科学で楽しむ古代エジプト:ツタンカーメン編
先日、エジプトで古代遺跡を巡る旅をしてきました。そのなかで気になった「ピラミッド」について前回書きましたが、今回は一連の旅で最も興味を持った「ツタンカーメン」の謎について書いていきます。
現地で見聞きして感じた違和感をもとに、最新の研究成果を調べてみたのですが——先に言っておくと、ツタンカーメンは調べるほど謎が深いです。
色んな要素が絡み合うため、やや込み入った箇所もありますが、ぜひ謎解きを一緒に楽しんでいただけると嬉しいです。
なお、今回訪問した場所では残念ながら撮影が禁止されていたため、引用画像は公開されているものを採用しています。
はじめに:黄金のマスクが隠す真実
ツタンカーメンと聞くと、おそらく多くの方が連想するのは「黄金マスク」だと思います。
今回の旅ではエジプト考古学博物館でオリジナルを鑑賞してきました。まもなく大エジプト博物館に移設される予定だそうです。事前に調べて気になる点を中心に観察してきましたが、子供のころは妙にこの顔が怖かったのを覚えています。

当時は「ツタンカーメンの呪い」という都市伝説も広まり、その発見物語は今でも語り草となっています。墓を見つけた瞬間のやりとりはあまりにも有名です。
はじめ、わたしには何も見えなかった。室の中から逃げてくる熱い空気が蝋燭の火をゆらゆらさせた。しかし、いま、目が光になれてゆくにつれて、室の中の細部が、ゆっくりと、霧の中から浮かび上がってきた。かずかずの奇妙な動物、彫像、黄金。いたるところに黄金のきらめきがあった。しばらくの間、わたしは驚きに打たれて沈黙していた。そのしばらくのあいだは、わきに立っている他の人たちにとっては、永遠の時間のように感じられたに違いない。
カーナヴォン伯が、もうこれ以上は耐えることができなくなって、心配そうに「何か見えるかね」とたずねたとき、わたしには、「はい、すばらしいものが」という言葉を発するのが精一杯だった。

その「素晴らしいもの」とは、5,000点を超える副葬品、そして何より、あの輝かしい黄金のマスクでした。
しかし、この発見は答えよりも多くの謎を残すことになったのです。
なぜツタンカーメンの王墓だけは盗掘されなかったのか?
なぜ9歳の若さで即位し、19歳で死んだのか?
なぜミイラから心臓が失われているのか?
なぜ王墓はこれほど小さいのか?
これらはまぎれもない事実です。そしてこの謎を解く鍵は、3300年前の権力闘争、宗教革命、そして一人の少年王の短い生涯の中に隠されていました。
第一章:歴史から消された少年王
1-1. アマルナの異端児——父アクエンアテンの革命
ツタンカーメンの物語を理解するには、まず彼の父、アクエンアテンのことを知る必要があります。

紀元前14世紀、アクエンアテン(元の名はアメンホテプ4世)は、エジプト史上最も過激な宗教改革を断行しました。
彼は、何千年も続いてきた多神教を捨て、アテン神——太陽円盤そのものを唯一の神とする一神教を打ち立てたのです。これは「アマルナ改革」と呼ばれる歴史的事件でした。
それまでのエジプトでは、最高神アメンを頂点とした多神教が広まり、神官が中心となって一般大衆にも普及していました。

当時の神は人格神で、王であるファラオ(固有の人を指すのでなく王の総称)も神と同一視されていました。
ところが多神教が進んだ結果、各神殿を掌握していた神官たちに富・権力が集中し、ファラオの権力を脅かすほどになります。
危機感を抱いたアクエンアテンは、多神教の神官団を弱体化すべく、伝統的な神々の否定に乗り出しました。最高神アメンの名は神殿や碑文から削り取られ、首都は新都アケトアテン(現アマルナ)に移されます。
彼が打ち立てた「アテニズム(Atenism)」では、太陽円盤から伸びる光線の手が生命を授けるという、従来の人格神とは一線を画す表現がなされました。


1-2. 失われた宗教——そしてモーセの一神教
ここで、こぼれ話として興味深い歴史的な符合を紹介します。
アクエンアテンの一神教は、数百年後に登場するモーセの一神教——すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の源流となる宗教——と、驚くほど似ているのです。どちらも偶像崇拝を禁止し、唯一の神を崇拝します。
20世紀の精神分析学者ジークムント・フロイトは、1939年の著書『モーセと一神教』で大胆な仮説を提唱しました。それは、モーセはアテニズムの神官で、アクエンアテンの死後、その信仰を携えてエジプトを脱出したのではないか、というものでした。
〇モーセと一神教 (光文社古典新訳文庫)
https://www.amazon.co.jp//dp/B08QHFBJ24/
フロイトの説は、当時も今も激しい論争を呼んでいます。多くの学者は、時代が数百年もずれていること、直接的な証拠がないことを理由に懐疑的です。
しかし、完全に否定することもできません。なぜなら、アクエンアテンの一神教は、人類史上初めて記録された一神教だからです。もし、アクエンアテンの宗教改革が何らかの形で後世の一神教に影響を与えたとしたら——それは世界宗教の起源に関わる、途方もない発見となるでしょう。
これ以上関心のある方には、下記の論文をおすすめしておきます。
あくまでサイドストーリーなので、この話はここまでで閉じておきます。
1-3. 神官たちの猛反発——失われた権力と富
アクエンアテンの急進的改革は、神官階級から激しい反発を受けました。
古代エジプトでは、神殿は単なる宗教施設ではありませんでした。神殿は巨大な経済組織であり、神官たちは神殿の建設、運営、そして莫大な献金や供物の管理を通じて、絶大な権力と富を握っていたのです。
特にテーベのアメン神殿の神官団は、ファラオに匹敵するほどの影響力を持っていました。アクエンアテンの改革は、この既得権益を根こそぎ奪うものでした。彼はアメン神殿を閉鎖し、神官団を解散させ、何世紀にもわたって蓄積されてきた神殿経済のシステムを破壊したのです。
民衆もまた、混乱しました。古代エジプト人にとって、死後の世界で心臓が羽根と天秤にかけられる「心臓の秤量」の儀式は、正義の者が永遠の命を得るための中心的な信仰でした。ところが、アテニズムでは、死後については特に触れていませんでした。

