濃硫酸98%でも壊れない――金星の雲の中で、生命の部品が「型」を持ちました
学生時代、化学の授業で「硫酸に手を入れたら骨まで溶ける」という物騒な例え話を聞いた記憶があります。実際にそこまで単純ではないのですが、強酸というのはそれくらい破壊的なイメージで語られる物質です。だからこそ、金星の雲がほぼ濃硫酸でできていると知ったとき、そこに生命の材料が漂っていられるとは到底思えませんでした。
金星の表面は470度近い灼熱地獄ですが、上空48〜64キロメートルの雲の層だけは話が違います。気温は地球の地表と大差なく、条件だけ見れば「住める」範囲に入ります。ただし空気の成分がほぼ硫酸である以上、生命の材料がその場に居続けられるかどうかは長年の疑問でした。
このテーマについては以前にも触れたことがあります。金星の雲からアンモニアが検出され、それが生命の痕跡ではないかと騒がれた話や、その後アミノ酸が硫酸下でも骨格を保てると示された実験の話です。
今回、その続きにあたる研究がMITから出てきました。今度の主役はアミノ酸そのものではなく、アミノ酸が数個から数十個つながった「ペプチド」という短い鎖です。研究チームは98%という高濃度の硫酸溶液の中に3種類のペプチドを浸し、核磁気共鳴(NMR)という手法で数週間にわたって様子を観察しました。

結果は予想を裏切るものでした。ペプチドは分解されずに残っただけでなく、3つとも同じ「オメガループ」と呼ばれる立体構造に折りたたまれていたのです。ギリシャ文字のΩのように輪を描く形で、地球のタンパク質の中にも実際に見られる構造だそうです。鎖がただ漂っているのと、決まった形に折りたたまれているのとでは意味が大きく違います。折りたたまれて初めて、分子は特定の相手を認識したり、何かの反応を助けたりする「仕事」ができるようになるからです。

なぜ普通なら分解されるはずの酸の中で、鎖が壊れずに済んだのでしょうか。理由は皮肉なことに、酸自体の「純度の高さ」にあるようです。ペプチドの結合を断ち切る加水分解という反応には、水が欠かせません。ところが98%硫酸ともなると水はほとんど存在しません。壊す側の道具がそもそも足りていないので、鎖は無傷のまま残ったというわけです。研究チームはさらに、硫酸の分子がループの内側に入り込み、まるで支柱のように構造を支えているのではないかと見ています。


オメガループという言葉に馴染みがない方のために、身近な例えを挟んでおきます。長い紐をただ床に落とせばぐちゃぐちゃに絡まるだけですが、片方の端をつまんで輪っかを作り、そこにクリップを一つ挟んで固定してやると、輪の形は簡単には崩れなくなります。硫酸分子が果たしている役割は、このクリップに近いのかもしれません。分子そのものの性質だけでなく、周りの環境が形を決めるという発想は、地球の常識で凝り固まった頭には新鮮に映ります。
この研究の中心人物であるMITのセーガー教授は、生命探しの手がかりとして長らく「水」に頼ってきた発想そのものを問い直しています。実際、今回使われたペプチドの一つは、以前は水の中での構造がすでに詳しく調べられていたものでした。それを硫酸に放り込んで様子を見たところ、水中ではアミロイド繊維という別の形をとっていたのに、酸の中ではオメガループに姿を変えていたそうです。同じ鎖でも、溶媒次第でまったく違う顔を見せる。ここが個人的にはいちばん驚いた部分でした。

もちろん、これで金星に生命がいると決まったわけではありません。折りたたまれた構造が実際に何かの機能を果たしているかどうかは、まだ誰も確認していません。生命探査に詳しい研究者の中には、この結果を評価しつつも「もっと長いペプチドで、配列をランダムに変えたときにも同じ構造ができるのか」を確かめたいと述べている人もいます。溶媒である硫酸そのものが構造を決めているのか、それともアミノ酸の並び方が決めているのか、まだ切り分けられていないというわけです。
研究チームは次の段階として、もっと長いペプチドや、DNAに似た骨格を持つ人工分子「ペプチド核酸」を同じ濃硫酸の中で試す計画だそうです。もし二重らせんのような構造が硫酸の中でも安定して作れるなら、水を使わない生命の設計図というものが理論上あり得ることになります。実際、別の研究グループはこのペプチド核酸が98%硫酸中でも二週間ほとんど分解されずに残ることをすでに確認しており、次の一手はそう遠くない未来に打たれそうです。

生命の材料を探す旅は、これまでずっと「水のある場所」を地図に赤丸で囲む作業でした。今回の話は、その地図の外側にも塗り足す余地があることを示しています。太陽系の外側に目を向けても、水を持たない、あるいは持ちにくい岩石惑星は無数に見つかっています。もし溶媒が水でなくても構造を持った分子が働けるのだとしたら、これまで候補から外していた惑星のいくつかを、もう一度地図に描き直す必要が出てくるかもしれません。金星の雲は相変わらず刺激臭のする過酷な場所ですが、そこで漂う小さな鎖が律儀に決まった形を保っているところを想像すると、地図の外側にも案外賑やかな景色が広がっているのかもしれないと思えてきます。

来年にはさらに長い鎖を使った実験結果が出てくるはずです。次の続報を書くときには、もう少し踏み込んだ話ができることを期待しています。
参考情報
〇金星の雲に生命体が(続報)(2024年3月22日)
〇Study: Peptides can form well-defined structures in harsh, Venus-like conditions(2026年8月31日)
〇Peptides may persist in Venusian clouds(2026年9月4日)
〇Venus-like conditions did not destroy these building blocks of life(2026年9月4日)
〇Astrobiological implications of the stability and reactivity of peptide nucleic acid (PNA) in concentrated sulfuric acid
