彩の国の礎は先人方の治水!? 埼玉県治概要第五章第一節 用排水幹線改良事業
今回は、また少し県治概要の章を飛ばして、五章に入ります。第一節 用排水幹線改良事業です。なんとばしたかって言うと、飛ばしたのやつが面白くもなんともないんですねぇ。当時のデータばっかです。今更知ったところで、という感じなので省略しました。さて、この章は埼玉の農業がなぜ栄えたのかが分かります。関東平野って、石高が高いイメージがありますよね。実は、そうじゃないんです。では、お楽しみください。
■3行でわかる!この史料のポイント
この節では、埼玉県が利根川・荒川・江戸川・中川流域の排水不良を改良するため、県営で大規模な用排水幹線改良事業を進めたことが述べられています。
総工費は一千七百三十五万円余に達し、全国でも有数の規模をもつ事業であったとされています。
これは単なる土木工事の記録ではなく、埼玉の農業と暮らしが、水との格闘と土地改良の積み重ねによって支えられていたことを示す史料です。
■現代語訳
埼玉県は、広く開けた土地ではありますが、もともと用水や排水の系統立った設備が十分ではありませんでした。そのため、水路は荒れ、灌漑用水と排水とが入り混じってしまい、水利の調整に支障をきたすことが少なくありませんでした。
そこで県では、利根川・荒川・江戸川・中川の四大河川の改修が進められたのを機に、県営事業として主要排水路の改良計画を立てました。そしてその計画を実行に移し、しだいに治水と耕地の整備を進めるとともに、産業を振興し、県民の福利を充実させようとしました。
これまでに計画された用排水幹線改良事業は、全部で六十九か所あり、総工費は一千七百三十五万円余に達しました。その規模の大きさは全国でも第一級のものでした。
そして、事業のうち完成したものは五か所、工事の途中にあるものが十二か所、位置の決定や準備中のものが一か所あり、昭和十三年度までに完成する予定とされていました。これらの改良事業が完成した暁には、長年にわたる水害の痕を断ち、県民の福利の増進は計り知れないものになると考えられていました。
■埼玉在住の私の解説・感想 ~埼玉の農業は「平野だから自然に栄えた」のではない~
この史料を読むと、埼玉県の農業は、単に土地が広くて平らだから成り立ったのではなく、むしろ水をどう制御するかという大問題と向き合い続けた結果として成り立っていたことがよく分かります。埼玉は広い平野を持っていますが、平野であるということは同時に、水が溜まりやすく、流れにくい土地でもあるということです。とくに利根川・荒川・江戸川・中川といった大河川にはさまれた低地では、少し条件が崩れるだけで排水不良や湛水が起こりやすく、農業にとっては大きな弱点になりました。
つまり、この節でいう「用水と排水の系統が不完備」「水路が荒廃」「灌漑用水と排水が入り混じる」という状態は、単なる設備不足ではなく、埼玉という土地の宿命に近い問題だったのだと思います。水を引くことはできても、水をうまく逃がせなければ田畑はかえって傷みます。特に低湿地では、水不足より水余りのほうが深刻になることさえあります。埼玉の平野農業は、川が多いから有利だったのではなく、川が多いからこそ難しかったのです。
ここで重要になるのが、近代国家による大規模土木事業です。史料には、利根川・荒川・江戸川・中川の四大河川改修を機に、主要排水路の改良計画を立てたとあります。これは単なる村ごとの用水普請とは違い、県の主導で広域的に水の流れを組み直そうとする発想です。近世以来の埼玉では、用水や堤防の整備は村や地域の共同作業でもありましたが、昭和期になると、それだけでは処理しきれない規模の問題を、行政が技術と資金を集中して解決しようとしているわけです。六十九か所、総工費一千七百三十五万円余という数字は、その本気度をよく示しています。
ここから見えてくるのは、埼玉の農業が「自然の恵み」に支えられていたというより、人工的に支え直された農業だったということです。水路を分け、排水を整え、洪水の痕を絶ち、はじめて生産の安定が可能になる。米や麦の収穫量だけを見ていると見えにくいのですが、その背後にはまず土地改良という巨大な前提がありました。農業の節が一見地味でも、このような用排水事業の記述は、埼玉の産業の土台そのものを語っているのだと思います。