しかし真の脅威は、権力と富を失った神官たちの怒りでした。彼らはアクエンアテンの死を待ち、復讐の機会を狙っていたのです。
1-4. 若き王の決断——ツタンカーメンの誕生
アクエンアテンが亡くなると、幼い息子トゥトアンクアテン(=アテン神の生きた似姿という意味)が王位を継ぎました。彼はわずか9歳でした。
先王の名前にも「アテン」が含まれている通り、名前に神が刻まれているのは当時では珍しいことではありません。重要なのは、アテン信仰の真っただ中に生まれた息子に「アテン神そのもの」という名称を与えたことです。
アクエンアテンの死を受けて、神官・民衆からの反発は高まったでしょう。息子の側近には、先代からの忠臣である大宰相アイと軍総司令官ホルエムヘブがいました。
経緯はともかく、息子は英断を下します。彼は父の遺志を尊重しつつも、国家の安定を優先するという苦渋の選択をしました。
そして自らの名を「トゥトアンクアテン」から「トゥトアンクアメン(=アメン神の生きた似姿)」に改め、アマルナからテーベに首都を戻し、アメン神の神殿を再建し、多神教を復活させたのです。
これが、トゥトアンクアメン、あらため日本語読みで「ツタンカーメン」の誕生です。
(ちなみに現地でこの日本語発音はあまり伝わらず、Tut(トゥットゥ)」と呼ばれてました)
これで一件落着かと思われましたが、なんと後年ツタンカーメンが亡くなった後に、その名前・偶像が抹消・破壊されてしまいます。
そしてそれこそが、皮肉にも長年ツタンカーメンの王墓が盗掘を免れた要因でした。ほかにも大洪水による土砂崩れで埋もれた可能性もありますが(下記動画がおすすめ)、シンプルにいえば「そもそも知られていなかったから」というオチです。
今のツタンカーメン人気からは想像できないと思います。いったい何があったのでしょうか?
1-5. 歴史から消された復興の王
ツタンカーメンは、父の異端を捨て、伝統に回帰した「復興の王」でした。彼はアメン神を復活させ、神殿を再建し、神官団を復権させました。論理的に考えれば、彼は英雄として讃えられるべき存在だったはずです。
ところが、ツタンカーメンは死後、記録から抹消されたのです。
具体的には王名表——ファラオの名前を記録した公式リスト——には、彼の名前がありません。神殿の壁に刻まれた彼の名前は、物理的に削り取られました。まるで彼が存在してはならない王だったかのように。
彼は父の宗教改革を否定し、伝統を復活させたのに。彼は神官団の権力を取り戻したのに。なぜ彼の功績は認められなかったのでしょうか?
この謎は長い間、歴史家たちを悩ませてきました。その答えを解くためには、19歳で亡くなった死因と墓の謎に迫る必要があります。
第二章:科学が明かした証拠——少年王の身体
2-1. DNA解析が語る悲劇——近親婚の代償
2005年にはツタンカーメンの全身CTスキャン、2010年には彼と彼の家族とみなされていたミイラに対して、包括的なDNA解析が実施されました。
https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/185393
その結果は、衝撃的でした。ツタンカーメンの両親は、兄妹という極めて近い血縁関係にありました。
当時のファラオは血統を重んじており、これ自体は珍しいことではありません。ただ、現代の遺伝学では、このような極端な近親婚は、遺伝的な疾患のリスクを大幅に高めることが知られています。
それが原因かはわかりませんが、マラリアに感染していた証拠も見つかりました。
さらに、彼の骨格には異常が見られました。内反足(ないはんそく。足が内側に反った状態)の可能性があり、歩行に杖を必要としていたと考えられます。実際、彼の墓からは130本を超える杖やステッキが発見されており、その中には実際に使用された痕跡のあるものも含まれていました。130本ですので、単なる儀礼用とは思えません。
つまりツタンカーメンは、杖なしでは歩けない病弱な少年だったのです。
2-2. 失われた心臓——最大の謎
そして、ツタンカーメンのミイラには、さらに奇妙な特徴がありました。心臓がないのです。
下記はその時の報告書(一部)ですが、ややグロいため自己責任で閲覧してください。
前述の通り、古代エジプトの信仰では、心臓は魂の座であり、死後の審判で最も重要な臓器でした。他の臓器——肺、肝臓、胃、腸——は取り出してカノプス壺に保存されましたが、心臓だけは体内に残されるのが通例です。
なぜなら、死後の世界で、心臓は羽根(真実と正義の女神マアトの象徴)と天秤にかけられるからです。心臓が羽根より重ければ、怪物アメミットに食べられ、永遠の命を失います。心臓が羽根と同じか軽ければ、永遠の楽園に入ることができます。
なお、この胸部損傷は死後に起こったと推定されており、死因とは関係がありません。単なる事故、それとも、意図的に取り除かれたのでしょうか?
もし意図的だったとしたら、誰が、なぜ、そんなことをしたのでしょうか?
2-3. 死因の謎——多因子的急死説
ツタンカーメンの死因については、長年にわたって議論が続いています。かつては、頭蓋骨の骨折が他殺の証拠だと考えられていましたが、現在ではこの説は否定されています。
今までの科学調査で明らかになった事実を改めて挙げておきます。
ツタンカーメンは、感染症と遺伝的負荷により、全身状態が極めて脆弱だった。
下肢に外傷(内反足)の痕跡があり、歩行に支障があった。
胸部の異常(心臓・胸骨・肋骨の欠如)は、死因の直接的証拠ではなく、死後の処置の可能性も含めて、いまだ決着していない。
ここまでの状況を見ると、ツタンカーメンは虚弱体質だったのは間違いなさそうです。そして、これが周囲の大人に翻弄されて儚い人生を送ったツタンカーメンのイメージを形作ってきました。
しかし、21世紀に入ると、一部の研究者たちがまったく異なる姿を提示しています。それはツタンカーメンは勇猛で野心的な王というイメージです。

