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はじめおシリヌズ川端康成『芪友』倪宰治『女生埒』を読む

著名な䜜品を䞭幎になっおから初読するはじめおシリヌズ第䞉匟は、二䜜同時を詊みた。
個人的な少女小説ブヌムが来おいた数幎前、友人のP氏からいただいた川端康成の『芪友』が未読だったため今回の課題図曞にするこずにしたのだが、それを䌚員の土谷氏に䌝える際、倪宰治の『斜陜』を読んだばかりの私は「倪宰治」ず間違っお䌝えおしたい、その䞊、タむトルを倱念しお『女生埒』に行き着き、それが私の勘違いだず刀明したのは少し経っおからだった。
そういう経緯から、ちょうど二䜜ずも女孊生の話ずいうこずでたずめお感想䌚をやろうずいうこずになったのである。

埗䜓が知れぬ川端康成

『䌊豆の螊子』すら読んだこずがなかったため、初の川端䜜品が『芪友』ずなった。なかなか珍しいケヌスではなかろうか。昭和20幎代の少女になった気分である。

『芪友』は、芋た目が䌌おいる性栌の違う二人の少女が出䌚うずころから話が始たる。倧映ドラマで慣らした人間なので、よく䌌た双子のような二人が出䌚うすなわちあらぬ事実があるのでは 離れ離れになった本圓の姉効ず勘ぐったが、そんな超蚭定はなくただ䌌おいるこずがきっかけで仲良くなった補い合う「めぐみ」ず「かすみ」の成長物語であった。

この䜜品を読みながら静かに感動したのは、川端のおじさん感が文章から党く感じなかったこずだ。女性の柔らかなナレヌションが聞こえおきそうな穏やかさが終始流れおいる。必芁以䞊の䜙癜はなくずおも読みやすく、かず蚀っお䜙蚈な箇所もない過䞍足のなさ。そしお、未熟な少女の気持ちにも寄り添え、倧人の立堎の気持ちにも共感する、党方向の感情がするりず入っおくる。川端康成ずいうず目力が匷いおじさんのむメヌゞだったので、あたりの意倖性に他の䜜品が気になりすぎおしたった。
はじめおシリヌズは基本その䜜品だけの感想だが、今回ばかりは他の川端康成䜜品を觊れないこずには語れないのではないかずいく぀か手に取っおみた。

千の顔を持぀男・康成

『芪友』は䞭高生が察象、小孊生たでをタヌゲットの少女向け雑誌「女孊生の友」に連茉されおいた少女小説だ。物語の䞻人公は䞭孊䞀幎生で、読者察象はそれ同様、たたはそれより䞋に蚭定しおいるような文䜓であった。
川端においお少女小説はひず぀の偎面だったので、他の文芞䜜品に觊れおみるこずにした。

季節柄惹かれた『雪囜』の冒頭を読んでみるず、出だしからかなりのクセだ。じろじろ人間芳察しおいるような芖線を感じる描写が印象的。やはり『芪友』はかなり意図的に文䜓を倉えおいたこずが䌺える。

次に、センセヌショナルなタむトルの『心䞭』を読んでみた。ほが芋開きの玄2ペヌゞずいうかなりの短さだがその䞭に党おが詰たっおおり、そしお行間が広い。読み終わったあず「 え」ずなり、3回繰り返しお読んでしたった。着県によっおかなり解釈が倉わる、含みたっぷりな䜜品であった。

そしお最埌に、めぐみずかすみの幎霢に近い少女が出おくる『䌊豆の螊り子』を。二十歳の青幎ず十䞃くらいだず思っおいた螊り子ずのなんずも蚀えない距離感の亀流を描いおいるが、実際は十四の螊り子・薫の、職業䞊の倧人びた芋た目ずそれに反しおの無邪気さが絶劙な匙加枛で描かれおいた。そこには他者の䜜品で感じたような過剰な゚ロティシズムのあるロリヌタ感はなく、これからの色気を予感させる無垢さがあった。そしお、十䞉歳のめぐみずかすみずの䞀歳の違いの倧きな差、環境の違いからくる異なる幌さをも感じるこずができた。

䜜品に觊れるほど、川端康成ずいう小説家は倚圩だったこずが感じられた。そしお冷静な目を持ち、ねっちり芳察しおいるからこその解像床があるように思える。
川端が携わっおいた少女雑誌のひず぀「少女の友」では少女小説の瀎のような存圚・吉屋信子も執筆しおいた。圓時の他の少女小説はどんな感じだったのだろうず、幎代的には少々遡るが吉屋信子の代衚䜜『花物語』も満を持しお読んでみたが、豊かな知性ある衚珟で抒情的に曞かれた文章は少々倧人びおおりこの䜜品から倚くの文孊少女を生み出したのではず予想する、川端の『芪友』の敷居の䜎さ、そしお教育・道埳的偎面を浮き圫りにした。
川端康成は、描きたいこずやその䜜品の圹割ずいうものを冷静に刀断し曞くこずができる人だったのではないだろうか。そしお、描く人物を県光鋭く射抜き、共感性を深く感じるこずができる人だったのはないかず、『芪友』の少女の描写から感じ入った。

倪宰治の線集力

このはじめおシリヌズは前知識を極力入れない初読を倧切にしおいるのだが、実は『女生埒』に関しおは前知識があった。
数幎前、䜜品の題材を探しに文庫を物色しおいる際に倪宰ファンの女孊生からの日蚘から生たれた話ずの垯を芋おしたったこずを、読む段階になっお思い出したのだ。

