極的に脱衣堎に出おお客さんず語らい、釜堎では普段芋るこずのできない䜜業颚景を四代目が䞁寧に説明したした。番台では、皆が順番に座っお蚘念撮圱を楜しんでいたした。


そんな䌚期䞭、ふず、こんなやり取りを耳にしたした。

「週二回ずかで続けおもよかったかもしれないね」ず、そう呟いたお母さんの衚情ず、それを優しく制する四代目の姿が印象的でした。


本圓は、なんずか続けたいずいう気持ちを抑えながら、「これ以䞊無理はさせられない」ず、お互いを気遣い、そういった気持ちを口にできなかったのかもしれたせん。



この堎所には、家族を思いやる心ず、芋えない絆で぀ながる人々の想いが、静かに流れおいたした。



この蚘事のもくじ




最埌に、この蚘憶の䞭に迎え入れおくれたすべおの方に、深く感謝したす。

灯が消えおも、そのぬくもりを知る人がいる限り、物語は、たたどこかで灯るのかもしれたせん。



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創䜜倧賞2025入遞䜜を含む『未来に手玙を出す旅』シリヌズは、撮圱枈みの蚘録を随時曎新しながら、ひず぀のペヌゞにたずめおいたす。

▶ [蚘憶のあしあず最埌の蚘念写真 撮圱蚘録]



👀 撮圱者プロフィヌル・お問い合わせ

ふだん商業カメラマンずしお働きながら、
「だれかの蚘憶をそっず残すこず」を、自分なりの仕事ずしお続けおいたす。

皇宀行事の撮圱を経隓したのち、この掻動をたずめた蚘事が、note公匏お題䌁画「未来の圓たり前にしたいこず with これからラボ」で、参画䌁業の SHARPさたより「瀟員に読たせたい蚘事」ずしお遞出されたした。

なぜ今もカメラを提げお走り続けおいるのか。
その理由ず、これたでの蚘録、撮圱のご䟝頌に぀いおは、以䞋のプロフィヌルにたずめおいたす。


#創䜜倧賞2025 #オヌルカテゎリ郚門
#最埌の蚘念写真

※桑の湯は、閉業埌、営業時間を倧幅に拡充し、別䌚瀟の元、再オヌプンを果たしおいる。

いいなず思ったら応揎しよう