【対話形式】彩の国の礎は先人方の治水!?│埼玉県治概要第五章第一節 用排水幹線改良事業
今回は、また少し県治概要の章を飛ばして、五章に入ります。第一節 用排水幹線改良事業です。なんとばしたかって言うと、飛ばしたのやつが面白くもなんともないんですねぇ。当時のデータばっかです。今更知ったところで、という感じなので省略しました。さて、この章は埼玉の農業がなぜ栄えたのかが分かります。関東平野って、石高が高いイメージがありますよね。実は、そうじゃないんです。では、お楽しみください。
■ 対話でわかる「用排水幹線改良事業」
生徒:先生、関東平野って広くて肥沃で、お米もたくさん取れるイメージがあります。
先生:そのイメージ、実はちょっと違うんだ。今回の史料を読むと、埼玉の農業がなぜ成り立っていたのか、その裏側が見えてくるよ。
生徒:裏側というと?
先生:まず前提として、埼玉県は広く開けた土地だったんだけど、もともと用水や排水の系統立った設備が十分じゃなかったんだ。水路は荒れて、灌漑用水と排水が入り混じってしまって、水利の調整に支障をきたすことが少なくなかった。
生徒:水路がぐちゃぐちゃだったってことですか?
先生:そう。だから県では、利根川・荒川・江戸川・中川の四大河川の改修が進められたのを機に、県営事業として主要排水路の改良計画を立てたんだ。そうやって治水と耕地の整備を進めながら、産業を振興して県民の福利を充実させようとした。
生徒:どれくらいの規模の事業だったんですか?
先生:これまでに計画された用排水幹線改良事業は、全部で69か所。総工費は1735万円余りに達していて、その規模の大きさは全国でも第一級のものだったらしい。
生徒:69か所も! それで、進捗はどうだったんですか?
先生:事業のうち完成したものが5か所、工事の途中にあるものが12か所、位置の決定や準備中のものが1か所あって、昭和13年度までに完成する予定とされていた。完成した暁には、長年にわたる水害の痕を断って、県民の福利の増進は計り知れないものになる、と書かれているんだ。
生徒:でも先生、そもそもなんで埼玉って、こんなに水路の整備が大変だったんですか?広い平野なら、逆に恵まれてそうなのに。
先生:これは郷土史の本文には直接書かれていないんだけど、ここがまさに関東平野のイメージと実態が違うところなんだ。平野であるということは、同時に水が溜まりやすくて流れにくい土地でもある、ということなんだよ。
生徒:え、平らだと逆に水はけが悪いんですか?
先生:うん。特に利根川・荒川・江戸川・中川といった大河川に挟まれた低地では、少し条件が崩れるだけで排水不良や湛水(たんすい、水が溜まったまま引かないこと)が起こりやすい。つまり、川が多いから有利だったんじゃなくて、川が多いからこそ水の管理が難しかった、ということなんだ。
生徒:石高が高そうなイメージの裏に、そんな苦労があったんですね。
先生:しかもこの事業は、村ごとの小さな用水普請とは違って、県が主導して広域的に水の流れを組み直そうとする、かなり大がかりな発想なんだ。近世まで用水や堤防の整備は村や地域の共同作業だったけど、昭和期になると、それだけでは処理しきれない規模の問題を、行政が技術と資金を集中して解決しようとしている。69か所、総工費1735万円余りという数字は、まさにその本気度を表していると思う。
生徒:じゃあ、埼玉の農業って、自然に恵まれていたというより、人の手で支え直された農業だったってことですか?
先生:まさにそういうことだと思う。水路を分けて、排水を整えて、洪水の痕を絶って、それでようやく生産の安定が可能になる。米や麦の収穫量だけを見ていると気づきにくいけど、その裏には、こうした膨大な土地改良の積み重ねがあったんだ。
生徒:地味な事業に見えて、実は埼玉の農業を根本から支えている話だったんですね。
先生:そう。「平野だから自然に農業が栄えた」んじゃなくて、「水との闘いに向き合い続けたから農業が成り立った」。この一節は、埼玉の産業の土台そのものを物語っている章だと思うよ。
