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子どもの不登校と、私のミドルエイジクライシス。人生の途中で考えたこと

こんにちは。
子どもが不登校になった母親です。
必死になりすぎず、肩の力を抜いて不登校と共存することを目指して、あえてゆるふわに過ごすことを意識しています。さらにあえて言うと就職氷河期ど真ん中世代です。

(自己紹介はこちらです)


最近、「ミドルエイジクライシス」「中年の危機」という言葉をよく見かけますね。

40代、50代になって、ある程度のことはできるようになったけど
「このままでいいのかな」「これから何をして生きていこう」と考えるようになる。そんな文脈で使われていることが多いようです。

YoutubeやSNSなどでも話題になることが多いです。

私は心理学を少し勉強していたこともあり、この言葉は精神分析や心理学の世界で有名な概念であることを知っていました。ただ、子どもの不登校を経験してからこの言葉が一層気になるようになりました。


というのも、子どものことを考えているはずなのに、いつの間にか自分のこれからについても考えるようになったからです。


ミドルエイジクライシスって、そもそも何?


「ミドルエイジクライシス」「中年の危機」というと最近のポップな流行りの言葉のように思えますが、意外にも歴史のある言葉です。


「ミドルエイジクライシス」という言葉を最初に使ったのは、精神分析家のエリオット・ジャックスです。

1965年の論文「Death and the Mid-Life Crisis」で、人生の中間地点で自分の有限性や死を意識することによって起こる心理的な変化について論じました。

ただしここは少し注意が必要で「40代になれば誰でもミドルエイジクライシスになる」という意味ではありません。

現在の研究でも、ミッドライフの経験は人によってかなり違い「中年期には必ず危機が訪れる」という単純な捉え方には慎重な見方があります。

では、多くの人にとってどうしてこんなにこの言葉がしっくりくるのでしょう。

私は、人生の途中で「これまで」と「これから」の境目に立つ感覚があるからではないかと思っています。


ユングは「人生の後半」をどう考えたのか


ミドルエイジを考えるとき、よく名前が出てくるのが心理学者として有名なカール・グスタフ・ユングです。

ユングは、人生の前半と後半では心の向かう方向が変わっていくと考えました。

人生の前半では、仕事をつくる。家庭をつくる。社会の中で自分の居場所をつくる。そんなふうに、外の世界に向かって自分を築いていく。

一方で人生の後半になると、「私は本当はどう生きたいのか」「これまで大切にしてきたものは、本当に自分が望んでいたものなのか」という問いが出てくる。

ユングの考え方は、現代のミドルエイジ論にも大きな影響を与えています。

これを知ったとき、少しわかる気がしました。


エリクソンは「次の世代」をキーワードにした


もう一人、面白いのがエリク・エリクソンです。

エリクソンは成人期の発達を、「世代性(generativity) vs. 停滞」というテーマで捉えました。

簡単に言うと「自分がこれまで得てきたものを、次の世代や社会にどう渡していくのか」という問いです。

仕事でも、子育てでも、地域でもいい。
自分の人生だけではなく、次の世代に何を残すのか。

中年期を単なる「老いへの不安」ではなく、次の世代や社会との関わりを考える時期として捉えたところが、世界的に広く認識されています。


そしてレビンソンの「人生の見直し」


発達心理学者のダニエル・レビンソンも、中年期を重要な転換点として研究しました。

彼は「midlife transition(中年期の移行)」という考え方を示し、仕事、結婚、家族、人間関係など、これまでの人生を形づくってきたものを見直す時期について研究しています。

つまり突然おかしくなってしまう時期というより、これまでの人生を振り返り、これからを考え直す時期という見方もできるわけです。

この捉え方なら、私は少し前向きに感じます。

ミドルエイジクライシスは先人たちも経験した

子どもが不登校になって、親も立ち止まる


ここからは私自身の話です。

子どもが学校に行けなくなると、親は当然子どもの未来を考えます。

学校はどうする?
勉強は?
友達は?
進路は?
将来は?

