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ねばつく話。

以前も書いたが、もともと私は創作なんてしたことがなかった。大学生の頃はそれこそ色々読んでいた気がするが、大人になるとめっきり読む機会がなくなる。

そんな私だが、ちょうど去年の今ごろnoteを初めてもうすぐ丸一年が経つことになる。元々は前のアカウントで自分が好きな哲学と育児に引っ掛けたような話を投稿していたのだが、どうにもそれじゃつまらなくなってしまった。

それで、今のこのアカウントに至る。このアカウントにしてから、本当に色々なことを書いてきた。エッセイっぽいものが多いが、短編や詩、短歌、作詞、もはやジャンルを問わずに手を広げている。

でも、最近気づいたことがある。それは、私は自分が書くこと以外に、主におつながりのある方の作品ばかりを見ていて、それ以外の世界をほとんど知らないことだ。

ということで、今日は色々な人のnoteにお邪魔して様々な投稿を読んでみた。ちょうど先日参加した「ちゃれガヤ杯2026」の応募作で、短編メインのものを読んだが、私が感じたのは表現としての日本語はある程度極めるとあまり差がなくなってくるということだ。

当たり前だが、日本語表現の流れには規定の類型があって、論理性がある。何かを説明しようとした時、ただの表現だけではどれも似たり寄ったりにならざるを得ない。

でも、それを敢えて崩したところで、日本語の枠組みとしてはおかしくなる。それはそれでフックにはなっても、決定的な打点にはならない。

なので、いわゆる面白い作品というのは、ただの表現を超えたテーマ性やフックがあり、それがどんなに長い文字だとしても、読み切らせるだけのサスペンドを持つものなのだと思う。

で、私もこれだけ色々なものを書いていると、明確に自分の強みと弱みというのが分かってくる。私の作る作品にはそういうテーマ性やフックがほとんどないことが多い。正確に言えばテーマ性はあるが、できるだけ後ろに下げてしまっていて、現時点では、結局私の書くものは「表現」を極めるというか、意味が腐るまで観察する方向へ進んでいる気がする。

もちろんこれは私自身の課題でもあるが、私はそれでいいと思っている。ある意味、ものを書ける人間として、誰でもできる「走る」という動作を表現とすると、マラソン選手やスプリンターになれる人はほとんどいない。

だが、私はだからこそ面白いと思う。特にAIの進歩によって、綺麗で論理的な文章というのは簡単に量産される。でも、人間の意思が入ったねちっこさはまだまだ勝てないと感じている。

とはいえ、自分の殻を常に破りたいと思っている私がまだ表現の中で挑戦していないものがある。
それは説明まみれの文章だ。

だいぶ前置きが長くなったが、私はこれから、とんでもなくねちっこい文章を書いてやろうと思う。

以前私は「水を飲む」を書いた。

この挑戦は、ちょうど私が色んなものを書き始めたころにしたもので、以下のルールがあった。

・感情や比喩は使わない
・意味を加えない
・見たもの・体が感じたことだけを書く

今からやろうとしていることはこの対極だ。感情や比喩を使いまくり、意味を加えまくり、見たもの、感じたもの以外も妄想てんこ盛りにしてやろうと思う。
前回のチャレンジから約一年が経とうとしている。少しは私も成長したのか確かめたい。

ではいく。



水を飲む。

体の内側に鎮座する爬虫類のような胃袋が夜を求めて這うように、ゆっくりと蠕動する音が地鳴りのように響いた。

水分を失い枯渇した胃袋の表面は、真夏の日照りで干上がった干潟のように、ところどころ罅割れており、その無数の穴を埋めるように水を求めて亡者たちが手を伸ばす音は怨嗟となり、深い谷底から轟々と風の如き音を纏って喉の奥から這い出んばかりだった。

音は呼気と共に男の喉を灼き尽くす。ごくり生唾を飲み込むも、食道を滴り落ちる雫を求めて亡者達は手を伸ばす。亡者共は醜く押し合い、互いを殴り、踏みつける。

弱き者は強き者の影の後ろで、更に弱き者を睥睨した。また、自らの命を守るために、子供の肉を差し出して懇願する者もいた。

弱き者にとって、自分を守るために差し出せるものなど子供の命の他にはなかった。弱き親は子供の肉を一つずつ強き者が食べやすいように千切っていく。弱き親よりも、更に弱き子供が最後に見たのは、最も信頼できる親と思っていたそれがただの肉の塊だったのだということだった。

強き亡者はなぜ自分の目の前で、弱き親子がそんなことをしたのか皆目理解できなかった。だが、精々喉の渇きとこの苛立ちを抑えるため、まず、差し出された子供の肉を平らげた。そして、その様子を見ながら、ぼろぼろと涙を流し頭を下げ続ける、弱き者をひとつまみで呑み込んで、一際大きなゲップを吐いた。

そうこうしているうちに、粘ついた一滴の雫が亡者の一人の手に落ちた。その亡者は亡者の中でも最も力の強い者だった。誰も手を出すことはできないと思っていた矢先、一人の弱き亡者がその亡者の脛に齧りついた。亡者の歯は忽ち折れて、歯茎のみになってもなお、その脛を離すことはなかった。雫を手に入れた亡者はそんなことに意を介さず、ごくりとそれを飲み込んで、そのまま脚を思い切り振り上げた。まるで糸の切れた操り人形のように、手足がばらばらになったそれは、硬化した胃壁にぶつかって、床の上に散らばった。誰も見向きもしないことを確認し、付近の穴から弱き亡者が手を伸ばした。或る者は腕を、また或る者は脚を自分の穴へ引き摺り込む。熟しすぎたトマトを潰すようなぐちゅぐちゅという不快な音だけが胃の中に響き渡った。

ここには亡者たちの渇きを奪うものは何も無い。強き亡者も、弱き亡者も、また穴の中に潜り込む。誰もいない胃袋には、ただ呪怨の音が響くだけだった。



あとがき

実はこの記事は、今朝方葉月さんがアップされた、こちらの記事へ宛てたものになる。

ネタバレすると、エッセイのタイトルをしりとりにして、別のエッセイを書く企画というものだ。

残念ながら私は正式には・・・・バトンをもらえなかったが、勝手に今回チャレンジした。

これがエッセイかどうかはさて置いて、とても面白い企画だと思うので、もし幸運にもバトンを受け取った方がいたらぜひチャレンジしてみてください(なんと、賞金も出るようです!)


#エッセイしりとり

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