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私はずっと、自分の人生を他人に貸していた。

2年前の事です。仕事帰りに、ずっと欲しかったカメラを買おうとしていました。

店員さんに相談しながら、ほとんど心は決まっていました。

でも、スマホで友人に写真を送ると、

「それ買うの? 今さらカメラって感じじゃない?」

と返ってきました。

その一言で僕はカメラを棚に戻しました。

本当は欲しかったのですが…

休日に街を歩き、気になった景色を撮りたかったのです。

それなのに僕は、カメラを買うかどうかを、自分の気持ちではなく、どう見られるかで決めました。

帰り道、なぜか私は少し安心していました。

笑われずに済んだ。変な人だと思われずに済んだ。

でも同時に、胸の奥に小さな違和感が残りました。

これは本当に、自分が選んだことなのだろうか。

昔の僕は、自分の人生なのに、自分で決めていませんでした。

何をするか。どんな仕事をするか。

何を買い、何を諦めるか。

そのたびに浮かんだのは、

「これをしたら、周りからどう思われるだろう」

という考えでした。誰かに命令されたわけではありません。

それでも気づけば、自分の気持ちより周囲の評価を優先していました。

嫌われないように。笑われないように。
失敗したと思われないように。

だから何かを選ぶときも、

「自分はどうしたい?」

ではなく、「これを選んだら、どう見える?」

になっていました。

今思えば、自分の人生を生きているつもりで、
他人にハンドルを握らせていたのだと思います。

今思えば怖かったのだと思います。

自分で決めて失敗することが。

「あのとき、こうすればよかった」と後悔することが。

だから誰かの正解に乗っていれば、失敗しても、

「みんなそうしているから」

と言い訳できました。でも、あるとき思いました。

それで失敗しなかったとして、自分は本当に満足するのか?と…

誰かに褒められる人生と、自分が納得できる人生。

どちらが欲しいのだろう。

答えは、意外と簡単でした。

僕はずっと、「間違えない人生」を選ぼうとしていました。

でも本当に欲しかったのは、「自分で選んだ人生」でした。

そこから、少しずつ考え方が変わりました。

全部を変える必要はありませんでした。

小さなことから、

「僕は、本当はどうしたいのだろう?」

と考えるようにしました。

正しいか、損か得か、どう見られるかではなく、まず自分に聞く。

それだけでした。

不思議なことに、自分で決める回数が増えるほど、人生が少しずつ自分のもとに戻ってきました。

たぶん僕たちは、誰かに人生を奪われるより、自分から預けてしまうことの方が多いのだと思います。

「普通は」

「みんなは」

「どうせ無理」

そんな言葉に、人生を少しずつ預けてしまいます。

僕もそうでした。

そして今でも、ときどき預けそうになります。

だから最近は、何かを決める前に一度だけ考えます。

「これは、本当に自分が選んだことなのだろうか?」

それだけは、これからも忘れないようにしたいと思っています。

僕はずっと、自分の人生を他人に貸していました。

でも、そろそろ返してもらおうと思います。

〜〜〜本日の一言〜〜〜
この世は思った通りになるのだそうです。
思った通りにはならないよと思っている人が、思った通りにならなかった場合、思った通りになっているので、
やっぱりそれは思った通りになっているそうです。

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