頭の中は、子どものことでいっぱいです。


でも少し時間が経つと、自分にも別の問いが出てくることがあります。

「私はこれからどうするんだろう。」

子どもの人生を考えていたはずなのに、いつの間にか自分の人生についても考えている。私の場合は、そんな感覚がありました。


私たちは今、人生の「後半戦のルール」に出会っているのかもしれない


心理学者のカール・ユングは、人生を太陽の動きになぞらえ「人生の正午」という表現を使いました。

人生の前半は、太陽が昇っていく時期。

仕事で成果を出す。
家庭を築く。
社会の中で自分の役割をつくる。

目標を決めて、努力して、少しずつ前に進んでいく。

私もこれまでずっとそんなやり方で生きてきたように思います。

わからないことがあれば調べる。
問題があれば原因を考える。
足りないものがあれば補う。
努力すれば、少しずつ状況を変えられる。
そんな感覚がどこかにありました。

だから子どもが学校に行けなくなったときも、最初は同じように考えました。

「もっと情報を集めれば何かわかるかもしれない。」
「原因がわかれば解決策も見つかるかもしれない。」

実際、たくさん調べました。
でも、調べれば調べるほど、わからなくなっていきました。

子どもの人生は、自分の仕事のようには進みません。
どれだけ調べても、本人がどう感じるかを大切にしなければ。

親が「こうしたほうがいい」と思っても、子どもが同じように思うとは限りません。そして何より、子どもの人生を親がコントロールすることはできません。

そのことに気づいたとき、これまで自分を支えてきた「頑張れば何とかできる」という感覚が、少しずつ通用しなくなっていることを感じました。

ユングが考えた「人生の後半」は、これまでとは違う方向に心が向かっていく時期でもあります。

外側にある成果や役割だけではなく、
「私は本当はどうしたいのか。」
「何を大切にして生きたいのか。」

そんな、自分の内側にあるものに目を向けていく。そしてそれは、子どもに対しても同じなのかもしれません。

「どうすれば学校に行けるようになるか」ではなく、
「この子はどうしたいのだろう。」
「この子にとって大切なものは何だろう。」

と考える。

正解を探してコントロールするのではなく、わからないものをわからないまま抱えながら、一緒に考えていく。


正直これは、私にとってはかなり難しいことでした


仕事なら情報を集めて、比較して、決める。
でも子どものことになると、それだけではどうにもならない。

「どうしたらいいかわからない」という状態に耐えることも、必要になる。

もし今、以前のようにうまく決められない自分に戸惑っている方がいたら、それは自分の能力が落ちたからとは考えないでほしい。

これまで身につけてきたやり方では解けない問いに、初めて向き合っているだけなのかもしれないんです。
人生の前半で身につけたものを捨てる必要はありません。
ただ、それだけでは足りない場面が出てくる。

そのときに「これまでのやり方ではなく、別の考え方もあるのかもしれない。」と気づく。

子どもの不登校をきっかけに、子どもの未来だけではなく自分自身のこれからについても考えるようになりました。

もしかすると人生の後半は、「もっと頑張って、もっと正しく生きる」ための時間ではなく、
何を大切にして生きたいのかを、自分で選び直していく時間
なのかもしれません。


「子どもの問題」だけにしなくてもいいのかもしれない


もちろん、不登校とミドルエイジクライシスを結びつけて「子どもの不登校が親の危機を引き起こす」という主張ではなくて。
実体験としても、そこまで単純な話ではなさそうです。

ただ、子どもの学校生活が変わることで親自身もそれまで当然だと思っていた未来を考え直すことはある。それは悪いことではないのかもしれません。

子どもの進路を考える。その一方で

「私はどんなふうに働きたい?」
「これから何を大切にしたい?」
「子育てが少し落ち着いたら、何をしたい?」

と、自分のことを考えてもいい。

むしろ、考えていいのだと思います。


「このままでいいのかな」は、悪いサインとは限らない


ミドルエイジクライシスという言葉には、どこかネガティブな響きがあります。

でも人生の途中で「このままでいいのかな」と思うこと自体は、必ずしも悪いことではありません。

これまで一生懸命やってきたからこそ「私はこれからはどうしたい?」と自分に問い直す時期が来るのかもしれない。

そしてそれは、子どもにとっても同じなのだと思います。
これまで一生懸命やってきたからこそ、今は不登校を選択して一旦休憩したいのだと思う。

そこから「これからどうしたい?」を考え直すことができる。
それは親も子も同じなのかもしれません。
そう考えると、我が子の状況が自分のことのように理解できる気がしました。


子どもの未来を心配するあまり、自分の未来について考えることを後回しにしない。


子どもの選択肢を探しながら、自分自身の選択肢も少し探してみる。そんなことを考えるようになりました。

子どもが不登校になって少し経過した今、改めて考えてみると「ミドルエイジクライシス」という言葉はまさに自分に当てはまっていた気がします。

ミドルエイジクライシスというものが「この先、どう生きたい?」とふんわり立ち止まって考える時間であるならば、私には必要だったに違いありません。

そして、もしかするとそれは中年の「危機」というより
人生の後半を自分で選び直すための副産物
なのかもしれないなと思っています。


反響をたくさんいただいているこちらもぜひ。
教育支援センターの経験談です。


情報が多すぎて決められないのは
脳の構造上そうなるのであって、あなたのせいではないのですよという話。



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