見出し画像

すべてはあなたが決めたこと(私自身が決められる)~古畑任三郎、アドラー心理学

 ストレスの多い現代社会。 
 誰しもが、「不運」「不幸」と思えるような出来事に遭遇したり、人間関係で嫌な思いをしたり、うまくいかなかたりすることは「0」ではないと思います。
 有名人であろうと、「成功者」と言われる人も、偉人でも、幸せそうな顔をしている人もみんな「平等」に経験するのだと思います。
 
 しかし、そこで、他人のせいにしたり、会社や上司へ不平不満を言ったりするのか、その中に、「幸せの種」を見出すかは、自分次第。
 
 考えてみたら、悩んだり、病気なったり、事故に遭ったり、嫌なことを経験したり、喧嘩したりできるのは、
 
「生きているからこそ」
 
 今、生きているからこそ、そういった「経験ができる」ともいえます。

 生きているからこそ、苦労も味わえます。
 生きているからこそ、悩めます。
 生きているからこそ、壁にぶつかれます。
 
 もちろん、私自身はそこまで「悟った」状態ではありませんので、愚痴の一つも言いますし、やはり、何かあれば「嫌だなあ」という気持ちになります。「もっと、おもしろいこと、いいことはないかな」とないものねだりをしてしまうことも、まだまだ「0」ではありません。
 
 ただ、以前、作家の ひすいこたろうさんが紹介していた、次の詩を読んで、まだまだ、自分にできることはあるという思いを強くしました。
 
 
あなたがくだらない
と思っている今日は
昨日亡くなった人が
なんとかして
生きたかった
なんとしてでも
生きたかった
今日なんです
 
 
 田村正和さん主演の「古畑任三郎」の「古い友人に会う」(再会)は、唯一事件を未然に防げた珍しい回で、脚本家の三谷幸喜さんは、「最終回」にしたかったほどの内容だったそうです。
 
 しかし、私は、内容もさることながら、自ら死のうとする津川雅彦さん演じる旧友の小説家とのやりとりの中で、最後にはなった次のような言葉の影響が大きかったからではないかとも思います。

お察しします。
 しかし、しかし、あなたは死ぬべきではない。
 たとえ、全てっを失ったとしても、我々は生き続けるべきです。
 私はこれまで強制的に死を選ばされてきた死体を数多く見てきました。
 彼らの無念な顔は忘れることができません。
 彼らの為にも我々は生きなければならない。
 それが我々生きている人間の義務です。

 またやり直せばいい。一からやり直せるという古畑(田村さん)に対して、「いくつになったと思っているんだ。もう振り出しには戻れない」と絶望する安斎(津川さん)。

ここで、さらに、次のようにたたみかけます。

とんでもない!まだ始まったばかりです。いくらでもやり直せます。
よろしいですか。よろしいですか?
たとえ、たとえですね。
明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないなんて誰が決めたんですか?
 
 誰が決めたんですか?
 
 ・・・まだまだ、これからです・・・・。

 これまで、どんなに悲惨で、マイナスな経験や生き方をしてきたとしても、運が悪いと思えても、

「今この時」から、かえていける。今からすぐにやり直せる。
 やり直しちゃいけないなんて誰が決めたんですか?
 
 誰も決めていません。
 決めたように思えたとしたら、それは自分自身がそう思い込んだだけ。
 
 アドラー(心理学)でも「自己決定性~すべてはあなたが決めたこと(決められる)」として、次のような言葉を遺しています。

・たとえ不治の病にあっても、天を恨み泣き暮らすか、周囲に感謝して余生を充実させるか、それは自分自身で決められる。

・遺伝や育った環境は単なる「材料」でしかない。
 その材料を使って、住みにくい家を建てるか、住みやすい家を建てるかは、あなた自身が決めればいい。

 神様は、その人が乗り越えられないような試練は与えないとも言います。
 そう、やり直せますし、乗り越えていけます。
 
 さあ、今からが人生本番です。
 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです