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「体験」の解像度を上げる旅。フィクションに「実在感」を宿すために、僕がこれからつくっていくもの。

みなさん、新年あけましておめでとうございます。
毎年忙しさを更新し続けており、大変ありがたい今日この頃ですが、この年末年始は改めて自分が何を世界に届けたいのか?を見つめ直すいい機会でしたので、自己分析をしながら、筆を執ってみました。

とても個人的な話なので、自分の所属している組織とはあまり関係のない話として聞いていただけるとありがたくはありつつも、組織の活動が自分の延長線上にあるのは確かなので、相乗効果で超成長という感じの1年にしていきたいと思っています。


昨年は、ジャングリアの開業や、万博の開催、あらゆる体験型施策のローンチで、本当に様々な「体験」が目に入ってきた一年でした。中でも、イマーシブという単語のコモディティ化や、LBEの本格運用化など、コロナが明けてからの本格的なリアル回帰で、ニュースに事欠かなかったような気がしています。
特に昨年、自分は1年で最低3カ国は海外に行くというノルマを課し、上海・ソウル・クアラルンプールと旅をしたのも記憶に新しいです。

そんな旅や日々を過ごす中で、特に重視していたのが「未知の体験をすること」でした。お陰様で、本当に色々な未知を体験することができ、大満足な2025年だったように思います。

収めきれないが、色んな体験をした!(本当はそれぞれ感想記事書きたい…需要ある…?)

仕事面でも、事業部を移籍し、XRから実空間の体験に担当事業領域をシフトしたのも人生のターニングポイントとしては大きかったですね。さらにとてもありがたいことに対外露出も増え、ますます「自分」の軸を言語化しておかないと、何者なのかを自分で語れずに、自分という価値がわからなくなるという、色々悩んだ1年でもありました。


さて。皆さんは、「体験」という言葉から何を想像するでしょうか。
なんとなく体験という言葉を使いつつも、これほど人によって解釈が違う言葉もなかなかないのではないかなと思っています。

僕はこれまで、デジタルアートやXRの最前線に身を置きながら、あるいは一人の表現者として、ずっとこの「体験とは何か?」という問いに向き合い続けてきました。それは物理的な空間そのものなのか、そこで過ごす時間のことなのか、それとも人の感情の揺らぎのことなのか。

ことあるごとに「空間体験をつくることがライフワークだ」と口にしてきましたが、今年はその輪郭をよりはっきりとさせ、自分の手でその「正体」を形にしていく一年にしたいと思っています。そんな自分の理解を深めるための設計図だと思って、現時点での思考の立ち位置を書き記してみます。

「驚き」の先にある、静かな震え

エンターテインメントや空間デザインの世界では、しばしば「インパクト」や「最新技術による驚き」が求められます。派手な演出、見たことのない映像、圧倒的な情報量のメインディッシュ。もちろん、それも素晴らしい体験の一つです。

けれど、僕が本当に心惹かれ、創っていきたいものは、少し違う場所にあるような気がしています。

僕が作りたいのは、「Anemoia」と呼ばれる感覚なのだろうと、現時点では解釈しています(移ろいゆくかもしれないが)。 これは、「経験したことのないはずの時代や場所に対して感じる、強烈な懐かしさ」を指す言葉だそうです。

例えば、素晴らしい映画の背景美術や、精緻に描かれたファンタジーの世界を見たとき。そこは架空の場所であるはずなのに、なぜか風の匂いを知っている気がしたり、夕暮れの温度を思い出して胸が締め付けられたりする。そんな経験はないでしょうか。

僕が目指しているのは、その感覚を現実の空間に実装することのように思います。 初めて訪れる場所なのに、なぜか「帰ってきた」と感じるような安らぎ。現実にはありえない魔法のような光景なのに、嘘っぽさがないリアリティ。

僕が本っっ当によく言う「Qラインを作りたい」という感覚も、これに近いものかなと再解釈しています。

一瞬の「驚き」で終わるのではなく、家に帰ったあともその光景を思い出し、静かな余韻が長く続いていくような、そんな「魂の記憶」に残る場所を作りたいのです。そこには購買体験だってそうだし、UXだって包含されると思います。はじめから終わりまで、手を抜かない世界観。