ツタンカーメンの墓からは、戦車、弓矢、刀剣が大量に発見されています。壁画には、彼が(副葬品に似た)戦車に乗って敵を討つ勇壮な姿が描かれています。
さらに、彼の治世には、周辺国——特に北のシリア・パレスチナ地域——との軍事的・外交的交流があったことが記録されています。
これは、単なる儀礼的な表現だったのでしょうか?それとも、ツタンカーメンは、身体的なハンディキャップを乗り越えて、本当に戦場や狩場に赴いていたのでしょうか?
実はツタンカーメンのミイラから、興味深い証拠が見つかっています。彼の左大腿骨には骨折の痕跡があり、しかも、治癒の兆候がないのです。つまり、これは死の直前に起こった骨折である可能性が高いのです。
さらに、ミイラの防腐処理には通常とは異なる特徴があります。彼のミイラは二段階に分けて処理された痕跡があり、これは重傷を負った状態で死亡したことを示唆しています。
これらから、次のような死因が考えられます。
ツタンカーメンは、遠征(狩猟または戦)中に戦車から転落し、大腿骨を骨折する重傷を負った。虚弱な体質であったため、この怪我が致命傷となり、現地で死亡した。(ミイラ職人が随行していなかったため、応急的な防腐処置が施された)
もしこの仮説が正しければ、ツタンカーメンは、身体的なハンディキャップを抱えながらも、王としての威厳を示すために、危険な戦または狩猟に挑んでいたことになります。
つまり彼は、虚弱な身体と勇猛な精神という、二つの顔を持つ王だったのでしょう。
次は、彼が眠る墓に関する謎について触れてみたいと思います。
第三章:状況証拠の積み重ね——何かがおかしい
3-1. あまりにも小さすぎる王墓
王の墓と聞くとピラミッドを思い浮かべるかもしれませんが、ツタンカーメンの時代(巨大ピラミッド時代からおよそ千年後)には、ルクソールの王家の谷に見られるように、岩山を掘り抜いた洞窟型の墓が一般的となっていました。財政難と盗掘対策が主な理由と考えられています。

その一角にあたるツタンカーメンの墓(KV62)は、同時代の王墓に比べて、驚くほど小さいです。延べ面積比較で言えば、5分の1未満です。(参考値:ツタンカーメンの墓 110 m²、セティ1世の墓 約 650 m²)
通常、ファラオの墓は即位後すぐに建設が始まり、何年もかけて計画的に作られます。しかし、ツタンカーメンの墓はまるで急遽用意されたかのように、簡素で狭いのです。

これは、彼が突然死したため、本来予定されていた王墓を使う時間がなかったことを示唆しています。死因の章で暗殺説に触れなかったのも、これが主な理由です。
となると、この墓は元々は別人のために作られた、ということになります。
3-2. 書き換えられた副葬品——誰の墓だったのか?
ツタンカーメンの副葬品の一部には、奇妙な痕跡があります。元は別の名前が書かれていた痕跡があり、後から書き換えられた可能性があるのです。
特に、あの有名な黄金のマスクの内側には、消し込みの痕跡が見つかっています。

復元作業の結果浮き出たのは、Ankhkheperure(アンクケペルウラー)という文字で、これはあるファラオが統治していた時代の名称として知られていました。
それは、父であるアクエンアテンの正妃「ネフェルティティ」です。(厳密には共同統治者としてこの名前を使っていた)
つまり、ツタンカーメンの墓は、元々は義母(かつ共同統治者としてみれば先王)のために用意されていたということです。
登場人物が増えたので、家系図で整理しておきます。