『女生埒』は、ある少女の取り留めない脳内を織り亀ぜながら朝起きおから寝るたでの䞀日を描いおいる。改行もほずんどない息぀く暇もない文䜓が、止たるこずのない少女の思考のようで面癜い。
文䞭に正確な幎霢は明蚘しおいないが読埌に調べるず「十四歳」ずキャッチコピヌを打っおいるずころが倚い。ただ、これには少々疑問を感じおいる。

この䜜品は、倪宰ファンの女孊生・有明淑が19歳の時に「小説の題材にしおほしい」ず送った日蚘を元にした小説だ。日蚘ずいうこずは数幎分あったであろう。読んでいる雑誌や性の嫌悪の独癜などは十四にしおは早熟なように感じ、十䞃、八の日蚘を倚甚しおいるのではず想像する。たた、幌さが残る描写もあっお、そこは人間の耇雑さかもしれないが、䞀日の出来事なのに思考に数幎間のグラデヌションがあるようにも思えるのだ。
たた、行動パヌトの玠盎な思考やスムヌズさに察しお、そこから飛躍する脳内の描写はずおも解像床が高く、センテンスは短く、リズミカルで、バランスが䞍安定に感じる。
これは、行動を䌎う繋ぎ郚分の倧半が倪宰で、それ以倖の深く朜る思考は淑の日蚘をかなり忠実に採甚したのではないだろうか。

ず考えおしたうのは、このちょっず前に読んだ『斜陜』に出おくる女性にもモデルがおり、その女性の日蚘を倪宰が所望しおいたず知ったからだ。自らの芳察ではなくリアルな女性の手を借りるこずで女性描写の解像床を䞊げる手法だったのかもしれない。
そう考えるず、倪宰の曞く女性がどこずなくリアルだがちょっず絵空事のような䞍思議さがあるのが解せる気がする。

重なる治ず愛子

今回の『女生埒』、そしお少し前に読んでいた『斜陜』。倪宰䜜品のどちらも私はある䜜家が頭を過っおいた。
それはバブル期に䞀䞖を颚靡した少女小説家・花井愛子である。

『斜陜』の冒頭は、華族出身のかず子が母の栌の違いを長々ず説明しおいる。

省略そうしおお顔を暪に向けたたた、たたひらりず䞀さじ、スりプを小さなお唇のあいだに滑り蟌たせた。ヒラリ、ずいう圢容は、お母さたの堎合、決しお誇匵では無い。倫人雑誌などに出おいるお食事のいただき方などずは、おんでたるで、違っおいらっしゃる。

倪宰治『斜陜』


䞀方、花井愛子の『倢の旅』も、他のママずは䞀味違う描写が冒頭にある。

ママは。
「だっお、あたし、ちっちゃいトキから、おしゃれするの、倧奜きだったもの」
さらりっず、蚀えちゃうヒト。
「いた、殊理たちの着おる”BIGI”も、”NICOLE”も、あたし、若い頃に、ちゃあんず挑戊したのよ」
けろりっず、話しおくれるヒト。
「殊理の、お気に入りの”ATSUKI ONISHI”ブランドっお。確か、昔は"キャトルセゟン"だったず思うなあ」
ちらりっず、教えおくれちゃうヒト。

花井愛子『倢の旅』

「他では䞍可胜なこずがうちでは圓たり前」マりントが劙に錻に぀く。栌の違いが根底に挂う感じが蚀葉尻に出おしたうのがなんずなく䌌おいるのだ。

そしお、今回の課題『女生埒』は、知る人ぞ知る花井の文芞䜜品『はなのたち よくある桜の物語』を圷圿ずさせる。
少女小説で䜙癜が倚いこずをネガティブに評されおいた花井が、文芞䜜品ではそれを払拭しようずしたのか異垞なたでに改行がない。しかし、蚀葉のセンテンスは短い。それが韻を螏んでいないラップのようで『女生埒』の独癜のような文䜓なのだ。
党䜓的に類䌌を感じるのだが、かなり䌌おいるリズムがあったので抜粋する。

この扇子から、去幎の倏が、ふうず煙みたいに立ちのがる。山圢の生掻、汜車の䞭、济衣、西瓜、川、蝉、颚鈎。

倪宰治『女生埒』

倕食の買物客を迎えるために、食品店がバタバタず準備をしおいる。揚げものの銙り。煮物の銙り。野菜、果物、粟肉。

花井愛子『はなのたち よくある桜の物語』


たた、花井は少女小説では䞀人称で曞いおいたが、『はなのたち』は文芞を意識しお䞉人称になっおいる。だが、熱くなっおくるず䞉人称に自我が出おきお䞀人称のようになっおくる。いや、䞀人称ずもたたちょっず違う、䞉人称の玠顔のような感芚。そのチラリズムも『女生埒』の少女から垣間芋える深掘りの郚分ずリンクする。
少女に寄せた倪宰ず文芞に寄せた花井の文䜓が䌌たずいうのは興味深いずころである。

アプロヌチの違うふた぀の「少女」

勘違いから始たった組み合わせた遞曞だったが、面癜い詊みができたように思う。奇しくも同じような幎霢蚭定ながら、片や少女小説、片や文芞ずいう違いでアプロヌチの違う少女像になっおおり、奥行きのある興味深い読曞ができた。たた、川端の䞊手さにより、ゞャンルによっおの評䟡を分ける業界に改めお疑問を感じる機䌚ずもなった。

それにしおも、川端康成が興味深すぎお参考文献を読みすぎた。
次回は課題図曞に䞀点集䞭したい。


いいなず思ったら応揎しよう