「言葉を失う」という共有体験

そして、その空間体験は一人きりで完結するものではありません。
僕が理想とするのは、隣にいる大切な誰かと「沈黙を共有する」ような体験です。

本当に美しいものや、圧倒的な世界観を前にしたとき、人はおしゃべりになるでしょうか? おそらく、逆だと思うのです。言葉は力を失い、ただ息を呑み、隣にいる人と顔を見合わせる。視線だけで「すごいね」と頷き合い、同じ周波数で心が震える。

そんな、言語を介さないコミュニケーションが生まれる場所こそが、これからの時代に必要な「体験」の質だと信じています。

そして、すべてがインタラクティブで、常に何かを問われ反応し続ける空間は、時に人を疲れさせてしまっているような感覚もあります。だからこそ僕は、訪れる人がただそこに「居る」ことを許されるような、ある種の聖域のような没入感をつくりたい。

賑やかなエンターテインメントの渦中にあって、ふと深呼吸ができる「セーブポイント」のような場所。そんな余白のある空間設計を目指せるのが理想のような気がしています。

デジタルを「建材」として扱う

では、どうやってそれを作るのか。 ここで重要になるのが、「実在感」へのこだわりだと思っています。

僕はこれまでデジタルの技術を扱ってきましたが、これからはデジタルを単なる「映像」としてではなく、木材や石と同じ「建材」の一つとして扱っていきたいと考えています。

壁に映像を投影して「これは魔法の世界です」と説明するのではなく、光そのものが質量を持ち、そこのある物質のテクスチャを変え、あたかもその世界が物理的に存在しているかのように錯覚させる。 スクリーンの中の出来事ではなく、「本当にこの世界が存在していたんだ」と信じられるような、圧倒的なマテリアルへのこだわり。

「夢を見ているようだ」という浮遊感よりも、「夢が現実になった」という重み。 魔術的リアリズムの実装。

それが、僕が技術を使う理由であり、作家としての譲れない核心なのだろうと思っています。

日本のIP市場への挑戦

そして今年、僕がこの哲学を持って具体的に注力していくであろう領域。それが「IPコンテンツと空間の融合」です。

誤解を恐れずに言えば、僕自身はいわゆる熱烈なアニメファンやゲーマーというわけではありません。しかし、だからこそ冷静に見えている事実があります。それは、日本のIPコンテンツが世界に誇れる数少ない「最強の資産」であり、今後さらに巨大な市場価値を持つということです。

世界中の人々が、日本のストーリーやキャラクターに熱狂しています。 しかし、その「体験の受け皿」となる空間はどうでしょうか。

素晴らしい物語があるのに、それを現実空間に落とし込む際、単なるパネル展示や、スクリーンに映像を流すだけの演出にとどまっているケースがあまりにも多い。 世界観の深さに対して、空間体験の解像度が追いついていない。ここに、日本市場の大きな機会損失と、同時に巨大なポテンシャルがあると感じています。

「物語としての強度」に負けない「空間としての強度」を作る。

これが、僕がここに挑む理由です。 ファンタジーやSFの世界観を、子供騙しのセットとしてではなく、大人が没入できるラグジュアリーな空間体験として翻訳する。いわば、IP体験の「高付加価値化」です。

ストーリーという「魂」に、建築とデジタル技術で「肉体」を与えること。 それができれば、日本のエンターテインメントは、単なる「消費」から、世界観への「居住」へと進化できるはずです。

2026年の活動に向けて

これからの僕の活動のフィールドは、空間、建築、テクノロジー、アート、クリエイティブ、そしてIPの世界です。

「没入空間演出家 (Immersive Scenographer)」として、物理法則のあるこの現実世界に、まだ誰も見たことのない「懐かしい景色」を生み出し、日本のコンテンツの価値を空間から底上げしていきたいと考えています。

物語の余白を、ぜひ一緒に形にしていきましょう。 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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