上図のとおり、ネフェルティティはツタンカーメンの義母であると同時に、彼の正妃の実母でもあります。
あいにくツタンカーメンとアンケセナーメン(かなりの年上)は子供に恵まれず(死産)、次の王は大宰相「アイ」が就くことになります。
そして「アイ」こそが、ツタンカーメンの墓所や埋葬を取り仕切った責任者でした。
第四章:アイの影——見えてきた真実
4-1. 大宰相アイ——権力の裏に潜む男
ツタンカーメンの治世において、最も強大な権力を握っていた人物の一人が、大宰相アイです。
アイは、先王アクエンアテンの時代から宰相を務めていた古参の官僚で、ツタンカーメンの大叔父(父の叔父)に当たる人物でした。そして驚くことに、あのネフェルティティの実父である可能性も指摘されています。
整理するために、前述の家系図からアイを足しておきます。

つまり、アイは王族の血筋に連なる高位の貴族であり、幼いツタンカーメンにとっては最も信頼できる助言者のはずでした。
しかし、本当にそうだったのでしょうか?
ツタンカーメン(または元ネフェルティティ)の墓に描かれた1つの壁画をめぐって大騒動が起こりました。
4-2. 「口開けの儀」の壁画に隠された秘密
ツタンカーメンの墓の北壁には、重要な壁画が描かれています。それは、アイ(右)がツタンカーメン(左)に「口開けの儀」を施している場面です。

「口開けの儀」は、死者の魂が再び話し、食べ、呼吸できるようにするための重要な儀式です。そして、この儀式を執り行うのは、次の王——つまり、後継者です。
この壁画は、アイがツタンカーメンの正当な後継者であることを示す決定的な証拠でした。
しかし、イギリスの著名なエジプト学者ニコラス・リーヴスが、驚くべき仮説を発表しました。
リーヴスによれば、「これはツタンカーメンが先王ネフェルティティへの口開けの儀を描いていたのです。」
彼の論文からその根拠の1つを引用しておきます。

