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『仕事は完璧な状態で差し出すべき』というフレームを書き換えてみる

人に言った言葉が、後から自分を苦しめているな、と感じたことはありませんか?
 
『使い終わったらちゃんと元の位置に戻すべきだよね』
 
『約束は必ず守るべきだよ』
 
『そういうことはちゃんと事前に伝えないといけないよね』
 
 
どれも間違ってはいないし、大切な心掛けだと思いますが、
 
元の位置に戻さなかった自分、
 
約束を守ることができなかった自分、
 
必要なことを十分に伝えられなかった自分に気がついた時、
 
人に向けた、『こうあるべき』という基準がそのまま自分にも適用され、
誰かに伝えた言葉が自分の心に突き刺さり、苦しくなること、ありますよね。
 
 
 
ものごとをとらえるときに無意識にかけている心のフィルターのことを『フレーム』と呼びますが、
実は今日、長女と話をしている時、私が仕事の仕方に対して持っている『こうするべき』というフレームが、どうやら私を動きにくくしているらしいことに気が付いたのです。
 
 
そのフレームは
 
『仕事は完璧な状態で差し出すべき』
 
というフレームでした。
 
 
例えば何か発表をするのであれば、
 
『入念なチェックを重ねて誤字脱字を正し、誰が読んでも分かりやすく、情報に過不足のない資料を作成するべきだ』
 
『発表する際、自信を持って伝えられるようにするべきだ』
 
とか、
 
何かイベントを行うのであれば、
 
『詳細を詰めることはもちろんのこと、様々な状況を想定し、予め対策を検討しておくべきだ』
 
のような具合に、とにかく内容をしっかりと詰めて、完璧な状態にするべきだ、と思っているようなのです。
 
 
もちろん、このフレームがあることは、しっかりと準備をしたり確認したりする入念さや慎重さにつながるので、私を助けてくれるフレームでもあります。
 
 
ただ、例えば自分から誰かに送った案内文に不足や分かりづらい表現があり、お相手から指摘を受けた場合、
 
『仕事は完璧な状態で差し出すべき』
 
というフレームを通してみる自分は、
 
『仕事ができない自分』
 
になってしまうんですよね。
 
 
もちろん、完璧な仕事ができることで多くの人の役に立てるかもしれません。
 
でも、仕事を完璧な状態で差し出せなかっただけで、

『仕事ができない自分』

と評価してしまっているとしたら、仕事は苦しいものになってしまいます。


また、『完璧』を追い求めていたら、不足ばかりが目に付いて前に進めなくなってしまったり、目的地にたどり着く前に力尽きてしまいそう。
 
実際、自分の過去を振り返ってみると、慎重すぎて挑戦できなかったことや、準備しているうちに疲弊し、足を止めてしまったことが思い浮かびます。
 
『完璧じゃないと相手に失礼だ』
 
『完璧じゃないと相手に怒られる』
 
『完璧にできるようにならないと求められない』
 
自分の心を覗いてみると、そんな想いがいつもあるように思います。
結局恐怖心から完璧を目指しているんですよね。
 

 

でも、そもそも、『完璧な状態』ってどんな状態だろう?と考えてみると、状況やお相手、タイミングによっても様々。
 
はっきりとしているようで、結構漠然としているんですよね(^^;;
 
漠然とした『完璧な状態』って、結局どうなったら達成できたって思えるんだろう…? 

そんな疑問が浮かびました。 


 
そんな自分の仕事に対するフレームを見ていって思ったのは、
 
『観方を変えたい』
 
ということです。
 
 
今の私は、できる限りのことをやったら届けてみて、人の意見に耳を傾けて調整しながら、軽やかに仕事と向き合いたい。
 
『恐怖心』ではなく、『喜び』や『愛情』を持って仕事に取り組みたい。
 
そしていただいたご縁に『感謝』して、自他ともに大切にできる自分で在りたい。
 
 
『仕事は完璧な状態で差し出すべき』
というフレームは今の私には合わなくなっていたようです。
今まで私を育ててくれたことに感謝してこのフレームを手放して、新しいフレームを取り入れたいなと思いました。
 
『できる限りのことをやったら、まずは届けてみてもいい。
 足りないところがあれば、その都度調整していけばいい』
 
そうやって、もっと自由に、柔軟に、軽やかに仕事をしていきたいなと思います。
 
 
あなたは仕事に対してどんなフレームを持っていますか?
 
そのフレームは、今のあなたにとって必要なフレームですか?
 
この記事が、あなたが心のうちを見つめてみる、きっかけになれば嬉しいです。

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