上図のようにネフェルティティ(ドイツ内の美術館所蔵)との輪郭と皺の類似性に注目しており、対面のツタンカーメンでも同じ考察を行っています。
これはいったい何を意味するのでしょうか?
おそらく、アイは「2つの口明けの儀」を同時に表現したかったのではないでしょうか?ネフェルティティと自身がそれぞれファラオである正当性を訴えるために。
リーヴスの話には続きがあります。この「ネフェルティティが描かれた場所に隠し通路がある」と指摘します。
実際に他のファラオの墓でも隠し通路が見つかっています。そしてなにより、もし存在するのであれば、ツタンカーメンの墓が異様に小さいことも説明がつきます。
4-3. レーダー調査の結果——揺れ動く真実
リーヴスの大胆な仮説を検証するため、複数回のレーダー調査が実施されました。
2015年、日本のレーダー専門家による調査では、隠し部屋の存在を示唆する結果が得られました。
しかし、2018年、イタリアの物理学者フランチェスコ・ポルチェッリによる調査では、隠し部屋は見つかりませんでした。
次に2020年、元エジプト考古大臣マムドゥー・エルダマティ率いるチームが調べた結果、北壁から数メートル離れた場所に、高さ約2メートル、長さ約10メートルの「廊下のような異常」が検出されたのです。
シカゴ大学のエジプト学者レイ・ジョンソンは、「北壁の向こう側に明らかに何かがある」と述べ、リーヴスは「もしネフェルティティがファラオとして埋葬されているなら、それは史上最大の考古学的発見になるだろう」と語っています。
このあたりのくだりは下記動画で分かりやすく解説されているので、関心のある方は視聴してみてください。
隠し部屋以外でも証拠は積み重なってきています。ツタンカーメンの墓に置かれた5千あまりの副葬品を調査した結果、実に8割がネフェルティティのものであることが分かっています。
未だに彼女の墓(そしてミイラ)は見つかっていません。
状況証拠からすると彼女の墓であったとするのが自然です。おそらくは、あの壁画の裏には通路が控え、真の所有者が眠っているのだろうと推察します。
もしネフェルティティの墓が本当にそこにあるならば、これは葬儀を取り仕切ったアイの意向によるとしか考えられません。
なぜアイはこのような大胆すぎる行為に及んだのでしょうか?
4-4. アイの動機——秘められた2つの欲
実はツタンカーメン統治時代(亡くなる前)に、アイではなく「副王的地位」「王の代理」の地位を授けられた腹心がいました。(墓碑に記載)
以前に大宰相アイと共に紹介した軍司令官ホルエムヘブです。
ここからは想像です。おそらくツタンカーメンが事故にあって亡くなるまでは、ホルエムヘブは遠征中だったのではないでしょうか?
そしてアイは彼が不在であることをいいことに、二つの目的のためにこの墓を利用したのです。
目的その一:王位継承の正当性を偽造する
壁画を書き換えることで、アイは自分がツタンカーメンの正当な後継者であることを「証明」しようとしました。(同時にネフェルティティの王位も)
目的その二:愛する娘ネフェルティティの墓を盗掘から守る
そもそも、なぜアイはツタンカーメンの墓をこんなに小さく、目立たない場所に設計したのでしょうか?
おそらく彼は、愛する娘ネフェルティティの墓を盗掘から守るために、その入り口をツタンカーメンの墓で隠したのです。小さく目立たない墓にすることで盗掘者の注意を引かないようにし、さらに表向きにはツタンカーメンの墓とすることで、ネフェルティティの墓への入り口を完全に封印したのです。
4-5. そして、失われた心臓へ
ここで、第二章で提示した謎が恐ろしい意味を帯びてきます。
なぜ、ツタンカーメンのミイラから心臓が失われているのか?
古代エジプト人は、死後の世界が現世の延長だと信じていました。そこでは神々が真実を見抜き、不正を暴きます。
特に、心臓の秤量の儀式では、死者の心臓が羽根(真実と正義の女神マアトの象徴)と天秤にかけられます。もし、心臓が嘘をついていれば——もし、生前に不正を働いていたことを心臓が記憶していれば——その重みで天秤は傾き、死者は永遠の命を失います。
アイは、壁画を書き換え、副葬品を転用し、自分の王位継承を偽造しました。
もし、ツタンカーメンが来世で蘇り、神々の前で審判を受けたら、どうなるでしょうか?彼の心臓は、真実を語るでしょう。
「私の墓は、本来は別の人のものでした」
「私の副葬品は、書き換えられています」
「私の後継者として壁画に描かれている人物は、偽りです」
この真実が明らかになれば、アイの偽造は暴かれます。
だから、アイはツタンカーメンの心臓を除去したのではないでしょうか。
心臓がなければ、秤量の儀式は行われません。心臓がなければ、真実は語られません。
もちろん、これは粗い仮説です。直接的な証拠はありません。しかし、失われた心臓、書き換えられた壁画、転用された副葬品——これらすべてが、アイの徹底した計画を示唆しています。
彼は、現世だけでなく来世においても、自分の秘密を守ろうとしたのかもしれません。
4-6. 王妃の絶望——ヒッタイトへの書簡
ツタンカーメンが死ぬと、彼の未亡人アンケセナーメンは前代未聞の行動に出ました。
彼女は、エジプトの宿敵であるヒッタイト王国に使者を送り、こう懇願したのです。
「私の夫が死にました。私には息子がいません。あなたの息子の一人を私に送ってください。彼を私の夫とし、エジプトの王としましょう」
これは、「ザナンザ事件」として知られる史実に基づく歴史的事件です。
ヒッタイト王スッピルリウマ1世は、当然ながら最初はこの申し出を疑いました。なぜエジプトの王妃が、外国人の王子を夫に迎えようとするのか?
しかし、調査の結果、彼は息子ザナンザをエジプトに送りました。ところが、ザナンザは旅の途中で不慮の死を遂げます。
誰が彼を殺したのでしょうか?
エジプト学者たちは、この事件にアイの影を見ている人もいます。もしザナンザがエジプトに到着し、アンケセナーメンと結婚していたら、王位はザナンザに渡っていたでしょう。アイには、ザナンザを排除する十分な動機があったのです。
4-7. 強制された結婚——アンケセナーメンの運命
ザナンザが死ぬと、アンケセナーメンの計画は崩壊しました。そして、王位を継いだのは、アイでした。
さらに衝撃的なことに、アイはアンケセナーメンと結婚したとされています。一見信じがたいですが、1920年に発見された結婚指輪には、二人の名前が並んで刻まれていました。
下記記事によれば、平民は王族と結婚しないと王位に就けない、とあるため完全なる政略結婚であったと思われます。
そして冷静に考えると、アンケセナーメンが外国の王子を王に招聘するという一見無謀に見える行為も、アイがファラオになるのを防ぎたかったと考えると自然です。(もし外から迎え入れれば、自分がファラオをコントロールできると目算)
そして、アイが王位に就いた後、アンケセナーメンは記録から消えました。彼女に何が起こったのか、誰も知りません。
4-8. ホルエムヘブの復讐と歴史の改竄——王たちの抹消
アイの治世はわずか4年で終わりました。彼の後を継いだのは、あの軍総司令官ホルエムヘブでした。彼も王位を獲得するためか、王族と結婚しています。ホルエムヘブを追加した家系図を載せておきます。

彼はネフェルティティの妹、つまりアイの娘と再婚しました。(諸説あり)
それにも関わらず、ホルエムヘブはアイの墓を激しく破壊したことでも知られています。彼の名前は削り取られ、彼の姿は石から削り落とされました。石棺は粉々に砕かれました。まるで、アイの魂を永遠に封じ込めようとするかのように。
アクエンアテンから続く二人の複雑な関係は権力闘争がエスカレートした、ということです。
もう1つ、ホルエムヘブには、もっと深刻な問題がありました。彼は王族の血を引いていなかったのです。
ツタンカーメンの治世で「副王」に指名されていたにもかかわらず、アイに王位を奪われました。そして今、彼は王家と婚姻することで王位に就きましたが、正統な血統を欠いているという弱点を抱えていました。
この弱点を補うために、ホルエムヘブは大胆な戦略を取ったと考えます。
「アマルナ期の異端を終わらせ、伝統を復活させたのは、この私、ホルエムヘブである」
つまり彼は、ツタンカーメンが行った宗教改革の功績を、自分のものとして横取りしようとしたのです。そのために、彼は(アイだけでなく)ツタンカーメンの遺跡から、徹底的に名前と偶像を排除しました。
ツタンカーメンが再建した神殿の碑文は削り取られ、「ホルエムヘブが建てた」と書き換えられました。ツタンカーメンの彫像は破壊され、その断片はホルエムヘブの建築物の基礎に埋められました。
しかし、それだけでは満足できませんでした。アマルナ期の王たち全員が、この異端の時代の記憶を体現していました。彼らの存在そのものが、ホルエムヘブの歴史改竄の妨げになっていたのです。
だから、ホルエムヘブは決断しました。アマルナ期の王たち全員を、歴史から完全に抹消する。
そして、彼はそれを実行しました。
王名表——ファラオの名前を記録した公式リスト——から、以下の四人の王の名前が削除されました。
アクエンアテン——異端の創始者
ネフェルティティ(スメンクカラー)——アクエンアテンの後継者
ツタンカーメン——伝統を復活させた王
アイ——ツタンカーメンの後継者(ホルエムヘブの政敵)
公式記録では、アメンホテプ3世の直後に、ホルエムヘブが王位を継いだことになりました。まるで、アマルナ期の20年間は、存在しなかったかのように。
これが、ツタンカーメンが歴史から消された真の理由でした。
彼は伝統を復活させた英雄だったはずです。しかし、彼の功績を認めることは、ホルエムヘブの正統性を損なうことになりました。だから、ツタンカーメンだけでなく、関係する王もなかったことにされたのです。
ツタンカーメンの死後数十年後に作られたアビドス王名表から、該当する第18王朝を抜きだしてみます。


66 アモス1世
67 アメンホテプ1世
68 トトメス1世
69 トトメス2世
70 トトメス3世
71 アメンホテプ2世
72 トトメス4世
73 アメンホテプ3世(ツタンカーメンの祖父)
74 ホルエムヘブ
まさに歴史は、勝者によって書き換えられる分かりやすい例です。
そこから3300年、ハワード・カーターが小さな墓の扉を開けるまで、ツタンカーメンの名前は名実ともに砂の下に埋もれていたのです。
第五章:状況整理と残された謎
大分話が込み合ってきたので、ここで一旦立ち止まり整理してみます。
5-1. 科学的に確からしい事実
ツタンカーメンについて現時点で科学的に言えることは、以下の通りです。
近親婚と遺伝的負荷:ツタンカーメンは、極めて近い血縁の両親から生まれ、遺伝的疾患のリスクを抱えていました(JAMA 2010)。
マラリア感染:彼はマラリアに感染していた証拠があります(National Geographic 2010)。
歩行障害:内反足の可能性があり、130本以上の杖が副葬されていました(ARCE)。
大腿骨骨折と二段階ミイラ処理:左大腿骨に治癒していない骨折の痕跡があり、ミイラが二段階で処理された証拠があります。これは重傷を負った状態で死亡したことを示唆しています(JAMA 2010, New Scientist)。
失われた心臓:ミイラから心臓、胸骨、肋骨の一部が失われていますが、これが死因の直接的証拠かどうかは不明です(New Scientist, Naked Scientists)。
小規模な墓:彼の墓は同時代の王墓に比べて著しく小さく、転用墓だった可能性があります(Wikipedia)。
書き換えられた副葬品:副葬品の一部や壁画に、他者の名前が後から書き換えられた痕跡があります(Artnet News 2022, GreekReporter 2022)。
記録からの抹消:彼は死後、アマルナ期の他の3王(アクエンアテン、ネフェルティティ、アイ)とともに、王名表から系統的に抹消されました(World History Encyclopedia)。
5-2. 状況証拠が示唆すること
これらの科学的事実に加えて、以下の通り推測しました。この辺りはまだ議論中で、今後の証拠によって補正される可能性はあります。
アンケセナーメンの絶望的な手紙:ツタンカーメンの未亡人は、ヒッタイト王国に助けを求めるほど、内部の誰かを恐れていました(Wikipedia「Zannanza」, Oxford Academic)。
ザナンザの不審死:ヒッタイトの王子は、エジプトに到着する前に不慮の死を遂げました。アイには、彼を排除する十分な動機がありました(Live Science)。
アイの強制結婚:アイは、アンケセナーメンと結婚しましたが、多くの学者はこれが政治的な強制結婚だったと考えています(Tour Egypt, Ancient Egypt Online)。
アンケセナーメンの消失:アイが王位に就いた後、アンケセナーメンは記録から消えました。
ホルエムヘブのアイへの復讐:ホルエムヘブはアイの墓を激しく破壊しました。(World History Encyclopedia, J-STAGE)。
ホルエムヘブの歴史改竄:ホルエムヘブは王族の血統を欠いていたため、ツタンカーメンの功績を自分のものとして横取りし、アマルナ期の4王全員を歴史から抹消しました(Horemheb - Wikipedia)。
5-3. 物語を振り返って——何が起きたのか?
ここまで、長い旅をしてきました。科学的な証拠、状況証拠、そして大胆な仮説——それらを積み重ねて、ツタンカーメンの謎に迫ってきました。
ここで一度、物語を振り返ってみましょう。何が起きたのか、分かりやすく整理してみます。
第一幕:父の革命と息子の決断
物語は、ツタンカーメンの父アクエンアテンから始まります。彼は、何千年も続いてきた多神教を捨て、アテン神という太陽円盤だけを崇拝する一神教を打ち立てました。これは、神殿経済で莫大な権力と富を握っていた神官団にとって、許しがたい暴挙でした。
アクエンアテンが死ぬと、わずか9歳のトゥトアンクアテン(後のツタンカーメン)が王位を継ぎました。幼い王は、周囲の助言を受けつつも、自ら決断しました——国家の安定のために、父の宗教を捨て、多神教に回帰することを。
彼は名前を改め、首都を移し、神殿を再建しました。表向きは父の異端を完全に否定したのです。
第二幕:短い治世と突然の死
しかし、ツタンカーメンの身体は虚弱でした。近親婚の遺伝的負荷、マラリア感染、歩行障害——彼の身体は、多くの問題を抱えていました。
それでも、彼は王として気高く振る舞おうとしました。戦車に乗り、狩猟に出かけました。そして、ある日——おそらく狩猟中——戦車から転落し、大腿骨を骨折する重傷を負いました。虚弱な体質ゆえに、彼は回復することができず、わずか19歳で死にました。
第三幕:アイの野心と偽造
ツタンカーメンが死ぬと、大宰相アイが動きました。彼は、ツタンカーメンの墓を——本来は別の王(おそらく愛する娘ネフェルティティ)のために用意されていた小さな墓を——利用しました。
副葬品を書き換えました。壁画を書き換えました。そして、おそらく——ツタンカーメンの心臓を除去しました。来世で、この偽造が神々にバレないように。
アイは、若き王の未亡人アンケセナーメンと強制的に結婚し、王位の正統性を確保しました。
第四幕:絶望の手紙と王子の死
しかし、アンケセナーメンは抵抗しました。彼女は、エジプトの宿敵ヒッタイト王国に密使を送り、「王子を送ってください。彼を私の夫にします」と懇願しました。
ヒッタイト王は、息子ザナンザを送りました。しかし、ザナンザはエジプトに到着する前に、不慮の死を遂げました。誰が彼を殺したのか?アイには、彼を排除する十分な動機がありました。
第五幕:ホルエムヘブの復讐と歴史の改竄
アイの治世はわずか4年で終わりました。そして、軍総司令官ホルエムヘブが王位を継ぎました。
ホルエムヘブには、問題がありました——彼は王族の血を引いていなかったのです。
この弱点を補うために、彼は大胆な戦略を取りました。「宗教改革を成し遂げたのは、この私、ホルエムヘブである」
そう主張するために、彼はツタンカーメンの名前と偶像を徹底的に削り取りました。そして、アマルナ期の4王全員——アクエンアテン、ネフェルティティ(スメンクカラー)、ツタンカーメン、アイ——を、歴史から完全に抹消したのです。
公式記録では、アメンホテプ3世の直後にホルエムヘブが王位を継いだことになりました。まるで、アマルナ期の20年間は、存在しなかったかのように。
そして、3300年後——
1922年、ハワード・カーターが、小さな墓の扉を開けました。そこには、歴史から消されたはずの少年王が、5,000点の副葬品とともに眠っていました。3300年の沈黙を破って。
5-4. 科学と想像の境界線
科学は真実に近づけます。しかし、すべての真実が科学で解明できるわけではありません。
ツタンカーメンの物語は、科学的な証拠と想像力によるストーリーテリングの境界線上に存在します。
DNAとCTスキャンで彼の身体的な状態を知ることができます。しかし、彼が何を考え、何を信じ、何を恐れていたのかは、永遠にわかりません。
だからこそ、彼の物語は、多くの人を魅了し続けるのです。
エピローグ:ツタンカーメンは誰だったのか?
ツタンカーメンの墓には、多数の武器・防具が置かれていましたが、棺内にミイラと一緒に埋葬された短剣から意外な事実が判明しました。
鉄の成分を解析した結果、当時の精製技術では不可能であったため、「隕石から摘出(隕鉄)して加工した鉄剣」であることが判明しました。
上記記事ではツタンカーメンの祖父であるアメンホテプ3世が海外の王から贈呈されたという説が提唱されています。
この短剣が(多数の武器と別に)ミイラ包帯の近傍に置かれていたことと、祖父から引き継がれたことから、この短剣はツタンカーメンにとって特別な意味を持つことは想像に難くありません。
この事実から、最後に残った謎に対して、想像をふくらましてみたいと思います。
それは「アテン神とは結局何だったのか?」という点です。
改めてアテン神とは、アクエンアテンが宗教改革で祭り上げた唯一神です。不思議なのは、従来の人格神や偶像スタイルを全て否定した点です。
単に権力集中の手段であれば、むしろ逆に(マーケティングとして)偶像化を推し進めるはずです。
そこで思ったのですが、アクエンアテン(アメンホテプ4世)またはその祖先は、「アテン神に遭遇する神秘体験をしたのではないでしょうか?」
レリーフに描かれたアテン神を再掲します。

伸びている線は「太陽のほどこし」とみたてるのが定説です。これは太陽エネルギーとみれば、今の物理学の知識でも違和感はありません。ただ冷静に考えてみると、当時そのような物理的な解釈が出来るはずもなく、そして太陽光を線で描写するのは引っ掛かります。
「光線」ではなく、「熱放射」と考えてみたらどうでしょう?
つまり、ツタンカーメンの先祖は「隕石の落下を実際に目撃した」のです。

その神秘的体験からその「物理的な存在」を神格化し、子孫に口頭で伝承したのではないでしょうか?
そしてその隕石(=アテン神)で加工された短剣を、ツタンカーメンは父から授けられ、生涯(来世含めて)肌身離さなかったのでしょう。
答えは父が彼に名付けた「トゥトアンクアテン=アテン神の生きた似姿」として、はじめから与えられていたわけです。
なんとなく、ツタンカーメンの祖先とのつながり、そして人となりが伺えます。
もう一つ、副葬品について興味深い事実を2つ紹介します。
その一:黄金の玉座に残されたアテン神
ツタンカーメンが最後まで愛用していた黄金の玉座には、彼と王妃アンケセナーメンの親密な場面が描かれています。
そして、その二人の上には、否定したはずの「太陽円盤アテン」から伸びる光線の手が、祝福を与えるように差し伸べられているのです。

その二:アテン神殿から持ち出されたワイン
ツタンカーメンの墓からは、10あまりものワイン壺が発見されました。そして、その中のいくつかには、こう記されていました。
「アテン神殿の所有地で作られた」
古代エジプト人は、死後の世界を現世の延長として考えていました。そこでは、愛する家族と再会し、共に食事をし、語り合うことができると信じられていました。
彼は、来世で父(そしてのちには妻)と再会し、このワインを酌み交わすことを夢見ていたのではないでしょうか。
二つの顔を持つ王——極めて人間的な魅力
これらの証拠が示すのは、ツタンカーメンが二つの顔を持つ王だったということです。
王としては、彼は父の異端を否定し、伝統に回帰しました。神官団を満足させ、国家の安定を取り戻しました。気高く、勇猛に振る舞いました。
個人としては、彼は父アクエンアテンを愛し続けました。アテン信仰を——完全には捨てませんでした。いや、正確に言えば、祖先崇拝の手段として、アテン信仰への愛着を持ち続けたのです。
これは、矛盾ではありません。これは、人間らしさです。
ツタンカーメンは、公と私を使い分けることができる、成熟した王でした。国家のためには、父の信仰を公的に否定する決断を下しました。しかし、一人の息子としては、父への愛を捨てることはできませんでした。
黄金の玉座に座り、政務を執るとき、彼の頭上にはアテンの光が輝いていました。隕鉄の短剣を手にするとき、彼は父が信じた「天の神(アテン)」を感じていたかもしれません。アテン神殿のワインを見るとき、彼は来世での父との再会を夢見ていたのでしょう。
短命だからこそ、永遠に
ツタンカーメンは、わずか19年の生涯を生きました。歴史的な功績は、父ほど革新的ではなく、後世の王たちほど偉大でもありませんでした。
しかし、だからこそ、彼は永遠になったのです。
なぜなら、彼は完璧な英雄ではなかったからです。彼は、葛藤し、悩み、愛し、恐れました。
虚弱な身体を抱えながら、勇猛に振る舞おうとしました。王としての義務と、息子としての愛情の間で、揺れ動きました。公的には父を否定しながら、私的には父への愛着を持ち続けました。
そして、狩猟中の事故を引き金に、若くして命を落としました。
これは、極めて人間的な物語です。だからこそ、彼に共感することができました。だからこそ、3300年の時を超えて、彼の物語は多くの人々の心を打つのです。
黄金のマスクが見つめるもの
カイロのエジプト考古学博物館で、ツタンカーメンの黄金のマスクは、今も来館者を見つめています。その目は、何を見ているのでしょうか?
それは、彼が生きた時代——アテン神の光が輝き、陰謀が渦巻き、若き王が短い生涯を駆け抜けた、あの激動の時代かもしれません。
あるいは、それは未来——私たちの時代——を見つめているのかもしれません。科学が発達し、DNAが解読され、隕石の秘密が明らかになり、そして、彼の人間らしさが理解される、この時代を。
ツタンカーメンの謎は、まだ完全には解明されていません。しかし、それでいいのかもしれません。なぜなら、謎があるからこそ、私たちは想像し、探求し、彼の物語を語り継ぐことができるからです。
科学は、事実への探求を可能にします。しかし、人間の心は、事実だけでは測れません。
ツタンカーメンが何を考え、何を信じ、何を愛していたのか——それは、永遠にわかりません。でも、だからこそ、私たちは想像することができます。
黄金の玉座に座り、アテンの光を感じながら、政務を執る少年王を。隕鉄の短剣を手に、父が信じた神の力を感じる、若き戦士を。来世で父と再会し、アテン神殿のワインを酌み交わす日を夢見る、一人の息子を。
そして、その想像の中で、3300年前の少年王は、今も生き続けているのです。
ツタンカーメンは、誰だったのか?
彼は、王でした。彼は、息子でした。彼は、戦士でした。彼は、夢を見る少年でした。
そして何より——彼は、極めて人間的な、一人の若者だったのです。
短命だったからこそ、彼の物語は未完のまま終わりました。未完だからこそ、私たちは想像の余地を与えられました。
そして、その想像の中で、ツタンカーメンは永遠に19歳のままで、父への愛を胸に、来世での再会を夢見続けているのです。
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